ノーベル錬金術賞? by Scott Sumner

サムナーのブログから、”Nobel Prizes for alchemy?“(11. January 2012)です。本サイトでクルーグマンがサムナーに言い返したものが翻訳されましたが(これこれ)、その元の議論です。私見では、どうやら同じことをそれぞれのモデルで言っているわけですが。


サイモン・レン-ルイスがボブ・ルーカスとジョン・コクランを攻撃しているのをポール・クルーグマンが賞賛している。 

想像してほしいのだが、物理学におけるノーベル賞受賞者が公開討論で初歩的な間違いを犯したらまともな大学生は混乱する。さらに別の教授、それも世界最高の能力の持ち主の一人が同じ間違いを犯すなどありえない。しかしながらここ二年、マクロの分野ではこれが起こったのだ。こんな奇妙なことを言って証拠はあるかって?これはノーベル賞受賞者、ロバート・ルーカス。 

「しかし、もし誰かに課税することで橋を作ってその金を建設業者―建設作業をする人々―に配るなら、これはただの洗浄に過ぎない。何の効果もない。刺激を期待する理由は何一つない。そして同じ意味で、乗数にも。(笑)。建設業者に乗数を適用するなら、橋のために課税された人々にもまったく同じ乗数を適用しなければならない。」 

レン-ルイスが知っているかはわからないが、ノーベル賞はケインジアンモデルを信奉しない人々(ルーカス、プレスコット、フリードマン、ハイエク他)にもしょっちゅう与えられている。だからレン-ルイスのこの喩えが適切だとすれば、彼は(クルーグマンも?)スウェーデンアカデミーが錬金術的経済学にノーベル賞を与え続けていると言っていることになる。だったらノーベル賞自体が冗談なのだから、学会プレステージの指標としてノーベル賞を持ち出すレン-ルイスは間違っているよね。 

財政乗数がほぼゼロだと考える人々はたくさんいる。ルーカス、フリードマンそして私をはじめとして。これは基本的経済学について無知であることを意味しない。 

レン-ルイスはジョン・コクランにつても同じ異議申し立てをしてる。以下はコクラン。 

1兆ドルの政府支出をするなどの前に、それがどのように機能するはずかを理解しておくことは重要だ。増税によって賄われる支出が機能しないのは明白だ。政府がA氏に1ドル課税してそのカネをB氏に与えるとB氏は1ドル余計に支出できる。が、A氏は1ドル分支出できなくなるのでトータルでは何も改善しない。 

政府がA氏から1ドル借りてB氏に与える「刺激」の場合は根本的に異なる結果が得られ、我々はトータルで1.5ドル上向く。 

しかしここからが問題。今日借りるためには政府は、明日増税して債務を返済しなければならない。もし我々がA氏から1ドル借りると同時に、明日の税金は1ドル高くなる(利子つきで)だろうと言ったなら、彼は今日課税されたかのように支出を減らす。税金はC氏(金持ち)が払うとA氏とB氏に言っても、C氏が今日の支出が1ドル減る。 

・・・ 

脚注2. もちろんオールドケインジアンモデルでは増税でファイナンスされる支出に乗数を与えていることは知っている。 また、いくつかのニューケインジアンモデル、たとえばChristiano, Eichenbaum and Rebelo (2009) では、税でも借入れでも、いずれも巨大な政府支出乗数があるとしていることも。しかしながら、通常は税でファイナンスされる支出は効き目が弱いと考えられており、それゆえに昨今の政策論議では借入についてのみなのである。 

脚注3. ここで財政拡大論者は怒り狂って、A氏は(訳注:フォークリフトを買う代わりに)マネーを銀行に持って行くが”銀行が貸し出しをしてない”とか、マネーを絨毯の下に敷いておくこともあり得るとか文句を言うだろう。そう言えるが、そういう議論は金融システムの「何らか問題」の話に行ったり、金融政策と財政政策を混同させてしまう。  

このようにコクランは負債でファイナンスする政府支出を二つに分けている。税でファイナンスする支出増と、負債でファイナンスする減税だ。私にはこの思考実験に問題があるようには思えないが、何か見落としているだろうか。続いて彼は、負債でファイナンスする減税はリカーディアン均衡ゆえに意味がないと論じる。そして財政乗数はトータルでゼロだとする。ケインジアンモデルでは全くそうならないわけだが、モデルが正しいとする必要があるだろうか? 税でファイナンスされた財政拡大が実質GDPを押し上げた実証がたくさんあったっけ? コクランはオールドケインジアンモデルが正の財政乗数が出るということは理解しているが、それはケインズ経済学を学んでいないシカゴ派経済学者の問題ではないと明言している。彼は単純に不賛成なのだ。(ところで私がケインジアンモデルを勉強したのはルーカスのマクロのクラスだった)  

どうしてレン-ルイスはこの議論を馬鹿げたものと思うのだろう? 

