将来の経済学

以下はBarry Eichengreen, “Our Children’s Economics” (Projet Syndicate, Feb.11.2013)の訳です。


東京にて―経済学者たちは良い危機[1]を迎えてこなかった。なぜ金融危機を経済学者は予想できなかったのかというエリザベス女王の問いは有名だが、女王はおそらく彼らに期待しすぎていたのだろう。しかし、多くの経済学者たちの研究は的外れだったという考えは広く共有されており、もっと恐ろしいことに経済・金融危機をなんとかしようとする政策決定者に対してなされた経済学者たちの助言の多くはほとんど役に立たなかった。

将来世代はもっとうまくやるだろうか。この間のダボス世界経済フォーラムにおいて私が携わったものの中で一番興味深かったのは、20年後の経済学理論の教科書の内容を想像するというグループワークだった。参加者からのアイデアや論点は尽きることがなく、これらは既存の教科書が触れてはいないが、20年後にはきっと注目を浴びるであろうものであった。

例えば、経済学と心理学にまたがった領域の研究をしている経済学者たちは、効率的市場仮説といわれるものが成り立たないことの理由を人間の性格的短所に求める、行動金融学がよりメジャーな存在になるだろうと主張した。その一方で歴史経済学者たちは、将来の経済学の教科書において、昨今の出来事はより長期の歴史的記録として必ず記載されるものになるだろうと言っていた。とりわけ、現在経済学を勉強している学生たちはこれによって経済学制度の進展をより真剣に捉えることになるだろう。

開発経済学者たちは、彼らとしては無作為試験とフィールドワークがより注目されるようになるだろうと述べた。応用計量経済学者たちは、高まる「巨大なデータ」の重要性とともに、20年後までには大量のデータセットのおかげで我々の経済政策決定の理解が有意に高まることを指摘した。

しかしながら、結局のところこの青写真は現在の経済学とほとんど変わるところがないものであった。20年後の教科書は今日の最先端の研究結果を盛り込み、現在のものよりもより洗練されているかもしれないが、しかしながら根本的な構造やアプローチにおいて今日のものと違ったものにはならないだろう。

言い換えれば、会議の結論は、今後20年にあるのは1890年代のマーシャルによる体系化や1930年代のケインズ革命の焼き直しにしかならないだろというものだった。彼らの時代における経済学と比べると、現代の経済学は洗練され、より発展した学問である。そしてその他の洗練された学問と同様に、革命的な変化が起こるのではなく斬新的に進歩するというのである。

こうした推測はほぼ間違いなく正しくない。これは、全ての画期的なブレークスルーは既に起こってしまったと主張する科学者たちが陥ったのと同様の誤りだ。彼らがしばしば言うのは、蒸気機関やトランジスタほどの革命的な変化はおこらず、科学技術は革命的な変化が起こるのではなく斬新的に進歩するというものである。そして漸進的変化が小さいものである限り、生産性の成長は低く、「大停滞(Great Stagnation)」を引き起こすだろう。

実際には、科学技術の歴史はこうした悲観的な考えを何度も否定してみせた。我々は次に起こる画期的な変化が何であるかを知ることはできないが、人類の長い歴史はそうした変化が(少なくとも)あと1回は起きるということを示唆している。

同様に、我々は次に起こる経済分析における革命がどのようなものであるかを知ることはできないが、1世紀以上に及ぶ現代経済学による思索は、それが起こるであろうことを示唆している。

こう考えると、20年後の経済学の教科書は今日のそれとは非常に異なったものになるだろうということになる。ただ我々はそれを知ることができないというだけで。

確かに、少なくとも我々の知っている経済学の教科書と同じようなものが20年後も存在するのではないかと思う人もいるかもしれない。今日において、経済学は権威がかったお決まりの理論が書かれた著名な経済学者(大抵は男)による教科書を使って教えられている。知識は、その教科書に書かれたものが教師によって解釈されたうえで教授されている。

これはもちろん、新聞が元来ニュースを届けてきた方法と同じものだ。編集者や出版社が出来事を収集・分析し、彼らが作り上げた新聞が購読者のドア口まで届けられた。しかし、ここ10年間でニュース産業には紛れもない革命がおこった。いまやニュースはウェブサイトやウィキ、ブログのコメント欄によって収集・拡散されている。言い換えれば、ニュースはますます一般人からもたらされるようになってきている。人々は、編集者たちに頼るよりも、自らがニュース配信者になりつつあるのだ。

それと似たようなことが、人々が自らの意見とテーマについての直接の経験を持つ分野の教科書、特に経済学のそれにおいて起こるだろう。教科書は、教員や学生が内容の修正・追記を行うウィキのようなものになる。抑え役としての著者の役割は残るかもしれないが、教科書は知識の源泉ではなくなり、著者も内容をコントロールすることはなくなる。

出来上がるものは酷く乱雑なものになろう。しかし、経済学者はより多様でダイナミックになり、結果として我々の子供たちの世代の経済学はより健全なものになるのだ。

  1. 訳注:オバマ政権の大統領首席補佐官(当時)であったRahm Emanuelが発言した”Don’t waste good crisis”(=良い危機を無駄にするな)という発言が元ネタと思われます。