「マネー・ルールズ」 by Scott Sumner

昨年末の記事ですが、スコット・サムナーが http://www.nationalreview.com/ に寄せた “Money Rules” (DECEMBER 14, 2010)です。タイトルの訳は逃げました!また名目GDPと名目国民総所得が区別されていないので細かい方はご注意。

追記…タイトルの “Money Rules” は “money matters” のもじりではないかとのご指摘をTwitterにて頂きました。たぶんそうだと思います。 「貨幣は支配する」、でしょうか。


保守的経済学にとって金融政策は常にアキレスの踵であった。私たちがはこれまで繰り返し見てきたのは、保守的な政策立案者が自由市場経済を成功させようと大変な努力をするが、結局デフレーションによって台無しになってしまうことだった。1920年代の米国経済は、政府支出がGDPのわずか10%とかなり良く機能していた。しかしこの高効率はその後の10年間で失われてしまった。1929年から1933年の期間に名目GDPは半減し、大きな政府主義への扉が開いた。1990年代のアルゼンチンにおける新自由主義改革も同様で、1999–2001年のデフレーションによって疑問符を付けられてしまった。どちらの事例でも、実際には機能不全に陥った金融レジームの失敗だったにも関わらず、やり玉に挙げられたのは市場だった。

残念なことに、多くの保守的経済学者たちはデフレーションのコストを軽視しすぎている。彼らは、賃金および価格はいかなる貨幣価値の上昇に対しても調整されると主張する。しかしそれが正しいとすれば、貨幣価値が下落する場合に賃金が調整されないと信じる理由はない。つまりそれではインフレーションもまた問題無いということになる。しかしマイルドなインフレーションよりもデフレーションの方がはるかにコストがかかるということが米国で見られてきたことだった。

デフレーションの破壊的なコストをひとたび認識すれば、ドルが「金と等価値」だった昔を想像することなどできなくなる。金本位制では、物価水準全体の不安定さというコストを支払うことによって金という一つの財の価格を安定化させる。19世紀、長期のインフレ率はゼロ近辺だったが、これはちょうど人は平均の深さが3フィートの湖でも溺れるのと同じで、長期の物価水準の安定が短期の甚大な不安定さを隠してしまう。例えば1913年と1933年の物価はほとんど同水準なのだ。(訳注:1933年は大恐慌のピーク)

政府の役割を除去することによって、金本位制レジームの落とし穴を避けることもまたできない。政府が金融目的で金準備を保有していなければ、金の価値は産業金需要の変動に密接に追随することになる。近年はアジアにおける急速な産業化があらゆる金属の価格を押し上げ、金属価格は非常に不安定になっていている。たとえ金の名目価格を固定しても物価安定にはつながらない。(訳注:このパラグラフはティーパーティ派などの保守陣営に広がる金本位制回帰論が念頭にあると思われる)

保守主義者たちは、私たちは良くも悪くも不換貨幣の世界に住んでいるのだということを認識しなければならないし、広く経済に損害を与えないようなマネー管理方法を描き出さなくてはならない。つまり私たちはマクロ経済の難問をはぐらかすことはできないし、FEDによる経済への「干渉」に無邪気に反対を主張するわけにもいかないのだ。

不換貨幣にレッセ・フェールはありえない。Fedが一定の貨幣供給を行えば保てば金利と物価水準が変化する。金利を一定に保てば物価水準やマネーサプライのコントロールを失ってしまう。現代の多くの経済学者はそれゆえインフレ目標のような枠組みを好む。一番有名なのはテイラールールだが、過去二十年間それは確かにインフレ率を概ね低く保ってきた。しかし私の見るところインフレ目標政策にはいくつかの欠点があり、目標としては名目所得(または名目GDP)安定の方が優れている。

インフレ目標に反対する議論でよく知られたものに、場合によっては物価水準の変動を許容するのが望ましいケースが存在する、というのがある。George Selgin は生産性ブームの場合には労働市場の過熱を避けるためにマイルドなデフレーションが好ましいだろうと指摘している。反対に、マイナスの供給ショックに襲われる場合にはインフレ率は上昇することになるはずである。原油の輸入停止を埋め合わせるために非エネルギー価格を強制的に引き下げるのは誰も望むことではない。

不安定な物価水準に由来すると信じられている問題のほとんどは、実は名目所得の不安定さの結果なのである。経済における名目総所得とは、各個人の所得の合計で流通するドルで計測される。負債はほとんど名目なので(例えばインフレ率でインデックスされたりしない)、名目所得は個人の負債返済能力のベストな測定方法になる。2009年、米国は1938年以来最大の名目GDP(NGDP)下落を経験した。従って負債危機になるのは驚くことでは全くない。名目所得が負債契約の締結時に期待されていた水準よりも大きく下回るような状況では、ほとんどの場合負債の返済が困難になる。

こういう人々もいる。壮大な債務問題やNGDPの将来経路とは無関係に借り手の行動が無責任になった事例に目を奪われてNGDPの問題を見落とすのである。米国におけるサブプライムやギリシャの政府債務、無責任な銀行への保証を吸い上げたアイルランドの決定などにである。しかしそれらの事例は氷山の一角に過ぎないのだ。私たちが直面しているシステム的な債務問題は個別の事例をはるかに超えるもので、名目所得の下落によってしか説明できないものなのである。

NGDP目標という私の提案は、無茶な借り手を救済するだけのものだろうか。そうではない。私は給与や債務契約を交渉するための安定な政策環境を提供するよう求めているのだ。今まさに、NGDP成長の突然の下落は高失業や低収益、債務デフォルトの急増を招きがちだ。NGDPの予期されない急上昇も、刺激効果が減耗するという問題を引き起こすだろう。

