通貨戦争と国際政策協調のどちらが優れているのか

以下は、Barry Eichengreenの最近の論文”Currency War or International Policy Coordination?(※リンク先PDF)” (January 2013) の全訳です。あまり分量のあるものではないので全訳にしましたが、1ポストとしては長めです。最後の結論部が全体をサマライズしていますので、時間のない方はそちらから読まれてもいいかと思います。また、参考文献リストは省略しましたので、要すれば原文を参照願います。


バリー・アイケングリーン
カリフォルニア大学バークレー校
2013年1月

1.はじめに(Introduction)

「通貨戦争」は消えることのないミームになろう。この用語はブラジルの財務大臣グイド・マンテガが2010年9月にアメリカの量的緩和に対して使ったのが始まりである。マンテガのこの時の批判は、デフレを回避し、不景気にある経済を刺激するためのFEDの非伝統的金融政策は近隣窮乏化策であるというものだった。そうした政策は新興市場へのキャピタルフローの津波を解き放ち、その結果インフレ、通貨高、競争力の低下、たちの悪い資産価格の上昇圧力を引き起こした。2012春にはブラジル大統領ジルマ・ルセフがこの用語を引いて財務大臣の批判に重ねた上に、彼女は同年にホワイトハウスを訪れた際もそれを口にした。2012年末と2013年初に日本銀行が資産の大量買入れを発表し、新たに就任した安倍晋三首相が日本銀行のインフレ目標値の引き上げをしようとした際には、おもに日本の近隣アジア諸国から、不法な通貨戦争を引き起こしているとの批判が出た。[1]

これらの批判は政策についてどのような含意を持っているであろうか。第一には、おそらくはブラジルの指導者の頭にあったように、これらの非伝統的金融政策は先進国の経済の回復と成長を加速させるという目標を達成するのには役に立たない一方、新興市場にマイナスの波及効果があるため、取りやめるべきというものだ。もう一つは著しく異なっており、非伝統的金融政策は先進国経済にプラスの影響があるとともに、他国にマイナスの波及効果を及ぼすというものだ。後者の場合には、アメリカのような国々にとって、非伝統的政策を取りやめるのがファーストベストの手段であるかは定かではなくなる。むしろ他国がマイナスの波及効果を中和するように政策を調整するのが最適解ともなりうる。

しかし、それぞれが一方的行為をとる国々がファーストベストのグローバル均衡を達成できる状況というのは限られている。この論点については、今や多くなった国際政策協調に関する論文(Hamada 1976, Cooper 1984, Meyer, Doyle, Gagnon and Henderson 2002)のおかげで広く知られている。非金銭的な波及効果が引き起こす別の経済的歪みが存在し、自らの政策によって互いに影響を及ぼすほど各国が個々もしくは集団で十分に大きい場合において、一方的行為及び反応は最適な結果をもたらさない場合がある。この場合には国際的に強調した相互的な政策調整である国際協調が、パレート最適よりも優れた結果をもたらすことができる。ここでさらに、国際協調から得られる利得は大きいのか小さいのかという問いが出てくるが、多くの学術論文は後者の方を示している。

こうした今日における議論には、利子率がゼロに近づき国の金融政策が近隣窮乏化と批判され、国際政策調整による利得だけが最後に残されたと解されている1930年代における例と類似点がある。[2]
 問題は、この従来的な解釈が実際のところ1930年代に起こったことを正確に捉えているかどうかということであり、したがって当時の教訓は今日においても適用できるのかという点である。

2.過去の状況(The Story Then)

Eichengreen and Sachs (1985, 1986)では、歴史的事実と2国間マンデル・フレミング・モデルを使用し、1930年代における貨幣・為替政策の国内及び国際的な影響を分析している。このモデルにおいて、貨幣拡張の国内へ影響は多くの経路を通じて波及している。すなわち、実質資産価格(トービンのq)を上昇させたことによる投資の刺激、デフレを抑えたことによる債務負担と利益圧迫の軽減、将来のインフレ期待の上昇による家計消費の将来から現時点への移転、実質為替レートの減価をもたらすことによる純輸出への刺激、国内製品へのさらなる需要増を引き起こしたのである。

