ベン・バーナンキ「日本の金融政策に関する考察」

以下は、Ben S. Bernanke, “SOME REFLECTIONS ON JAPANESE MONETARY POLICY“の翻訳になります。


 今回、この会議に招待していただき、金融政策に関して学ぶことができた教訓と今後の課題について話す機会を与えてもらったことに感謝します。金融政策の革新と実験の時代の後になって、その間はしばしば日本銀行が最前線に立つことになったわけですが、これまでに我々が学んできたこと、そして我々が理解する必要があることを一歩引いて評価しておくのはきっと妥当なことでしょう。

批評や評価と言ったことは私個人にも当てはまります。ここにいる多くの人は知っていると思いますが、1992年に金融的枠組みとインフレ目標に関する私とリック・ミシュキンの論文の中で日本銀行を題材として取り上げて以来、私は長年に渡り学者としても政策当局者としても日本の金融政策について考えてきたし、文章を書いてきました。日本に関する私の文章の多くは、日本銀行がデフレと短期利子率の実際の下限に対処する事態に至ったと言う他に類を見ない課題――少なくとも当初は――に動機付けられたものです。学者として、私はその課題が知的に興味深いものだと分かりました。その問題はもちろん私が2002年にFRB入りして以来、アメリカも2003年にはデフレになることが心配されるようになり、2008年後半には事実上の下限に直面することになって、アメリカも同じような問題に直面していると気づいた後には、ずっと抽象的なものではなくなりました。

今度の講演に伴う準備のため、日本に関する私の記事やスピーチを見直しました。私のスピーチは特に説明会的なものになることが多かったので、私自身の観点と共にその時期における専門家のコンセンサス――Paul Krugman (1998)、Michael Woodford and Gauti Eggertsson (2003)、Lars Svensson (2003)と言った学者の考えを含む――を反映しようと勤めてきました。後になってみると、国際的金融危機が起こる前の10年間に私が日本について書いてきたことの多くは、まずまず時の試練に耐えてきました。例えば、2002年のデフレに関する私のスピーチやその後の2004年のヴィンセント・ラインハートとの論文やラインハート及びブライアン・サックとの論文の中で、私は、短期利子率がゼロに近くなると中央銀行は「弾切れになる」とする考え――その頃のいくつかのサークルで信じられていた――を却下した。代わりに、私は、短期利子率がゼロになった後でも、中央銀行は更なる金融状況の緩和に向けた数多くの選択肢があると主張しました。そして私は共著者と共に、やがてアメリカでも日本でもリフレ的な努力の中で使われることになる政策ツールの多くについて議論し、分析している。その中には利子率のフォワード・ガイダンス(経済状況的に非伝統的な物と伝統的な物の両方とも)、大規模な資産購入、中央銀行が所有する資産構成の変更、低コストの中央銀行による貸し出しを元にした信用プログラム、更には日本でイールドカーブ・コントロールと呼ばれているものすら含まれている(ただし、マイナス金利については予想していなかった)。

他の文章の中では、中央銀行は長期の資産を購入するプログラムを組むべきであり、当初の日本の量的緩和で行われたように、短期債券に集中するべきではないと主張しました。その主張は、デフレに直面した時には政策手段を残しておこうとするより、「決定的かつ先制的に」(Bernanke, 2002)動くことが重要だとするReifschneider and Williams (2000)の論文が頭にあったからです。私はデフレに対してある程度の余裕が保てるくらいのインフレ目標を設定する必要性を強調してきましたし、インフレの一時的なオーバーシュートは、利子率が事実上の下限の制約にあった期間におけるインフレ率の不足を補うものとして是認できるとも言ってきました。また金融政策を財政政策や構造改革で補完する必要性を認めていますし、最後の貸し手の発動、金融の規制改革、銀行の資本増強という手段を通して金融を安定化させることの決定的な重要性にも繰り返し言及してきました。

しかしながら、全て正しい訳ではなかったことも事実です。特に、初期の文章では、決然とした中央銀行は容易にデフレを克服することができるとあまりにも楽観的かつ確信的に考えていたし、代替案に取り組む忍耐力もほとんどなかった。例えば、私がまだ学者だった2000年の論文の中で、日本銀行を「自ら招いた麻痺」にかかっている、「ルーズベルト流の決心」が不足しているように見えると批判しています。もっと積極的な政策、1933年にフランクリン・ルーズベルトがやったような非正統的な戦略や、同じ時代に日本で高橋是清大臣が行ったような政策をすればもっと良い結果を生んだに違いないと言う主張です。だが、私自身がFRB議長の地位に立ってみると、この職務に付随する重い責任と不確実に直面し、以前の発言の調子を後悔することもありました。中央銀行は事実上の下限に対抗するための実現可能な手段を持っているが、その問題は日本でもアメリカでも私が考えていたより扱いづらいことが明白になった。特に、初期の文章の中では、金融政策のみで可能なことと、どれほど財政政策との連携が必要になるのか、その限界をはっきりと見定めていなかった。2011年の記者会見の中で、私の以前の発言に関して日本の記者から尋ねられた時には、「私は10年前よりほんの少し中央銀行家に同情的になっている」と答えています。以前に私が考えていたより、デフレを終わらせ、事実上の金利の下限から抜け出るのが難しい理由は今日話しするテーマの一つです。