我々の現行の政策はアンフェアだ。2009年、政府の公務員は過去数十年の例からNGDPが5%上昇するだろうとの期待の下で妥結した賃金を得た。しかしNGDPは約8%下落することになり、国民所得に占める労働者のシェアは加速したが、それはそれ以外の人々の失業という犠牲を払うものだったのである。

名目所得目標には別の利点もある。CPIのデータに比べNGDPのデータを操作するのはかなり難しい。公式のコアCPI統計によれば、2008年半ばから2009年半ばにかけての住宅価格は他の財との相対比較さえ上昇していた。そう、米国の歴史上最大級の住宅価格クラッシュの時でさえ、政府は住宅価格が上がっているということに固執していた。相対的にでさえ。かくして住宅価格はコアCPIの39%に達した。これは決して取るに足らないエラーなどではない。

さらに一般消費財の価格測定にも問題がある。価格上昇のうちどれだけがインフレを反映した分で、どれだけが品質向上を反映したものかどうかを決定するのは政府の統計学者達にとって容易なことではない。NGDPの見積もりならば売上さえ分かればよく、価格と品質を分ける必要がない。

もしFedがNGDP目標を決意するなら、最適な成長率を選択する必要がある。フリードリヒ・ハイエクは中央銀行は名目所得を安定化させるべきだと勧めた。つまりゼロのNGDP成長率(日本の政策は概して1994年以来からこれ)で、これは経済成長という観点ではわずかなデフレーションを引き起こす。これはまさに問題である。よかれ悪しかれ、日本経済の貧弱なパフォーマンスで多くの経済学者はマイルドであってもデフレーションには懐疑的になっている。

政治的に受け入れ可能と思われるNGDP成長経路の数字は二通りある。Bill Woolsey は3%の名目支出成長目標を提案しているが、これはおそらくほぼゼロの長期インフレ率を前提としているのだろう。19世紀の金本位制の時代に、私たちはビジネスサイクを不安定にすることなく、短期および中期のNGDP変動を創出することで物価の安定を実現した。もう一つは5%のNGDP目標経路で、これはFedの「物価の安定」の定義であるおおむね2%のインフレ率を実現するだろう。

もし3%の名目成長率が好ましいとしても、金融危機はトレンドのNGDP成長率を引き下げた最悪の期間だったことになる。Fedは大平穏期においては明らかに5%の名目成長を念頭に置いていた。しかしこの二年間の名目ゼロ成長によって、それより前に妥結した賃金や債務契約で期待され織り込まれたところのものに悲惨なインパクトがもたらされた。もし3%のNGDP成長経路に移行するならば、それは段階的に行うべきであり、また、名目所得の下落の一因となった銀行問題を扱っている時期は避けるべきである。

理想的な世界では、我々は中央銀行家たちからあらゆる裁量を奪うことができる。Fedはただドルを12か月あるいは24か月先の名目GDPの断片と定義し、目標価格の先物契約をドルと交換できるようにするだけである。NGDPが目標軌道からそれていると人々が考えるならば、この契約の売買によって自動的にマネーサプライと金利が調整され、期待NGDPは目標に戻される。これは古典的な金本位制と似ているが、ドルを金重量の代わりにあるNGDP先物契約に関連付けて定義したというわけである。安定した経済に調和するマネーサプライと金利の水準を、ワシントンの政策立案者たちではなく公衆が決定するのだ。

この政策レジームは大きな政府というリベラル陣営の議論に対抗するものである。目下のところ、保守主義者たちはポール・クルーグマンの「不況」下にあるときは経済の法則は窓から放り出せという主張に対する良い対抗理論を持っていない。古典経済学では完全雇用を仮定する。失業率が9.8%ある時、Fedによる雇用創出スキームに対する古典理論の議論はどれだけ信憑性があるだろう?そう、経済不況があるときは政府の介入でさえもよく機能はしない。しかしNGDP先物目標ならば望みの将来名目消費水準を生み出すと期待されるマネーがすでに設定されているので、財政刺激の出番はなくなる。

NGDP先物の世界では、もはやリベラル陣営はセイの法則(供給がその需要を作る)を持ち出す者を笑うことはできなくなる。GMを救済することで創出される自動車需要は経済の他の部門の需要を減らすことで成り立つことは全く明らかだ。あるいは、ワシントンのエリートたちが「大銀行を救済しないと経済不況が引き起こされる」と指摘することで人々を恫喝することもできなくなる。銀行が破たんしても、マネーサプライは将来の期待名目支出が目標通りであるように調整される。斜陽産業で職が失われても新しい創出的な企業の雇用が増えることで相殺されるという創造的破壊が機能する。

保守主義には二つのタイプがある。一つはガバナンスの進歩の主張に対し悲観・嫌悪・拒否するタイプ。これが立脚するのは、大きな政府がすべてを破壊する前の神話のような黄金時代へのノスタルジアだ。対して名目GDP先物目標は楽観的でフォワードルッキングな保守主義の一部となる。これは語の真の意味では進歩的なのだ。立脚するのは時の審判を受けた保守主義の原則、例えば市場は政府よりも価格と量をよく制御するという事実群であり、しかも名目産出の急落が破壊的な影響をもたらすことを理解したミルトン・フリードマンのような学者たちの真摯な学術的業績の土台の上に立っている。過去に戻る必要はない。資本主義が花開くような経済環境を提供することによって私たちはリベラル陣営が主張する大きな政府の議論を必要としない金融政策レジームを打ち立てることができるのだ。