国際比較による証拠と国内事例研究も同様に、顕著な国内的な効果の存在を確認している。金本位制度を止めた国においては、その国の通貨が減価し、国内の貨幣供給と信用が増加したことによって、金本位制度を継続した国よりも早く大恐慌から回復している。それらの国による金本位制停止決定の時期と景気回復の時期には強い相関がある。

この事実は当然ながら、伝統的もしくは非伝統的な手段による貨幣拡大は金利がゼロ近傍である状況においては無効であるという見解と相反するものである。したがって、貨幣政策がなぜ流動性の罠のような状況において効果があったのかは精確に考えるに値する。これには3通りの説明がある。第一の説明は、各国の中央銀行は我々が現在「先行き見通し(forward guidane)」と呼んでいるものを実施したというものである。彼らは貨幣と信用を拡大し、平常化の条件を満たしたと思われるまで自国通貨建ての金価格を引き上げることによって、低金利を続けることにコミットした。金本位制度からの離脱は、このコミットメントを示すための断固としたもっとも重要な方法であった。これは貨幣制度における劇的で永続的な変化とみなされたのである。[3] アメリカにおいては、フランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領はデフレ期待を克服するために金の購入を行い、(その当時の状況においては)健全なレベルのインフレ期待に変化させた。イギリスにおいては、イングランド銀行が、正常な状態に回復したとみなされるまで金利を2%に据え続けることをコミットする、「安い貨幣」と呼ばれる政策を実施した。[4]  スウェーデンでは、政府及び中央銀行が金本位制の代わりに明示的な価格水準目標を採用した。日本においては、政府がリフレ的な貨幣政策を公的支出の急増によって支え、それはさらに新たな政策レジームを強調するものであった。これら全ての国において、依然として金本位制度を採用している国々の通貨に対する減価は、スヴェンソン(2003)が言うところの将来価格の上昇への望まれた期待(the desired expectations of a higher future price level)を導くために有効であった。

第二の説明は、貨幣政策の変更は資産価格に対してプラスの効果があり、したがって投資に対しても同様の効果があったというものである。資産価格は貨幣制度の変更に対して即座に反応した。投資とともに工業生産も資産価格の変化にすぐさま反応した。当時も現在と同様に、中央銀行が資産価格を持続不可能なレベルにまで押し上げることについては「バブルを膨らませる」として批判があったが、とりわけ株価が非常に低水準にまで落ち込んでいることを鑑みれば、そうした批判を真面目に受け入れるのは難しい。ともかく、投資と産出が破滅的な低水準にまで落ち込んだ時期において、この資産価格効果が少なくとも穏やかかつ有益な効果を持っていたことに疑念の余地はほとんどない。

第三の、そして最も議論の余地のある説明は、競争力に対する実質為替レート効果である。金本位制度を廃止して通貨の減価に向かった国々は金本位制度に留まった国に関連する輸出を拡大することができた。ある国の輸出の拡大はそれ以外の国における経済問題の悪化という犠牲の上で成立するという理由から、この経路は議論を呼んでいる。実際のところ金本位制度を廃止した国々が1929年時点のレベルにまで輸出量を回復させるのは1930年代半ばであったという事実は、少なくともこれが双方向の効果を持っていたということを反映している。

もし1930年代における非伝統的金融政策の自国に対する影響が明らかにプラスであったのであれば、それを相殺する効果が存在するために全体的な国際間の波及効果については明らかではない。直接的な実質為替レート効果による国際間の波及効果は、上述したようにマイナスだった。為替レートが減価した国における輸出力強化は、その国の貿易相手国の各国に対する輸出競争力を悪化させたが、この波及効果の大きさは国内製品と外国製品の代替性の大きさに依る。対照的に、貨幣と信用の増加による国際間の波及効果はプラスであった。通貨減価国からの資本流出(もしくは少なくともより早期の資本流入の減少)は、その他の条件が一定である場合には他国の貨幣・信用市場の状態を緩め、デフレ期待を和らげることに寄与した。[5]  しかし、輸出競争力効果が優位を占めた可能性は高い。計測作業と歴史研究の双方が全体としての波及効果はマイナスだったことを示唆している。