私はこの後で3つの話をする予定です。最初に、日銀が2%のインフレ目標を追求し続けることの重要性を再確認しておきたい。いくらかの重要な指標によると、今日の日本経済は改善している。2つ目に、一般論として、2013年以来の日本の金融政策、すなわちアベノミクスの第一の矢について言っておくことがあります。かなり前進したものの、黒田総裁の下での非常に積極的な政策をもってしてもインフレの目標値には到達していない。目標に到達することを難しくしている日本経済の様相に関する話をします。

既に実行されている政策のおかげで、世界経済がある程度回復していることもあって、現状維持のままでも数年後には日銀がその目標値に達していることもありえる。だが、その保証はないし、運が悪ければ、これまでに達成された成果が逆転する可能性もある。最後の3つ目が、その万一のときに利用可能な政策オプションに関する考察です。

インフレ目標を追求し続ける論拠

指摘したように、ある程度の進展はあったものの、日本銀行は2%のインフレ目標値を達成するにはほど遠いし、最近のコアコア・インフレ率(すなわち、生鮮食料品価格とエネルギー価格を除外したインフレ率)はゼロ近辺を漂っている。日銀は勝利宣言をするべきなのか、あるいはあきらめるべきなのか? 極端な努力はもはや必要ではないと言う人もいるかもしれない。日本経済はゆっくりとしか成長していないが、それは主に長期的な要因、つまり労働力人口の増加率の縮小や労働生産性の鈍化を反映していると言うもので、それらの要因は金融政策の影響を受けない。確かによく指摘されることだが、一人当たりの日本の成長率は最近のアメリカと比べてそれほど悪いわけではない。日本の労働市場は逼迫していて、失業率はここ数年で最も低く、最近のプライムエイジ労働者の労働参加率は73.3%でアメリカ(68.7%)よりも高くなっている。この実績は2008年の国際的金融危機、2011年の大地震と津波(その後に原発の停止が続く)、中国がより内向きでサービス志向の経済モデルに移行しようとしている影響の余波を含む過酷な逆風の中において達成されたものだ。2014年の消費税の引き上げも成長の足かせになった。

それなら、なぜインフレターゲットを追求し続けるのか? 1つの理由としては、インフレ率の上昇及び名目利子率の上昇と名目GDP成長率の増加との組み合わせが日本の過大な財政負担を減少させるのに役立つからです。メモ書き程度の計算によると、日本の2018年以降のインフレ率と名目利子率が一回限りで0%から2%に上昇すると仮定した場合に、日本国債残高に掛かる将来の元本支払いの現在価値がどれだけ変化するか計算してみた。(短期債券やその他の債務、国債残高に掛かる将来の利払いは無視しているが、それらの要素は結果にそれほど大きな影響を与えないと私は考えている)。将来発行される国債の利払いは利子率が高くなった環境を反映すると想定しているので、1回限りの高インフレによる財政の改善は既存の国債残高の実質価値だけを減らすことになる。その計算によると、インフレ率と利子率が2%に跳ね上がると、日本の債務残高対GDP比の価値はおよそ21%減少する――かなりの恩恵だが、現在の債務比率が200%を超えていることからすると、形勢が変わると言うほどではない。より高いインフレが財政に持つ意味合いについては後ほど話します。

しかしながら、私にとって、インフレ目標を達成するもっと重要な利点は、金融政策が不況につながるショックに対応する能力を取り戻すことによって、将来の経済的安定性が高まることです。過去20年間、その能力は短期利子率が実質的な下限近くにあることによって限界がありました。この制約がどれだけ重要かをおおまかに見るため、私は標準的なテイラー型ルール(Taylor,1993)を使って、日本の過去のコアコア・インフレ率と失業率からその政策金利(翌日物コール金利)を推計しました。データは月ごとのものです。実質的な金利の下限が無関係だった時期として、1980-95年と1985-95年という2つの代替的なサンプルを使っています。インフレターゲットや自然失業率もしくは中立的な利子率に関して時間ごとの調整はしていません:こうした単純化にもかかわらず、推計された係数はアメリカでのテイラールールによる係数と同様に合理的なものです。

