MMT(現代金融理論)のエッセンス! ウオーレン・モズラー「命取りに無邪気な嘘 1/7」

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命取りに無邪気な嘘 その1:
政府は支出するために、まず税金や借入によって資金を調達しなければならない。 あるいは、政府支出は、徴税能力と借入能力に制限されている。

事実:
政府の支出は、収入には全く制約されない、つまり「ソルベンシー・リスク」というものは存在しない。言い換えれば、連邦政府は赤字の大きさとは無関係に、また税収がいかに少ないとしても、自国通貨を用いた支払いをすることができる。


上のことを国会議員(私は何度も聞いた)や普通の市民に話すと、彼らは強い調子でこう言うだろう: 「…政府は、資金を調達するために徴税や借金をしなければならない。家計と同じで、使うお金は用意しておく必要がある。」そして、医療、防衛、社会保障などなどすべての政府支出についてこんな質問をしてくるだろう。

「どうやってそれを払うのだ?」

これはキラー質問だ。誰も正しくわかっていない。本書の底流である「公共の目的」の核心はこの質問に正しく答えるところにある。この本をほんのしばらく読み進めれば、それは理論でも哲学でもなく、単なる冷徹な事実なのだと明瞭に分かって行くだろう。ではこの質問に答えるべく、まずは政府がどのように税を取っているかを正確に観察し、その次にどのように支出してるかを検討しよう。

政府はどのように税を取っているのか?

スタートとして、あなたが小切手を切ることで税金を払うときに起こっていることを見てみよう。政府は小切手を受け取り、これが引き落とされて「精算」となる。政府がすることと言えば、あなたの当座預金口座の数字を減らす方向に変える。あなたの銀行の残高から小切手の金額分を差し引くことによって。この時政府は何かの実物を手に入れているとか、誰かにあげたりなどしているだろうか?違う。これは「金貨を使う」ようなものではない。この時起こっていることはオンライン銀行で実際に見ることができる。スクリーン上に表示されているあなたの口座の残高をじっと見てみよう。もとの残高が5000ドルだったとして、政府に送った小切手は2000ドルだ。小切手が精算されるとき何が起こるだろうか。数字の5が3に変わり、新しい残高は3000ドルに減った。あなたの目の前で!政府は本当に何も「得て」ないし、誰かにあげたりしていない。FEDのバケツに金貨が落とされたりしていない。彼らは銀行口座の数字を変えただけ。どこかに「行った」ものなど何もない。

それでは地元の税務署で現金によって納税する場合はどうなっているだろうか。あなたはまず窓口の人に札束を手渡すだろう。担当者はそれを数えて領収書をくれる。社会保障や国の借金への金利やイラク戦争に手を貸してくれてありがとうございますと言ってくれるといいのだが。次にあなた、つまり納税者が部屋を出る。担当者は、あなたがやっと手に入れ今手渡したばかりの現金をシュレッダーに投げ込む

そう、それは捨てられる。破壊される!なぜ?もう使い道がないのだ。ちょうどスーパーボウルのチケットと同じだ。スタジアムに入って窓口にチケットを出すときには1000ドルの価値だったかもしれない。担当者はそれを切り刻んで捨てる。ワシントンに行けば裁断された紙幣を本当に買うことができる。

あれれ、政府は集めた現金を捨てているならば、いったい政府はどうやって支払いをしているのだろうか。社会保障やいろいろな政府の支出は?違うのだ。

政府は支出するために、あらかじめ税をとることによってお金を確保しておく必要があると考えるのはナンセンスだということが、おわかりいただけただろうか?政府がお金を「使う」前に何かを「得て」いるということは実際に無いのだ。では、以上の如く政府は徴税によって何も得ていないとすれば、何をどのように支出しているのだろうか?

政府はどのように支出しているのか?

