マクロ経済学手法の政治的中立性

ノア・スミス,”Are macroeconomic methods politically biased?“より。文中のウィキペディアへのリンクで、日本語版があるものはそちらにリンクを変更してあります。また、定訳のある経済用語かどうか分からないものもあったため、誤訳があれば御指摘頂けると幸いです。


最近のポストで、スティーブ・ウィリアムソンはこんなことを書いている。

現代マクロ経済学の手法は、もはや右派や左派のものではない。共和主義や自由主義、民主主義や、それ以外のどんな主義のものでもない。学問としての経済学のものだ。

僕は長い間このことについて考えてきたけれど、スティーブが正しいかどうかは自信が持てない。現代マクロ経済学の方法論は、ときに保守的な政策に寄った効果を持つことがあると思うからだ。

その理由について以下で説明したい。

現代の景気循環モデルは、基本的に2つの手法に基づいている。(1)DSGE(動学的確率的一般均衡モデル)か(2)SVAR(構造ベクトル自己回帰モデル)のどちらかだ。前者は後者よりも遥かによく知られており、大勢に受け入れられているから(後者の発明によってクリストファー・シムズがノーベル経済学賞を受賞したけれど)、私が「現代マクロ経済学の方法論」について話すという場合、ようするにDSGEについて話すということだ。

DSGEの主要な特徴の一つは、ミクロ的基礎付けだ。それはつまり、DSGEはマクロ経済の現象を個人の決定によって説明するということだ。もう一つの特徴は、最適化行動に基づいているということで、これは変分法を用いてモデルを構築しているということを意味する。

マクロ的な現象を個人の最適化行動により説明するのは難しい。個人は決定を行う際に、様々なことを考慮することがある。数学的に言えば、広い「状態空間」を持つことになりやすいということだ。またに、通常、非合理的期待、学習、動学的不整合性、習慣、過信、評価基準、フレーミング効果とかその他色々の奇々怪々を何とかして計算に入れるために、人々の最適化の対象(目的関数)はとても複雑になる。そしてさらには、無数の個人の決定を一つの巨大なマクロ経済的な結論に集計することは、原則としてとても難しい。企業とか政府とかいったものを考慮に入れる場合はなおさらだ。

だから、当然のことながらDSGEモデルを作る場合、単純化のための仮定を置くとずっと簡単になる。それはこんなような仮定だ。

  1. 代表的個人に基づいた経済を仮定する。言い換えれば、たった一人の人間しかいないような経済を想定する。
  2. 政府は存在しない、もしくは所得移転しか行わないと仮定する。
  3. 価格は完全に伸縮的だと仮定する。
  4. 企業は単に利潤の最大化のみを行い、均衡においては利潤はゼロであると仮定する。
  5. 個人は合理的期待を行うと仮定する
  6. リスク選好は人々の消費による効用にのみ基づいて決定され、またこの効用は少数の変数によって決定され変わることがないと仮定する。
  7. 完全雇用であると仮定する。
  8. 「技術」とはソロー残差であり、また外生的で、時とともに単純な経路で進歩すると仮定する。(例えばAR(1)のように)
  9. 景気変動を説明するモデルが定常状態に沿った線形となるように、景気変動の幅が少ないと仮定する。


これらすべて(とそれに加えていくつか)の仮定をおいた場合、エドワード・プレスコットとフィン・キドランドが1982年に発表した最初のDSGE景気変動モデルである、RBC (リアル・ビジネスサイクル)モデルのようなものが出来ていることだろう。このモデルとそれによって確立されたアプローチによって二人はノーベル経済学賞を受賞した。

上に挙げた仮定は非現実的だって?そりゃ実際そうだからだ。そしてだからこそRBCが実際のデータと合わないだろうと思うのであれば、それは正しい

(補足:キドランドとプレスコットのモデルがデータと合わないのであれば、なぜノーベル経済学賞を受賞したのか疑問に思うかもしれない。その答えは、「ノーベル賞委員会の考えは誰にも分からない」というものだ。ただ、おそらくはこのモデルがルーカス批判に答えようとした最初の景気変動モデルであるからだろう。ルーカス批判では、モデルは政策が変更されても変わらない「深い構造的な」変数のみ使用するべきとしている。キドランドとプレスコットのモデルは、その当時の大多数、そして今でも多くの、経済学者が「構造的」と考えていた、「嗜好」と「技術」がすべての基本になっている。だから当時の人々の目には、二人が政策変更に左右されない景気変動を説明するモデルアプローチを生み出したように映った。そしてマクロ経済学界でのDSGEモデルアプローチの優勢を見れば、多くのマクロ経済学者が未だにこれを信じていることが分かる。)

したがって、RBCを作るのに最適なモデルであるDSGEは景気変動を説明するのにはあまり役立たないし、予測にあたってはさらに酷い。何かもっと良いものはないだろうか。

2007年に飛んで、景気変動に関するスメッツ=ヴァウターモデルを見てみよう。この「ニューケイジアン」モデルは、今のところ将来を予測するのには最も優れたDSGEモデルと考えられている。つまりは、適切に情報を持った人たちの判断ベースの予想なんかよりは、ほんのちょっぴりだけマシということだ。したがって、大多数の中央銀行ではスメッツ=ヴァウターモデルのいくつかの変形型が最良のDSGEモデルとして使われている(SVARや誘導型モデル、判断ベースの予想といった他のモデルの補完として)。もちろんスメッツ=ヴァウターモデルが「最高」のDSGEモデルであるからといって、それがとっても「良い」ものであるかどうかは別だ。このモデルによる予想は、1四半期よりも先のことになると基本的に役に立たない。

