R.レイのMMT入門 第一章第一節 ストック-フロー会計の基礎

(ぼちぼちいくよー)
第三章がこちらに


第一章 マクロ会計の基本

この章は、現代金融を理解するために必須となる基礎を抑えるところから始める。どうか辛抱してほしい。ここの重要性は、初めのうちは把握しきれないかもしれない。しかし基本的なマクロ会計を理解せずに政府財政に関する議論を理解することはできない(また、近年多くの国が陥っている財政赤字ヒステリーを批判することもできない)。ユーロ圏の問題を理解するのも同じだ。ユーロ圏問題も金融システム構造が関係している。ギリシャ人、スペイン人、イタリア人が放漫な支出をしているなどという話とは関係がないのだ。だから忍耐強く注意を払ってほしい。高度な数学や複雑な会計ルールの知識は不要だ。内容は単純で基本的だ。 話は論理的に展開していくが、そのロジックは極端なまでにシンプルだ。

1.1 ストック=フロー会計の基礎

誰かかの金融資産は別の誰かの金融債務

あらゆる金融資産には、対応する等額の金融債務が存在している。これは会計の基本原理だ。家計の金融資産として当座預金や普通預金(要求払い預金などとも呼ばれる)があるとすると、それらは銀行にとっての債務(IOU)だ。預金とは家計にとっては資産であり、銀行にとっては債務なのだ。世帯が資産として国債や社債を持っていれば、それは発行者(国や会社)の債務だ。世帯が債務を持つ場合もある。奨学金や住宅ローン、自動車ローンなどだ。これらの債務には、それを資産として持つ債権者がいて、銀行であったり、年金基金やヘッジファンド、保険会社など多種の金融機関だったりする。世帯の「純金融資産」と言ったら、それは全金融資産から全金融債務を差し引いたもののことだ。これが正の値であるとき、その世帯は純金融資産を所有しているということになる。

経済全体を何らかの種類別に部門分割し、各部門の内部にある富と外部にある富を区別すると有益になることが多い。いちばん基礎的な分類は、公共部門(国の政府から地方自治体までもを含む)と民間部門(企業と世帯はここに含まれる)を区別することだ。民間が発行者である金融資産と同じく金融債務を集計すれば、金融資産の合計と金融債務の合計は等しい。これは論理の問題だ。つまり、民間部門のIOU(借用証書)だけをとってみれば、金融資産の総額(純金融資産)は必然的にゼロになる(政府が民間に対する債務を持たない限り)。これは民間の「内側」にある富であることから「内側の富」と呼ぶことがある。民間部門が総金融資産を蓄積するためには「外部の富」、つまり他の部門への金融債権の形になっているはずだ。ここでは基本的な部門分けとして政府部門と民間部門に分割したのでこの「外部の金融資産」は政府のIOUという形になる。民間部門は、政府通貨(硬貨や紙幣を含む)および国債(短期国債から長期国債まで)を純金融資産を持っていて、これが民間の純資産を構成している。

非金融資産(実質資産)についてのメモ

誰かの金融資産は、必ず他者の金融債務によって相殺されている。純金融資産の総額は必ずゼロになる。対して実物資産は誰かの富を表し、それは他者の債務で相殺されるものではない。したがって富の総量は、実質(非金融)資産の価値に等しい。理解のための例として、あなたが借金をして自動車を買うとする。あなたの金融債務(自動車ローン)はオートローン会社の金融資産と相殺されている(あなたのIOUはよく「証券(note)」と呼ばれ、これは支払いの約束だ)。この資産と債務の合計はゼロなので、自動車の価値という資産が残る。以下、この本のほとんどの議論では金融資産および金融債務に注目していくことになるが、個人レベルであれ全体レベルであれ、富の総量を決めているのは実物資産であるということを常に念頭に置くべし。総資産(実質資産および金融資産)からすべての金融債務を差し引くと残るのが非金融(実質)資産、もしくは富の総量ということだ。 (1.4節の説明を参照)

民間の純金融資産は公的債務と等しい

フロー(収入や支出の)の蓄積がストックになる。民間部門がある年に純金融資産(ストック)を蓄積することができたとすれば、その期間の支出が収入よりも少なかった場合だけだ(収入や支出はフロー)。言い換えれば、貯蓄すること(フロー)で金融資産という形の富(ストック)を蓄積したのだ。公的部門と民間部門というシンプルな区分ならば、この金融資産とは政府の債務、すなわち政府通貨と国債である。(銀行の準備預金については後で触れる。これは中央銀行と債務であり民間銀行の資産だ。準備預金は多くの点で政府通貨と似通っていて(しばしば「ハイパワードマネー」としてくくられる)、言わば、わずかな金利が支払われる「ひと晩もの国債」である。

