財政派 VS マーケットマネタリスト ―ブロガー分類学― BY CARDIFF GARCIA

以下はCardiff Garcia “Fiscalists vs market monetarists, a bloggy taxonomy“(June 13, 2013)の訳です。誤訳等あれば御指摘頂けると幸いです。

なお、本エントリの内容にはクルーグマン邦訳 by沢ひかる氏)、サムナーノア・スミスなどがコメントしておりますので、御興味あるかたはそちらも御覧ください。


共通の敵が撤退する中、財政派とマネタリストという競合的で不自然な同盟関係の間で小競り合いが勃発している。

しかし経済危機後の学術界における戦場では、両者は大抵同じ側にいたか、少なくともお互いのやり口にけちをつけるようなことはなかった。

簡単に言えば、この論争は金利がゼロ下限にある中で、回復を加速させ危機前の成長トレンドに戻すための最善の方法に関するものだ。(金利がゼロ下限よりも上にあるとき、多くの財政派、特に新ケインズ主義者はマネタリストに戻る。)

考えてみよう。

-ポール・クルーグマンは流動性の罠に関する多くの学術研究に先鞭をつけた。彼は危機における財政政策の優位を説き、ゼロ下限における金融政策の根底となるのは主としてインフレ期待だと信じている。

ただ、FEDのバランスシートの拡大というセールスポイントのためではあるが、彼はそれでもNGDP目標の有用性を過去に認めている。そして彼は特に自らの著書において、アメリカの金融政策の無効性と同じくらいその控えめさを批判している。彼はただ財政政策は金融政策と異なり、「経済に対して直接的かつ即効性の効果を持つ」と信じているのだ。

-ブラッド・デロングもゼロ下限における財政による安定化を擁護する者たちのリーダーの一人だ。デロング&サムナーデロング&タイソンを読んでみてもらいたい。それでも彼もまたNGDP水準目標を支持している。(ただ、これらの点に対するデロングの考えは微妙なところがあり、また彼は都度これらの論点について再評価を行うという賞賛すべき習慣を有している。)

-マイク・コンクザルは、このところのディスインフレを示して、金融政策の期待チャンネルが本当に機能するのかどうかに疑問を呈している。彼は、金融政策が財政政策による悪影響を完全に完全に相殺できるということには懐疑的だ。

しかし金融タカ派の中に彼の名前を見つけるとことは出来ないだろう。全く正反対なのだから。

-カレン・ロシュは現代金融理論(MMT: Modern Monetary Theorists)の一派であるマネタリー・リアリズム(MR: Monetary Realists)の典型だ。彼はQEを良く思ってはおらず、金融政策が補助 (訳注;≒財政政策)なしで目標を達成できるという点には懐疑的だ。

しかし、財政政策の役割が危機に対する戦いを主導する限りにおいては、彼はNGDP水準目標を容認するに違いない。(MMT及びMRは金利がゼロ下限よりも上にある場合においてはケインジアンとは異なるが、ゼロ下限においては基本的に同じで、したがって「財政派」だ。)

-デイビッド・ベックワースはマーケット・マネタリストではあるが、貨幣に準じた安全資産の発行を増やすことで政府が経済活性化において役割を果たしうることを認めている。

もちろんのことながら彼は、名目所得目標を達成するという信頼性のあるコミットメントによって活性化を図るという金融政策を遥かに好むだろうが、危機の直後においてはヘリコプターマネーを容認するはずだ。すなわち中央銀行のファイナンスによる赤字支出だが、これはまさに財政政策との協力を意味する。

保守的な改革派であるジョシュ・バローはしかし、実際のところは保守的ではなく(なので心配しないでほしい)、マーケット・マネタリズムを「保守的な改革運動における輝かしい成功」として賞賛している。彼は金融政策は政府の財政出動による悪影響を金融政策がしっかりと相殺したというスコット・サムナーによる最近のデータの解釈に同意している。

しかし彼は、「財政的・金融的チャンネルの両方とも経済を刺激するのに効果があり、そしてその両方ともが実務上・政治上の制限に直面しているため、我々はそのどちらも止めるべきではない。」とも書いている。アメリカが財政緊縮を必要としていないということを示す彼の9個のチャートを見てもらいたい。