異なる全ての国々が同一のデフレショックを受けた場合において、最適な対外政策は貨幣拡大と貨幣拡大同士、通貨減価と通貨減価同士を対応させることである。イギリスの主要な貿易・金融相手国が多くを占める24カ国は、ポンドに合わせて自国通貨を下落させる対応をとった。それ以外の国においては、歴史を鑑みるに、政治とイデオロギーがこのファーストベストの対応策に頼ることを遅らせ、場合によっては除外することさえした。後者の国のうちの一部は、需要を自国の生産者へ向かわせるように仕向けた資本及び貿易規制によって対応する立場をとった。[6]  この対応は、自国とその相手国の双方においてファーストベストの対応策よりも劣っていた。[7]

協調のとれた国際的対応(international coordinated response)と当時呼ばれ、それ以降そう呼ばれ続けることになった対応策はよりそれよりは良い結果を招いたことだろう。しかし、各国経済を脅かす対照的なデフレ貨幣ショックに際しては、一国における一方的なファーストベストの対応の合計が世界的な最適解でもあった。明示的な調整はそこに至るのには必要ではなかった。数少ない例外を除いて、各国はこうした政策のセット(金に対する自国通貨の減価が全てだが、普遍であった)に1936年までには辿り着いた。

協調した対応がより優れていたという見地をとるためには、もう一つの別の主張を付け加えておく必要がある。一つ説得力のある主張は、各国通貨が減価していた1930年代における調整されてない方策は、金融市場とその参加者を混乱させるような不確実性を作り出し、経済状況を悪化させたというものである。金の価格をとりわけ全ての国における中央銀行による金買い入れを通じて上昇させるという国際合意によって、この不確実性は回避されたであろう。政策の不確実性がマクロ経済においてマイナスの結果をもたらしたという証拠はいくらかあるものの、その効果が大きかったという証拠は一つもない。[8]  これは、国際政策協調による利得は存在するもののそれは比較的小さいとする現代の主張と整合的である。

さらに、歴史的、政治的、そしてイデオロギー的な理由から国内における金価格を一方的に引き上げることを望まなかった国々は、国際協調イニシアティブによってそれを行うことも望まなかった。大恐慌への調整された国際的政策対応の調整を目指して1933年にロンドンで開かれた世界経済会議での議題は、アメリカのドル建て金価格の引き上げを防ぐことであり、各国がアメリカと同様の政策を行うというものではなかった。会議においてルーズベルト大統領は、自国の一方的行為の自由を制限されることを防ぐために、はっきりと「爆弾発言」を行ったのである。[9]

3.現在の状況(The Story Now)

2008年から始まった非伝統的金融政策の効果に対する学問的な合意はあまりない。理由の一つには、あまりにも最近の出来事であるため完全に解釈するには早すぎるということがある。一部の研究(例えばKapetanios,
Mumtaz, Stevens and Theodoridis 2012, Gagnon, Raskin, Remarche and Sack 2011, Swanson 2011)は国内におけるプラスの効果を述べているが、他の研究は懐疑的である。

Haberis and Lipinska (2012)は国際間における効果に注目している。彼らはゼロ下限にある二国経済ニューケインジアン・モデルを採用している。彼らのモデルにおいては、国内製品と他国製品の代替性が高い場合には、自国が拡張的な貨幣政策をとればとるほど、他国の政策当局が抱えるインフレの安定化と産出ギャップとの間のトレードオフが厳しくなる。これは、自国の緩和的な政策が他国通貨の増価をもたらし、それが自国製品との代替性が高い他国製品に対する支出を減らすことにつながるからである。それとは対照的に、両国の製品の代替性が低い場合には、支出変化効果(expenditure-changing effects)が支出切換効果(expenditur-swiching effects)よりも優位になるため、自国の拡張的な政策によって他国の政策当局は経済安定化が行いやすくなるという恩恵を受ける。 尚、現在の環境における非伝統的な貨幣政策の国際間における効果を把握することを意図したこの分析結果は、1930年代におけるそれを調べたEichengreen and Sachs (1985)の結果と細部に至るまで類似している。

1930年代と異なっている点は、今日においてはショックの形が遥かに非対称的であるという点である。先進国においてはデフレショックとそれに対する政策対応によって金利がゼロ下限にまで下がった一方で、新興市場ではデフレ圧力やデレバレッジは少なく、高い成長率を維持した。これら新興国においては、インフレ率や資産価格、そしておそらくは成長率も不安になるほど高い。[10]  片方の国家グループのみにおいて金利がゼロ下限にあったのであり、先のモデルにあった二国がともに同じ状況にあったのではないのだ。

