バーナンキ・コナンドラムと水準目標 by David Beckworth 

先日hicksian氏が訳されたこちらと順番が前後しましたがDavid Beckworth, “Bernanke Conundrum and Level Targeting”(April 24, 2012)の翻訳になります。


日本銀行は1990年代に総需要を回復させるため十分な努力ををしなかったと論じた「学者ベン・バーナンキ」が、そこでの日本批判と同じミスを犯しているように見える「中央銀行家ベン・バーナンキ」に変身したことに多くの観察者たちは当惑させられている。ここ数年、これに関するおびただしい議論がなされてきたが、今回邦訳[下の引用部分はこちらから引用])ポール・クルーグマンはこの現象をバーナンキ・コナンドラム(バーナンキの謎)と適切に命名している。

バーナンキの謎――バーナンキ教授が提唱していたものとバーナンキ議長が実際にやっていることとの乖離を一致させる方法が数通りある。もしや、バーナンキ教授が間違ってたんであって、この状況で政策立案者ができることなどもはや存在しないのか。もしや、政治が障害であって、バーナンキ議長は内なる教授を隠すよう強いられているのか。あるいは、かつての学究の人はthe Fed Borg(FRB生命体)に吸収されて、陳腐な中央銀行家になってしまったのか。でも、あなたがどの説明を好もうが、問題はFRBが経済学者の期待するような仕事をしておらず、結果として、アメリカの労働者が多大な苦しみを負っていることだ。

僕がもっともありえそうと思うのは、バーナンキ下のFRBによるがっかりさせる対応はいじめとthe Borgの両方、政治的威嚇と組織としてのFRBでの生活を楽にしたいという願望を反映しているというものだ。それらの動機の配合がどのようなものであれ、その結果は明らかだ:今でも絶望的なほど助けを必要としている経済に直面して、FRBはその助けを与えようとしていない。そして、そのことは、不幸にも、FRB自体が広範な問題の一部になっていることを意味する。

政治的威嚇の鍵の一つはインフレへの度外れな恐怖だ。そのようなインフレ論法が見落としているのは、Fedは長期のインフレ期待を危うくさせることなく名目総支出水準を適切な量だけ引き上げることが可能である、という点だ。物価または名目GDPの「水準」目標を使えば信任される名目アンカーが提供されるのでこれが可能なのである。どうもインフレ論法はこの点を見落としているようなので、私のお勧めアプローチである名目GDP水準目標を使って説明しよう。

名目GDP水準目標の下では中央銀行は名目総支出のある一定の成長経路(たとえば5%)にコミットする。このルールは従って長期のインフレ期待を安定させるだろう。しかもこのルールは名目GDPの「キャッチアップ成長」を許容し、過去に失った総名目支出成長を補おうとするので目標成長率との乖離は一時的なものとなる。言い換えれば、名目GDP成長の過去の失敗は修正される。下の図がこの考えを表している。

黒色の線は年率5%で成長する名目GDP。t時点に負の総需要(AD)ショックが起こり、t+1時点までに名目GDPを収縮させたとする。このとき短期的な名目GDP不足が発生している。これを修復して総名目支出を目標水準に戻すために、FEDは5%よりも十分高く名目GDPを成長させなければならない。たとえば、tからt+1までの期間に名目GDPが6%下落したとするとトレンドを11%下回っているということになる。トレンドに戻すためには、FEDは次の期に名目GDPを下落分の11%に加えて通常の5%分も成長させなければならない。つまりt+1からt+2の間にトレンドまで戻すためには名目GDPを約16%成長させる必要があるということだ。インフレ論者が気にしているのはこの一時的な爆発だろう。しかし心配する必要はない。名目GDPの急成長の一部としてインフレ率は一時的に上昇するだろうが、名目GDP水準目標によって長期では5%成長に安定する。名目期待はしっかりとアンカーされるだろう。

また、いくぶん高いインフレーションは短期においては正当化される。なぜなら、それによって負のADショック以前に貸し手と借り手が合意していた名目収入が修復されるからだ。同様に、債務の実質負担も契約にサインした時に予想されていた経路に戻る。さらに、名目GDP成長が急激に回復する結果としての実質成長は、最終的に貯蓄者がショック以前に期待していたリターンを回復させるだろう。点線にとどまっていたのでは回復成長はなく利回りも縮小したままだ。

もし水準目標が広く理解されるようになればバーナンキ・コナンドラムは消え去るだろう。


 

 

以下は、訳者による蛇足

田中秀臣氏が、このあとのBeckworthの議論に関し、日本のGDPデフレーターの数字を引きつつ「総需要不足ばかりだけに注目しすぎていて、日本の場合はそれだけでは不十分」という趣旨の文章を書かれている。しかし、本エントリのBeckworthの論法を(上記の5%でなく、その半分の2.5%の成長軌道で)1998年以降の日本に当てはめてみても(下の図)、この論法が「不十分」どころかむしろ「かなり過激」と感じられるのだがどうだろうが。BeckworthやSumnerならば、物価や名目NGDPの「水準」でなく、インフレ「率」に注目すること自体をミスリーディングだとすると思われる。長きに渡る人為的な負の名目ショックこそが問題である、ということになるのでは?