サムナーの貨幣入門短期講習4「貨幣とインフレーション、その2(不換貨幣の価値とは)」

サムナーの Short intro course on money (全9回)を紹介しています(第1回第2回第3回)。これは第4回の”Money and inflation, Pt. 2 (Why does fiat money have value?)“(20. March 2013)です。


前回は、金本位制からのゆっくりとした離脱の歴史をさかのぼった。商品貨幣の時代、人類は金および貨幣という二つの会計媒体を開発した。両者が会計媒体たるためには一方から見た他方の価格が固定されていなければならない。1968年、金価格が上昇し始めると同時に貨幣だけが会計媒体として残ることになった。金は単なる一商品に過ぎないものになったのである(銀は1800年代にそうなった)。

不換貨幣の価値はどこにあるだろうか?この問いは微妙に異なる二つの問題に分けられる。一つ目は社会が会計媒体というものを持つことの価値は何か。もう一つは会計媒体はどのように価値を持つのか? 会計媒体には一般に交換媒体としての役割と価値の保蔵の役割もある。ある一種類の資産がこれらの役割を有していることにはどれだけの価値があるだろうか。交換媒体の価値はGDPの1%程度に相当し、価値保蔵媒体としての価値はGDPの1~10%程度だ。その理由は? 伝統的に会計媒体には利子がつかないので通貨全部を所有した時に将来受け取る利子の現在価値が単純に通貨全部の価値に相当する。そして実際に通貨の量はGDPの2-11%の範囲に収まっている。

つまり名目金利が5%、貨幣量が1兆ドルとすると、貨幣全量を所有するコスト(機会費用)は500億ドル/年の利息を払うのと等しい。名目金利は通貨が提供する流動性サービスのフローであると見ることができる(税回避サービスのフローも含んでいるけれど)。500億ドルをこの永続サービスの5%で割るとこのフローそのものの現在価値が産出され、それは1兆ドルとなり貨幣量と一致する(訳注:ここ、読者は「現在価値」の初歩知識があった方がいいですね)。

貨幣は「本質的には無価値だ」と言われるがこれはどういう意味だろうか。金や銀の場合は会計媒体として以外に他の生活上のいろいろな分野で重要な価値を持つのに対し、貨幣は仮に会計媒体の役割を失うと無価値になるということが(例としては南北戦争前の南部政府貨幣)。すると次の疑問が生じる。貨幣システムに価値があるのは理解したが、ある特定の資産だけが貨幣と見做されるのはどう説明されるだろう?何が貨幣に価値を与えているだろう?これについてはいくつかの理屈がある。それぞれの理屈は互いに排他的なものではない。

1. 貨幣は名目価格が固定なので(国債と異なる)取引に便利だ。小銭を扱えるという利便性がある(国債と異なる)。小さい単位の私的通貨の発行は禁止されている。

2. 社会契約・ネットワーク効果の焦点のようなもの。他の人々がそうしているが故に人はそれを貨幣として受け入れる。

3. 非常時のバックアップという面がある。例えば、仮に2047年に現金を廃れさせるような技術的な進歩が見込まれたとしても、人々は政府がハイパーインフレを許容するとは思わないだろう。政府はきっとキャッシュを何か別の実質資産と交換してくれるだろうと考えるだろう。このことはつまり、私たちが、政府がハイパーインフレを未然に防ぐために必要なことをするだろうという信用を持っていると考えることもできる。

4. 政府が税を通貨で支払って良いとしている。

5. 最後にMike Sproul氏に敬意を表し、通貨は中央銀行のバランスシートに計上されている資産に「裏付けられて」いるから。(訳注:Mike Sproul氏は通貨は厳密にそのように運用すべき、との立場の方なようです。)

これら五つの理屈が正しく、またこれらが同時に機能していることは明白だ。ここで貨幣に裏付けられた通貨から不換通貨への進化を具体的に述べてみることにも意義があるだろう。私は1928年の20ドル紙幣を持っている。見た目は1995年の20ドル紙幣とほとんど変わらない。それどころか今印刷されたばかりの紙幣にもかなり近い(20世紀のものはジャクソンの肖像画が少し小さいが)。ところが1928年と1995年の20ドル紙幣は根本的に異なるものだったのだ。1928年の人々は、ちょうど現代の私たちにとっての個人小切手と同じようなものとして貨幣を見ていた。「財務省(か銀行)へ持っていけば幾らかの金と交換してもらえる特別な紙切れ」というわけだ。1928年の「リアルマネー」は金だった。1990年ならば小切手を銀行に持っていけば貨幣という形の「リアルマネー」と交換できた。金融システムはこのうような一段階進化を遂げたのである。1928年に負債と考えられていたものはもはや負債とは見做されなくなった。今や現金は流動性の究極形である。現金はもはや現金以上に流動性のある別のものと交換することはできない。

金本位制の時代の人々は決済に金を用いることはほとんどなく、たいていは紙幣やコインが用いられていた。このように人々は貨幣を「リアルマネー」と見做すことに慣れて行っていた。金の会計媒体としての役割に終止符を打った1968年の決定はインフレーションを研究する経済学者にとっては極めて重大な事件だが、人々にはほとんどどうでもいいことだった。人々の生活の中ではそのとき既に貨幣は唯一の「リアルマネー」と見做すことがあたりまえになっていた。外観が非常に重要だ。それが貨幣と見なされれれば、それが貨幣なのである。

この観点からは「社会契約ないしネットワーク効果」の説明で十分かもしれない。が、他の要因、たとえばそれを暗黙に裏付ける安定的な金融政策などが背後に隠れていることも明らかだ。人々がもし2014年(来年)のハイパーインフレ政策を予想したならば貨幣の価値はたった今崩壊するだろう。

このエントリは長くなりすぎたので貨幣数量理論は次回にする。そこでは通貨の量というものを通じて中央銀行はどのように貨幣価値(と名目GDP)をコントロールしうるか、について見て行く。