「制度と起業家精神 ~ジュジュに立ち向かう起業家~」 by Tim Schilling

以下は、Tim Schilling, “Institutions and Entrepreneurship”(MV=PQ: A Resource for Economic Educators, November 19, 2010)の訳。


このブログの定期的な読者はご存知のように、私は経済制度といったアイデアに興味を抱いている。これまで経済学の分野では、「制度とは『ゲームのルール』のことである」、と定義されてきた。もっと具体的には、制度とは、個々の行動に関するインセンティブを形作ることを通じて人々の意思決定に影響を与える一連のルールならびに組織(organizations)-フォーマルなものであれインフォーマルなものであれ-のことを指している。そこには、成文化された法律や自生的に生成された行為規範、そして文化的な信念(cultural beliefs)までもが含まれる。本日のエントリーの主題は最後にあげた文化的な信念である。

本日のウォール・ストリート・ジャーナルでナイジェリアのバイクタクシーの話題が取り上げられている。具体的には、ナイジェリアのバイクタクシーがいかに危険であるかが主題である。ナイジェリアではバイクタクシーの事故があまりにも多いために、各病院にはバイクタクシー事故での負傷者向けに専用の病棟が用意されているほどだという。

これまでにも事故を防ぐために(あるいは事故に遭った際の負傷の程度を抑えるために)バイクタクシーの乗客にヘルメットを被ってもらうよう何度か試みられたが、うまくいかなかった。その主たる理由は迷信(文化的な信念)にある。ナイジェリアの多くの人々の間では、ヘルメットと自分の頭が接触することで(自分の前の乗客がヘルメットに込めたかもしれない)邪悪な「ジュジュ(精霊)」(”juju”)の呪いにかかり、そのために恐ろしい出来事に巻き込まれてしまう、と信じられているのである。邪悪なジュジュの呪いにかかると、この世から突如として消え去ったり、脳を失ったり、運を吸い取られてしまう恐れがある、と広く信じられているのである。人々がしばしば悲劇的な結末をもたらす選択を行う[1] のは、(迷信を通して)「認識された」コスト[2] が(迷信を通して)「認識された」便益[3] を上回るからである。邪悪なジュジュの呪いを巡る迷信の下で人々は「論理的な」(”logical” )選択をしているわけである。

ここでとある起業家の登場である。この起業家はヘルメットと頭の間に敷くことができる布帽子を開発したのであった。布帽子を被ればヘルメットと頭が直接接触することはなく、その結果、文化的な恐れ(ジュジュの呪いに対する恐れ)が和らげられることになる-皆が皆そうというわけではないだろうが-。衛生面の問題など他にも色々と問題はあるものの、重要なポイントは次の点にある。その地域に特有の制度的要因[4] の理解を通じて、新たなマーケットを発見し開拓することが可能となった、ということである。数多くの安価な競合品の存在-例えば、ハンカチ-を考えると、彼が今後どれだけの成功を収めることになるかはわからない。今後ライバル企業が続々と参入してくる可能性もある。ともあれ、この事例は、制度と起業家精神との関わりを巡る興味深いケースであることだけは間違いない。

  1. 訳注:ヘルメットを被らない []
  2. 訳注;ヘルメットを被ることに伴うコスト []
  3. 訳注;ヘルメットを被ることに伴う便益 []
  4. 訳注;ここでは邪悪なジュジュの呪いを巡る迷信 []