一方、政府のIOUは、政府が税収という形で受け取った以上に支出をすることにより民間部門に蓄積されることになる。これは政府の赤字ということだ。つまりある一定期間(通常は一年)の政府支出と税収のフローを貨幣単位で測定した時に、政府支出の方が多いという事態だ。この赤字は政府部門には債務として蓄積し、これは同じ期間に民間部門に蓄積した金融資産と等しい。

政府の支出と徴税というプロセスの完全な説明は後回しにしている。今ここで理解してほしいのは、この二部門の例において、民間部門が保有する純金融資産は、政府が発行した純金融債務とまったく等しいということだ。仮に、政府が常に歳出と常に等しい均衡財政運営をしているとすると、民間部門の純金融収支はゼロになる。あるいは政府が継続的に財政黒字運営(支出が税収よりも少ない)をしているならば、民間部門の純金融収支は必ずマイナスになる。言い換えれば、民間部門が公共部門に対して債務を負うことになる。

以上から、一つの「ジレンマ」を公式化することができる。この二部門モデルにおいて、「公共部門と民間部門の両方が黒字運営をすることは不可能だ」。公共部門が黒字だったならば、必ず民間部門がその金額だけの赤字になっている。公共部門が未払い債務をすべて払い戻そうとある期間に黒字運営を実行するならば、民間部門は同じ金額だけ赤字となり、純金融資産はゼロまで下落する。

海外の債務=国内資産

もう一つ有用な部門分けとして三部門とする考え方がある。これは、国内民間部門、国内公共部門、そして「世界のそれ以外(“ a rest of the world” (ROW))」部門に分けるのだ。ROW部門とは外国政府、外国企業、外国世帯から成る。この場合の国内民間部門は、たとえ国内政府部門が均衡財政運営、すなわちある期間の支出が税収と等しい運営を行っていたとしても、ROWに対して金融債権を蓄積することが可能だ。その場合、国内民間部門の純金融資産の蓄積は、ROW部門における金融債務の発行総額に等しい。

最後、より現実に近づけて表現すると、国内民間部門は、国内政府の債務とROWの債務の両方からなる正味金融資産を累積することができる。あるいは、政府の債務を蓄積しつつ(純金融資産の蓄積)、ROWに対する債務を発行する(純金融資産の減少)ということもあり得る。次節では、部門バランスの詳細に議論に進もう。

「内側の富」の重要性についてのメモ

MMTは純金融資産に注目することから、「内側の富」を無視しているという批判がなされるが、それは事実に反する。MMTが民間部門の純金融資産(もしくは外部の富)の由来に注意を払おうとしてきたのは、政府財政赤字の望ましさについての世の議論がひどく混乱したものになっているからだ。我々の主張はこうだ。閉鎖経済においては、政府だけが純金融資産の出所だ。開放経済の場合は「世界のそれ以外」もその出所になり得る。しかし国内民間部門がそれ自体で純金融資産を創出することは不可能だ。なぜなら部門内で創出され保持されている金融資産には、必ずそれを相殺する金融債務が民間部門の中に存在するからだ。

但し、国内民間部門内部における金融資産および負債の創出を無視すべきということではない。だれが債務を抱えていて誰が債権者であるのかは重要な問題だ。 一般的に言えば企業部門は、利益を得る能力を拡大するために、債務を持つ側になりやすい。世帯部門は住宅や消費者製品を購入するために債務を持つ一方、将来の大学進学や退職後のために純金融資産を蓄積するため、純債権者にもなり得る。 このように部門内部を詳しく調べると、一部のセグメントが重債務であるとか、他のセグメントが純債権者であるといったことがわかっていく。 例えば高齢者世帯は全体として純債権者であり、若年世代の世帯は純債務者であるとわかった。また金融資産はかなり白人に集中していて、黒人やヒスパニック系の蓄積は小さかった。また、金融資産は最も富裕な1%にどんどん集中しつつあることもわかっている。

これらの問題はすべて重要であり、過去30年間でますます研究が進んできた。 米国およびヨーロッパの多くで世帯の債務が増加したことは、世界金融危機の一因となった。富の少数の者への集中は、西側の民主主義に大きな問題を引き起こしている。企業による借入が生産的な投資のためではなく投機的な資金のためになされていたため、企業は利潤を得るための生産力が改善しなまま債務を負うことになっている。これらの問題はすべて、「外部」と「内部」の両方の金融資産に関係している。MMT以外の学者たち、民間部門の内部における金融資産の分配に焦点を当てがちだった。MMTは、財政緊縮が民間部門の金融資産に外部から及ぼす影響について議論を開こうとしてきた。 両者は補完的なものであって、排他的なものではない。