あなたが2000ドルの社会保障給付を受け取るところを想像してみよう。受け取る銀行口座にはもともと3000ドル入っているとしよう。パソコンに表示されるその口座をじっと見えていると、政府がいっさい「現金使わず」に支出する様子がわかるだろう。3000ドルだったあなたの口座の残高が一瞬にして5000ドルになる。さてここであなたにお金を渡すために、政府は何をしただろう? 政府は、単に口座に書かれている番号を3000から5000に書き換えただけだ。パソコンに金貨を捻じ込んだわけではない。政府がしたことと言えば、政府のスプレッドシート(訳者注:エクセルに代表される、表を作るソフトウエアのこと)にデータを打ち込んだことだけなのだ。このシートは金融システムの中で無数のスプレッドシートとつながっている。政府支出とは「米国ドル通貨システム」と呼ばれる政府のスプレッドシートにデータを入力することで実施されているというわけだ。

ご参考に、これはテレビ番組の”60ミニッツ”から、よきFED議長であるベン・バーナンキの言葉だ。

スコット・ペリー: それはFEDが税金を使っているということでは?

バーナンキ議長
:それは税金なのではありません。民間銀行は、あなたが市中銀行に口座を持つのとほぼ同じように、Fedに口座を持っています。なので、市中銀行に貸し付けを行うには、我々はFedにある市中銀行の口座残高を、簡単なコンピュータ操作で増やすだけなんですよ。


議長がきれいな英語で説明しているのはこんなことだ。「お金は、銀行口座の数字を変えるだけの操作によって払い出されている(支出にしても貸出にしても)」。支出する前に、あらかじめ税(または借入金)を「獲得」することなどまるでなくて、ただスプレッドシートに数値を入力することが、私たちが「政府支出」と呼ぶものなのだ。そのデータはどこからか「やってくる」ものではない。それなら誰でも知っている!

似たような話がどこにあるか?例えばフットボールスタジアム。ひいきチームがフィールドゴールを決めて、7点だったスコアボードが10点になった。この時、この3点ってスタジアムはいったいどこから手に入れたんだっけ、なんて気にする人いる?いるわけない!

あるいは、ボウリング場で5ピンを倒して表示されるスコアが10から15になった。あれれ、このボウリング場はどこからこの5点を手に入れたんだ?なんて不思議に思うだろうか?そんなことない!

その次、ボウリング場のシステムがあなたのフットフォールトを見つけて、スコアを5点減点したとしよう。この時ボウリング場の人は、やあこれでプレーヤーにあげられるポイントが増えたぞ、なんて思うだろうか?もちろん思わない!

このように、私たちはデータ入力がどのようなものであるか知っている。しかしどういうわけか、政治家、メディア、そしてなんと言っても、著名な主流派経済学者たちはこれをひっくり返して理解しているのだ。政府はあらかじめドルを「持っている」のでも「持っていない」のでもない。出発点として、まずはこのことを覚えよう。

スタジアムも同じで、誰かに配るために貯めた点数を「持つ」とか「持たない」ではない。ドルの話で言えば、私たちの政府は、その機関である連邦準備銀行と財務省を通じたシステムの「記録係」をしている。(同時に、ルール作りもしている!)

ここまでで「どうやってそれを払うのだ?」という質問の機能的回答が得られた。答えはこう。「政府は普段の支払いでやっているように、私たちの銀行口座の数字を変えるだけですよ。」

大統領がいつもいつも間違えるように「連邦政府の金が尽きる」ということはない。それはありえない。それから、中国だかどこかからドルを「獲得」しなければならないということもない。政府が支出の時にしなければならない事といえば、連邦準備銀行のある口座の数字を変えることだけ。政府が支出を望むなら、その金額に上限はない(社会保障でも利払いでもそう)。誰に対して払う場合であれ、政府によるドル払いは全部これなのだ。

ただし、これは政府がいくら支出しても物価が上がる(つまりインフレ)可能性がないということではない。

そうではなく政府は破産のしようがないということだ。それは単純にあり得ない。[1]

それならどうして政府の人間はこれをわかっていないような感じなのだろう。議会の歳入委員会が「どうやってそれを払うのだ?」と心配するのはなぜだろう。よく言われるところの「連邦政府も家計と同じで、まず使うお金を用意してから支出しなければならない」という話を信じているからかもしれない。そう、彼らだって政府は家計とは違うという話を聞いたことがあるだろう。でも信じられなかったのだろうし、意味が通って確信させてもらえるような説明を受けなかったのだろう。

