「総需要(AD)」の混乱 by Scott Sumner

Scott Sumner のブログから “Why is aggregate demand so confusing?“(15. December 2011)  


 

混乱しているのは私の方かも。でもここは私のブログだから他の人が混乱しているということで。 

まずAS/AD図を考えよう。ASは人口増加、資本蓄積、資源の発見、技術発達などによって右方向にシフトする。このときADに何が起こるか?それは貴方が「AD」という言葉に持たせている意味次第。私は何も起こらないと思う。たとえ物価水準が下がって需要量が増えるとしてもだ。他の人の文章を読んでいると、しばしば彼らが心の中に何か「実質AD」のような概念を抱いているかのような印象を受ける。それではADの意味のほとんどが失われてしまっている。それが需要される量を表すのならば、産出のいかなる変化も必ず総需要の変化をもたらすということになる。ならば不況とは産出の顕著な下落であると定義する以上、ADショックが不況をもたらすかどうかは議論の余地がなくなる。トートロジー!スティグリッツたちを読んでいるとそんな気分に陥る。彼はADを名目概念でなく実質概念と見なしている。 

もしくは経済がキャパシティちょうどの水準にあるときにADが増加する場合を考えよう。教科書ではこの場合インフレが起こるだけだと教えている。しかし「実質AD」の概念を使うとそもそもADの増加が起こっていないということになる。ジンバブエでさえADは増えなかったことになる。産出は増えなかったのだから。 

どうしてこんな混同が存在するのだろうか。それはADを考える対照的な二つの方法があるからだろう。マネタリーアプローチにおける(M×V)は明白に名目概念だが、ケイジンアンのアプローチである(C+I+G+NX)は名目でも実質でもあり得る。人々のほとんどはケインジアンだから、実際のモノやサービスの取引から物事を考える。ミクロな例えで言うと人々のほとんどは「消費者の購入」という言葉は「需要」と同義だと思っている。購入とは売上にほかならず、また単に「供給量」と言えば同じことを表現できるのに。(向こう50年の「原油の需要」のようなグラフを考えてほしい)。マクロ経済の人気ある人たちの文章を読むときには、彼らが経済を部門別に分解していると解釈するようにしている。彼らが「12月の国産車需要」について語るときは、それは「量の需要」についてなのだと。 

より根深い問題は、ケインジアンとマネタリストの世界観にほとんど共通項がないことだ。この両者は極端に異なるので頭の中で交互に切り替えることがかなり難しい。 

タイラー・コウエンが次のような引用をしているのを読んで、最初私は彼がADを量の需要と混同しているのではないかと思った。 

雇用創出の弱さは依然として失業問題の核心であり続けている。この仮説を受け入れたからと言ってケインズ経済学を拒絶する必要はない。例えば雇用と創業創出の弱さがADが本来のところまで回復していない一つの理由だと考えることもできるのだ。因果関係は両方の方向に向いているとすれば。 

(ところで彼の最初の文がトートロジー的だとかコメントしなくていいよ。彼はネットでなく、グロスの雇用創出のことを言っているのだから) 

私は経済のダイナミズムとか創造的破壊は、ADは影響せずASのみに影響するものだと思っている。彼はまさに次の文で二つを混同していないことを示していた。私と同様、彼もADは名目概念だと見ている。 

覚えておけ — 貨幣循環速度は取引から受け取る利得の内生要因だ。 

しかしそれでも不満が残るのは、貨幣循環速度のショックがADに影響するという彼の暗黙の仮定には不賛成だからだ。フリードマンの4%貨幣成長ルールや金本位制の下であるならばこれは正しい。しかし、以下の金融政策レジームに従うとき、貨幣循環速度のショックは全くADに影響を与えない。 

1. インフレ目標 

2. NGDP目標 

3. テイラールール 

4. 中央銀行はインフレ率が1%を下回ることを避けるためだけに十分な量的緩和を行うが、それ以上のことはしないというような複合政策 

実際の今の枠組みがどれであるかはわからないが、4%ルールや金本位制よりはこの4つが近いだろう。大胆に推測すると、テイラーは次の間違いを犯している。 

1. 彼は真の失業の理論を開発した(ここの問題はない) 

2. マーケットマネタリストが彼の肩越しに先を見ているのに気づいたか、あるいはおそらくADも重要だ(AD matters)という実証結果に不快を覚えたのか、その理論は不況のAD理論と互換的だと考えるようになった。しかし、私はそうは思わない。AD理論は100%、名目であるはずだ。つまり、AD理論はどんな説明であれ金融政策プロセスを中心に据えなければならない。 

かと言って実質ショックが重要でないということではない。たとえば私は、2008年と2011年の原油価格ショックは金融政策を引き締め的にし、結果、ADを抑制したのではないかと疑っている。両年の場合ともにFedは総合インフレ率が高いために金融刺激に消極的になった。両年の場合ともにインフレ率は目標より上だったが、その引き締めはNGDP成長を抑制するのに十分だった。NGDPの減速が経済を減速させたのだ。このことはテイラーの雇用創出ストーリーでも同じように説明することはできるだろう。しかし「貨幣循環速度が下落する」という説明に何かを付け加えるほどのものだとは思わない。それはむしろADの「実質」理論を展開していえる誰か、しかもそれを正しく使えばADを動かすことができると思っている誰かに余りにも近いように感じられる。財政政策はADに影響するはずだと早合点し、そうなるために貨幣循環速度は正しい方向に動くと無造作に主張するケインジアンに。そうかもしれない、しかしこの理論は単に貨幣循環速度の仮定を付け加えるだけではなく、たとえばM×Vの変化のような中央銀行の実際の活動に即して開発されて行く必要があるだろう。 

追記。名目ADショックがどのように実質の量需要(12月の自動車販売とか)の変化に影響していくかは全く別のテーマだ。その説明には賃金と価格の硬直性の概念が必要で、タイラー・コウエンは新しいポストでインドの田舎(そこでは賃金は柔軟だと思っているでしょう?)における賃金硬直性の興味深い証拠について論じているね。 

もう一つ追記。銃口が自分の額に向けられたら私がどう論ずるか。雇用創出のプロセスが活発になるにつれヴィクセルの均衡利子率は幾らか上昇するだろう。これによりインフレ率がどうあれ、Fedは嫌がっている「非伝統的金融刺激」をする代わりに、伝統的な刺激で対処する余地が生まれる。私がこれを信じるかって?どうだろうね。