手に入ったテイラールールの推計値を使って、もし(当然、仮想的なもの)日本銀行が実質的な金利の下限という制約をないものとして対応できたとしたら、1995年10月以降のコール金利がサンプルからどのような推移をたどるか算出しました(図1)。興味深いことに、この単純な方程式から予想されるコール金利は、主に低水準の失業率を反映して、現在1%から2%の間のプラスになっている。表面的には、この結果は、現在の日本の金融政策は実質的な金利の下限の制約にないことを意味している。しかしながら、今でもインフレ率が目標値を下回っていることからすると、その捉え方は納得しがたい。それは、広く信じられている均衡実質利子率の下方トレンドと日本が2013年に高いインフレ目標を採用した――適正に計算された場合、両方がテイラールールによる利子率を低くする傾向がある――と言う事実を私の推計値が無視している結果だと考えている。だから、図1の1995年以降の推計利子率はかなり上方に寄っている可能性が高い。

そのバイアスにもかかわらず、この推計値が示しているのは、実質的な金利の下限がなかったとしたら、そのコール金利は-4%にまで下落していたと言うことです。それは世界的な大不況の頃だけでなく、日本の長期的な景気停滞の期間(2000年7月から2003年4月)も含まれる。最近、アメリカを対象としたKiley and Roberts (2017)論文で示されたことだが、金利の実質的な下限と何度も直面することによって経済のパフォーマンスが時間と共にかなり劣化する可能性がある。それは単に金利の下限が金融政策に課す制約のためだけではなく、景気循環がもっとも弱い時期に、高止まりした実質利子率が資本投資の足かせになり、借り手のバランスシートの重しになるからです。たしかに、1995年以来、日本の実質利子率はほとんど変化しておらず、そのことは通常の景気安定化の役割をまったく果たせていないことを示している。インフレ目標を持続的に達成することができて、名目利子率が現在より2%ほど高くなったとしても、これらの問題が解決するわけではないが、これらの問題がかなり縮小している可能性は高い。端的に言って、日本銀行が将来の経済的なショックに対応できる能力を取り戻そうとするなら、積極的にインフレ目標を追及し続ける必要がある。

アベノミクスの下での金融政策

最近の金融政策にのしかかっている課題に移りましょう。もちろん、現在の金融政策のレジームは2012年12月に総理大臣になった安倍晋三と結びついています。成長を再起動し、デフレを終わらせようとする安倍総理のプランはアベノミクスと呼ばれ、金融政策、財政政策、構造改革という3つの矢で構成されているのはよく知られている。安倍の支援の下、2013年1月22日に日本銀行は新たな2%のインフレ目標を発表し、2ヵ月後、黒田晴彦が新たな総裁の地位に着いた。黒田総裁の下で、日銀は日本国債に加え上場投資信託や他の民間資産の購入を含む、量的質的緩和(QQE)と呼ばれる政策を採用した。QQEの結果として、日銀のバランスシートは2016年末までに日本のGDPに対して88%の規模に拡大した。比較してみると、FRBとヨーロッパ中央銀行の数値はそれぞれ約24%と34%です。日銀はまた適度なマイナス利子率も採用しているが、マイナス幅はヨーロッパほど大きくないものの、銀行の利益に不利な影響が及ぶのを防ぐよう数多くの措置がとられている。

さらに最近、日銀はその政策的枠組みを修正し、その頃0%ほどだった10年物国債の利回りに目標を定め、一定の期間2%のインフレ目標値をオーバーシュートさせることを約束した(Kuroda, 2016)。最近の私のブログポスト(Bernanke, 2016b)でも言及していることですが、両方とも建設的な措置だと見ています。特に、インフレ目標をオーバーシュートさせると約束した事は、短期利子率が実質的な下限に接している時、中央銀行はインフレ率が上昇した際の金利をいつもより低めに保つことを約束することによって補正するべきだとする理論的な分析に合致している(Krugman, 1998; Eggertsson and Woodford, 2003)。より一般的に言えば、オーバーシュート政策は、日銀がデフレに対する戦いを先走って止めてしまう懸念を抑えるのに有効です。

イールドカーブ・コントロールの採用は量的目標(年間80兆円の国債購入)から価格目標(国債のイールドカーブ)への変化と解釈することが出来る。日銀の国債残高のシェアが拡大していることもあって、銀行や他の主体は利回り以外の理由で国債を評価しているので、民間が所有している残りの国債は価格による影響力が低下している。だから、日銀が一定の国債購入量を満たすのが難しくなっているとしても、日銀は国債利回りを操作し易くなっているし、かつてより少量の国債購入でそうできる可能性が高くなっている。民間の手に渡る国債の供給量が限界に達していることは、もはや政策の遂行への障壁にはならないので、新たな枠組みは以前のものより持続可能性の高いものになっている。国債利回りを目標に据える事によって、日銀は経済と金融機関に対する政策の影響をもっと上手く計画・操作できるようになるかもしれない。