彼らがみんな見落としているのはここだ。「自国自身が創り出す通貨による支出と、他の誰かによって創られた通貨での支出は異なる。」実は政府を家計になぞらえるのも、正しくやればちゃんとしたものができる。そこで次は家庭内の「通貨」を作る例をやってみよう。

まず親がクーポンを作ることで話が始まる。次に、子供たちに家事を頼む時にこのクーポンを与えると決める。その次は「モデルを動かす」ために、毎週10枚のクーポンを税として子供たちから集めることにする。税を支払わない子供には罰を与える。これは、私たちも税を払わないとペナルティがあるという現実の税をコピーしている。クーポンは新通貨だ。親は「支出」することによって子供たちから「サービス」(家事)を購入する。この新しい家庭内通貨における両親は、通貨の発行者として連邦政府に相当する。この「独自通貨を持つ家計」は独自通貨を持つ政府と非常に似ているとわかるだろう。

では、この通貨がどのように機能するかの質問だ。親は子供の雑用への対価としてクーポンを支払うことになるが、そのためにあらかじめ子供たちからクーポンを徴収しておかなければならないのだろうか?もちろんそんなことはない。むしろ逆に、週10クーポンを徴収できるようにするためには、先に子供に家事をしてもらってクーポンを支払っておく必要がある。そうでなければ子供たちは親に支払うクーポンを得ることができない。

現実の経済でも、政府はちょうどこの家庭と同じように自国通貨の発行者なので、支出のためのドルを、どこかから税を取ったり借りたりするなどして準備しておく必要がない。現代の技術をもってすれば、政府は親がクーポンを印刷するようにドルを印刷する必要すらない。

覚えてほしい。ボウリング場に点数をためる箱がないのと同じように、政府がドルを持つとか持たないではない。ドルの場合では私たちの政府が記録係だ。親子クーポンの話では、親がどれだけクーポンを持っているかはどうでもいいことになる。親は、子供たちがどれだけ稼いだか、と、彼らが毎月の10クーポンを支払ったかどうかだけを紙一枚にメモしておくだけでいい。政府が支出するときも、元手がどこかから「やってくる」わけではない。フットボールスタジアムやボウリング場のポイントがどこからか「やってくる」わけではないのと変わらない。また、政府が税を取っても(または借りても)、支出のために使える「蓄えられた原資」が増えるわけではない。

政府の支出を実際に行う(銀行口座の数字を加算する)財務省の人たちは、税金を集めている歳入庁の人たちの電話番号すらしらないし、接触もしない。同じ財務省の中の「借入」(国債の発行)担当者との接触もない。集めた税額や借り入れた額が本当に重要事項なのだったら、少なくともお互いの電話番号くらいは知っているはず!支出という目的に関してそれらは明らかに重要ではないのだ。

私たちの側は(政府側ではないですよ)、何か支払いをするためには、ドルをあらかじめ持っておく必要がある。これは子供たちが週ごとのクーポンを親に払うため、あらかじめ親からクーポンを稼がなければならないのと同じだ。州政府や市町村や企業も、私たちと同じ舟に乗っている。ドルの支出できるようになるためには、まずどうにかしてドルを用意できる状態になっていなければならない。稼いだり、借りたり、何かを売ることで初めてドルを使えるようになる。つまり私たちが納税しなければならないドルが直接的または間接的に由来しているのは、通貨の始まるところ、つまり政府の支出からなのだ。(政府の借入もあるが、その議論はのちほど)

では次は、国の通貨をゼロから作ってみよう。新しい通貨を持つ新しい国を想像しよう。国民はまだ誰も通貨を持っていない。政府はまず、たとえば固定資産税をとりますよ、と宣言する。さて、それはどうやって支払われるだろう? 政府が支出を開始してくれないとできっこない。政府が支出をスタートすることで初めて人々は納税のための新しい通貨を準備できるようになる。

繰り返す:納税の元手になるものは、もともと政府の支出(または借入)に由来するもの。それ以外に何があり得ようか?[2]

