テイラールールの「危機」の持つ7つの顔 (第2.3節) by James Bullard

2.3 FOMC

図1でマルで囲まれたデータ群がある。「2003-2004」とラベルが付けられたデータであるが、それらは政策金利が1.0%、インフレ率は1.0%から1.5%の間にあるものである。このエピソードは前回FOMCがデフレとの戦いを覚悟した時のものである。この時期コアインフレ率が低いレベル —現在ほど低くはなかったが— にまで落ちたもののインフレ率と金利は上昇した。このエピソードはアメリカが日本タイプの状態に陥る危険性を懸念する人に安らぎを与えるものである。経済は最終的にはターゲット定常状態に復帰することを示唆しているのである。結局のところ安定性ビューが正しい見方であることの傍証となるかもしれない。しかしながら2003年の経験ではゼロ金利政策は行われていないのだ。

この時期の考察はここセントルイス連銀のDaniel Thorntonによる。Thorntonはこの時期のFOMCのコミュニケーション —市場が長期のインフレ率についてどのようにコミュニケーションに反応したか— に重点を置いた。その当時、インフレ率のいくつかの指標は1%程度をうろついていて、2010年現在のコアインフレ率の動向と似ている。2003年3月の会合でFOMCは次のような声明を発表した —「… 望ましくないほどに低下しているインフレリスクは見通し可能な将来について支配的な懸念となりうるであろう。」2004年の始めにはインフレ率は反転し、FOMCは低インフレ懸念への言及を終えている。Thorntonは10年物物価連動国債のスプレッドを使って、この声明以前の2001年1月から2003年4月までの時期の長期インフレ期待が1.74%であったことを示した。この声明以後の2004年1月から2006年5月までの期間は平均で2.5%であった。ThorntonはFOMCのコミュニケーションが委員会の暗黙のインフレターゲット範囲の下限を設定したと解釈している。これは長期のインフレ予想を上昇させる効果があったのだ。

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図3:2003年〜2004年のエピソード Thornton (2006, 2007) はFOMCのコミュニケーションがインフレ目標を引き上げたと論じている

図3はこのタイプのより長期のインフレ予想の変化がどのように起きたのかを示している。BSUのその他の前提条件を認めるならば、民間部門は中央銀行がインフレ率がより高いレベルに達した時にそれを維持する行動をとったと受け止めたと考えることが出来る。民間部門は図3の実線をFOMCの政策ルールだと考えていたが、声明後には破線の政策ルールにシフトしたと捉えたのだ。これによってターゲット定常状態でのインフレ率は1.75%から2.5%に上昇した。

このことが最終的にターゲット定常状態に経済が復帰するのかそれとも意図せざる定常状態へと陥るのかという疑問になぜ肯定的なインパクトを与えるのか図3からは直ちに明らかではない。インフレ目標をクレディブルに高めることは2003−2004のマルで囲まれたデータ群からさらに遠くの図の右側へターゲット定常状態を移動させることを意味する。よって、望ましい結果と現状との間により多くのスペースを作り出すことはむしろ逆効果であると考えられるかもしれない。

実際の結果としては全てがうまく行った。少なくとも意図せざる定常状態は避けることに関しては。インフレ率は反騰し、政策金利は上昇した。そして日本タイプのデフレの脅威は忘れられたのだ、少なくとも一時的には。これは輝ける好手だったのだろうか?それとも単に経済ニュースが同時期のより高いインフレ率をサポートしただけなのだろうか?