-スコット・サムナーは近年のNGDP水準目標推進におけるドンであり、基本的に金融政策純粋主義者だ。「純粋主義者」というのは、金融政策は適切に実施しされれば財政刺激の助けがなくとも完全に目標を達成でき、銀行や信用のチャンネルは無視して差し支えないと彼が考えている[1] ことを示すために単に付けたものだ。

それでも、金融政策が相殺しようとしていない限り、財政政策は実のところ名目GDPを上昇させるとも彼は実際的見地から書いている。財政政策は金融政策と同じだけのパワー[oomph](残念ながらこれは専門用語ではない)をもたらすことが出来ないというだけだ。また彼は財政政策はサプライサイドに効果がありうるとしており、特に給与税[payroll taxes]を挙げている。

サムナーの書いたものを読むと、単に彼は反景気循環的な財政政策はそれほど効果がない思っているということが分かる-もっと言うのであれば、金融政策が正しく行われていれば、財政政策は効果がないだろうと彼は考えている。詳細は後述する[2]

上に挙げたブロガーをどちら側に位置付けるかは簡単だが、次に挙げる数人はそれほど簡単ではない。

-カール・スミスは初期の苛烈な名目GDP水準目標の王者で、今でもそのうちの一人ではあるが、「本当に馬鹿でかいものは、中央政府の得意分野」であるからこそ、財政政策は効果があるとも彼は考えている。

経済が不況にあるときには、規模で対応するほうが精確に目標を狙うよりも効果がある。なぜなら「遊休リソースが溢れており、借入の実質コストがゼロかマイナスであるときというのは、つまり精度を気にしても意味がないということ」だからだ。

ライアン・アヴェントマット・イグレシアスは、バーナンキが停滞が継続している原因を財政による悪影響に求めていることを批判しており、また財政政策に関しては危機の後のデマンドサイド的な対応よりも、基本的にはより長期の問題に焦点を当てている。二人とも去年の金融政策の変更が予期せぬ大きな財政収縮に対する堅牢性を高めたと考えてはいるが、それでもまだ十分ではないと考えている。

ただ、両者とも財政政策の効果を否定したり、一層の予算削減を求めたりしていなことは明らかだ。一例をあげれば、実質金利がマイナスのときにインフラ投資を行わないのは機会の損失だとイグレシアスは書いたことがある。(教育関係支出にも同じことが成り立つ。)

-スティーブ・ランディ・ワルドマンは「精神面からの名目GDP目標のススメ[the moral case for NGDP targeting]」と題し、名目GDP目標は不完全ながらもインフレ目標の改良であると述べている。しかし留保も付しており、マネタリストと財政派(特に現代金融理論家たち[MMTer])は両者の知見を融合させるべきだとしている。

-ここFT Alphaville[3] において、金融市場家計双方における不足について焦点を当ててきた。財政政策と金融政策の双方ともに、こうした不足を軽減する効果がある。これを現代の金融情勢に対応したバジョット図[Intro Bagehot]と名付けよう。

これは長く延びた形状になっており、片方の端に財政派、もう一方の端にマーケット・マネタリズム、そして中心部にまとめ系ブロガーが位置するというスペクトラムのような見かけをしている。(簡単な説明しか付せなかったことをブロガーたちには申し訳なく思っている。これは彼らの業績を過小評価する意図ではなく、文字数の制約があったためだ。)

[財政]Matt KCarney—[Felix--Weisenthal--Matt O]—A HarlessN Rowe[MM]

タイラー・コーエンもどこかに加えたかったが、彼の考えは複雑なために(訳注;位置づけを決めるのに)長い議論が必要になってしまう。ノア・スミスについても同様で、私は彼が財政派であると思ってはいるが、彼のかなり懐疑的な姿勢を鑑みると、確信は持てなかった。

追記:しまったことにマーク・トーマが漏れていた。彼はその他の財政派よりも早い段階から、深刻な下降期にある経済を十分に刺激するという金融政策の力に懐疑的で、積極的な財政的な対応についてもより早くから主張していた。ティム・ダイについても触れておくべきだろう。彼もまたバーナンキの大胆さの欠如を一貫して批判しており、ヘリコプターマネーについてもいつか必要になる可能性があることを匂わしたことがある。


財政派とマーケットマネタリストは、今回の偶発的な論争の激化は別として、両者とも同じ側に立っている、もしくは互いのやり口にけちをつけることはなかったと冒頭で書いた。