そう、つまり究極的に言えば、政府は私たちに納税に必要な原資を提供するため、まず支出しなければならないのだ。そしてこの意味で政府とは、子供からクーポンを回収するためにはそれを使わなければならなかった親と同じだ。政府にしろ親にしろ、支出した以上の通貨を集めることは不可能だ。ほかのどこかから来るなんてことがあるだろうか?[3]

というわけで、いまの政治家は、支出を可能にするために税金を取るか借りるかして、私たちから貨幣を取る必要があると信じている。しかし本当はこうだ。

私たちが税金を払えるようにするためにはまず政府の支出が必要だ

私たちは政府(やボウリング場やフットボールスタジアム)がやっているように、「数字を変える」ことができない[4]。子供たちが毎週のクーポン支払いのためクーポンを稼ぐか入手しなければならないのと同じように、私たちはドルで税金を払うためにそれを稼ぐか入手しなければならない。もうお分かりのように、家庭内クーポンを発行している家計とちょうど同じだ。子供たちが親に支払うのに必要なクーポンは親から受け取るしかないのだ。

そして、前に述べたように政府支出はオペレーション上、収入(税収や借入)に制約されることはない。いや、議会が「自分から課している」制約なら現実に存在するが、それは全く別の問題だ。なるほど債務上限ルールや財政収支ルール、FEDによる国債買入禁止ルールなどは存在する。これらはすべて、金融システムの生きた知識を持たない議会によって課されているルールに過ぎない。公共の目的を推進するという観点からは、今の金融制度の下でこれらの制約を自ら課すことは生産を制限することに繋がる。

こうした制約は、金融という配管の中にわざわざ障害物を設置するようなもので、わざわざ問題を作り出しているものだ。事実、これらわざわざ置いた障害物が、この間の金融危機を実体経済にまで流出させ、不況を招くことになったのだ。

政府支出が、機能として収入に制約されていないという事実は、「ソルベンシーリスク」は存在しないという意味になる。言い換えれば、債務がどれだけ多いとしても、また税収がどれだけ少ないとしても、政府はいつでも自国通貨で支払いをすることはできる。

ただし、政府は何の問題もなく好きなだけ支出できるという意味ではない。過剰な支出は物価を上昇させ、インフレをあおる。

この文が意味するのはソルベンシーリスクは存在しないということで、言わば連邦政府は破産しないということであり、オバマ大統領か何度も言う「支出するお金が無くなる」とか「政府の支出はいくら借りることができるかに制限されている」とうことはない、ということだ[5]

お次はこの質問が来るだろう。 「社会保障のお金はどこから来るの?」。それにはこう答えよう。「それはただのデータ入力です。ボウリングのスコアと同じところから来るのですよ。」

別の言い方をすれば、政府の小切手は、政府が不渡りにしようと決断しない限り不渡りにならない。

政府の小切手は不渡りにならない

数年前、オーストラリアの経済学カンファレンスで「政府の小切手は不渡りにならない」と題した講演をした時のことだ。聴衆の中にオーストラリア連銀で首席研究員を務めるデイビッド・グルーエン氏がいた。あれは最高のドラマだった。その数年前から私はこの学会で何度か講演をしていたのだが、「政府のソルベンシーは問題ではない」ということを参加者の多くに本当に分からせることまではできていなかった。彼らはいつも最初にこう言っていた。「オーストラリアのような小規模な開放経済はアメリカ合衆国と違うってことをアメリカ人はわかっていない」と。教育を受けすぎた(おそらく)脳には、この論点に限れば経済の規模は全く関係ないということが、なかなか理解されないようだった。スプレッドシートはスプレッドシートだ。ビル・ミッチェル教授と彼の同僚の数人以外の人たちには「心の壁」があって、もし「マーケットがオーストラリアに反乱を起こして”債務を調達”できなくなったらどうなるのか」という深い怖れを抱いていた。

