以下の文は、Chris House,”Why Are Physicists Drawn to Economics?“(Orderstatistic, March 21, 2014)の翻訳になります。
今度の金融危機の前ですら、経済学の大学院への進路を取る物理学科出身者は常に驚くほどの数がいた。これらの数学ないし物理学科出身の人々の多くは単純にもはや物理学が好きではないと結論付け、その代わりに経済に興味を持ったのかもしれない(さらに言えば、経済学の博士号所有者の就職市場は物理学の博士号所有者よりもずっと給料が高い)。だが、私は、その中にはこの分野に関して間違った認識を抱いてやってきたものもいるのではないかと疑っている。数学ないし物理学の素養のある学生は自分が典型的な経済学者よりも数学的能力に優れていて、ほとんどの経済学者よりも統計的スキル、計算スキルの面で優れていると容易に信じ込んでしまう。彼はその優れた数学的、計算的能力によって、経済学の世界に入ってすぐに、そして簡単に活躍できると考えているのかもしれない。 1 あるいは、彼は物理学の確立されたモデルやテクニックを簡単に改変することで、教授たちの注目を集められると予想しているのかもしれない。
もしあなたがそういった人々の内の一人なら、私がその考えの間違いを正してあげよう。あなたの数学的能力は実際にはほとんどの経済学者よりそれほど優れたものではない(少しでも優れていたとしての話だが)。あなたがこの学問を習得するのには膨大な時間が必要だし、実際にこの分野に貢献できるようになるまでの道のりは長く険しい。十中八九、意味ある経済学的帰結を生み出せるような物理学(工学でも化学でも…)の既製のテクニックやモデルなどほとんど存在しない(たぶんゼロ)。高度な手法やアプローチは、それがシンプルかつ直接的な方法で説明できた時にのみ価値を持つ。
経済学は数学的なツールやテクニックが不足しているために停滞しているのではない。物理学者(あるいは数学者でもなんでもいい)が、経済学者は「正しい数学的テクニック」を使う必要があると話しているのを聞くと、私は彼が経済学の本当の主要な問題や疑問点を全く理解していないと即座に考える。
例えば、エリック・ウェインステインは、どういうわけか、選好の不安定性が経済学の重要な問題点だと確信してしまっていて(実際にはそうではないのだが)、ゲージ理論を経済学に適用することこそが進歩につながると考えている。私はゲージ理論に関しては何も知らないのだが、それが経済学にとってほぼ何の足しにもならないことは賭けてもいい。もしエリック・ウェインステインが共有したいと思うような何がしかの素晴らしい洞察を持っているのなら――私のところに来ればいい。私は彼の話を聞くだろうが、それはそこで使われている数学が難解なためではない。理解するのが難解だという事実は、それが注目に値することを意味しない。エリック・ウェインステインは完全に善意なのかもしれないが、彼がしゃれた数学を知っているという理由で、経済学者は彼の研究に信認を与える義務があると考えているのなら、彼は痛ましいほど間違っている。
もう一つの例として物理学科出身でThe Physics of Financeというブログを書いているマーク・ブキャナンを取り上げてみよう。マークは純粋に経済学、特にマクロ経済学に興味があるようだが、この分野の問題点をよく理解しているようには見えない。彼は最近のブルームバーグのコラムで、経済学に多元主義の新時代を求めている:
マクロ経済学者は神経科学や技術工学と同じように、社会学や心理学など他の分野の語り口を学ぶべきだ。
このように多元主義に訴えかけるのは、それを訴えかけている人物のアイデアが大して役に立たないことのサインであることが通例だ。もし良いアイデアがあるのなら、話を聞いてもらうのに優遇措置は要らないはずだ。確かに、新たなアイデアやテクニックはしばしば体制からの敵意に遭遇するが、そのアイデアが外部の分野から来たということは話を聞く理由にはならない。話を聞く理由となるのは(そんなものがあったとしてだが)、そのアイデアの良さにかかっている。
リー・スモーリンも経済学の水の中を歩いている(少なくともかつては)物理学者の一人だ。スモーリンは物理学者らしく明らかに凄く頭がいいし、良い問いを立てるのだが、それは学部生レベルで頭のいい問いかけだ。スモーリンによると、新古典派経済学の「よく知られた失敗」は複数均衡の可能性と均衡が経路依存的になる可能性だ。マーク・ブキャナンと同じように、スモーリンは他の分野(そういう分野の一つとして、彼は『複雑系』を挙げている)からの研究者が経済学を前に進めるために必要だと考えている。彼は明らかにファイナンス理論を直接熟知しているわけではないのに、今度の金融危機に関連して、経済学の現状の診断を提示する用意をしている:
アウトサイダーとして言わせてもらえれば、全てが悲惨な状態だ。それが(ファイナンス理論はその理由の一つとされた)数十年も市場や交易の規制が撤廃されてきた理由だ。人々が議会や大統領府に行って、経済は規制無しのほうが上手く行くと主張した時には、経済学がその科学的根拠とされたが、それが経済を非常に不安定なものにして、先の経済危機へと追い込んだ。
流行りの数学がしばしば経済学に現れるものの、それが具体的な価値となるまで長続きすることはめったにない。カオス理論はすぐに経済学に持ち込まれたが、経済学にほとんど何の価値も生み出さなかった。神経ネットワーク、エージェント・ベース・モデル、経路依存均衡、結び目理論などなど。印象的に聞こえるテクニックのリストは長いが、これらのテクニックと関連する成功例のリストは決定的なほど短い。
もちろん逆の例もある。経済学への微積分学の導入は大きな前進の代表例だ。元々1940,50年代にリチャード・ベルマンによって開発された動的計画法は今日の経済学で最も使われている数学的ツールの一つだ。著名な数学者であるジョン・フォン・ノイマン 2 は初期ゲーム理論の立役者の一人だし、他にもその例はある。だが、アルフレッド・マーシャル、リチャード・ベルマン、ジョン・フォン・ノイマンのような例はそれほど挙がってこない。
もしあなたが物理学者で、経済学を修めたいと思うのなら、長く困難な道に取り組む用意をしておいたほうがいい――それはこの学問に本当に興味がある場合にだけ続ける価値があるような道だ。手に届く所にある果物などそれほど多く存在するわけではない(ローンズ・スミスがかつて言ったように、庭の真ん中に手に届く所にある果物など存在するわけがない!)。ナヴィエ-ストークス方程式を理解できるからと言って、『インサイド・ジョブ 世界不況の知られざる真実』を見ただけで経済学の世界に飛び込んで成功するなどとは考えないことだ。
追記:Yushin Hozumiさんの指摘により訂正しました。