失業の背後にあるもの-21世紀において私たちが戦うべきもの by François Côté-Vaillancourt

こちのゲリラ翻訳です。http://induecourse.ca/what-hides-behind-unemployment-what-should-we-fight-for-in-the-21st-century/

このところ数週間は頭の中で次の議論を楽しんでいた。これについて皆さんがどう考えるか教えてほしい。
去年は、左派のみならずトランプの熱い弁舌という燃料もあって多くの人々が反貿易の議論を口にした。特に、貿易は米国やカナダの工業職の減少の原因となっていると批判された。しかし真実は、この数十年のオートメーション化と情報技術による効率の向上に比べれば、貿易の役割ははるかに小さいのではないだろうか。多くの人々は事実と向き合おうとしないが、米国は歴史上、今ほど多く工業製品を生産していたことはなく、しかも以前より少ない労働者でそれを成し遂げている。

次の概念的な例で考えよう。

  • 20年前、200人の労働者で200台のトラクターを生産していた。
  • 現在は、効率化により、150人の労働者で210台のトラクターを生産できるようになり、50人が解雇された。

より少ない労働でより多く生産できるようになったことは、ある面喜ばしいことだ。反面、このことによって50人が職を失い貧困に追い込まれた。彼らとその家族は次の職が見つかるまでひどい環境に取り残されだろう。職にありつけた者も、それが再び将来の成長が約束され再教育が与えられるようなものであることは稀だろう。

ここで私としては、失業そのものと戦うのではなく、富裕層への増税の方が重要なのではないかと提案してみたい。増税と失業労働者と何の関係があるのか? 上の例で言えば、より多くのトラクターをより少ない費用で製造できるようになるときの利潤を受け取るのは、仕事を失った50人でない。また、残った150人でもないことは明らかだ(過去10年、大幅な経済成長にもかかわらず、ほとんどの労働者の実質所得の向上は滞っている)。つまり利潤を得たのはオーナーたちだ。オーナーたちはよりたくさん働くようになったわけではなく、市場戦略を改善したのでもなく、天才的な洞察が増えたというわけでもない。単純に効率向上の利潤をオーナーがすべて刈り取ることが許されているわけだ。

以上が、現代においては税と再分配が特に大事だとする理由だ。私たちは、オーナーたちが効率向上からの利得を得続ているかどうかをきちんと確認する必要があるだろう。そして、それが労働者にも回っているかを確認する必要があるだろう。そしてもっと大事なこととして、効率向上の犠牲となって職場を追われた人々が何もない状態で取り残されていないかどうかを、だ。彼らは現に「働かない」ことによって利潤の犠牲になっているのだから。

右派の政治家たちは、失業者への再分配は怠惰を促進し国力を弱めると主張してきた。しかし現実として、工業セクターの効率向上による利得は、働く意思はや才能とは無関係に、人々をますます労働から締め出すという結果になっている。これは過去数世紀に農業セクターで起こったことと同じではないか。

完全雇用というものは、結局のところ目的に据えるべきものではないではないのだろう。消費者は今の二倍のトラクターを持ったり、毎週新しい携帯電話を買ったりする必要はないのだから、人々がモノやサービスをそこまで生産して市場に供給するべきでもないのだろう。言い換えれば、現代において我々の効率の水準は十分高く、「全員での生産」よりも、むしろ「労働の減少」を志向すべきものになっている、と言ってもいいだろう。失業とは、正しく扱うことさえできれば、それは経済的・政治的・倫理的な失敗などではなく、むしろ我々にとって良い指標になる得るのかもしれない。

また、あらゆる兆候が、21世紀は生産が最大になる一方、失業も高くなるだろうとしている中ではこの問題が特に重要なのだろう。そうなるのであれば、労働から締め出されている人々を補償するための税は大きな意味を持ちうる。より良い経済をはぐくむため、また社会正義のため、また犯罪や不安定さや暴動―これらは社会の富へのアクセスを持たない人々が増えれば増えるほど起こりやすい(ほとんどの国々は年々豊かになっているにもかかわらず人々の多くがその富と分断されていることを忘れてはいけない)-を防ぐために。

だから、右よりの人ならば、失業者をさらに遠ざけようとするよりも、彼らが犠牲になっているということをまず認識すべきであるし、左よりの人ならば、不必要な仕事を創出したり守ったりするだけのために空しく戦うよりも、何百万人もの失業を避けられないものとして、それに耐えられるような制度を作ることに注力するべきだ。

今こそ時代の脈動を見極め、富の強力な再配分のため、そして「働かない人は怠け者であり賞賛には値しない」という考え方を見直すために戦う時だろう。もしも富の再分配のあり方が経済の変化に追いついていたならば、素晴らしい効率性向上による利潤が私たち皆のものになり得るにもかかわらず、今の私たちの多くはそれに気づかず、盲目的に完全雇用という幻想を追いかけたり、中国や貿易を非難したりしてしまっている。利潤の共有は再分配によってしか実現しないのにもかかわらず。