そういうわけだったので、私は米国政府の小切手は不渡りにならないという話を始めたのだが、数分話したところで、デイビッドの手が上がり、中級の経済学部の学生がよくやるようなお馴染みの台詞を言った。「もし債務の金利がGDPの成長率を超えたら、政府債務は維持不能だ。」質問ですらなく、あたかも事実だとして述べたのだ。

対して私はこう答えた。「さあ私は連銀の端末入力担当者だ。デイビッド、教えてくれないか、”維持不能”っていうのはどういう意味だい?金利がとても高くて、過去20年間で政府債務が大きくなりすぎたから政府は金利を払えないと言うのかい?自分はちょうどいま年金受給者への小切手を切るところだけれど、この小切手が不渡りになるよと言っているのかい?」

デイビッドは黙り、深い思考に沈み、このことを考え続け、ついにこう言った。「ああ、自分は今日ここに来た時まで、準備銀行の小切手清算がどのように機能しているのかちゃんと考えたことがなかった。」さらにユーモアを挟もうとオバマ大統領の言葉を引用した。しかし、そこにいた誰も笑ったり音を立てたりしなかった。全員が彼の答えを待っていた。それはこの議論の「天王山」だった。ついにデイビッドは言った。「いや、その小切手は普通に処理する。でもそれはインフレを引き起こし通貨価値を下げる。人々が”持続不可能”という言葉で意味しているのはそれなんだ。」

聴衆は死んだように静かだった。長い議論は終わった。小規模な開放経済だろうがソルベンシーは問題ではないのだ。「そうだ、我々はいつもそれを言っていたんだ」といういつもの一段階上の観点からのコメントが来たが、ビルと私で瞬時に撃退した。

私はデイビッドに話し続けた。「ええと、ほとんどの年金支払者が関心を持っているのは、引退したときに基金が存続しているだろうか、とか、オーストラリア政府はもう基金に支払うことができなくなるのでは、ということじゃなかったのかな。」対してデイビッドはこう答えた。「いや、彼らが心配しているのはインフレーション、オーストラリアドルの水準だと思う。」するとニューカッスル大学の経済学部長のマーチン・ワッツが嘴を入れた。「彼らは悪魔だ、デイビッド!」。デイビットは考え深げに認めた。「イエス、あなたが正しいようです。」

あの日、シドニーの学会で参加者が確認したこととは何だっただろう? 独自通貨を持つ政府は、政府が望みさえすれば、常にフットボールスタジアムと同じように、ボードに好きなポイントを入れることができる。過剰な支出の帰結はインフレーションかもしれないが、決して破産ではない。

事実はこうだ。:政府債務が支払い不能を引き起こすことはあり得ない。ソルベンシーの問題は存在しない。支出とは政府自身の準備銀行に持つ口座の数字を増やすだけの行為なのだから、「お金を使い果たす」ということはない。

そう、家計や企業、そして地方政府は小切手を切る際にあらかじめ銀行口座にドルを持っている必要がある。さもないと不渡りになってしまう。それは彼らが支出するドルを創造しているのが別の主体 – 連邦政府 – だからだ。家計や企業、そして地方政府はドルの記録係ではないのだ。

政府が税を取る理由

では政府は支出のために何かを得ているわけではなく、そうしておく必要もないのなら、政府はどうして私たちに税を課しているのだろうか?(ヒント:親自身はクーポンを必要としないのに子供から週10のクーポンを取る需要がある。それと同じ理由だ)

政府が私たちから税金を取ることには、大事な理由がある。税は、経済の中に「ドルを獲得するニーズ」を生み出すのだ。このことゆえに、人々はドルを得るためにモノやサービスや労働を売らなければということになる。納税の義務があるからこそ、政府はもともと何の価値もない紙切れでモノを買うことができる。そのドルを納税のために必要とする人がいるからだ。子供たちに課するクーポン税が、家事をすることで親から稼ぐクーポンのニーズを生み出している。固定資産税で考えよう(所得税で考えるのは現時点ではちょっと早い。結局は同じことなのだが、回りくどい複雑な話になってしまうからだ)。さて、あなたは固定資産税をドルで払うか、さもなければ家を失ってしまう。ちょうど子供と同じ状況だ。子供たちも10クーポンを手に入れなければ罰を受けることになる。そこであなたは何かを売ろうと考える。必要なドルを入手するために、モノかサービスか労働力を売らなければと。これは、必要なクーポンを得るために家事をしようと動機づけられる子供とまさに同じだ。