たしかに、2013年以来実行された政策、とりわけ日銀による政策は著しい効果があったことは明らかです。コールレートには下げ幅がほとんどなかったにもかかわらず、安倍の選挙以来、日銀は実質的に金融状況を緩和して、それが株式市場、長期利子率、為替レートに影響を与えてきた。2013年初頭以来、成長率は平均で1.1%に上昇している。それはたぶん潜在成長率以上で、最近の労働市場で見られる改善とも一致している。緊縮政策の後で、名目GDP成長率は過去4年間で平均2.1%近くになっていて、それは財政的持続可能性の改善にもつながる。そして、重要なことだが、長きにわたるデフレが終わる兆しがあり、2013年から2015年のコアコア・インフレ率(消費税の変化分を除く)は0.5-0.7%の範囲にある。だが、心配なことに、2016年のコアコア・インフレ率はゼロ近くに落ち込んでいる。Hausman and Wieland (2014)が以前にアベノミクスと日銀の政策を批評した時、それは費用便益分析を簡単にパスしたが、その評価は現在でも通用するように思える。

だが、日銀が言明した2%のインフレ率の目標値には達していないし、目標達成の期日が何度も先送りされているのは残念なことです。なぜなのか? 外部者である私の目からすると、それは日本経済のいくつかの特徴を現しているように見えるし、過去の政策の遺産が日銀のインフレ目標に向けての前進を妨げているように見える。重要なことだが、日本の均衡実質利子率は異例なほど低く、おそらくはマイナスの値になる。均衡実質利子率とは、経済学者にはヴィクセル的な自然利子率として知られるが、総需要と潜在的生産力を一致させるような実質利子率のことです。同じ意味ですが、均衡利子率とは「中立的な」スタンスの金融政策というものを定義する利子率のことです。

日本の均衡実質利子率が低いことに驚くべきことはほとんどない。全ての主要国の自然利子率が歴史的な低水準にあるとする有力な証拠があります。例えば、Holston, Laubach, and Williams(2016)ではアメリカ、カナダ、ユーロ圏とイギリスの均衡利子率が急速に下落していることが示されている。

広く言えば、主要な経済圏の低水準の自然利子率には(少なくとも)2つの説明がある。長期停滞仮説は1930年代のアルヴィン・ハンセンに端を発し、最近になって Larry Summers(2014)によって復活しました。その趣旨は、低利子率の主要因は経済成長率の下落とそれに基づく資本投資の収益率の低下だと言う事です。もう一つが、世界的貯蓄過剰仮説――2005年に私が作った言葉――は、貯蓄意欲の高さと投資意欲の低さが世界的に釣り合っていないことに焦点を当てている。その仮説が強調しているのは、過剰貯蓄はいくつかの国による膨大な外貨準備高の蓄積のような政策決定の結果だと言う事です。この2つの仮説は相互に排他的ではなく、むしろ相補的です:つまり、もし主要国の経済が長期停滞に向かう傾向がなかったとしたら、より高い実質利子率の水準で、世界の貯蓄を吸収するだけの資本投資機会が十分あったはずです。もし世界的貯蓄過剰がないなら、一つの国での長期停滞は資本流出と貿易黒字を通して、発展途上国を含む外国からの投資によって打開することができる。

そのどちらの仮説も日本に当てはまっている。日本の労働力率の低下と生産性の伸び率の鈍化は長期停滞と言う見解と合致する。現在の日本の資本労働比率が高いことと合わせて、成長見込みの弱さは国内の資本投資の限界収益を圧迫する。さらに言えば、高齢化とそれに伴う実質所得拡大の鈍化により、消費者の耐久品や住宅への需要は限定的なものになる。教科書的な文脈で言えば、日本のIS曲線ははるか左下方に位置していて、その事は経済を完全雇用に持っていくため、あるいは、インフレ率に上昇圧力を加えるためには、極度に低いもしくはマイナスの実質利子率が必要になることを意味している。

長期停滞説では国内の投資機会の低収益性が強調される。日本にとって、資本の対外流出は国内貯蓄の使い道として重要な代替案になる。原理的には、そのような対外流出は貯蓄主体に十分な収益をもたらす一方、通貨を下落させ、輸出を増やし、国内の完全雇用を維持することにつながる。もちろん、日本がこのメカニズムから利益を獲得する能力は、他の主要国の経済がどれだけ低成長に苦しめられるか、どれだけ実質的な利子率の下限と苦闘しているかによる。理想的には、他の主要な経済主体によって吸収されることのない日本の過剰貯蓄は資本不足の途上国に流れるはずだが、この経路は世界的な貯蓄過剰と多くの国によって採用されている貿易黒字及び外貨準備高の拡大を促進する政策によって狭められている。対外投資と言う安全弁を塞ぎ、日本の自然利子率を圧迫している他の要因には日本の貯蓄主体のホームバイアス(自国偏重)が挙げられる。一国の貿易黒字の規模に対する国際的な政治的圧力と、日本の輸出企業に見られる価格にあまり転嫁しない性向は輸出の価格弾力性を引き下げる。そして、安全圏通貨としての円の地位によって、国際的な経済的・金融的・政治的ストレスの時代には円高になりやすくなっている。

