「「問題は総需要の不足にあり」・・・じゃなかったの?」 by David Beckworth

以下は、David Beckworth, “Bernanke: “Read My Lips, Not My Japan Papers!””(Macro and Other Market Musings, April 26, 2012)の翻訳。ビンヤミン・アッペルバウム記者の質問に対するバーナンキ議長の回答・・・に対するベックワースの反論。


先日のFOMC(連邦公開市場委員会)終了後に開かれた記者会見の場で、ベン・バーナンキFRB議長は、ある記者から、現下の経済危機に対するFedの政策対応とバーナンキの学者時代の見解との間には食い違いがあるのではないかとの質問を受けた。この質問の背景をなしているのは、つい最近クルーグマンが執筆したこの論説である。この論説の中でクルーグマンは、バーナンキ議長は1990年代後半に自らが提案したアドバイス(バーナンキ教授による政策提案)-日本の金融政策当局は総需要の回復を促すためにさらなる行動に乗り出すべきだ、とのアドバイス-に従っていない、と指摘している。記者の質問に対するバーナンキの回答を以下に引用しよう。

15年前に私が日本銀行に関して表明した見解とFedが現在採用している政策との間には幾分か食い違いがある、との意見を目にすることがありますが、そういった意見はまったく不正確(absolutely incorrect)です。私個人の現在の見解ならびにFedが現在採用している政策は15年前の私の見解と完全に整合的です。
当時私は日本銀行に対して2つのポイントを指摘しました。まず1番目のポイントは、私の考えによれば、断固たる決意をもった中央銀行(a determined central bank)はデフレーション―物価の下落―からの脱却を目指して行動することが可能であるし、またそのように行動すべきだ、というものです。2番目のポイントは、短期金利がゼロ%に達した状況においても、中央銀行の手元にある政策ツールは使い果たされたわけではなく、さらなる金融緩和を推し進める上で中央銀行にできることはまだ残されている、ということです。
さて、今現在アメリカ経済が置かれている状況を見てみましょう。現在アメリカ経済はデフレーションに陥ってはいません。・・・(省略)・・・つまり、15年前に日本が置かれていた状況とアメリカ経済が現在置かれている状況との決定的な違いは、当時日本はデフレーションに陥っていた、ということです。

つまり、バーナンキの回答はこういうことだ。(バーナンキ教授が問題とした)かつての日本はデフレ下にあったが、現在アメリカ経済はデフレには陥っていない。ゆえに、バーナンキ教授の見解とバーナンキ議長の見解との間には食い違いはない、と。しかし、ライアン・アベント(Ryan Avent)が指摘しているように、バーナンキ教授による日本に関する研究は単にデフレーションだけを問題にしていたわけではなかった。バーナンキ教授は総需要の不足についても問題にしていたのである。この点は日本が抱える経済問題を論じた彼の1999年の論文(pdf)から容易に見て取ることができる。導入部に続く最初の節は以下のようになっている。

診断:総需要の不足(Diagnosis: An Aggregate Demand Deficiency)

どうしたら日本の金融政策をさらなる緩和の方向に向かわせることができるかという点を論じる前に、さらなる金融緩和策が必要とされているとの見解を支持する証拠について簡単に論じることにしよう。先に示唆しておいたように、金融システムやその他の領域における重要な構造問題が日本の経済成長を阻害する役割を果たしていることを否定するつもりはない。しかし、今日の日本経済は同時に総需要の不足にも悩まされていることを示す説得的な証拠がある、と私は考えている。金融政策を通じて名目支出を刺激することができれば、日本が抱える困難な構造問題のうちいくつかのものはもはやそれほど困難なものとは思えなくなることだろう。

節のタイトルだけではバーナンキ教授の見解はまだ十分明らかではないというなら、併せて引用した最初のパラグラフを見てほしい。このパラグラフから明らかになるのは、バーナンキ教授は、日本は深刻な「総需要不足」問題を抱えていると考えていた、ということである。そして、このパラグラフにはデフレーションという語は一切出てこない。デフレーションは後のほうになって総需要の不足を示すいくつかの指標のうちの一つとして言及されているに過ぎない。さらに言うと、バーナンキ教授は、この論文の中で、デフレーションは総需要の不足(弱含みの総需要)を示す指標として問題含みである可能性についてさえ論じているのである。

おそらくもっと重要なことだが、ゼロインフレーションや緩やかなデフレーションがほどよい繁栄(reasonable prosperity)と共存していた時期(例.古典的な金本位制下の世界経済、物価水準目標を採用していた戦間期のスウェーデン)が数多く存在する、という点は認めなければならない。

デフレーションは扱いが厄介なところがある。というのも、デフレーションは、ネガティブな総需要ショックによってもポジティブな総供給ショックによっても生じ得るからである。言い換えれば、デフレーションというのは、バーナンキ教授が関心を寄せていた本質的な問題の徴候(symptom)[1] でしかないのである。バーナンキ教授も指摘しているように、90年代の日本において正真正銘のデフレーションが生じたのは10年間のうちで数年を数えるだけであり、そのうちの大半はインフレ率ゼロ%をわずかに下回る程度だったのである。言い換えれば、1990年代の日本は急激なデフレーションに見舞われた10年間ではなかったのである。実際のところ、日本の90年代におけるインフレ率は平均して見るとわずかながらプラスを記録しているのである。

そういうわけで[2] 、バーナンキ教授は総需要の不足を示す(デフレーションに代わる)他の指標に目を向けることになる。例えば、バーナンキ教授は、総需要が不足していることを示す証拠として総需要を測る直接的な指標に着目している。

名目的な総需要の成長を測る他の指標としては名目GDP成長率と月間給与額(nominal monthly earnings)の伸び率とがある。これらの推移は、名目総需要の成長スピードが患者の健康にとってあまりにも遅いことを示していると言えよう。

つまり、バーナンキ教授がトラブルに見舞われた日本経済に興味を寄せたのは、デフレーションに対する関心に基づいていたのではなく、総需要不足に対する関心に基づいていたのである。総需要不足という点に照らして考えると、バーナンキ議長率いるFedはバーナンキ教授が日本の金融政策当局に提案したアドバイスに従っていない、ということになろう。上に掲げた表にあるように、2008年以降のアメリカの名目GDP成長率の平均はバーナンキが論文で問題とした期間(1991年~1999年)における日本の名目GDP成長率の平均と似通っており、さらには、2011年におけるアメリカの名目GDP成長率のトレンドからの乖離[3] は1990年代後半において日本が経験したそれとそれほど違っていないのである。

言い換えると、1999年にバーナンキ教授が取り上げた日本の総需要不足問題と現在アメリカが抱えている総需要不足問題とは非常に似通っている、ということである。そして、Fed内部の数名の高官らの主張とは反対に、物価水準目標あるいはNGDP(名目GDP)水準目標を採用することによって、Fedのインフレファイターとしての信頼性を毀損するリスクを負うことなしに現在アメリカ経済が抱える総需要不足に対処することは可能なのである。それにしても・・・ハァ~(ため息)。

(追記)バーナンキ議長に質問を投げ掛けてくれたニューヨーク・タイムズ紙のビンヤミン・アッペルバウム記者に大いに感謝する。

  1. 訳注;「総需要不足」の存在を仄めかす指標 []
  2. 訳注;デフレーションは総需要の不足を示す指標としては頼りないと判断して []
  3. 訳注;名目GDP成長率のトレンドからの乖離というのは、おそらくは、名目GDP成長率の平均(アメリカの場合は1983年~2006年の平均、日本の場合は1970年~1986年の平均)と各年の名目GDP成長率との差のことを指しているかと思われる。 []