「世界経済にとってより脅威なのは、インフレとデフレのどちらですか? また、政治家や官僚は構造改革と総需要対策、どちらに力を注ぐべきでしょうか?」への回答。by アダム・ポーゼン

まいど前置きが長くなりがちな tmpsoulcage です、こんにちは。イングランド銀行 (BoE) の金融政策委員会 (MPC) のポーゼンさんが 『The Economist』 に寄稿した「Deflation: sticky and sort of scary」を翻訳しました。原文を紹介してくれた hicksian さんに感謝を。

MPC の人たちはけっこう頻繁に講演します。先日の Jackson Hole でも副総裁、チャールズ・ビーンさんが 「Monetary Policy after the Fall」 という題で講演していました。まぁ、65 頁もあるんですが、”まとめ” になっている部分もあるので興味のある方はどうぞ。

個人的なことだけれど、僕のささやかな労力と能力を『道草』をつくってくれた彼に捧げたい。


2010年6月1日の質問:
「世界経済にとってより脅威なのは、インフレとデフレのどちらですか? また、政治家や官僚は構造改革と総需要対策、どちらに力を注ぐべきでしょうか?」
への回答。

アダム・ポーゼン (寄稿者、2010年6月2日 16:54)

大部分のマクロ経済学者はデフレが悪だとかたく信じています。われわれマクロ経済学者は、どうしてそう考えるべきか、理由のリストを作ることもできますよ。1930 年代のデフレーションの不気味な影はとても根づよく残っていますね。それは次の両方のことからきています。ひとつは、1930 年代のデフレが実際の暮らしむきをひどく悪化させたということ。もうひとつは、1930 年代以降、じわじわと悪化するようなデフレというものを私たちがほとんど経験していないということです。このようなデフレの一番最近の事例は日本のデフレなんですが、状況は困惑してしまうようなものになっています。

日本でおきているデフレーションは、上のように私たちが怖がるほど破壊的ではないのかもしれません。とはいえ、かなり長続きしていますし、同時にずいぶん理解の難しい現象なのです。粘着性なのが日本のデフレでして、それは “10年間もいすわって、もっとひどくなるかと思えばそうでもなく、マイナス 1% で安定して” しまいました。それだけでなく、そのペースが速くなったり遅くなったりしましたし、目に見えるどころではない悪影響さえあったんです。標準的なマクロ経済モデルのどれを使っても、こんなデフレは簡単にはつくれないでしょう。それくらい理解するのが難しいということです。

日本では、インフレーションの指標がどれも 1995 年あたりでマイナスになりました。その後も 1999 年にほんの短期間もちなおしはしたものの、少なくとも 2004 年まではマイナスのまんまです。2001 年から 2006 年には、日本銀行がお手製の “量的緩和政策” を実施していました。しかし名目値的にはほぼ効果がなかったように見えます。そうです、2000 年代初期の GDP ギャップがまだ吸収しきれていなかったんですね。ですけれど、その当のギャップがどれくらいなのか、それをまっとうに評価するのが難しい。私自身、日本の潜在成長率を見積もってやってみました。でも、経済回復期にもデフレが続くような状況で、GDP ギャップがどれくらいあるのかを評価するのは難しかったです。仮にそのギャップが物価の下落圧力を受けとめてしまうくらい大きかったなら、どうして 1990 年代にデフレはひどくなっていかなかったんでしょう? 実際には年率でほぼマイナス 1% のままだったので、うまく説明がつかないのです。

デフレのコストについてももっと研究が必要です。私たちが日本のデフレを不気味に思ったのにはちゃんとした理由があると思います。でも、日本ではそのコストが私たちの予想より小さい感じがしますよね。デフレが経済成長の足をひっぱるのは間違いないし、いくら金利が低いといっても、政府が返さねばならない借金の利子分だってだんだん問題になります。日本の株安がつづいたのがデフレのせいなのは確かだし、そのせいで貯蓄に頼る人たちも消費しなくなりました。それでも日本は 2002 年から 2008 年にしっかりした回復をみせ、デフレの勢いはそれを妨げるほどひどくなかったんです。

供給されたマネーが莫大だった [訳注1] のに、それにインパクトがなかったようなのも難問です。現代の経済研究者のおおまかな見解だと、量的緩和政策は国民に対する中央銀行のコミットメントをつうじてインフレや金融政策への予想にはたらきかけるもので、資産やその他の物価をじかに変えるということはまずありません。つまり、日本銀行のデフレ対策で大事だったのは、「インフレ率がプラスで推移するという確かな見とおしが得られるまで、日銀は低金利をつづける」という 2002 年の発表なんですね。けれども、こうした現象を間接的にではなく、はっきり説得力あるものとしてとらえるのは案外むずかしい [訳注2]。そうしたことを私たちはみな心にとめておかねばなりません。近ごろほかの国々の中央銀行によって実施されている非伝統的な (金融) 政策についても同じことが言えるのですから。

2000 年代、日本の実質経済にはよかった頃もありました。そこには、他の主要市場ではなく、2003 年の金融制度改革のおかげも幾らかはあったでしょう。その影響は広義のマネー [訳注3] の増加にあらわれてしかるべきだったのですけれど、そうなっていないのが現状です。

そういうわけで、デフレがはじまったときに金融政策で何ができるか、私たちはもっと謙虚に考えねばなりません。とくに、金利がゼロあたりまで低くなり、従来とは違った政策 [訳注4] をとる時にはそうでしょう。日本は金融政策をつかって手っとりばやくデフレから逃れることができませんでした。かの国の物価 (今のイギリスでも実はそうなんですが) の動きは、実施された債券買いとりの規模からすると、マネタリストを信奉する人たちの多くが予想したであろう動きとはかなり違っていました。日本をみていると、金融引き締めの不安を払拭するために量的緩和をつかうのはまったく正しいことだったのがわかります。でも、量的緩和政策の結果どうなるかは予測できるものではありません。短期間でデフレを克服できるような大きい成果がえられるかどうかさえわからないんです。


訳注1: 原文は “huge monetary creation”。

訳注2: 原文は “it is rather difficult to discern this effect in any convincing rather than suggestive manner.” となっています。

訳注3: “broad money”。 取引や決済に使われる通貨と貨幣だけでなく、財産としてのものも含まれる。

訳注4: 原文は “unconventional measures”。