「『伸縮性のパラドックス』? 『無能な中央銀行』?」 by David Beckworth

以下は、David Beckworth, “A Paradox of Flexibility or Central Bank Incompetence?”(Macro and Other Market Musings, July 17, 2013)の訳。


ポール・クルーグマン(Paul Krugman)マーク・ソーマ(Mark Thoma)が揃って次のように語っている-今回がはじめてというわけではないが-。「不況が続く中で名目賃金の伸縮性を高めることには反対だ」、と。彼らの主張はこうだ。不況下において名目賃金の伸縮性が増したとしても、労働市場における不均衡[1] の是正が促されるわけではない。むしろ、名目賃金の伸縮性が増すことになれば、賃金のカットが進み、その結果人々が手にする所得が一層減少することになるだろう。そして、所得が減ればそれに伴い支出が減って、足許のデフレ圧力が一層強まる結果となることだろう。それゆえ、政策当局者は名目賃金の伸縮性を高めることを意図した改革提案の甘い声に耳を傾けるべきではない。

このいわゆる「伸縮性のパラドックス」( “paradox of flexibility”)の起源はジョン・メイナード・ケインズ(John Maynard Keynes)にまで遡ることができるものである。その後ジェームス・トービン(James Tobin)によってその正当性が認められ、現在でもガウチ・エガートソン(Gautti Eggertson)のような優れたニューケインジアンによって支持が与えられている。このように「伸縮性のパラドックス」に関しては脈々と受け継がれる由緒ある伝統を見出すことができるわけだが、このパラドックスは大きな問題を抱えている。このパラドックスでは「中央銀行は無能だ」との想定が置かれているのである。実のところ、賃金がカットされることでデフレならびに総所得の持続的な減少がもたらされるのは、中央銀行がそのような状況の発生[2]許す受け入れる放置する)(allows)ために過ぎない。この点は他ならぬエガートソンとその共著者らによって論証されているところである。彼らの2012年の論文(pdf)から引用しよう。

総需要ショックについて考えてみることにしよう。我々が本論文で明らかにしたところでは、名目価格の伸縮性の増大が経済の不安定化をもたらす上では次のようなキーとなる条件が成り立つ必要がある。それは、インフレの変動に際して中央銀行が名目金利を十分なだけ積極果敢に変化させない、というものである。直観的には次のように言うことができるだろう。インフレ期待の不安定な動きを前にして中央銀行が(インフレ期待の安定化を実現するべく)名目金利の積極的な変更(引き上げ・引き下げ)に乗り出さないとすれば、名目価格の伸縮性が高まる結果としてインフレ期待の不安定化がもたらされる可能性があるのである。

つまりは、ここには「パラドックス」など存在しないのだ。存在するのは昔ながらの「政策の失敗」なのである。このことは経済がゼロ下限制約下に置かれていようが[3] 同様に言えることである。というのも、ゼロ下限制約下であってもデフレの回避を可能とする(金融政策ならびに財政政策上の)政策オプションが存在するからである。実のところ、Fedが過去4年間にわたって実施してきた欠陥を抱えた(完璧とは言えない)政策対応でさえもデフレの回避に成功してきたのである。過去4年間においては構造的財政赤字が縮小傾向にあった[4] ものの、そのような中にあってもFedの政策を通じてデフレが回避されるとともに、名目所得のプラス成長が達成されることになったのである。そうだとすれば、どうして名目賃金の伸縮性の増大に頭を悩ます必要があるのだろうか? Fedのこれまでの実績を考えれば、名目賃金の伸縮性を高め、その結果として相対価格の調整機能を改善するような制度改革は何の問題にもならないはずである。Fedはもっとうまくやるべきだった[5] というのはその通りである。しかしながら、そのことと「Fedは『伸縮性のパラドックス』が成り立つように物価の下落と名目所得の減少を許容するだろう」というのとはまったく別なのである。

中央銀行が有能だとすれば、名目賃金の伸縮性の増大は総雇用ならびに総所得の成長と何ら矛盾することはない。さらには、金融緩和に名目賃金の伸縮性の増大が伴うことになれば、金融政策単独の場合よりも一層速やかな景気回復が実現することになるかもしれない。それというのも、今回の不況は非常に長い期間にわたって続いているため、多くの循環的な失業が構造的な失業へと転換を遂げてしまった可能性があるが、名目賃金の伸縮性を高めるような労働市場の改革は構造的な失業の解消を助ける可能性があるからである。こと名目賃金の伸縮性に関しては、ケーキを手元にとっておきながら同時にそれを口にする[6] ことができるかもしれないというわけである。

  1. 訳注;労働の超過供給=失業 []
  2. 訳注;デフレならびに総所得の持続的な減少 []
  3. 訳注;政策金利(名目短期金利)の引き下げ余地がなかろうが []
  4. 訳注;財政政策のスタンスが緊縮気味であった []
  5. 訳注;過去のFedの政策には改善の余地があった []
  6. 訳注;二兎を追う []