厳格なマクロ経済的見地から言えば、後者のグループにおける最適な一方的対応は財政緊縮だった。[11]  資本流入は、国内消費、とりわけ建設のような利子率に敏感な活動を顕著に増加させる。また、緊縮的な財政政策はこの支出の変化を抑え、資本流入による資産価格の上昇圧力も限定的なものにしただろう。[12]  さらにはインフレ圧力に対抗するとともに、各国の利子率に下落圧力を加えて先進国間での利子率格差の縮小することによって資本流入を減少させ、国内消費と資本流入双方に対する需要を減退させることによって輸出業者に不利に働く通貨の上昇圧力を抑えたことだろう。

しかし、1930年代の時と同様に、歴史的、イデオロギー的、政治的な理由が重なることによってこのファーストベストの方法を取ることは妨げられた。景気が過熱している際に公共支出を削減するような政治的合意を行うことは難しいし、増税に関しては景気が過熱していようといまいと難しい。実際、大量の資本流入を相殺したいと考えていた小国が行うべきだった多量の財政的な調整は、政治的には実現不可能だった。そうした財政的調整がずば抜けて実行しやすい政治体制や制度の下にあったチリでさえ、先進国の政策による影響を完全に打ち消すのに十分なまでに柔軟に財政政策を発動することは出来なかった。[13]

理論上は、国際的な調整によってより優れた結果が得られたかもしれない。ファーストベストな一方的対応に対して、幾分穏やかな先進国による量的緩和と、幾分穏やかな新興市場国政府による財政引き締めは、双方の国々にとってより優れた結果をもたらしたであろう。先進国の生産者たちはどちらの場合においても同量の需要の増加に直面したであろうが、この場合においては新興国市場からの需要が国際的な調整による場合よりも多いのが唯一の違いである。また、新興国市場が直面するやっかいな資本流入が減少する量も両ケースにおいて同じだっただろうが、この場合においては先進国の量的緩和が比較的穏やかなものであるがために、新興市場国政府は多量の財政的調整を行うという政治的コストを回避することができる。

しかしながら、現実においてはファーストベストな世界的最適解を国際政策調整によって達成するのは不可能であった。なぜなら、この場合においてさえ新興市場国政府が行うファーストベストな政策である財政的調整は実現不可能なほどに大きく、議論されることはなかったからである。この状況は、政治的な理由によって最適な対応が排除されたという点で、1930年代における国際政策調整の失敗と相似している。

その代わりとして、1930年代と同様に新興市場はセカンドベストな方法をとったが、それら資本流入の規制と国内的な影響の緩和の両方もしくはどちらか一方であった。これらの多くは限定的な効果しかないか、望まない副作用があるかのどちらかであった。通貨の増価への対処に苦慮する国内生産者を保護するための貿易制限は、1930年代におけるそれと同様、世界的な貿易制度にリスクをもたらした。海外からの預金を銀行が貸し出しに回す能力を制限するために導入されたより厳しい規制は、ノンバンクを通じた海外資金の迂回によって部分的に相殺された。海外資本の流入を減少するための国内利子率の引き下げは、貨幣政策の目的との間に混乱を生じさせ、インフレを低下させることに対しては何の効力もないばかりか、その逆方向に大きく働いた。自国通貨の増価を防ぐための外国為替市場での介入は、不胎化された場合には限定的な効果しか持たず、非不胎化された場合には利子率の下落など先と同様に望ましくないインフレ的な効果をもたらした。

これらの方策の中で最も議論の余地があったのは資本規制であり、またもや1930年代の場合と類似している。30年代のそれと比べると今日におけるそれは行政的なものというよりは価格ベースのものが多い。すなわち、あからさまな禁止措置をとるよりも、外国人による証券購入に対して課税を行う形をとるのである。しかしながら、こうした規制については、規制に対応するためのコスト(compliance cost)が生じるという有力な批判がなされた。この資本規制の効果については今も議論が続いている。Baumann and Gallagher (2012)によるブラジルにおけるケースの分析は、規制が流入資本の総量を変化させることよりも、それをより長期の投資に向かわせるという性質の変更に効果を発揮したことを示している。その一方で、Forbes, Fratzscher, Kostka and Straub (2012)は、ブラジルはより長期の投資についても制御したとみなしており、資本流入量に対して一定の効果をもたらしたと結論している。しかしその場合においてもコストはあった。すなわち、政策当局による市場の開放度に対するコミットメントについての疑心を高めることにより、望ましい形での海外からの投資、例えば直接投資を減少させた可能性がある。Klein (2012)は、金融市場が比較的発達していない国において、資本逃避が起こる可能性が少なかったり、長期間規制を実施している国であるために実効的な監視措置や報告制度、実施のためのインフラを立ち上げるために必要なサンクコストを負担する可能性が高いという場合、こうした規制は資本流入を防ぐのにより効果的であったと結論している。

