R.レイのMMT入門 第三章第七節 財務省の債務オペレーション

(週末にでもゆっくりドゾー)


第三章 国内の金融システム:銀行と中央銀行
 第一節 国の通貨建てのIOU
 第二節 決済と債務ピラミッド
 第三節 金融危機における中央銀行のオペレーション:最後の貸し手
 第四節 銀行のバランスシート、銀行の貨幣創造、銀行間決済
 第五節 外生金利と量的緩和
 第六節 中央銀行と財務省の共同オペ、そのテクニカルな詳細
 第七節 財務省の債務オペレーション
 第八節 中央銀行と財務省の役割についてのまとめ


7. 財務省の債務オペレーション

連邦準備法(Federal Reserve Act)は、FEDが国債を買うことができるのは「公開市場」においてのみだと定めている。実は必ずしもそうなってはいないのだが。ともあれこのため、財務省がFED(連邦準備法によって設置され、財務省の財務代理人であり、そのバランスシートの負債の部に財務省の残高が置かれる)に置く口座の残高は常にプラスを保っておく必要がある。つまり財務省は、支出に先立ち税金(およびその他の)収入、または「公開市場」に債券を発行することによって得られる収入によってこの口座に残高を補充しておかなくてはならない。

財務省の預金口座もFEDの負債であるため、この口座の出入りは準備預金全体の残高に影響を及ぼす。 つまり、準備預金は財政支出によって増加し、徴税によって減少する。 銀行システム全体の準備預金の増減は、オーバーナイト金利に影響を与える。このように財務省の業務と、目標金利の設定および維持に関連するFEDの金融政策運営とは不可分なものだ。 財務省口座の出入りによって、その日の金利がFEDの目標金利からずれそうになったら、FEDは貸借対照表上の他の勘定と調整し、ずれを相殺しなければならない。 この目的のために財務省は、民間銀行に置いている預金口座(tax and loan accounts)を用いた調整を行う。

2008年秋までの財務省は、通常日の終了時点における残高が50億ドルになるようにしていた。上記の預金口座(tax and loan accounts)から「差引」くか(預金残高が50億ドルを下回った場合)、または「加算」(50億ドルを超える場合)することによって。 (その後のあ世界的金融危機とFEDのそれへの対応、特に「量的緩和」により異常な状況になっているが、ここでは割愛。)

言い方を変えると財務省の債務オペレーションとは、財務省自身の支出/収入と、FEDの金利目標の管理との整合性を常に取らなければならないものだ。金融危機前の平時の状況、つまり目標金利が、民間銀行の準備預金への利息(2008年10月より前はゼロだったが、現在FEDは準備預金に利息を支払っている)より高い率に設定されていた状況下では、財務省が赤字支出を実行するためには6つの処理が必要だった。

FEDの財務省口座に十分な預金がない場合、支出を実現するために次の6つの取引を実行する。残高が不足しているのでまず新規国債を「オークション」する必要がある。

A. FEDはまず国債を「プライマリーディーラー」から売り戻し契約付きで購入する(FEDはプライマリーディーラーから国債を購入する際に、ある決まった期日に売り戻すという約束をする)。これは、財務省による国債オークション(民間銀行の準備預金は引き落とされ、財務省の口座に振り込まれる)の成立後に、循環している準備預金の残高が適正になるようにするためだ。FEDの目標金利はこのことによって維持される。(財務省のオークションが行われる日は「high payment flow days」としてよく知られている。通常の日々よりも多くの準備預金が循環する必要があるのでFEDはその需要に対応する)。

B. 財務省の国債オークションが成立すると、国債は準備預金と交換されるため準備預金が引き落とされる。ディーラーの口座から引き落とされるのと同時に財務省の口座に振り込まれる。

C. 財務省はオークションによって口座に振り込まれた準備預金を預金口座(tax and loan accounts)に移す。つまり民間銀行に置いている預金口座(tax and loan accounts)への振替えだ。

D. (DとEの順番は逆でも構わないよく。実際逆になることもある。)Aの売り戻し契約に従って、プライマリーディーラーが国債をFEDから買い戻す。つまり上のAの取引の逆が行われる。

E. 財務省は、支出に先立ち預金口座(tax and loan accounts)から(中央銀行の)口座に残高を移す。Cの取引の逆が行われる。

F. 財務省は中央銀行の口座からの引き落としによって財政赤字支出を行う。中央銀行にある民間銀行の口座と支出相手の預金口座への振り込みがなされる。

以上の分析は、財政赤字が支出増ではなく減税によるものである場合でも変わらない。減税とは、支出が税収よりも多くなるのだから、赤字支出と同じことになる。

今説明した最終ポジションは、統合政府(財務省と中央銀行)の例(第六節)とまったく同じになっていることにも注意せよ。政府の赤字財政支出により、誰かの銀行口座と民間銀行の準備預金への振込みがなされ、過剰になった準備預金は国債と交換されて調整されるのだった。実際のプロセスは複雑で順番が異なるものの、バランスシートの最終的なポジションは変わらないのだ。政府はジェット機を、民間部門が国債を獲得する。

