埋め戻すためだけの穴掘り by カール・スミス

Digging Holes Just to Fill them Back Up Again by Karl Smith, October 31st, 2011

穴掘りです。

しかし、古典て。。。昔の人はもったいぶってたんだなぁと、ふと。


ポール・クルーグマンのブログからこのやりとりを取り上げたいと思う。私の読者の中にはポールのおおざっぱな扱いを受け入れる気にならない人もいると思うので。しかしながら、重要な点なのだ。

雇用、利子、おカネの一般理論の中で、ケインズは次のように書いている

財務省が古い瓶を紙幣で満たし、使用されていない炭鉱に適度な深さで埋め、その時に都市のゴミで表面を覆い、時の試練を経て十分に使える自由放任(レッセフェール)の原則のもと、再び紙幣を掘り起こすことを民間企業に任せるとしたら(もちろん、そうする権利は、紙幣を埋めた土地の借地権の入札によって得られるものだ)、もはや必然的に失業がなくなるし、波及効果の助けを借りて、社会の実質的な収入および資本財産は、おそらく今現在よりもものすごく多く増えるだろう。なるほど、住宅やそれと同じようなものを建てるほうが合理的だろう。だが、こうした(住宅を建てる)方法が政治的にも実務的にも困難がつきまとうのだとしたら、上述した(紙幣を埋めて掘り起こす)方法は何もないよりはいい。

こうした記述により、多くの経済学者や思慮深い人々はケインズは生産活動や取引の役割を知らないか無視しているのだと結論づける。明らかに財産を破壊している行動をすることで人々が豊かになるのはどういうことなのか?

ケインズがこの特異な事例を選んだ理由を見れば、この点を見通せる。それはまさに金本位経済が働く原理であるからだ。ケインズはこれを次のような言葉にしている。

滑稽な結論を回避するためになんとか逃れようと、常識によって、部分的な無駄遣いをする形式より公債支出による完全な「無駄遣い」をする形式を、選好しがちになるのは興味深い。ここで言う、部分的な無駄遣いとは、完全な無駄遣いにならないという理由で厳格な「ビジネス」の原則を当てはめて判断しがちなものだ。たとえば、実勢金利より低く改修の費用を融資するよりも、公債によって財源調達された失業手当のほうが快く受けとられる。それと同時に、金鉱採掘として知られる地面に穴を掘る形式は、世の中の本当の富に何も追加しないばかりか労働の負の効用を含んでいるが、全ての解決策の中でもっとも受け入れられる。

この話は全てが気が狂っているように思われるかもしれないが、我々全員が受け入れると私が考えている観測から実際に拡張している。デービッド・ヒュームの私の好きな引用を差し挟み、それから内容に富んだ説明に入ろう。普通はこの引用は端折られるのだが、私は好きなので丸ごと掲載する。文章を太字で強調することを許してほしいのだが、これは私のお気に入りの引用であり、夢中になってしまったのだ。ソースはEconLibから。

私が見たところ、金(ゴールド)や銀の量を増やすことが産業に都合がいいのは、おカネ取得と物価上昇の間にある、このような期間あるいは中間的な状況だけだ。おカネが、ある国に輸入されたとき、最初は多くの人の手に分散しない。だが、すぐにでも有利におカネを使おうとしているわずかな人の金庫にしまわれている。CADIZ港(スペイン)に送った商品の対価として金(ゴールド)と銀の報酬を受けとった製造業者や商人がいると仮定しよう。彼らはこのことで以前よりも、より高い賃金を求めることを望んだことがない労働者を雇うことができ、労働者はそうした金払いのいい雇用者からの仕事を喜んでいる。労働者の数が不足し始めると、製造業者はより高い賃金を支払うが、最初は労働量の増加を求める。そして、職人はこれに喜んで従い、彼は追加的な労苦と疲労の分を埋め合わせるために、今はもっと良く食べたり飲んだりできる。彼は市場に自分のおカネを持っていき、市場では全てのものが以前と同じ値段なのを見て、自分の家族が使用するために、[追加的な労働と引き換えにお金が増えたことで]より多く、より良質の種類のものと得て、それと引き換えに[おカネを市場に]返す。 農場主や造園業者は、[これを]見て、全ての商品を値引きし、そうした商品を機をみて更なる儲けのために当てた。 また、同時に彼らは、[販売している商品である衣服の]値段を以前と同じにしている小売商人から良質で大量の衣服を購入する余裕ができ、そしてそれらの産業は多くの新しい利得に刺激されるだけだ。社会全体を通しておカネの進む様子を追うのは簡単だ。私たちが見ようとしていること、それは賃金を上げる以前に、最初に各個人に精を出して働くことを急かさなければならないことである。

このことは、粘着的な物価がおカネの非中立性の原因だという、「ケインジアン」の主要な観察を含んでいる。

ヒュームから引用することに特別な関心があるのは、彼がおカネを増刷する中央銀行の決定でなく、実体のある金(ゴールド)と銀の増加を論じているからだ。

人々がヒュームが述べているのと同様な方法を通して実際に雇用を増加させることになる金(ゴールド)をさらに多く見つけるようになるのであれば、ケインズはこの点に同意し、yesと言うだろう。

だが、金(ゴールド)を発見する方法は地面に穴を掘ることによるのだ。ケインズの言葉を借りれば、そうした方法はおカネの裏書に使おうとする金(ゴールド)を積み上げる目的しかもたない。

それなら、単純に地面におカネを埋めて、人々にそれを掘り起こさせないのはなぜなのか?

この方法は新しい埋蔵金(ゴールド)の発見と同様の効果があり、同じ方法を通じて失業を緩和するだろう。

だが、待ってくださいと彼は言っている。再び掘り上げるためだけに地面におカネを埋めることは、一体、何が論点なのか?

人々に地面の穴掘りよりも道路や学校の建設のような生産性のあることをさせたらどうだろうか。引き換えに、おカネを渡すことができる。ちょうど金(ゴールド)採掘同様にうまくいくだろうが、それを見るために地面に穴ができるかわりに、道路や学校をもつことになる。

これは政府がおカネの使い道を民間市場より良く知っていると言っているのではない。民間市場におカネを入れる慣習的形式がただ単純におカネ獲得のための採掘を含んでいることを言っている。

民間市場におカネを入れるために生産性のある[と考えられている]ことをするようにしよう、それから最善だと考える目的のためになら何でもおカネを使わせましょう。


【編集】

  • 11/3 12:00 誤字・誤訳一部修正