最後になるが、「税を納めるためにドルを必要としている人たち」と「モノを売ったり買ったりするためにドルを欲したり使ったりする人々」の関係を見よう。ここで、新しい通貨を持つ新しい国の例に戻る。通貨の名前は「クラウン」とし、固定資産税が課されるとしよう。政府がこの税を課す目的の一つは、軍隊の創設だ。兵士の給料を「クラウン」で支払うと定めて志願者を募る。固定資産を持っている人々は、いきなりクラウンを得る必要に迫られるが、そのうちの多くの人々は兵士となって政府から直接クラウンを得たいとは思わない。彼らは自分の持つモノやサービスを売りに出して、軍隊に参加しなくても、交換によって必要なクラウンを得られないかと行動し始める。固定資産を持たない人々から見ても、チキン、トウモロコシ、衣服や、散髪、医療など、多くの欲しいモノやサービスが売りに出されているということなる。モノやサービスを売っている人々は、軍隊に参加せずに税金を納めるためのクラウンを受け取りたい。これらのモノがクラウンとの交換のために売りに出されることにより、貨幣を得ようと軍に参加した人々も、必要なモノやサービスを購入するための貨幣を得ることになる。

物価は「政府が必要とする兵士数が集まるところ」に調整されて行く。そこに調整されるまでは、納税者全員が税を納めるには支出総額が足りないので、クラウンが必要だけれども軍には参加したくない人々は売りに出すモノやサービスの価格を必要な金額が得られるところまで下げるか、あきらめて軍に参加するということになるからだ。

次に紹介するのは理論上の概念ではなく本当に起こったことだ。1800年代のアフリカで、英国が作物を作るために植民地を作ったときの話だ。最初英国は現地の人々から職を募ったが、英国のコインを稼ぐことに興味を示さす者は誰もいなかった。そこで英国はすべての住居に「小屋税」を課し、それは英国の硬貨だけでしか納められないものとした。すると地域はたちまち「マネタイズ」され、人々は英国の硬貨を必要とすることになり、それを得るためにモノや労働力を売りに出し始めた。こうして英国は彼らを英国硬貨で雇い、作物を育てることができるようになったのだ。

これはちょうど、親が子供に家事をやってもらうため子供たちから労働時間を得ていたのと同じことだ。そして、これがドルや円、ポンドといったいわゆる「不換貨幣」のしくみだ(金本位制は終わり、固定相場制も今やわずかに残っているのみだ)。

さあ、以上で現代経済における税の役割を、経済学の言葉を使って新たな角度から見る準備が整った。勉強してきた経済学者なら「税の総需要抑制機能」と言うものだ。この「総需要」とは「購買力」のカッコいい言い方だ。

政府が私たちから税を取るのは、ある一つの理由のためだ。支出を限定することよって通貨の希少性と価値を維持するのだ。あるいは、「インフレを引き起こすことなく政府が死守する余地を残すため」に私たちからお金をとっている考えてもいい。経済を巨大デパートだと考えてみよう。毎年、私たちみんなが生産し売りに出しているモノやサービスでいっぱいの巨大デパートだ。そして仮に、私たちはデパートで売っているものをちょうど全部買うだけ給与をもらったり利益を稼げたりできている、としよう。(つまり、さらに借り入れができればデパート全部のもの以上を買える)。もしその時、いくばくかのお金が税として奪われると、デパートで売られているもの全部を買うには購買力がその分足りないということになる。こうして欲しいものを政府が買う「余地」が生まれる。ここで政府が欲しいものを買えば、政府と私たちの支出を合わせてても、デパートで売られているもの全部より多いということにはならない。

ところが、政府が税を取りすぎる(支出に比して )と 、デパートで売られているものがすべて売られるには総支出が足りない、ということになる。企業が生産したものがすべて売れないと、人々は職を失い、支出するお金が足りなくなり、モノはさらない売れなくなる。人々はさらに職を失い、経済は下降スパイラルに陥る。これは不況と呼ばれているものだ。

