「ニュー・マネタリー・エコノミクス」は未だ健在 by Tyler Cowen

当該エントリは、Tyler Cowen “The “New Monetary Economics” is alive and well”(Marginal Revolution, 2011/06/02付)の翻訳である。“New Monetary Economics”については、邦語文献として片山貞雄「ニュー・マネタリー・エコノミックスの貨幣理論」『彦根論叢』第292号(1995-01-15)(.pdf)があり、翻訳にあたって参考とした。また、献身的に訳の添削をして戴いたVOX watcher氏に感謝の辞を述べたいと思う。誤訳等あれば、コメント欄にてご指摘下さい。


フィッシャー・ブラックやボブ・ホール、ニール・ウォリス、そしてユージン・ファーマが80年代に(ブラックのは70年代)いくつかの画期的な貨幣理論の論文を著したが、一般的な評価としては彼らの貨幣理論は「あまりに風変り」であったし、その線に沿った研究はそれほど実り多い成果を生むには至らなかった、ということになっている。フリーバンキング論者のサークルでさえ「ニューマネタリーエコノミクス」(以下、NME)―彼らのサークルではそう呼ばれていたのだが―それほど真剣には受け入れられなかった。もし貴方がNMEの定義を欲するなら、私はこう定義するだろう。NMEとは、今のところは現実のものとはなっていない代替的な貨幣制度(あるいは金融制度)についての研究、通常は単一の「貨幣」によって担われている「交換手段としての機能」と「価値尺度としての機能」とが別々の媒体によって担われ、(交換手段としての機能が複数の物体によって担われる可能性があると同時に)複数の交換手段がそれぞれ独自の(価値尺度としての機能を担う物体との交換比率として見た)価格を有し、あるいは/それと同時に、通貨や(民間銀行がFedに預け入れている)準備預金に対して金利が支払われるような架空の代替的な貨幣制度(あるいは金融制度)についての研究なのである。最も重要なことは、今現在「貨幣」が集約的に果たしている複数の機能を脱構築することでマクロ経済学の発展が可能となるということだ。

NMEという語自体は死語になってしまったが、ここ3,4年ほどの間にNMEは大きなカムバックを果たすことになった―NMEという名で呼ばれてこそいないが―。

1.NMEのコアとなる見解は、貨幣の性質natureや品質qualityについて幾許かの懸念を抱かれるようなことが生じれば、貨幣に価格付けがなされる(貨幣の価格が変動する)ことが重要である、というものだ。だが、現実には、「アイルランド銀行のユーロ」と「ドイツ銀行のユーロ」との間には変動する市場価格(交換比率)が存在せず、この事実―すなわち、「アイルランド銀行のユーロ」と「ドイツ銀行のユーロ」との間の価格(交換比率)が1に固定されているという事実―こそがユーロという通貨が抱える致命的な問題なのである。市場は今まさに「アイルランド銀行のユーロ」と「ドイツ銀行のユーロ」との間に新たな価格(交換比率)が成立することを望んでいる。すなわち、市場はユーロが複数の通貨に分離することを望んでいるのである。NMEは、非常にすっきりとしたかたちで、何故ユーロ圏の国の中にうまく機能していないところ乃至恐らくはうまく機能し得ないところが出てくるのかを説明するのである。

2.スコット・サムナーは”NGDP予測ターゲット”という彼のアイデアによって大きな反響を呼んだ。スコットのこの提案は、今のところはまだ存在していない予測市場の創設を提案しているものとみなすことができよう。スコットは、貨幣に価格付けする方法が欠けている現状を受けて、貨幣に価格付けをする新たな手段―その手段が名目GDP予測ターゲット―を見出そうと試みているわけである。私たちは貨幣に正しい価格付けがなされないうちは、我々は、正しい貨幣量はどの程度の規模なのか、正しい将来の金融政策経路はどのようなかたちをとるのかについてわからないのである。スコットは勿論NMEの文献の早くからの貢献者であったしとは一度関連事項で論争していた、かなり前の話ではあるが。(ギャリソンとホワイトとについてはこちらを参照のこと。)

3.(NME理論が誕生した80年代とは違い)今現在準備預金に対しては金利が支払われている。さて、フィッシャー・ブラックはかつてこう主張した。準備預金に対して金利が支払われるような状況では、中央銀行はもはや物価水準をコントロールすることはできず、物価水準は世間一般の人々が望む水準に自然と調整されることになるだろう、と。人々が楽観的な予測を抱く場合には借入が増加する(人々が借り入れを増やす)とともに価格が上昇し、反対に、人々が悲観的な予測を抱く場合には借入は低調となり(人々は借り入れを抑え)インフレ圧力は弱まることになるだろう、というのである。果たしてブラックのこの主張は正しいだろうか?彼のこの主張の妥当性に関しては私には然程はっきりとしたことは言えないが、少なくとも、彼のこの主張は、a)考慮に値し、b)今まさに盛んに議論されており、c)本当に重要なものである、とは言えよう。

4.NMEの理論家はしばしば金本位制の齎す不充分な機会のヘッジについて論じてきた。金価格が急激な上昇を起こしていた時代にこれは先駆的な主張であった。金本位制は決して望ましい貨幣のあり方で無かった。ラディカルでえげつないデフレをもたらしたが故に。

NME理論の中で最もその妥当性が疑わしい主張は、「ミューチュアル・ファンド・バンキング」(“mutual fund banking”)は銀行取り付けを制限ないしは阻止できる仕組みである、という主張である。この度の金融危機の過程で生じたマネー・マーケット・ファンド(MMF)に対する「取り付け」は、価格の変動する交換手段を提供する仕組みの一つとして構想されていた「エクイティー・バンキング」(“equity banking”)が―NME理論が説くところとは違って―実のところはマクロ経済の安定性や金融システムの安定性を促進する可能性をもつ仕組みではないということを示しているように思える。市場は、交換手段の価格(価値)変動、つまりはMMFの価値変動を受け入れることに抵抗しているのである―価値変動を受け入れるべき状況であるように思われるにもかかわらず―。上述した事実はあくまでも(「ミューチュアル・ファンド・バンキング」が銀行取り付けを制限ないしは阻止できる仕組みであることに対する)たった一つの反例ではあるが、私にはNME理論にとって幾許か不利な証拠であるように思われる。

私の処女作(共著)はNMEについてのものだった(1994年出版)。NMEが最も興味深くなるのは金融制度を取り巻く環境がアブノーマルな状況に置かれている時である。そして今現在は「アブノーマル」が「新しいノーマル」になりつつある状況なのである。NMEは、例えば、1963年(のようなアブノーマルではない時期)のマクロ経済を説明する上ではそれほど興味深いものではないのである。