部門会計の基礎、ストック=フロー概念との関係

経済全体を三部門に分ける議論を続ける。三部門とは、国内の民間部門(世帯や企業)、 国内政府部門(地方や州の政府を含む)、 海外部門(世界のそれ以外の世帯、企業、政府)だった。 各部門のそれぞれについて、ある会計期間における収入と支出のフローがあるとして取り扱うことができる。ここでは期間は一年ということで見ていく。毎年、それぞれの部門が収入と支出を一致させるべき理由はない。 支出が収入よりも少ない場合、それをその年度の黒字(a budget surplus)と呼ぶ。 収入よりも支出が多い場合は、これを年度の赤字(a budget deficit)と呼ぶ。 年間を通じた収支が等しい場合は均衡(a balanced budget)である。

先の議論から、部門の黒字とは、貯蓄のフローと同じ意味であり、それが純金融資産(ストック)の蓄積(正味金融資産の増加)をもたらすことは明らかだ。 同様に、部門の赤字は純金融資産を減少させる。 赤字を計上している部門は、過去数年間に累積された(黒字だったと時期に)金融資産を失うか、赤字を相殺するため新しいIOUを発行していたはずだ。日常的な言葉で言うなら、資産を支出可能な銀行預金と交換する(取り崩す)ことで支出を「賄った」、あるいは、債務を発行して(借金をして)預金を得た、と表現してもよい。あるいは、ある部門の累積資産が減少する場合は、その期間は債務が増加して赤字になっている。 一方、黒字の部門は、純金融資産を蓄積している。その黒字分はは、他の少なくとも一部門に対しての債権という形をとっている。

実物資産についての注意その2

一つの疑問が浮かぶ。純金融資産を蓄積せずに、貯蓄(黒字)を使うことで実物資産を購入していたら? その場合、金融資産は単に別の人の手に渡っているのだ。たとえば、あなたは支出を収入以内に抑えて預金の残高を増やすことができるだろう。ここで預金の形で貯蓄していたくはないと決意すれば、小切手を切って、絵画やアンティークカー、切手コレクション、不動産、機械、あるいはビジネスを購入することができる。これは金融資産を実質資産に交換することだ。ところが、それらを売った人はあなたと反対の取引をしていて、金融資産を持つことになる。要点として、民間部門の内部での活動は、純金融資産をある「ポケット」から別のポケットに移せるだけなのだ。もし民間部門が全体として黒字であるならば、必ず誰かが他の部門への債権としての純金融資産を蓄積している。

結論:ある部門の赤字は他部門の黒字と等しい

以上から、重要な会計原則が導かれる。複数部門の赤字の合計は、残る一部門の黒字額と等しい。ウェエイン・ゴドリーによる先駆的な研究に従い、我々はこの原則をシンプルな恒等式で表すことができる:

国内民間部門の収支 + 国内政府部門の収支 + 海外部門の収支 =  0

例えば、外国部門がある年に収支が均衡していたと仮定する(上の恒等式における海外部門の収支はゼロ)。 ここで国内民間部門は収入が1000億ドル、支出が900億ドルで、年間100億ドルの黒字だったとする。 すると恒等式から、国内政府部門の財政赤字は100億ドルとなる。 上の議論から、国内民間部門は、この年に100億ドルの純金融資産を蓄積しており、それは国内政府部門の100億ドルの債務で構成されているということがわかる。

別の例。海外部門の支出が収入よりも少なく、200億ドルの黒字だと仮定する。同時期に、国内政府部門の支出もが収入より少なくて、100億ドルの黒字だったとする。 上の会計恒等式から、同じ期間おける国内民間部門は300億ドル(200億ドルと100億ドルの和)の赤字だったはずとわかる。この時、資産を売却し負債を発行していて、純金融資産は300億ドル減少していることになる。 一方、国内政府部門は、純金融資産を100億ドル増加させており(他部門への未返済債務を減少させている、または債権を増やしている)、海外部門は、純金融資産を200億ドル増加させている(同様に、他部門への未返済債務を減少させているか債権を増やしている)はずとわかる。
ある一部門が黒字である場合、他の二部門のうち少なくとも一部門が赤字になっているということは確実だ。

ストック変数に注目すれば、ある一部門が純金融資産を累積するためには、少なくとも他の一部門が同額の債務を増加させていなければならない。 すべての部門が黒字となり純金融資産を累積するということは不可能だ。

こうして、もう一つの「ジレンマ」公式を作ることができる。「三部門のうちの一部門が黒字であるとき、少なくとも一つの赤字部門が存在している。」

どんなに頑張っても、すべての部門が同時に黒字になることはない。 住民が全員自分は平均以上だと思っているレイク・ウォビゴン(という米国のラジオ番組プレーリー・ホーム・コンパニオンで、ガリソン・ケイラーが紹介している架空の町)の話とよく似ている。 平均点以上の子供いれば、必ず平均点以下の子供が存在する。これと同様に、赤字部門があれば必ず黒字部門が存在している。