低い自然利子率は、低いインフレ率と共に、金融政策で経済を押し上げる能力を阻害する。もちろん、そうした状況の時に金融政策が無力になると言っているのではない。一般的に、実質的な金利の下限に接している時でさえ、2つの補完的な方法――その1つが金融状況を緩和すると言う方法(例えば、長期利子率の引き下げ、通貨の切り下げ、株価の引き上げなど)――によって、総需要、雇用、インフレ率を押し上げることができるる。それは直接的に総需要を刺激する。もしくは、民間のインフレ期待を押し上げることによって、実質利子率を引き下げ、将来の成長見込みを押し上げることができる。標準的な合理的期待のモデルでは、これら2つの方法は同じコインの表裏にすぎない。特に、実質的な金利の下限に接している時には、金融政策はインフレ期待に影響を与える場合にのみ、金融状況を緩和することができる。だが、実際には、この2つのアプローチが行動的にまったく別個のものになる可能性、少なくとも民間部門は金融状況の変化に対して別々に反応し、インフレと成長について異なる予想をする可能性を押さえておくのが重要です。

いずれにせよ、日本の金融政策の伝達経路は両方とも限界に達しているように見える。1つ目の方法は、今日の日本では短期利子率だけでなく、非常に長期の利子率も下限近くに達している――言うなれば、一種の「超流動性の罠」です。対照的に、アメリカの短期利子率は2008年から2015年までゼロ近傍にあったが、長期利子率はプラスの領域に留まり、10年物国債の利子率は約1.5%以下になることはなかった。短期利子率を削る余地はなかったが、FRBはフォワード・ガイダンス(短期利子率を長期間低めに維持すると約束すること)と量的緩和(それが期間プレミアムを引き下げる)を通して、長期利子率に低下圧力をかけることによって政策を緩和させることができた。同様に、すでに指摘したことですが、日本銀行は最近、短期利子率のイールドカーブを操作する余地がほとんどないにもかかわらず、実質的に金融状況を緩和してきた。しかしながら、いまや全ての期間構造の金利が実質的にゼロになり(そして、日銀は明らかに金融の安定性のため大幅にマイナスの金利にはする気がない)、日本では非伝統的な手段を含めても、金融状況の更なる緩和に焦点を当てることには限界がある。

あるいは指摘したように、例えば、将来のある時点でインフレ率が上昇し始めても低い利子率を維持すると日銀が約束することによって、将来の予想インフレ率が上昇するという予想を生み出せることができるなら、実質利子率を引き下げ、経済を刺激することは可能です。そうした約束が信頼されるのか? 日銀は、たとえその約束に専門的な意味で完全に時間整合性がなかったとしても、将来について信頼性ある約束をすることができるとする証拠は存在するように思われる。Barro and Gordon (1983)のような単純なモデルによると、インフレ目標自体が時間整合性はない。そうしたモデルでは、政策立案者は常にインフレ「サプライズ」を操作して、その結果しての景気拡大を楽しむインセンティブが存在するとされる。だが、実際には、インフレ目標を持つ中央銀行は信頼性ある枠組みを構築し、予想インフレを目標値に定着させることができる。また世界的な経験が示すところによると、利子率のフォワード・ガイダンス(将来の政策についてのコミットメント)は、たとえ中央銀行によるその将来のコミットメントが以前より低いものであったとしても、金融状況を緩和することになる(例えば、Swanson 2017を見てください)。そして、量的緩和の効果のいくらかは、それが将来の政策についての指標になるかに掛かっているように見える。だから、一般的に、予想を操作しようとする中央銀行の言葉は、金利の下限近くにいる時には金融政策の手段として除外するべきではない。そうした手法は、中央銀行がその解決策を実行して、かつ政府がその戦略を明白に支援した時に、特に効果があると考えることができる――だから、アベノミクスの下での劇的な変化は潜在的な重要性があったし、日本に関する私の初期の文書で強調したような大胆な行動は必要なものだった。

日本の予想インフレ率は最初の量的質的緩和が発表された後で上昇したが、全般的には日銀が予想したほどの反応ではなかった(Bank of Japan, 2016)し、特にヘッドライン・インフレ率は原油価格の下落と他の要因により落ち込んでいる。時折、日本のインフレ期待は順応的だと、もしくは国家ぐるみの賃金交渉のような制度がゆえに後ろ向きの傾向があると言われる。これらのことは、日本のインフレ期待が極端に現在の状況に対して敏感で、発言に巨額の資産購入などの精力的な政策が伴う時ですら、中央銀行の発言には比較的反応が薄いと言う根本的な謎を言い換えたものに他ならない。

