ラルス・クリステンセン、マーケット・マネタリズムについて by デーヴィッド・グラスナー

ラルス・クリステンセンがマネタリストの流れを汲むブログの議論をまとめたものを、まとめの中に出てくるデーヴィッド・グラスナーが自身のブログで紹介した記事になります。


(原文)

ラルス・クリステンセン、マーケット・マネタリズムについて

by デーヴィッド・グラスナー

September 20, 2011


ダンスク銀行チーフアナリストであり2年前から始めたブログの常連であり価値あるコメンテーターのラルス・クリステンセンは過去2~3年のブロゴスフィアでの金融政策論争をフォローし参加している。金融市場と金融政策の実践的で豊富な知識、金融政策についてブロゴスフィアで語られていることに対しての広範囲に及ぶ理解など、金融経済学者としての彼の注目に値する専門性を総動員して、ラルスはワーキング・ペーパーの中でこうした議論の重要な成果を取り出すことで多大な公的サービスを行った。そのワーキング・ペーパーとは、マルクス・ヌネスのブログに投稿された「マーケット・マネタリズム:第二のマネタリズム反革命」である。

ブログスフィアでの3年近くに及ぶ金融政策について議論の中から重要な分析や政策への貢献を取り出した偉大な業績に加えて、ブロゴスフィアの議論において金融及びマクロ経済学の理論的背景をトレースし説明することで同様に価値ある印象深いサービスを行った。またマーケット・マネタリズムの適切な理論的背景の要約のほかに、ラルスは、アカデミックとブロゴスフィアの議論の間の接点が拡がりますます行き来がしやすくなっていることで、ブロゴスフィアの議論がすでに伝統的学問よりどのように進み、こうした貢献がどのように重要性を増していってるかを説明している。

ラルスの業績は私は2つの重要な研究記事を思い出す。その研究記事は歴史的な先行者及び対抗する意見の間で交わされる文脈の中で新しく興ってきた研究を紹介している。1956年のミルトン・フリードマンによる数量説の再提示とハリー・ジョンソンとジャコブ・フレンケルの1976年の著作に書かれている収支への金融的なアプローチについて紹介するエッセイである。あまりに時期尚早でマーケット・マネタリズムの物語がどのような役割を演ずるのか語ることはできないが、我々の多くが望むように物語が進展するならば、ラルスの論文は早期の画期的な業績として見られるようになるだろう。

ラルスの調査の多くはマーケット・マネタリズムの知的なリーダー、スコット・サムナーに焦点をあてている。サムナーの影響力のあるブログ(www.TheMoneyIllusion.com)はマーケット・マネタリズムの形成と発展の触媒になっており、彼の飽くなきブロギングと、容赦ないがウィットに富み理にかなった提案が、ブロゴスフィア、そして、ますますアカデミックな議論の中でも一目おかれる存在になりマーケット・マネタリズムの勢力形成において重要なものとなった。しかし、ラルスはニック・ロウ(www.worthwhile.typepad.com)、デービッド・ベックワース(www.macromarketmusings.blogsopt.com)、ビル・ウールシー(www.monetaryfreedom-billwoolsey.blogspot.com)、そしてジョー・ヘンドリクソン(www.everydayeconomist.wordpress.com)のようなほかの貢献者にも正当なクレジットを与えている。同時に、ラルスはリッチモンド連銀のロバート・ヘッツェルをサムナーやほかの人にとって助力する人物であり影響力のある人だとみている。ラルスはまた「広義のマーケット・マネタリストの家族」の一員としてマルクス・ヌネスと彼のブログだけでなく私とこのブログにも触れている。

その一員としてみてくれるのはうれしいことだが、様々なオフラインでのやりとりで(たぶんラルスの論文の草稿の中さえも)私自身がマーケット・マネタリスト(あるいは、ポール・クルーグマンがスコット・サムナーとその仲間のことを指して言ったように、準マネタリスト)なのかどうかという疑問が持ち上がってきた。ラルスの論文は、実際、私がマーケット・マネタリズムの同僚と同意する気にならない、将来何らかの形で投稿して言いたいことがある特定の理論的な議題に触れている。私はたしかに彼らほどミルトン・フリードマンや昔流行したマネタリズムのファンでもなく、そのため私がフリードマンやマネタリズムのフォロワーであることを示すようなラベルをあてはめられることにはまったく熱心でない。(私は少しばかりフリードマンに批判的すぎるととられる可能性があることをおそれており、確かに彼は偉大な経済学者であるが、私は彼の貨幣の研究の多くは深刻な欠陥があり、早期の金融理論家、とくにホートウェイの成果から長く後退してしまったと考えている。)ラベル貼りの問題は金融政策がマクロ経済の安定に重要であり、どんなにフリードマンとは関係ない情報をベースにする見方であってもみんなが納得するような見方だとマネタリストとしてみられる可能性がある。金融政策がどのように運営されるか、あるいは運営されるべきかの理論がフリードマンの金融理論とどれだけ違うものであったとしてもだ。