以上を踏まえると、前節で触れた「自らに課している制約」の理解が深まる。FEDのシステムを通じて財務省の国債オークションを決済できるのは準備預金のみだ。そして、準備預金の源泉になっているものとは、FEDからの借入か、FEDによる金融資産の購入かしかないということに注目(FED自らの意思による残高変更による様々な短期的影響を除けば)。さらに、FEDは日常的に国債を購入したり、国債を売戻契約の担保に求めたりということをしている(世界金融危機の余波により、FEDはさらに多種多様な資産を購入するようになり、また様々な種類の資産に対しての貸し出しを行うようになった)。いま存在している国債とは、過去の財政赤字支出の結果として発行されていたものなのだ。したがって国債の購入に必要な準備預金とは、過去の財政赤字の結果か、または政府から非政府部門への貸付によるものだ。この事実は、財務省が支出する前にプラスの残高を持っていなければならない場合だろうが、また、FEDが財務省に当座貸越を提供することが法的に禁じられている場合だろうが変化がない。最後に、

1. 目標金利と同率の金利が支払われる準備預金が過剰に存在している場合(つまり金融危機後にFEDが実施した何段階かの「量的緩和」のケース)でも、この分析結果は変わらない。目標金利を達成維持する目的で財務省オークション関連の業務に積極的に関与する必要がFEDにはなくなっているだけで、流通している準備預金は、民間部門への連邦政府の貸付(または民間部門の国債の購入)か以前の赤字支出によるものだ。

2. 結局のところ、赤字財政支出の現行オペレーションは、FEDの業務に対しての適時性を維持しつつ、さらに「財務省は支出に先立って残高を維持していなくてはいけない」というルールを加えた結果として、上記の六つの処理で成り立っている。財務省のオペレーションを複雑にしたところで、結果から見ればその複雑さは不必要ということになる。なぜなら、複雑にしても以下の事実に変化はない。(1)財務省のオークションが決済されるためには、過去の赤字またはFEDによる民間部門への貸出を通じてた準備預金が存在していなければならず、また、(2)新規国債発行を伴う赤字支出でも、国債発行を伴わない支出と比べ循環している準備預金が減少するわけではない。このルールの存在そのもの、そしてルールが単に複雑さを増しているということはむしろ反生産的だろう。マクロ経済の困難に直面した時に、政策立案者が利用可能な選択肢という問題に影響を及ぼすからだ。

まとめ。「自らに課している制約」を追加してFEDと財務省の業務を詳しくみても、単純モデルで示された基本的な結論が維持されていた。 政府の赤字支出は、受取人の銀行預金を加算する。 そのとき、銀行の準備預金が創出されるが、過剰な準備預金は(通常は)国債と交換される。 民間部門で保有されている純金融資産は、財政赤字と等しい金額だけ増加する。(銀行預金の残高は銀行の負債である預金額と等しい。従って、純金融資産は銀行が保有する国債と準備預金および現金の合計に等しい )。 (債務の限界についての議論は、第7章第5節も参照のこと。そこにはまた別の自主的な制約がある)。


【コラム よくある質問】

Q:私の理解だと、財政黒字とは単に過去の政府支出が創出したドルの破壊です。主権国家が自身の貨幣を「貯蓄」するというのは無意味なのでは?

A:実際問題、その通り。クリントン景気の頃には、いつか米国は国債を全部消し去るだろうという予測もあった。さらには、もし「破壊する」政府IOUがなくなったら、連邦政府はどのように財政黒字を稼ぎ続けることができるかを理解しようという狂った考えがFED内部にも生まれた。もしそんなことになったら、民間部門が対政府部門の赤字を継続するためには政府への支払いのために実物資産(政府のIOUではなく)を献上するしかないということになる。納税のために国民は自分のクルマや家、預金、子供たちを差し出すしかないことになる。これは政府が永遠に財政黒字を続けるということの論理的な帰結だ。政府は民間部門に無限の債権を積み上げるということだから。それから、主権国家は自身の貨幣を「貯蓄」していないという指摘は正しい。「貯蓄」していない、というより、できない。