どちらも同じ単純な間違いを犯している。橋を作るためにt時点でXを支出するならば、総需要はt時点でXだけ増加する。もしt時点で税金をXだけ増やしても、消費者はその影響を長期的にならすので、t時点での彼らの支出の低下はXよりもずっと少ない。両方を合わせると総需要は増加する。 

さらにまずいことに、クルーグマンがこの部分に同意している! レン-ルイスは単純な論理エラー(ケインジアンに共通して見られる)を犯しているようだが。彼は「支出」と「消費」を同じものとしている。しかし収入のうち「支出」されない分は貯蓄されるのであり、それは投資プロジェクトに「支出」されると言う意味だ。S=Iであることを思い出せば、定義によって投資プロジェクトのリソースが貯蓄だ。従って消費者への課税は、その貯蓄・投資能力をそぐ。 

ここで二つの可能性を考えよう。ひとつ目は、財政刺激が失敗し、Gは増加するも民間の税引後所得と支出が100ドル減ることで帳消しになる場合。この場合、消費が10ドル減るとすると貯蓄は90ドル減っていなくてはならない。単なる会計の帰結だ。そこでS=Iゆえに、貯蓄が90ドル減るとは投資が90ドル減るということ。従ってレン-ルイスの例は間違っていて、100ドルの税は民間支出を正確に100ドル減らす。 

この例はケインジアンの読者に受けが悪いだろうね。では、橋の建設が成功して国民所得が100ドル増える場合。この場合、民間の税引き後所得は変化しないだろう。しかし民間部門は消費を減らしたりしないだろうから「フリーランチ」ができることになる。 

どちらにしてもレン-ルイスの例は誤りだ。会計的に見れば、貯蓄が投資であることを無視しているが故の誤り。行動説明的には、消費が減るだろうという想定が誤りで、それは財政刺激が失敗に終わったときだけしか正しくない。 

だからと言って財政乗数がゼロにならなければならないということではない。レン-ルイスは次のように言うべきだったのだ。 

コクランは、課税でファイナンスされる橋の建設は民間貯蓄を減らし、従って金利が上昇することを無視している。これが貨幣循環速度を引き上げ、それで総需要が増える。 

このブログの読者なら私がこの議論を重視していないと知っているだろう。Fedはマネタリーベースを固定しないだろうから。Fedはむしろベースの循環速度の変化を打ち消すように量を増やして調整する傾向がある。しかし少なくともルーカスとコクランの批評は尊敬に値するものだ。レン-ルイスとクルーグマンは、世の中の全員がケインジアンモデルに同意するわけではないということをわかっていないばかりか、自らのモデルを擁護する方法すらもわかっていない。貯蓄が単にウサギの穴に消えてしまうとか、経済を縮こませるなどという乱暴なケインジアン的な仮定を含んでいるような事例でもってコクランを否定するのは良くない。非ケインジアンはこの種の論法に好感を持たないだろうし、ましてやケインジアンアプローチを評価しない人をシロウトだとする傲慢な断定をされた日には。 

繰り返すが、レン-ルイスとクルーグマンが財政刺激について間違ったことを言っているということよりも、議論の仕方が信じがたいほど弱いということだ。私が思うにコクランによるケインジアニズム批判もまた弱い(そして同様に傲慢)。コクランにはNGDPの決定モデルがない。コクランがNGDPを問題だとしているように見えるときもあるが、それは財政政策でなく金融政策の議論においてだ。それは私も同じなのだが、ケインジアンを説得しようと計画するなら、NGDPの決定が明示的なモデルを使う必要があろう。財政刺激が貨幣循環速度を引き上げない理由を説明するか、引きあがってもマネーサプライが減ることによって相殺されることを説明する必要がある。コクランはそれをしなかった。

  • http://twitter.com/himaginary_ himaginary

    孫引きされているルーカスの文中のwashですが、この場合は洗浄という意味ではなく、差し引きチャラという意味です。