もちろん、形式的に準マネタリズムとして知られている金融の考え方の学派を正確に何と呼ぶのかについて疑問が出るだろうし、すでに多くの場所で議論されている。ラルスはマーケット・マネタリズムを選択し、かれの合理的でチャームな性格による魅力と良いタイミングによって、まさに来るべき日をもたらしてくれたかのように見える。スコット・サムナーは実際に私に最近(日本にいる間に受け取ったと思う)、電子メールを送ってきて、私に異なる代替案について私が考えていることは何かを聞いてきた。マネタリズムについて私が(おそらくひどく几帳面な)心構えのために、またおそらくはどんなものでも特定の思想の学派で私を特定することが嫌な性分なので、どんな名前であっても好かなかった。しかし、様々なな名前についてさらに考えながら、遅まきながら、マーケット・マネタリズム、準マネタリズム、あるいはほかの候補をさしおいてネオ・マネタリズムを好んで使うことを決めた。

私はマーケット・マネタリズムはあまり良い選択肢でないという結論に達した。ほかの人が指摘しているように、「マネタリズム」に「マーケット」を付け加えることが意味していることが少しも明確ではないからだ。思うに、マーケット・マネタリストは伝統的なマネタリスト以上に一つもしくそれ以上の貨幣総量をコントロールする機械的でプリセットされたルールにより金融政策を公式化することで市場に生成される情報に非常に敏感であったはずだ。それにもかかわらず、伝統的なマネタリストは市場や市場に根ざした経済政策に対して逆行しており、そのために修飾語「マーケット」は伝統的なマネタリズムについて特定の不公平な、しかし予期しない、含意を伝えた。さらに悪いのは、マネタリズムと結びつけて使用される形容詞「マーケット」の曖昧さが、形容詞「ソーシャル」とほかのなにかの用語と結びついたときに起きたことについてF.A.ハイエクが指摘した批判を思い起こす。

「ソーシャル」という言葉は傑出した美徳、良き人間が身につける特性、そして共同体的行動に導かれる理想などをますます記述するようになっている。しかし、この発展が漠然と「ソーシャル」という用語が使われる領域を広げたのと同時に、必要となる新しい意味を与えなかった。オリジナルにあった叙述的な意味を奪いさってしまったので、アメリカの社会学者は必要となる箇所で新しい用語「ソシエタル」をつくる必要があった。たしかに、その言葉はある状況をつくりだしてしまった。その状況の中では「ソーシャル」は公的に望まれるほとんどの活動を記述するために使われうるし、同時に「ソーシャル」と結びつくいかなる言葉からも明確な意味を奪う影響力をもっている。「ソーシャル・ジャスティス」だけでなく、「ソーシャル・デモクラシー」あるいは「ソーシャル・マーケット・エコノミー」もしくは「ソーシャル・ステート・オブ・ロー」などはジャスティス、デモクラシー、マーケット・エコノミー、あるいはthe Rechstaatはそれ自身で完璧な良い意味を持っているのが、形容詞「ソーシャル」の追加でそれらの言葉にほとんど似たような意味をつけることを可能にしてまったことによる表現である。たしかに、この言葉は政治的議論の混乱の主要なソースの一つになってしまったし、おそらく最早有用な目的のために再び主張されることがない。 (法, 立法 及び 自由, vol. 2, pp. 79-80)

そういった理由で、私はネオ-マネタリズムを選択する。この言葉は、古いマネタリズムold Monetarismと(ニュー・マネタリズムNew Monetarismとは別の)新しいマネタリズムnew monetarismの間に定義されていないいくつかの違いがあることを示しているだけであり、古典派と新古典派の経済学の違いの本質がラベルで明らかでないように、正確に記述をしているわけでもない。しかし、古典派と新古典派の経済学は、たしかに、理論的な構成に大きな違いがある。この違いは名前から識別できないし、違いが横たわる場所を見るためにお互いについて少しは知らなければならない。こうした意味で、マーケット・マネタリズムは、伝えることよりもむしろ、ぼんやりしているし、おそらくはミスリードになりがちである。同時にネオ・マネタリズムはミスリードもしないし誤伝達もない。とにかく、これにどんな価値があろうとも、これが私の選択したことなのだ。


* 2011/10/19 タイトル訳修正