1月19日にNew York Timesに掲載されたAlan S. BlinderのFinancial Collapse: A 10-Step Recovery Planの訳。誤訳の指摘お願いします。
ヘーゲルはかつて「歴史から学ぶことができるただ一つのことは、人間は歴史から何も学ばないということだ。」と書いた。実際には人々はきちんと学ぶと思う。問題は人々は忘れてしまうということだ―時には驚くほど素早く。現在それは起きているように見える―2008年から2009年にかけての経済崩壊からの回復は完全とは程遠いというのに。
この忘却の証拠はどこにでもある。国民は危機の原因に対する興味を失ってしまい、もちろん多くの人はなんとかやっていくだけで精一杯だ。後悔知らずの金融業者は「過剰な」規制について駄々をこね、改革にむけてのあらゆる段階で戦うためにロビイストに金を払っている。保守党は「大きな政府」を嘆いて自由放任主義的な無規制状態に戻りたがっている。銀行の自己資本と流動性についてのより高い国際基準は遅れている。例を挙げればキリがない。
その代わりに、私たちが金融危機について覚えておかなければいけないこと―危機に至るまで厚かましくも背かれてきたものばかりだ―を金融の十戒としてまとめさせてほしい。
1. 人々は忘れるということを忘れるな
ティモシー・F・ガイトナー財務長官は昨年、危機前には「極めて大きな危機の記憶はなく、国家が巨大なリスクの積み上げを許してしまったときに何が起きうるかの記憶もなかった。」と悔やんだ。彼は正しかった。異端の経済学者ハイマン・ミンスキーは知っていたように、投機市場が極端な方向へ向かうのは普通のことだ。ミンスキーが信じていた基本的な理由は象と違って人々は忘れるということだ。良い時が続くと投資家はそれがずっと続くと期待してしまう。バブルが弾けるとき、彼らはいつも驚くのだ。
2. 自主規制に頼るな
金融市場の自主規制は残酷にも矛盾した表現だ。私たちには動物を見守る飼育係が必要だ。政府はこの機能を「市場の規律」(もう1つの矛盾表現だ)や信用格付け機関のような営利企業にアウトソースしてはいけない。2010年のドッド・フランク法は完璧ではないが、それは良い方向に規制を変更する可能性を秘めている。しかし、その改革のほとんどは未だに段階的に導入され、ルールが策定されているとして、業界(国内も海外も)はそれらとあらゆる方法で戦い、しばしば優勢となっている。
3. 株主を尊重せよ
公開企業の取締役会は株主の利益を保護することになっていて、部分的にはそれは最高経営幹部の行動を監視することによってなされる。彼らは雇われているのであって皇帝ではない。危機前の間、あまりにも多くの取締役がその責任を忘れ、彼らの会社とより広範囲の国民の両方が有害な職務放棄に苦しんだ。今彼らは覚えていられるだろうか? 一部はそうしておけるだろう―しばらくの間は。しかし業績不振による取締役への制裁はごくわずかだ。
4. リスクマネジメントを向上させよ
危機の苦い教訓の1つは、リスクテイキングに向かうとき、あなたの知らないものがあなたを傷つけるかもしれないということだ。部下にリスクマネージャーの意見を無視して好き勝手させ、欲を追求して怖れを捨てる方向にバランスを偏らせているCEOが多すぎるのだ。リスクマネジメントシステムの抜け穴を塞いでおく主な責任は最高経営幹部と取締役会にかかっている。しかし連邦準備制度理事会と他の規制当局は、監視するのをやめてはいけない。
5. レバレッジを少なくせよ
過剰なレバレッジ―借り入れ超過としても知られている―は2008年に激しく崩壊したトランプタワーの主な土台の1つだった。給料もらいすぎな投資の「天才」たちはレバレッジを使って通常の投資から並外れた収益を生み出した。銀行家や投資家(住宅購入者はもちろんのこと)は、大きなリスクを引き受けずに高い収益を稼げるという誤った考えを持っていた。しかしレバレッジはアルコールのようなものだ: 少しなら健康にいいが多すぎると死ぬかもしれない。銀行の仮死体験に加えて来るべき高い資本要件への備えは銀行を一旦しらふにしている。しかし彼らはどんちゃん騒ぎに戻るのを待ち構えているのだ。
6. シンプルにしておけ、バカ
現代の金融は複雑性から利益を得ている、なぜならまごついた顧客はより儲けになるからだ。しかしこれら法外な金融商品はすべて経済になにか良いことをしているのだろうか? Fedの元議長であるポール・A・ヴォルカーはかつて、ATMが過去最近で唯一の有益な金融イノベーションであると述べた。彼は大げさかもしれないが、言うことには一理ある。債務担保証券に対するクレジットデフォルトスワップやその他の混合物を誰が必要とするのだろうか?
7. デリバティブを標準化し取引所で取引せよ
デリバティブは危機の中で汚名を着せられた。しかしそれらが複雑でなく、透明性があり、十分に担保されていて、大資本のカウンターパーティーによって流動的な市場で取引され、かなり規制で縛られていれば、デリバティブは投資家のリスクヘッジを手助けしうる。もっとも危険なのは、個別化され、不透明で、「相対取引」のデリバティブだ―それは顧客よりディーラーの興味を惹きつけるのにおあつらえ向きだ。ドッド・フランク法は、デリバティブの一部をさらなる標準化と取引所での透明な取引に向けて推し進めたが、十分ではない。業界はできるだけ多くのデリバティブが日光にさらされずに取引されるよう精力的に動いている。
8. バランスシートに載せておけ
危機の前、いくつかの銀行はどれだけレバレッジをかけているかを隠すために重要な金融活動をバランスシートに載せなかった。しかしお話にならないものがそこにあった。危機で、いくばくかの最高経営幹部は銀行のバランスシートに載っていないものについておぼろげにしかわかっていなかったことを明らかになった。これら「宇宙の支配者」たちは彼ら自身の帳簿を支配できていなかった。ドッド・フランク法は 「資本要件は会社のオフバランスシートないかなる活動をも考慮しなければならない」と明示している。それはオフバランスシートな実体を安全でほとんどないものにするために歓迎すべき一歩だ。今、規制当局はルールを機能させるべきだ。
9. 倒錯報酬を見直せ
トレーダーが成功すればとてつもない報酬を提供し、失敗してもほんの軽い罰で済ませることは、彼らが過大なリスクを取ることを助長する。最高経営幹部や取締役は推定報酬が損失に変わるときに「回収」払いをするべきだ。彼らがそうしないのなら、政府の不器用な手が必要になるかもしれない。
10. 消費者には用心せよ
いくじなしが継続的に金を巻き上げられていれば、彼らは地球の公平な取り分を相続できない。私たちが危機で学んだことは、うぶな消費者を金融略奪者から守るのに失敗すると経済が丸ごと蝕まれるかもしれないということだ。その驚くべき教訓を忘れてはならない。消費者金融保護局がそれを制度化するべきだ。
マーク・トウェインは、歴史はそれ自体では繰り返さないが韻を踏む、と警句を発したと言われている。将来にも金融危機は起きるだろうが、次のものは前回のものの丸写しではないだろう。しかしながら、これらの掟が適用できないほど違うということはないだろう。金融の歴史は韻を踏むが、私たちはすでに拍子を忘れかけている。