政府が税を取っている裏には、公共インフラを提供するという公的な目的があることを覚えておいてほしい。公共インフラとは軍や、法律システム、議会、政府の執行機関などなどだ。これらを初め、いちばん保守的な人でも政府に任せたいと考える事柄はかなりたくさんある。

では、こんなことを考えてみよう:私たちにとって望ましいように国が運営されるとして、その「適正」な政府支出はどのくらいで、税はどのくらいであるべきだろうか? この質問をする理由だが、ここで伝えたいのはこういうことだ。「政府支出の適正額」とは、正しく理解されれば、これは経済的、政治的な意思決定なのであって、政府の財政状態とは何の関係もないものなのだ。政府を運営する真の「コスト」とは、運営のために消費する現実のモノとサービスだ。それは労働時間、燃料、電気、炭素繊維、ハードディスクなどなど、政府が買わなければ民間の人々も入手可能なものだ。従って、政府が政府運営のため実物資源を買い上げると、民間部門の活動のために残る実物資源はだいぶ減少することになる。人的資源を例にすれば、防衛のために十分な兵力を持つ軍隊の兵士数とは、民間で作物を育て、車を製造し、医療行為をし、株や不動産を売る事務をし、家にペンキを塗り、芝生を刈るなどなどをする人がどれだけ減るかということと関係する。

それゆえ、私の考え方からは、「適正な」水準の公共インフラを備えた政府の大きさとは、「財政」の観点からではなく、実質的な便益と費用に基づいてまず決めるべきということになる。この時金融システムとは、私たちの現実の経済と政治的な目的を調整するために使われる道具なのであって、何をするかを決めるときに参照する情報源ではない。こうして適正なサイズの政府のためには何をどれだけ買う必要があるかがまず決まったら、税は、政府がその買い物をした後に「デパート」に残っている売り物を買うのに十分なだけの購買力が私たちに残るように調整される。私の見立てでは、一般的に税は政府支出よりだいぶ少なくなるのがいい。理由はすでに説明したし、この本の後でも詳しく論じる。こう考えると、GDPの5%ほどの財政赤字あたりが基準になるだろう。今でいえば毎年7500億ドルというところだ。しかしながら、この数字自身に絶対的な意味があるわけではなく、状況によってだいぶ多かったり少なかったりする。大事なのは、税の目的とは、経済が過熱しすぎず、また停滞しすぎにもならないようにバランスをとることだ。私たちが望む政府の大きさと範囲を先に決めるので、税額はその適正量に合うように設定されることになる。

これが意味するのは、経済を低迷から救い出すために政府を大きくするべきではないということだ。あらかじめ適正な大きさの政府にしてあるのなら、経済低迷のたびに政府を大きくするべきではない。もちろん、低迷期に政府支出を増やせば多くの仕事が創出され、低迷は終わるだろう。しかしそれは、適切な減税によって民間の支出を望ましい量に再生することによって低迷を終わらせるのに比べ、だいぶ劣ると思う。

さらに悪いのは、財政黒字の時に政府を大きくすることだ。再度言うが、政府の大きさがどれくらいであるべきは政府の財政とは何の関係もない。それは財政とは完全に独立に決めるものだ。この政府支出の適正量は、税収とも借入能力とも全く関係がない。その二つは単に公共の目的に資する政策実現のための道具に過ぎず、支出するしないの根拠にはならず、そもそも政府支出に必要な収入源でもない。

政府の役割がどうあるべきかについての細かい意見は本の後半になるが、安心してほしい、ビジョンとしては基本的な公益基盤に集中する、今よりずっと合理的で効率的な政府だ。幸いなことに、それを容易に成し遂げる、ものすごく賢明な方法が存在する。規制をはるかに小さくしても、公的目的をより良く推進するために、市場の力を導く適切なインセンティブを導入することは可能だ。結果として世界にうらやましがられる政府と文化ができるだろう。私たちのアメリカ的価値、つまり、真摯な労働やイノベーションの奨励、平等な機会の提供、公平な結果、真の誇りをもって遵守される法と規制といったものを表明する政府になるだろう。

