サムナーの貨幣入門短期講習3「貨幣とインフレーション、その1(金の長い夜明け)」

サムナーの Short intro course on money (全9回)をはじめから紹介していきたいと思います(第1回第2回)。これは第3回の”Money and Inflation, Pt. 1 (The long twilight of gold)“(19. March 2013)です。


前回までで論じたのは貨幣の重要性だった。貨幣は物価水準や名目GDPといった名目変数と連動していた。今回からの数回では、貨幣がどのように物価水準を決めているかを説明する。最初は近代でいちばん一般的だった銀本位制を例に採ろう。但し簡単のため会計単位は純銀1ポンドとする。銀そのものが会計の媒体というわけだ。

貨幣の定義はいろいろある。会計の媒体、交換の媒体、高流動性資産、などなど。この講習での基本テーマに一番ぴったりなのは会計媒体という定義だ。交換媒体と捉えてしまうと貨幣と銀を交換するしないということに気をそらされてしまう面がある。

前に説明したように会計媒体(以下「貨幣」と呼ぼう)の価値は1/Pに等しい。物価水準は銀市場で決まる。物価水準(長期)のモデル化はミクロ経済学の範囲だが、物価水準を変化させるさまざまな効果はマクロ経済学がカバーする問題になる。この図からは、銀が貨幣であるときの物価水準(長期)がシンプルにモデル化できるということがわかるだろう。 

 

新しい銀鉱山が発見されると銀の供給曲線は右にシフトする。銀の価値は下落し、物価水準は貨幣(銀)価値と反比例して下落する。これは定義だ。貨幣数量説はまだ登場していない。それはのちに不換貨幣のところで登場する(逆説的なことに貨幣数量説はそれが適用できない商品貨幣の時代に発明されたのである)。

多くの国々は続いて徐々に金本位制の枠組みへと移行していった。米国では1933年まで会計単位ドルは1/20.67オンスの金に相当すると定められていた。各国政府が直接金鉱を経営したわけではないので、金融政策は金の需要だけで定まることになった。その方法はいくつかあり、公開市場操作や割引貸し出しを通じてドル紙幣あたりの金の価値を変化させたり、銀行の準備金率を変化させるなの方法だが、何しろ金需要の変動というものが通貨に大きな影響を与えるようになった。金需要が小さくなるほど緩和的で、逆に需要が大きいと緊縮的(グラフの通り)ということになる。金の価値は国際市場で決まるので小さな国々はほとんど打つ手がなかった。

金本位制の下では金準備高の「ゼロ下限問題」という問題があった。ケインズが流動性の罠と誤診したのはこれである。つまり、中央銀行の金需要(金準備)はゼロ以下にはならないので、緩和より引締の方が容易というわけだ。

米国は1933年に金本位制から離脱したと一般的には思われている。しかし実際は金本位制のままであった。一時的に停止しただけであって、金準備を離脱するという気配は微塵もなかった。1933年の問題が何であったのかはハッキリしていないが、おそらくFEDを緩和的に導くことができなかったFDR(訳注:フランクリン・ルーズベルト大統領)は(訳注:金本位制の放棄ではなく)金価格を引き上げる方法に迂回したのだろう。1934年に金価格は再び固定され、米国民が金を会計媒体として使用するのを止めるのは1968年を待つことになった。(訳者注:1933年のこの経緯ついてのサムナーの渾身のエントリはこちら。その拙訳。)

この完全離脱までの34年間の間では物価水準の大きな上昇が観察されている。このインフレの要因は三つあり、二つはFDRの決定を反映したもので、もう一つは幸運だった。

1. 金価格はオンス当たり $20.67 から $35 に切り上げられた。この要因だけで物価上昇の69%を占めている。

2. FDRが米国人の金所有を違法としたことで世界の金需要が減退した。後の米国大統領たちは通貨に対する金の比率を下げて行った。

3. 米国以外の金需要の大半はヨーロッパにあったが、不況、再軍備、大戦による巨大な経済的負担によってヨーロッパの金需要は劇的に減退した。

それでも米国の政策は1960年代半ばになると、金本位制離脱を期待する機運が高まるほど拡張的になっていった。そしてとうとう1968年、政府委は民間との金交換を停止(他国政府は除く)し、自由市場における金価格は35$を上回るものになっていった。金本位制はこのときに終了し、再び戻ることはなかった。

完全離脱まで34年を要したのはなぜか? 現在の人々は1933年にどれほど金本位制思考が人々の頭にこびりついていたか想像できない。ケインズですらその広く知られたイメージとは逆に、純粋な不換貨幣という枠組みには猛反対で、金へのペッグを調節する方法の方がお好みだったのだ。また第一次大戦後のハイパーインフレーションが人々の記憶に焼き付いているだろうが、1933年の不換貨幣の栄光について語りたいなら、先立つワイマールドイツがVSP(訳注:Very Serious People、大真面目に馬鹿げた政策に加担する人たち)そのものだったということで話は終わりだ。

戦後1968年まではケインジアンモデルが支配的になり貨幣は背景に追いやられていたが、大インフレ期に入ると人々が貨幣の重要性を思い出す。

この次は不換貨幣のモデルを作っていこう。会計媒体の需要と供給で定まる物価水準がここでも主役だが、いよいよ現金が会計媒体である。現金には重要な「しわ」があって、そのために政策への意味合いは劇的に変わることになる。

PS. 皆さんは、どうして1933~1945年の期間にインフレが起こらなかったことを不思議に思うかもしれない。1945-1968の期間まで続いていてもよさそうなものだと。実は上で論じた三つの要因はそれより前の期間に起こったことだった。Fedは1933-45年の期間も大量の金を保有しており、これがインフレを抑えていた、というのが答えになる。第二次大戦後FEDは金の需要(訳者注:保有)を徐々に減らし、これにより1945-68年の期間は物価が上昇し続けたのである。

PPS. 今、銀の価格は1ポンド(訳注:重量単位)あたり300ポンド(通貨単位)ではなかったかな? 深刻な通貨の劣化だろうか。

PPPS. Brad DeLong の言うことが正しいことを願うよ。私は大人になってからのほとんどの期間を大恐慌の研究で過ごしてきたのだから。

歴史のどの部分が有益かつ重要になるかはあらかじめわからない。私の大恐慌への好奇心や関心は、経済制度、経済政策、経済効果の間の関係を研究するという日常仕事から来るアンティーク趣味だと十年前は考えていた。私たちが大恐慌を経験し、そこから教訓を得、 その教訓を制度と政治プロセスに組み込んできたそのことは、大恐慌を再び精査する実践的な意味がほとんどないということを意味していた。ああ、私は間違っていた。歴史はそのままの形では繰り返さないが、確かに韻を踏む。ひとりの経済学者が2007年から2013年の間に世界経済に起こったことをよりよく理解するために、大恐慌の歴史に関する深く包括的な知識ほど大きいものはない。