こうした措置よりも国際協調に軍配をあげるような事例は他にもある。その他のマクロ健全性政策(macroprudential policy)やマクロ経済政策と同様に、資本規制は適切な国際協調がない場合には国内政策決定者が予期しえない波及効果を持つ場合がある。この波及効果についてはその大きさはおろか方向についても共通理解は存在せず、国際調整を妨げる。Ostry, Ghosh and Korinek (2012)は、一国による資本流入の規制実施はその他の国において資本流入を増加させる可能性があるとし、そうしたキャピタルフローの方向転換の危険性を強調している。しかしForbesらは、一国による規制の実施が、その他の国においても外国資本の流出と流入の双方のハードルを上げることよって初めに規制を実施した国を後追いすることを招き、そのためそれらの国に対する資本流入が減少するという模倣効果を見出している。この二つの事例において波及効果はそれぞれ逆方向に働いており、国際協調に対して持つ意味も異なっている。波及効果の徴候や大きさについてより優れた証拠や合意は存在せず、IMFが想定したような資本規制に対する多国間の枠組み(IMF 2012)は、実施にあたっては困難に直面するはずだ。

4.結論(Conclusion)

不景気に直面している中央銀行による近隣窮乏化政策と主張されるところの通貨戦争は、1930年代においても今日においても経済問題を悪化させたとして広く批判されている。経済に問題のある国々の政策当局は、単に近隣国への問題の押し付けに過ぎないそうした方法を取ることを差し控えるべきだったのであり、その代わり協調的な方策をとるべきとされた。この場合、両時代の経験から同様の含意を見出している。実際、1930年代の歴史は現代における通貨戦争に警鐘を鳴らすものによって広く呼び合いにだされた。

本論文における分析は、過去のケースは今日のそれよりも若干異なるのであって、1930年代の教訓を今日において適用することについてはより慎重になる必要があることを示している。渦中にあった国々が本質的に対称のデフレショックに襲われた1930年においては、今日通貨戦争とされているものは解決策に含まれるものであったのであり、問題ではなかった。全ての国においてリフレ政策が必要とされていたのである。当時の制度下においてこれは、金に対する、ひいては金本位制度に留まった国の通貨に対する自国通貨の減価という形で達成されたのである。実質的には近隣窮乏化為替調整と呼ばれたこれらの政策とそれらが可能にした政策イニシアティブにより、この世界的なリフレは1930年代後半まで続いた。金の国内価格の上昇についての国際協調は、不確実性や国際的な非難を制限するという意味においてより良い結果をもたらしただろうが、結果の差異の大小については議論の余地がある。デフレへの対処に最適なファーストベストの貨幣政策により注力し、貿易・資本規制といったセカンドベストの実施を控えることによってさらに結果は改善されたであろうが、厳しい政治的、イデオロギー的、歴史的制約によっていくつかの国はファーストベストの方法をとることができなかった。こうした制約は実効的な国際協調の達成も不可能なものとした。

現在において、アメリカ、ユーロ圏、イギリスそして日本の各国が再度おおよそ類似したデフレショックに襲われた際もやはり、それらの通貨を下落させる量的緩和が最適な対称的方策であった。そして同様にファーストベストな貨幣政策に注力していればより優れた結果となったのであり、金融緩和に関する国際協調も不確実性を減らした可能性があるが、その効果の大きさについてはこれまた同様に議論の余地がある。