少し脱線した。税金はどのくらい必要かという問題に戻ろう。もし政府が単純に政府に必要なものだけを買おうとし、私たちから購買力を奪わなかったら、つまり税を取らなければ「少な過ぎるモノを多すぎるお金が追いかける」ことになりインフレになるのだった。実際のところは、そもそも税がなかったら、国の貨幣でモノを売ろうという人がいなくなるというのは先に論じたとおりだ。

こういったインフレを起こさないように政府が支出をしていくためには、政府は徴税によって私たちの購買力をいくらか除去しなければならない。何かに支払うためではなく、支出がインフレを引き起こさないようにするためだ。経済学者ならこんな風に言う。税の機能は収入を増やすこと自体ではなく、総需要を統制することにある。言い換えれば、政府が私たちに税を課し、私たちのお金を奪うのはインフレを避けるためであって、支出するためのお金を獲得するためではない。

再度言う。税の機能は経済を統制するためであって、議会の支出のためのお金を得るためではない

そして、これも再度言うが、政府はドルを持っているわけでも持っていないわけでもない。政府は単に私たちの銀行口座の数字を増やすことによって支出し、減らすことによって徴税している。こうした行為は、経済を統制するという公共の目的のためと考えられる。

しかし、政府がこの「命取りに幼稚な嘘」の第一番、「政府が支出をするためには、まず税金や借入によって資金を調達しなければならない」を信じ続ける限り、産出と雇用を制約する政策が支持され続けていくだろう。そうやらなければ素晴らしい経済的結果など、容易に達成できるのだが。


  1. いま心の中で疑問がわいたと思う。それにはこの本でもすぐ後でも答えるが、ここに簡単に書いておく。

    疑問:政府が支出のための税を必要としないなら、いったいどうして税を取るのか?

    答え:政府が税金を取るのは、経済学者が「総需要」(「購買力」をカッコよさそうに表す言葉)と呼ぶものを調整するためだ。簡単に言えば経済が「加熱しすぎている」時には税を増やすことで冷やし、「低迷しすぎている」時には税を減らして温める。税は支出のためのお金を得るためのものではなく、購買力が強すぎてインフレになったり、弱すぎて失業や不況を招いたりすることがないように調節するためのものだ。
    []

  2. 準備預金の会計を理解している人のために。FEDは準備預金を加えずしてそれを除去することはできない。それでは決済日に国債残高が増えていた時にFEDがやることは何か?レポ取引を行う。金融システムに資金を提供し、国債を買わなければならない。そうでなければ国債を買う資金がないので、銀行は資金不足に陥ってしまう。ここでFEDにおける資金不足とは何だろう?機能の面では、それは政府からの借り入れだ。それゆえ、いずれにしても国債を買うために使うお金はいずれにしても政府自身に由来するということになる。税を支払うにせよ国債を買うにせよ、その資金は政府の支出に由来しており、政府の支出がまずあって、次に徴税や借り入れができるようになるという順番だ。 []
  3. 金融システム内部ではどうなっているかについてのメモ:
    小切手を切ることで政府に納税をするとき、政府はあなたの銀行がFEDに持っている準備預金口座から引き落とす。準備預金は民間部門では生み出せず、FEDに由来するしかない。もしあなたの銀行が準備預金を持っていなかったら、あなたの小切手はその銀行の準備預金不足となる。準備預金不足はFEDからの借り入れに他ならない。したがって、いずれにしても政府に支払うための資金は政府にのみ由来している。 []
  4. ここで思い出してほしいのが、州政府や地方政府は、連邦政府のようなドルの発行者ではなく、ドルのユーザーだということだ。地方政府は私たちと同じ位置にいる。いずれも小切手を切る前には銀行口座に資金を用意しておかないと破産してしまう。親と子の比喩で言えば、地方政府は与える前に獲得しておく必要がある子供と同じ位置にある。 []
  5. バラク・オバマ大統領から引用 []