もっと正確に言えば、金融タカ派や金本位制支持者たちとの戦いの中で財政派はマネタリストと同じ側に立っており、マネタリストは大抵において財政派の歳出削減や「緊縮派」型の人間に対する戦いのやり口にけちをつけることはなかった。

財政派VSマネタリストの論点が加熱したのは、互いが相手側の主張しているものの有効性を疑っているからではなく、どちらの方法論がより効果的かというもっと狭い問題を焦点にしているからこそなのだ。

マーケット・マネタリストと財政派が互いを槍玉に挙げているのであれば、それはより巨大な敵が討伐された(インフレ懸念派[inflationistas])か、やり込められた(緊縮推進者)印とみなすことがおそらくできるだろう。

ただここにおいては、3点の大まかな点を挙げたいと思う。

1)この論争は大部分責任と口実に関するものである。

両サイドとも、不況にある経済においてマクロ経済安定化に資するより優れた方法を持っていると信じており、それぞれの政策決定者がそうした方法を責任を持って履行することを望んでいる。同様に、両サイドはともに相手側がそれら政策決定者に、責任を他へ擦り付ける口実を与えてしまうことを防ぎたいと思っている。

つまり一例を挙げると、マーケット・マネタリストは財政派がFEDの責任を小さくしてしまうのを嫌がっているということだ。

マネタリストの論理でいけば、財政政策決定者が反景気循環的な需要管理の責任を負っていないことになれば、バーナンキは彼がFEDの責務を十分に果たしていないことを財政政策による悪影響のせいにすることが出来なくなる。

するとバーナンキは自分の職務をどんどん進めていかなければならなくなる。財政政策がどれだけ総需要曲線を下や左に動かそうが、バーナンキはそれを上や右に戻すことを誓わなければならない。そしてその誓いを強固なものにするために、必要なことは何でもやることになるだろう。

それに対して、財政派はひょっとしたら次のような相互に関連する2つの問題について心配しているのかもしれない。

A)FEDへの過剰な依存によって、景気停滞による税収の低下に対して議会が歳出削減のような有害な政策を積極的に採ろうとしてしまうか、または

B)それと同じように、リソースが遊休状態にある上に資金の借入れが容易という歴史的な好機において、政府が国の物的・人的資本への投資機会を無駄にしてしまう。これらの投資の一部はいずれにせよ結局は行わなければならないため、これらを今行わないことが最終的には国の予算上の問題を改善するどころか悪化させてしまう場合がある。

そして、マネタリストたちは保守派や自由主義者の割合が高いため、こうした結末をあまり気に掛けないだろうというある種の(正当な)疑惑もあるのだろう。

2)両者の実際の政策提言は相反するものではない。

ここに書かれていることは関係者にとっては全く明らかなことではあるが、各ブログを行きつ戻りつして流し読むような外部の人間は、実際以上に問題を複雑に捉えて、背を向けてしまうかもしれない。

財政派の立場ははっきりしている。すなわち、「もちろん金融政策は出来うる限りのことをするべきであって、そうした試みを支持する。ただそれで十分とは思わないだけだ」ということだ。

ここにおいて実質上の対立点はない。

マーケット・マネタリストが財政政策を容認する際の主張はもっと複雑だ。

しかし、マネタリストの立場においても財政刺激を容認できる一つのアイデアがある。それは、名目GDP成長の鈍化、資産価格の大幅な下落や担保価値の崩壊といった大不況[a Great Recession]による悲惨な結果は、名目GDPターゲットが適切に採用されたならば即座に回避されるだろうというマーケット・マネタリストの教義だ。

現時点で(訳注;名目GDP目標が)適切に実施されれば、金融政策がその目標を達成するという必然性の予見が、経済主体や市場参加者がその目標の実現を前倒しするように振舞うように促すとも言えるだろう。

ここにおいて、経済を安定化させ、回復を加速させるための財政政策の使用をことさらに推し進める必要はないだろう。危機以前の普通の理由(政府の経済における役割、再分配など)を主張することに立ち戻ればいいのだから。

そこでマネタリストは、整合性を保つためには次のように言わなければならない。「よし僕らが失敗したときのために財政政策も準備しておきなよ。僕らはそれが必要になるとは思ってないだけ。もしそれが必要になったら、まあやりなよ。」

