経験豊富なルービンシュタインが「迷える」経済学徒に送る十のアドバイス by ARIEL RUBINSTEIN

以下は、Ariel Rubinstein “10 Q&A: Experienced Advice for “Lost” Graduate Students in Economics“(THE JOURNAL OF ECONOMIC EDUCATION, 44(3), 193–196, 2013)のうち、Q1,3,5,8,10の訳です。himaginaryさんがQ2,4,6,7,9を訳していたものを面白いと思ったので、残りも訳してみました。誤訳等あれば御指摘頂けると幸いです。

Q1.博論のアイデアが全く浮かばず、絶望しています。どうすればよいでしょうか。

まずはするべきでないことから話そう。自分の専門分野のゼミにたくさん出席してはいけない。そうしないと、単に既存の文献にコメントを付け加えることに終始してしまう。そしてそうした文献も大部分は過去のくだらないコメントに対するコメントで出来上がっているのだ。
良いアイデアがほしいのであれば、自分の周りの世界を見回してみたり、異なる分野の授業を取ってみなさい。私の学位論文(モラルハザードと無限期間の場合におけるプランパルエージェント問題に関する私の1979年の論文のように)の幾部分かは法律の授業中に夢うつつに思いついたものだ。

Q3.もう30ページも書きました。何度も繰り返しを使い、証明は必要以上に長いです。可能な限り不確定要素を散りばめ、離散型からバナッハ空間にも手を広げました。指導教官はそれでも評価外だと言っています。論文をどれだけ長くすれば良いのでしょうか。

良いアイデアがないのであれば、そのまま続けなさい。最低でも行間なしで60ページ以上にしなさい。誰もその論文を読まなくなるだろうから、クウォータリー・ジャーナル・オブ・エコノミクスやエコノメトリカに掲載される少なくともチャンスがある。
もし本当に良いアイデアがあるのであれば、行間空けで15ページ以内に収めるほうがいいだろう。それ以上の分量に値するような経済学の論文を私は見たことがないし、それは君の論文も例外ではない。
経済学の論文が長いというのは事実だが、それらのほとんどは死ぬほど退屈なものだ。エコノメトリカの50ページの論文を読み、その上で正気でいられるような人間がいるだろうか。だから短い論文を書くことで世界に貢献しなさい。新しいアイデアに焦点を絞り、証明を最低限に抑え(そう、それは可能なのだ!)、馬鹿馬鹿しい拡張は避けて、そしてエレガントに書こう。

Q5.昨日の午後おかしなことがありました。私は、私の学部を訪れた著名な経済学者と労働市場に関する私の論文について議論をしていたのです。私は緊張していましたが、彼はとても親身で礼儀正しかったです。彼は私のアイデアを褒めてくれましたが、その後に彼自身も同じような考えをずっと昔に思いついていて、アメリカン・エコノミック・レビューに掲載された彼の有名な論文ではそれについて脚注で触れてさえいるというのです。非常に恥じ入る思いでした。私の論文は穴を掘って埋めてしまうべきでしょうか。

ちょっと待ってほしい。私はその著名な経済学者が誰かは知らないが、自分の同業者の間を徘徊するそうした人物を何人か(その中にはそんなに著名じゃないものもいる)知っている。もちろん万が一そいつが本当に正しくて、君のアイデアが彼の論文に何年も前に既に触れられていたかどうかは確かめなければならない。きっと君はあらゆる関連キーワードを使ってGoogle検索をして、何十もの関連文献を読んだことだろうが、もしかしたら君は読むべき文献を本当に見落としていたのかもしれない。
しかしながら、その経済学者はその経歴の中であまりに多くのアイデアを思いついたものだから、今は少しばかり頭がこんがらがっているということが十分にありえる。だから、君のアイデアがあまりにも素晴らしかったので、彼は自分が君よりも前に考え付いていたはずだと思い込んでしまったと光栄に思いなさい。そしてもっと重要なのは、この不愉快な経験から教訓を得ることだ。20年かそこらの後、君が大学院生に教えを請われるほどに有名になった時、君は学生たちが持ってくるアイデアを自分が既に考え付いていたと絶対的な確信が持てることはないはずだ。

Q8.就職面接で大失敗してしまう心配をすべきでしょうか。

そうだね。。。ただちょっと私自身の話をさせてもらいたい。私は従来型の「労働市場」に参入したことはない。しかし1979年に私がエルサレムのヘブライ大学で博論をほぼ書き上げつつあったとき、何人かの教授は折よくイスラエルを訪れたアメリカの教授に私を紹介することで助けてくれようとしていた。そのうちの一人がフランクリン・フィッシャーで、彼はMITのシニア教授で、エコノメトリカの編集者も務めたことがあり、当時の業界内の顔だった。エイタン・シェシンキはハヌカー[1] のキャンドルライトイベントを催した折に私を招き、他の招待客が訪れる1時間前にフィッシャーと会う機会を作ってくれた。私はフィッシャーとリビングの隅のコーヒーテーブルについた。1時間のうちの半分で、私は当時書き上げていた8つの論文の要約を彼に話した。フィッシャーは辛抱強く聞いてくれた。そして彼は私にMITについて聞きたいかと尋ねた。正直なところ私はそんなことよりもこの耐え難い状況から可能な限り早く抜け出したかったのだが、拒むことは出来なかった。だから私は「はい」と言い、フィッシャーは「私たちはMITで教えており、そして私たちは英語で教えている」と言ったのだ。

Q10.結局のところ、まじめに答える気はありますか?

もちろん、ここでこれまで述べてきたことは大まじめに言っている。だが最後のコメントを付け加えさせてもらいたい。自分たちが地球上でもっとも優遇された部類に入っていることを忘れないように。社会は君に素晴らしい機会を与えた。何でも好きなことをしてよいし、新しいアイデアを考え、自分の考えを自由に表明し、自分のやりかたで物事を行い、おまけにそうしたことをすることで素晴らしい見返りを得ることもできる。こうした特権を当然のものと思ってはいけない。私たちはとてつもなく幸運なのであり、そのお返しに何らかのことをしなければいけないのだ。

  1. 訳注;ユダヤ教の年中行事の一つらしいです。 []