お金を寄付するには by Tim Harford

7月12日にFinancial Timesに掲載されたTim HarfordのHow to give money awayの訳。誤訳の指摘お願いします。


世界の何不自由ない人々はどうやって貧しい人を助けるべきだろう? 私たちはダムや鉄道、道路を建設することができる。私たちは教育や公衆衛生に資金を提供することができる。私たちは関税を下げ、彼らが私たちにものを売れるようにすることができる。私たちは彼らに適切な経済政策について助言することができる(そうだそうだ)。もしくは、私たちの助けが益より害になりそうだということで彼らを放置しておくこともできる。

しかしここに代替策がある: 彼らにお金を渡すだけというのはどうだろう? そんな頭にガツンとくるわかりやすい計画であるがゆえに、ここ数年までどちらかというとほとんど注目されてこなかった。最近まで、直接最貧困層に達するのは難しかった。生活保護が全ての本当に必要としている人々にだけ行き渡ることを確かめるのはイギリスでも十分難しい―アフガニスタンではさらに難しいのは道理にかなうことだろう。

これまでのところ、私たちはそのかわりに貧困国の政府に金銭を与えることで手を打ってきた。それはしばしば、よいものにお金が使われるのを確かめることを狙ってひも付きだった。しかしそれらのひもは切られうる。あなたは病院のために支払っていると思っているかもしれないが、保健大臣が単にあなたの援助金を病院を建てるのに使っていてもいい加減に建てただろうし、彼自身の予算から金を盗めば、あなたは実際には彼のモナコの高級マンションに払っているだけなのだ。

しかし今なら、私たちは貧しい人々の仮想ポケットに現金を詰め込むことができる。多くの最貧困層は携帯電話を持っているか電話にアクセスできる。インド政府は全員にID番号を与えるという巨大プロジェクトに乗り出している。GiveDirectlyは、定評のある携帯電話バンキングシステムのM-Pesaを使って、ケニアの貧困家庭に直接寄付を届ける慈善団体だ。

しかし直接現金給付は望ましいのだろうか? 多分そうだろう。まさに直接現金を送付してくれそうな取り組みの欠如は実際に事を簡単にしてくれるかもしれない。例えばマラウイの例を取ると、マラウイの低い生活コストを調整してもなお8割以上の人々は1日に2ドル以下しか稼いでいない。もしその国の全員に50ドル与えたときに少数の豊かな人々も利益を得るとしたら、何を損なうというのだろう? 理性的な人々がなぜブリストルやバーンスレイの貧しい人々は貧しいのかについては議論できるのだとしても、なぜマラウイの貧しい人々は貧しいのかについて疑問の余地はない: 彼らがマラウイに住んでいるからだ。余分のドルを与えられれば、彼らがお金の良い使い途を見つける可能性は高いと思われる。

多くの研究で、貧しい起業家が現金助成を受けたときに彼らはなんとか高利益率―典型的なものは年率40〜80%―を達成することがわかっている。新しい無作為試験が現在ウガンダで行われていて、それを更に推し進めて、特定の職に一切就いていない農村の若者に現金を与えている。

今ではクリス・ブラットマン、ネイサン・フィアラ、セバスチャン・マルティネスによるワーキングペーパーとなっている研究では、ウガンダ政府がランダムに選ばれた若者に1万ドルを渡したとき何が起きるのか調べた。1人あたりこれらの助成金は当事者の若者たちの年収の2倍近くだった。ブラットマンと彼の同僚は次にその後の4年間で対照群と比較して何が起きるのかを見た。彼らは単に現金を使ってしまっただろうか? それともそれを投資する方法を見つけただろうか?

結果は勇気づけられるものだった。これらの若者はしばしば大工や美容師のような新しい技術職に就いたのだ。稼ぎははっきりとよくなった。リターンは現金に制約のあった比較群と比べて特に若い女性で高かった。そしてブラットマンが彼のブログで指摘するように、これは単に少数の貧しい人々を救うことについてだけではない。これは1度に助成金を受け取ることに資金を提供することで農村労働から技術職へ移行する産業転換のプロセスにつながるということなのだ。全ての中でもっともわかりやすい方法で貧しい人々を救うことは魅力的に見え始めている。

  • 227thday

    翻訳お疲れ様です。細かいことですが、1点だけ。
    第五パラの”And while reasonable people can argue about why poor people in Bristol or Barnsley are poor, there’s no doubt about why poor people in Malawi are poor”というところの”while”は前段と後段を対比していて、(先進国であるイギリスの)ブリストルやバーンスレイの貧困の原因については議論の余地はある(can argue)けれども、マラウィの人の貧困の原因は明らか(no doubt)で、彼らがマラウィに住んでるからだっといったような趣旨かと思います。なので、その辺の対比を訳に出されたほうがいいかなと思います。

  • http://www.gkec.info/ Masahiro Nishida

    ご指摘ありがとうございます。
    whileは譲歩の意味合いでしたか。「ブリストルやバーンスレイの人々が貧しい理由は明らかなんだからマラウイなんか明らかに決まってる」といった意味合いかと思ったのですが、誤解だったようです。