キドランド=プレスコットモデルの若干の改善は、当然ながらモデルを複雑化してしまった。一つないし二つだった「ショック」(景気変動を引き起こすとされる外生的な要因)が、スメッツ=ヴァウターでは七つもある。そしてこの七つのショックには、ルーカス批判のいう「構造的」という観点から多くの疑問がある。というのも、このモデルの変数は、政策変更の影響を受ける可能性が高いと思えるからだ(したがってそもそも何故スメッツとヴァウターはわざわざミクロ的基礎付けを行うDSGEモデルによるアプローチを行ったのか疑問だ)。

RBCモデルからスメッツ=ヴァウターに至るまで、二十五年を費やしていることを思い起こしてみよう。これは物理学者が量子力学を確立するのにかかったのとほぼ同じ時間だ。

そしていまだに、モデルの非常な複雑化や、特定の変数の「構造的”性”」に関するおおげさな仮定、構築までの二十五年という期間にもかかわらず、このモデルはマクロ経済の中に存在するとみんなが信じている「摩擦」を捉えるのに、惜しいところにすらたどり着いていないし、2008年の金融危機を引き起こしたとみんなが信じている金融摩擦も考慮に入れていない。習慣形成や双極割引等々による行動、学習、負債契約の有限実施、労働市場の履歴現象、企業間や家計間の所得や資産の不均質もすべて対象外だ。そしてこれだけ列挙しても、このモデルが考慮していない関連事項を網羅したリストには程遠い。それらすべてを一つのモデルに含むことは、現在の技術ではまず不可能だ。モデルの状態空間が途方もなく広がってしまい、解くのにスパコンが必要になってしまう。それが解けるものであればの話だけれどね。

ここから分かるのは、多少現実に即した要素をいくつか含んだだけのDSGEモデルさえ作るのが困難であるということだ。したがって、景気を安定化させるのに政府が一役買うようなDSGEモデルを作るのは非常に難しい。反対に、政府が何の役割も果たさず、ただ物事をぶち壊しにするだけのDSGEモデルを作るのはとても簡単だ。で、どうなるかといえば、ご想像通り。政府の役割が非常に限定されたマクロ経済論文ばかりが幅を効かせるマクロ経済学の出来上がり。

言い換えれば、保守派の好みにものすごく偏った政策を吐き出すマクロ経済学だ。

それが悪いことかって?いや、必ずしもそうではない。もし事実が、保守的とされているバイアスを持っていたら、言い換えれば、もしデータに最も沿うモデルが政府に何の役割も与えないものであったとしたら、リベラルはお気の毒だよね。彼らは自分たちの主張が、現在最良の科学的根拠と矛盾するものだということを認めなきゃいけなくなる。

しかし、DSGEモデルの場合、保守的な政策に有利な結論が得られるのは、それが最良のモデルであるからではなく、それがもっとも簡単なモデルであっただけに過ぎない。したがって、現代マクロ経済学の保守的な傾向は、証拠に基づいたものではなく、論文出版のバイアスとDSGE分析特有の非現実性によるものだ。

ここでもう一つ触れておく必要があるかもしれない。DSGE分析の大部分は、非常に保守的な政治信条を持ったプレスコットが作ったものだ。個人の最適化行動によるミクロ的基礎付けのなされたモデルは、信用できる唯一の「構造的」なモデル-ルーカス批判に答える唯一のモデル-という主張は、多くが非常に保守的な政治信条をもった人々(ロバート・ルーカス自身を含む)によってなされたものだ。そしてそれ以外のモデルアプローチに対する批判、特にSVARへの、は非常に保守的な政治信条を持つ経済学者がわめいていることが多い。

だからといってどうというわけではない(彼らはモデルから得られた結果を信じた結果として保守派になってるんだろうし、保守主義者はより科学的に誠実なんだろう。多分。)。でもこれは、現代マクロ経済学の手法の政治的中立性に対する疑惑の補助的な証拠にはならないだろうか。

DSGEは、マクロ経済学者をレッセフェール政策に陥る場所に追いやるための保守派の陰謀だろうか?ほぼ間違いなく違うだろう。保守主義的なマクロ経済学者は、彼らの第一の信条を立証する論文が優勢を占めること喜んでいるだろうか?ほぼ間違いなくそうだろうね。僕がもっと優れた別のモデルを丁度良く持っているかって?持っていないよ(SVARを積極的に擁護しようするような蛮勇は持ち合わせてない。)

でも僕が本当に疑問に思っているのは、発表から三十年経過し、極めて限られた有効性しかないDSGEによる「保守的な論文発表の傾向」が、他のモデルアプローチを探すことによって得られたであろう以上に、マクロ経済学者たちを充足させただろうかということだ。僕には答えは分からない。でももし答えが「イエス」なら、DSGEは学問としての経済学の政治中立的な道具であるという主張は、あまり正しくなくなってしまう。

追記:DSGEや合理的期待の先駆者であり、この文章の一番上に載せた写真に写っている三人のノーベル経済学賞受賞者の一人であるトーマス・サージェントが現在民主党員であることも触れておくべきだろう(ただ、彼が合理的期待の枠組を離れて、より困難である、学習に基づいたモデルに取り組んでいることも指摘したい)。

  • http://twitter.com/iida_yasuyuki 飯田泰之

    Smets and Wouters →スメッツ アンド ヴァウター

  • http://twitter.com/227thday 227thday

    御指摘ありがとうございます。訂正しました。