どの流動性の罠も似ていない by Scott Sumner

サムナーのブログから ”No two liquidity traps are alike“(24. February 2009)という古いエントリ。とはいえ、自身の貨幣/マクロ観をよく示すエントリの一つだとのことなので。


ほんの数年前まで、財政刺激に大きな信頼を寄せるエリート経済学者を探すのは難しかった。なのに昨今は大流行だ。何があったのだろうか。思いつく唯一の説明は、名目金利がゼロに近づき、総需要がスパイラル的に下降するようになった直後に、専門家の多くが我々は「流動性の罠」にはまったと考えるようになったというものだ。多くの経済学者たちが流動性の罠について実際に何かを知っているという証拠はほとんど見当たらないのだが、おそらく学部時代のマクロのクラスで聞いた概念の曖昧な記憶が彼らにあるのだろう。残念ながら、彼らが学んだことはほとんど確実に誤りなのだ。

まずはこの考えをケインズが開発したという誤認の話から。1930年代初頭の保守的な金融の新聞を見ていくと、ゼロ金利制約の問題は「紐を押す」の概念と並んでしょっちゅう言及されているのがわかる。ケインズの概念(それ自身はとても原始的だ)ほど洗練されていないまでも、一般理論が出版されるよりずっと前からその基本的な考えがほとんど社会通念になっていたということは明らかだ。1930年代初期、金融刺激を好む進歩主義者に対して保守主義者は一般的にこの議論を用いていたのである。

ケインズは一般理論の中で、この概念について曖昧に書いたということはよく知られているが、一般理論以外の場所においては、ゼロ金利に直面した厳しく抑圧された経済においては金融政策は無力だと彼が考えていたのは確実だ。1930年初頭に彼が財政拡大を主張した理由がこれだ。一般理論の中で触れられている唯一の流動性の罠の例は、有名な1932年のFedによる公開市場操作で、これは失敗だったとされていたものだ。フリードマンとシュオーツがそれは失敗ではなかったと議論したというわけである。クリスティーナ・ローマ―もそうである。しかし私はケインズは基本的に正しかったと考えている(株式市場の参加者たちもそうだった。彼らはこの市場操作の期間、株価を急落させた。)

しかしケインズが正しかった理由は正しくない。金融緩和が経済の加速に失敗したのではなく、公開市場操作で貨幣供給を増やすのに失敗したのである(M1およびM2は減少した)。債券購入を行った期間、確かにマネタリーベースはわずかに上昇した。しかし、ベースへの緩和効果のほとんどは金の流出によって帳消しになった。公開市場操作は金減価への恐怖に貢献してしまったのだ。金融政策が有効でなかったこの例は、流動性の罠ではなく、国際金本位制の良く知られた制約によるものなのである。そう言える理由?1933年にFDRが金本位制を放棄すると直ちに物価と産出が急上昇した-そしてその上昇ははっきりとドル減価と相関していたのだ。

米国は1938年までに金本位制に復帰し、流動性の罠にも復帰した。しかし繰り返すが、これは見た目とは異なる。マネタリーベースの変化は単に金の流出を反映したものであり、金融政策は完全に受動的になっていたのだから、Fedがデフレサイクルの「罠に嵌まってい」という証拠は全くない。繰り返すが、これは通貨の金ペッグという金融レジームの下で想定されることがそのまま起こっただけである。

日本は1990年代後半までにゼロ金利と物価下落に直面した。金本位制の制約はない。では何が起こったのか。標準的な見解は、日本は流動性の罠に陥ったというものだ。いわく、彼らはデフレサイクルから脱出したかったがゼロ金利制約が金融刺激を無効にしてしまったと。その捉え方には大問題が二つある。第一に、もし日本銀行が本当にデフレを終わらせたかったなら、どうして彼らは例えばスヴェンソンが提唱する「フールプルーフ」としての通貨減価のような非伝統的金融政策を採用しなかったのだろう。