日銀のコミュニケーションに対するインフレ期待の反応の弱さは様々な方法で合理的に説明することができる。例えば、家計や企業は限定的な周波数帯を持っていて、反対に動く正当な理由がない場合、インフレについての信念を更新するだけの時間や精神的努力を費やそうとはしないと言うものです。インフレが静止しているので、近年では、この戦略は日本の民間主体にとって、それほどコストが掛かるものではなかった。あるいは、人々は良質な情報を持っているが、ベイズ主義的な行動、つまり実際のインフレ率に基づいて、日本が低インフレ・レジームから高インフレ・レジームに移行する可能性を更新しているのかもしれない (Caskey,1985)。これまで、高インフレ・レジームに重きを置く根拠は限定的なものだった。どちらの話も以前の日本銀行の政策にある程度の責めを負わせていて、それが何年にも渡ってデフレ的な指向を定着させることにつながった。

もう一つ可能性の問題として、Krugman(2014)はインフレ期待の粘着性について複数均衡という解釈を提示している:その説によると、何らかの理由があれば、人々は比較的高いインフレを予想するようになる。名目利子率がゼロなので、予想インフレ率の上昇は実質利子率を引き下げ、経済活動と物価水準を押し上げることになり、当初の予想は実現する。だが、その代わりに、人々が低インフレもしくはゼロインフレをずっと予想し続けるなら、実質利子率は下がらず、インフレ期待はまたもや自己実現的なものになる。この複数均衡解釈は日銀のジレンマを合理的に描き出しているように見える。何があっても、人々がインフレを予想しないなら、インフレを生み出すのは難しく、人々の懐疑的な見方を裏打ちするだけになる。

ブルッキングス研究所 (Bernanke, 2017)のコメントでも述べたように、また後からマート・ガートラーが話をしてくれると思いますが、中央銀行の発言と家計・企業・市場の予想との結びつきを理解することが金融政策当局者にとって、ますます重要な難題になっている。私が指摘したように、評価という資本やその他のメカニズムを通して、中央銀行はその政策が完全に時間整合性がなかったとしても、将来の政策予想を誘導することができる。だが、とりわけ一組の定常状態の政策から別の政策に移行するのだと言うことを考えると、予想を操作する最善の方法は不明瞭なものになる。日本の経験はそうした操作がどれだけ困難なものかを表している。
 
どんなツールが残されているのか?

2013年以来、日本銀行は重要な進歩を成し遂げてきた。デフレの力を効果的に制御するのに必要だったので、政策は以前よりずっと前向きなものになった。私が今日話したように、日銀の行動は金融状況をかなり緩和してきたし、全般的な景気回復を促し、インフレ率をプラスの領域に持ってきた。特に世界経済の協力があれば、日銀の新たな枠組みは、すでに進行中の財政政策と相まって、数年後に日銀がインフレの目標値を達成するのに十分なだけの刺激策になるかもしれない。

しかしながら、状況は完全に満足いくものではない。インフレ率は2%にほど遠く、確実に目標に向かっているとは言いがたい。そして、過去数年使われたツールは先ほど話した通り限界に達しようとしている。特に、利子率は短期だけでなく全ての期間構造を通じて、実質的な下限近くにあり、現在のインフレ率が上昇する気配がないので、予想インフレ率は低いままに留まっている。この時に当たって、日銀がさらにやるべきことは明らかではないが、将来の可能性を排除するべきではない。今この時になって、残されたツールキットは何か?

Blanchard and Posen (2015)で論じられているところによると、インフレ期待が深刻なほど後ろ向きになっている状況でインフレ期待を拡大させようとするなら、まず実際のインフレ率を押し上げることが重要になる。彼らは、政府が日本の半中央集権的な賃金交渉プロセスを利用して、企業が名目的な賃金を上げるよう圧力をかけるか、説得して、その賃金上昇を価格に転嫁させるよう推奨している。政府部門は公務員の給与を増やすことによって、その役割をある程度果たすことができる。

それが成功すれば、企業への賃上げと価格上昇の圧力は、少なくとも1回は、インフレ期待を押し上げることができる。だが、賃金所得の増加はおそらく消費を増やすが、総需要がより高い価格水準での完全雇用を満たすほど十分に増加すると言う保証はない。そうでないなら、物価と賃金の上昇は完全に一時的なものになり、あるいは――失敗に終わった1970年代のアメリカの賃金物価統制が思い起こされる――企業は利益を確保する一方、おそらく賃金と価格を上げたと報告することによって、このシステムを出し抜く道を見つけることになるだろう。

日本政府が所得政策を採用しようとしまいと、政府は、総需要がより高い賃金と物価を支えるのに十分だと言うことを確信させなければならない。再び、数年経って、インフレ率が回復していなかったら、どのようなことができるのか? 中央銀行単独の行動が限界に達している時、普通は財政政策が代替策になる。だが、日本では既に存在する高水準の債務残高対GDP比の結果として、財政政策でさえ制約に直面しているのかもしれない。そうなると、金融政策と財政政策の連携の話に行かざるを得ないと私は考えている。そうした連携策を実行する手段は数多くあるが、実行可能なアプローチの鍵となる要素は、(1) 政府が新たな支出か減税プログラムを約束する事と、(2)そのプラグラムが日本の債務残高対GDP比に与える影響を相殺するのに必要な手段を実行すると中央銀行が約束することです。