3)まだ何もわかっていない。

ブロガーをそれぞれの陣営に分類することは、ある意味愚かなことだ。この議論においては必要だったことだが、ブロガー全員に対して不公正だ。財政派の間でもそれぞれが異なった考えを持っており、それはマネタリストも同様だ。

と言いつつも、2009年や2010年に財政派が行ったような、政策の方向性はあっているが規模が小さすぎるという主張は、いまやマネタリストも行っている。彼らは同意に至ったのだ。

しかしもっと根本的なところでは、そう言い切るのは夢想的なまでに早すぎる。

金融政策が効果を発揮するにはタイムラグがあることは良く知られており、エヴァンス・ルール[4] は昨年12月に採用されたばかりだ。政策は方向を変えてきてはいたが、その歩みは遅く弱々しいものだった。

さらに、エヴァンス・ルールは名目GDP先物市場の創設と同時に名目GDP目標を採用するというターゲットマネタリストの望みの極致からは程遠い。

異なる財政政策は経済に対して異なる影響を及ぼすし、それは様々な金融政策緩和の手段も同様だ。そしてどうやれば景気循環による政策とは関係のない変化を取り除き、異なる政策の効果だけを取り出すことが出来るだろうか。不可能だ。

我々はより多くのデータを集めるか、もしくは今あるデータのさらなる詳細を待たなければならなくなる上に、それが不可能である可能性すらある。事実、成長に関する数値はまだ不十分だ。

マネタリストと財政派の双方ともにあまりにもその主張の内容が膨大で、それはマイケル・ウッドフォードによる去年の有名な論文の最後から二番目、まとめ部分の前のパラグラフがそれを説得力のある形で示している。

単に期待経路のみに依らない現時点での総需要を押し上げる最もはっきりとした要因は財政刺激であり、政府調達の増加や投資税額控除[investment tax credit]、もしくはイギリスの資金調達支援スキーム[UK Funding for Lending Scheme]のような貸出に対する補助金といった経路全てにおいてそう言える。と同時に、中央銀行による名目GDP目標パスへのコミットメントは、財政政策が直接に効果を発揮した場合と比べて、経済活動と価格の上昇による早期の金利上昇がその他の形態の支出を排除しない[5] と保証することによって、財政刺激による効力を高める。そして、名目GDP目標パスに対する中央銀行の宣言の存在は、特殊な財政刺激策が導入された際の、抑えの効かないインフレのリスクを高めうる警戒水準も限定したものにする 。

しかし、今年が実際ある種の政策実験の年となっているかどうかを知るのには、しばらくの時間を要する。そして、リソースが遊休状態であり失業がこのような非常に大きな問題となっている中ではスケールメリットは精度よりも重要、というカールの考えが示唆するところ、つまりはそうした実験は避けることが出来る上に、正当化できない間違いとなるだろうということについて私は考えずにはいられない。

自身の主張が妥当であっても、相手側のアイデアを自分のアイデアと平行して行うことは最悪の場合でも何の悪影響も発揮しないという合意が出来ているのであれば、両方を行うことに反対するのは無情というものだろう。

自身のアイデアだけが実施され、そしてそれが間違っていたと分かった場合、ひどく多くの人々がそのマクロ経済学の新たな知見のために苦しめられることになる。

全てを同時に試し、因果関係の仕組みについては後で考えたほうが良いだろう。全て終わった後で。

  1. 訳注;リンク先のエントリで、金融セクターのサイクルをモデルに組み込むのには意味がないとサムナー言っていることを指しています。 []
  2. 訳注;(2)後段のこと []
  3. 訳注;原文が掲載されているフィナンシャル・タイムズのブログコーナーのこと []
  4. 訳注;インフレ見通しが2.5%を超えない限りにおいて、失業率が6.5%以下になるまでは現在の低金利政策を継続するというルール []
  5. 訳注;金融政策が財政政策によるクラウディングアウトを軽減するということ []
  • Manjiro Endo

    いつもお疲れ様です。
    本稿について、経済評論家として著名な三橋貴明氏のブログに本日引用されました。

    名目GDP(所得)の目標|三橋貴明オフィシャルブログ「新世紀のビッグブラザーへ blog」
    http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11633539972.html

    ご報告までに……。