百歩譲って、日本銀行は通貨減価による海外の反応を恐れたとしよう。(それならFedが1932年に直面したものと似て、交換レートが施策を制約となる)。しかしもしそうだとしても、1994年から今日までGDPデフレーターを着実に下落させ続けているのはなぜだろう。どうして彼らは円を強力に増価させ続けてきたのだろう。どうして2000年にはGDPデフレーターが下落し続けていたのに金利を上げたのだろう。

もう百歩譲って、2000年に日本銀行は間違って金利を上げてしまったとしよう。彼らは2001年にすぐゼロ金利に戻した。しかしどうして2006年、やはりGDPデフレーターが下落していたのに再度金利を上げたのだろう。そして2008年暮れは経済が深刻な不況に引き戻されようとしているのにどうして1/4ポイントの引き下げに同意できなかったのだろう。どこかの段階において百歩譲るのを止めて、1994年から今日までほとんど継続的に進行してきた1から2%のデフレを日本銀行は選好していると考える必要があるだろう。これは断じて「罠」などではない。

クルーグマンは、流動性の罠とは実際は「期待の罠」であって、日本銀行は自身の保守的な評判の囚人になっていると論じた。私もクルーグマンの主張、すなわち一時的と見做される貨幣供給は総需要にほとんどもしくは全く効果を及ぼさないというのに異論はない(私が彼より5年前にJEHでそう主張したのだから)。しかしこれを「罠」というと、日本銀行が真剣にデフレを終わらせたがっていると受け取られてしまう。残念ながら彼らがそう思っている証拠が(行動としては)ない。

こうして罠という説明はアドホック気味だと理解される。これを今のFedの政策に適用することを認めるわけにはいかない。私はFedが日本銀行ほど保守的だとは思わない。日本銀行とは違いおそらくFedはマイルドなデフレを避けたいと真剣に願っているのだろう。ほとんどの人々が我々はある種の流動性の罠の中にあると考えるのも無理もない。もしそうなら、不換貨幣レジームの下では史上初の本当の「罠」ということになるだろう。

最近のFedの政策について私が一番不満なのは、彼らはある時はできることはすべてやってしまったと信じているように振る舞う一方で、ある時は危機の時のための弾薬を残しているかのようにも振る舞うことである。例えば準備金に利子を払う政策についての彼らの説明は流動性の罠だとすると意味をなさなくなり、むしろ拡張的過ぎる政策スタンスを避けたくて仕方がないように聞こえる。その一方でバーナンキは財政拡大を提唱しているが、これは彼が金融政策ではこれ以上何もできないと考えているのでなければ意味をなさない。それなのにバーナンキはもし状況が非常に悪化したら非伝統的な手法(例えば長期国債や他国債の購入)を受け入れることがあり得ると述べる。

今や名目GDPが10%下落すると見積もられ、またその結果として、世界中の金融システムが崩壊の淵でよろめいている時にFedはいったい何を「とても悪い場合」と定義しているのだろうか。

かつてリチャード・ティンカーレイクはこう主張した。「まともな中央銀行は金融危機に際しすべての金(gold)を失うことによって失敗することはない。何もしない時に失敗するだけだ。」彼は1933年に米国が金本位制を離脱した時に米国が依然として世界で最大の金準備を保持していたことを指摘した。準備金とは危機の時に使われるはずのもので、それがまさに準備金の本質である。準備金が尽きそうになることなく金本位制を離脱したとは、過剰に憶病だったことのショッキングな証拠だ。今Fedは、準備金に利息を支払わない状態で積極的にベースを拡大した時にどうなるかを見ようともしない前に(もっといいのは準備金に利息を課した時にに何が起こるかを)実質的に金融政策を放棄している。利息を支払う政策は公然たる引き締めであり-FFレート目標をゼロより上にすることを下支えすることが目的だった。更に悪いことに、ここ数週間は彼らは急速にマネタリーベースを絞りはじめており、準備金に金利を支払い続けてもいる。