私が言ったように、この約束を実現するには様々な方法がある:直接的なアプローチとしては、Krugman (1998)やEggertsson and Woodford (2003)での主張とも一致することですが、債務残高対GDP比が少しでも増加しないように、日銀がインフレ目標値を一時的にオーバーシュートすることにコミットすることです。このコミットメントはヘリコプターマネーのような奇抜な概念に頼ることなく(Reichlin, Turner, Woodford, 2013; Bernanke 2016a)、金融政策で財政プログラムをファイナンスするという約束です。その可能性を表すため、日本の債務負担に対するインフレの影響に関する私の先ほどの分析を拡張してみましょう。日本国債残高の満期日構成を考えると、日銀は目標値を0.7%超えるインフレ率を3年間か、0.4%超えるインフレ率を5年間続けることによって、GDPの2%分の財政プログラムを結果としてファイナンスすることができる。さらに言えば、この計算は、金融政策と財政政策の緩和が名目GDPの成長率を押し上げた場合に結果として起こるかもしれない歳入の増加を一切無視している。その部分に関して言えば、政府は長期国債で財政プログラムの資金調達をすることによって、必要になるインフレ率をオーバーシュートさせる程度を減らすことができます。長期国債はインフレ率の上昇によって最も影響を受けますから。

ここでは、この仮想的な財政プログラムの内訳には立ち入りません。ただ、このプログラムをアベノミクスの3本目の矢である構造改革を前進させるために使うと有益であると指摘しておきます。そして、構造改革は長期的な成長率を上げるために欠かせないものです。例えば、再訓練プログラムや所得補助は非効率部門を改革する際の抵抗を和らげることができるし、照準を定めた社会福祉は女性や高齢者の労働参加を増やすのに役立てることができる。

今、よく練られた財政プログラムが総需要と生産高を増やし、フィリップス曲線効果を通じて、最終的にインフレ率にも上昇圧力を加えることは理に適っていると思えます(そして、多くの統計的証拠とも合致している)。特に、財政政策は将来のインフレ率や生産高の予想を変えることには全く依存しない。このプログラムに金融政策の要素は不可欠なものなのか、それとも役に立つものなのか尋ねる人もいるかもしれない。中央銀行の新たなコミットメントに対する2つの反論を手短に取り上げておきましょう。

1つ目は、インフレ率上昇を通じて、国債の増加分を相殺するという日銀のコミットメントが、大規模な資産購入等のこれまでインフレ率を上げるために日銀がやってきたコミットメントより少しでも信頼性あるものになるのかと言う疑問です。もし日本の家計や企業が近年見られるような懐疑的な態度を維持するなら、日銀のアナウンスメントはインフレ期待に大して影響を与えないし、このプラグラムの金融的要素は財政政策単独の場合と比べた時、ほとんど利点がない(と主張することができる)。強力な財政政策と金融政策を持ってしても、インフレ予想が粘着的なままでいる可能性があることは、「決然とした」中央銀行は常にインフレ率を押し上げることができるとする以前に私が提唱していた主張の傷になっている。

しかしながら、私の提案の文脈は、一般大衆はインフレ率をオーバーシュートさせるという中央銀行の主張を信じる必要はなく、政策当局者や法案立案者だけが信じればいいと言うことです。おそらく、政府が、マクロ的な状況からそれが正当化できる時に、拡張的な財政プログラムを承認しないことの鍵となる理由は、結果として国の債務が積み上がることを心配するからです。もし法案立案者が、金融政策はその積み上がった債務を相殺するために使われると信じるなら、彼らはもっと積極的に行動するかもしれない。さらに言えば、彼らは、金融政策は財政政策と相反するものでなく、財政乗数を増やし、「対価に見合う価値」以上のものをもたらすものだと理解するでしょう。私が書いてきたように、金融政策と財政政策を連携させる目的は、決められた財政政策と中央銀行の約束を足し合わせることではなく――もしくは、単にそれをするだけではなく――まず財政政策を実現可能なものにすることです。もちろん、中央銀行が、一時的にインフレ率のオーバーシュートを許すと言うコミットメントを遵守するなら、複合的な政策のインパクトはより大きいものになるでしょう。