今日において異なっているのは、非対称的な影響を受けた国々という第二のグループが存在することである。新興市場はデフレよりもインフレに悩まされており、通貨や資産価格、そして場合によっては成長率も高過ぎることが問題なのであり、弱過ぎるのではない。こうした国におけるファーストベストな対応は財政引き締めであった。先進国における緩和的な貨幣政策と新興市場国における財政引き締めに関する国際協調はより良い結果をもたらしたであろうが、その効果の大きさについてはまたもや議論がある。需要超過や過剰な景気過熱、高すぎる成長率、過大評価された通貨、インフレに対して最適なファーストベストな財政的対処に注力し、貿易・資本規制といったセカンドベストの介入策を控えることによって、この時もまたより良い結果がもたらされただろう。そしてこれもまた同様に、厳しい政治的制約がファーストベストの方策に全力を注ぐことを妨げたのであり、それが国際協調を実現不可能なものにしたのである。

  1. 原注1. 2013年1月、ロシア中銀総裁第一補佐であるAleksey Ulyukaevは当時「我々は現在、おそらくは過度に感情的な呼ばれ方で「通貨戦争」とされている非常に深刻な、私が思うに挑戦的な行動の入り口に立っている」と発言している。 []
  2. 原注2. 「世界経済百科(The Encyclopedia of the World Economy)」によれば、「近隣窮乏化政策とは、他国の厚生を犠牲にして国内経済厚生の増加を狙うものである。近隣窮乏化政策の古典的な事例とされているものは、ある国家が国内の産出と雇用を増加させるために自国通貨の減価を行い、それによって産出と雇用の問題を他国に押し付けるというものである。これは1930年代の世界的な景気後退にあたって複数の国が、輸入に対する需要を減退させるとともに輸出に対する需要を高めることで国内産出を押し上げる政策、つまりは自国通貨の減価による産出と雇用の増加を求めた際に起こった。これによりそれ以外の国では景気後退がより深刻なものとなったが、これがさらにはそれらの国々による通貨の減価という対抗措置を招き、各国は通貨減価競争の連鎖に陥ることとなった。」とされている。また、この項目は「1930年代の近隣窮乏化政策使用の解決は、ブレトンウッズ体制によって制度化された国際政策協調によってもたらされた」と締めくくられている(http://world-economics.org/40-beggar-thy-neighbor-policies.html)。いずれ分かることだが、伝統的な知識はなかなか滅びない。 []
  3. 原注3. Temin and Wigmore (1990) 及び Eggertsson (2008) はこの期待経路を重視している。 []
  4. 原注4. これは Nevin (1955) 及び Howson (1975)において述べられている。 []
  5. 原注5. その他の条件が一定でないため、この効果は常に表れるものではない。特にドイツとその近隣ヨーロッパ諸国の間の政治的緊張はアメリカに向かっての資本逃避を招いた。(Romer, 1992) []
  6. 原注6. この繋がりについてはEichengreen and Irwin (2010)において示されている。 []
  7. 原注7. ファーストベストの対応が根本的な歪みを最も直接的に対象としている状況(今回のケースにおいては、貨幣政策はデフレを最も直接的に対象としている)においてのファーストベストとセカンドベストの政策的対応の対比については、少なくともBhagwati and Ramaswami (1963)にまで遡る長い研究の歴史がある。 []
  8. 原注8. Mayer and Chatterji (1985) 及びArchibald and Feldman (1998)を参照のこと。 []
  9. 原注9. 火に油を注ぐような言動によって自国の代表団を青ざめさせたのに加えて、ルーズベルトは外交的・政治的な優雅さがリフレ政策を採用することよりも優先されることがあってはならないということを明確に示した。したがって、この「爆弾発言」が新たな貨幣レジームに対する大統領のコミットメントを打ち立てるプロセスにおいて重要な部分を占めていたと考えることが可能である。 []
  10. 原注10. 中国の成長率が2010年には11%にも達したことを思い起してほしい。 []
  11. 原注11. 資本流入に対処するための代替アプローチの効果、コスト及び費用についてはEichengreen (2011)において議論した。 []
  12. 原注12.原注:Chin, Filardo, He and Zhu (2011)は、アメリカによる量的緩和が新興国において顕著な株価の上昇と債券スプレッドの低下を招いた事実を述べている。Fratzscher, Lo Duca and Straub (2012)ではこの点を一般化している。IMF (2011)ではイベントスタディーを用いて、アメリカによる一回目の量的緩和が新興市場の通貨と資産価値に対して顕著な効果をもたらしたことを示している。 []
  13. 原注13.チリの政治と制度についてはVelasco (2011) and Frankel (2012) 、2011年における資本流入についてはBaumann and Gallagher (2012) を参照のこと。 []