金融政策と財政政策の緊密な連携によって生じる可能性がある2つ目の懸念は、それが中央銀行の独立性を侵害すると言うことです。私がこの前2010年に東京で日銀の会合で話をした時、短期的な政治的圧力からの金融政策の独立性の論拠を、当然民主主義にとって本質的なものである透明性と説明責任と一緒に詳細に説明しました (Bernanke, 2010)。かろうじて、中央銀行の独立性の論拠と言えるものは、もし政治家が政策立案者に過度なほど拡張的になるよう圧力をかけるか、政府の資金繰りの恒常的な源となるよう圧力をかけるようになれば、その結果として生じることになるインフレの上方バイアスを避けることができることです(Barro and Gordon, 1983)。インフレが上振れする傾向は、穏やかに言っても、日本で問題になるとは思えない。もっと一般的な独立性の論拠としては、政治と距離を置くことによって金融政策当局が所得データや政策の選択肢を評価する際、より客観的かつ科学的になり、ついては政策の一貫性や継続性を高め、長期的な視点を保つことができると言う事が挙げられる。私はこのより一般的な見解には従わざるを得ないと感じている。

私が述べたような方法による財政当局者との連携は、これらの価値を毀損するだろうか? 中央銀行のコミットメントをはっきり定義するのが重要になる。例えば、インフレ率の一時的なオーバーシュートを目的とするコミットメントは、現在のプログラムのみに適用されるものであり、継続的に行うものではないと言うことを明白にしなければならない。さらに言えば、当然のことながら、あらゆる状況の下で、中央銀行は金融政策のツールを手中に収めている。それは――善しにつけ悪しきにつけ――政府は、将来、中央銀行のリーダーシップによってそのコミットメントが破られるリスクを受け入れる必要があると言う意味も含んでいる。私には、そのような破られる可能性のある協定が独立性を侵害しないのは、2つの独立国による条約が主権を侵害しないのと同じだと思われる。我々はまた中央銀行の独立性は手段であって、目的ではないということも心に留める必要がある。中央銀行がその責務から外れていること、もしくは相反することを行うよう強制されるなら、中央銀行の独立性は脅かされる。それはここで起きるようなことではない:この場合には、中央銀行はその責務を達成するために財政当局者と協力することになります。

結論

日本は、近年、日銀による2%のインフレ目標に向けての前進も含めて、かなりの経済的前進を遂げてきました。残念なことに、黒田総裁の下での積極的な政策と全般的な経済の改善にもかかわらず、いまだインフレ率は目標率に達していない。もし金融政策を将来の不景気と戦うのに使おうとするなら、インフレ率を上げることが不可欠になる。

もし全てが上手く行くなら、現在の日銀の政策的枠組みで、インフレ目標を達成するのに十分かもしれない。我々は成り行きを見守るほかない。そうでないなら、利用可能な選択肢は相対的にわずかしかない。最も有望な可能性は――本題に入ると――よりはっきりとした金融政策と財政政策の連携です。財政政策が政府債務に与える影響を限定的なものにすることを目的とした金融政策は、財政当局者をより積極的に行動させることになり、且つ、その行動のインパクトを増やすものでもある。日銀はそうした処置をとることに躊躇するかもしれない。だが、私が考えている将来の可能性としては、インフレ率を上げる戦いを放棄すること、そしておそらくはデフレの再燃を受け入れることを除いて、他に現実的な選択肢は存在しなくなっているでしょう。デフレを終わらせ、実質的な下限から利子率を押し上げるために、これだけ長く勇敢に戦ってきた後になって、それは本当に残念な結末です。


図1


アンドルー・ポター「吹雪が露見させたケベック『社会の病理』」2017年3月20日

モントリオールの高速道が閉鎖され多くのドライバーが取り残された事態の背後にある問題は、単なる政治的機能不全より重大なものである。 “How a snowstorm exposed Quebec’s real proble


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以下は、こちらの翻訳になります。 ノーベル賞を受賞した経済学者が再び脚光を浴びている。クリストファー・シムズは広く受け入れられている主張に挑戦しようとしている。注目を浴びたのは、世界中の中央銀行家が集まる去年のジャクソン


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ここのゲリラ翻訳デス http://induecourse.ca/raising-questions-over-telling-the-truth-how-donald-trumps-discourse-distorts


失業の背後にあるもの-21世紀において私たちが戦うべきもの by François Côté-Vaillancourt

こちのゲリラ翻訳です。http://induecourse.ca/what-hides-behind-unemployment-what-should-we-fight-for-in-the-21st-century/


「第一次世界大戦の見過ごされがちな遺産 ~再建金本位制とヒトラーの台頭~」 by David Beckworth

以下は、David Beckworth, “The Other Important Legacy of World War One”(Macro and Other Market Musings, July 28, 20


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以下は、David Beckworth, “Abenomics at the Brookings Institution”(Macro and Other Market Musings, March 21, 2014)の


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以下は、Marcus Nunes, “‘Abenomics’ one year on”(Historinhas, January 16, 2014)の訳。 一昨年(2012年)の9月のこと、経済を再び力強い成長軌道に乗せ


ウィリアム・イースタリー「援助議論の終焉―ジェフリーサックスによるミレニアム村の失敗―」

William Easterly “The Aid Debate Is Over The failure of Jeffrey Sachs’ Millennium Villages”