テイラールールの「危機」の持つ7つの顔 (第1節) by James Bullard

概要

この論文ではアメリカ経済が今後7、8年におよぶかもしれない日本型のデフレに陥る可能性について議論する。議論の枠組みとして私は2つの経済の長期的な結果(定常状態)について強調する分析に力点を置きたい。一つは近年アメリカで採用されてきた典型的な金融政策と整合的なものであり、もう一つは同時期に日本においてみられた低名目金利と整合的なものである。ここで考察するデータはこれら二つの定常状態の可能性と整合的であるように見える。私はこの分析に関する金融政策専門家達の間で語られている7つストーリーについて説明と批判的考察を行う。二つの結果が重要である。(1)FOMCの「長期にわたって」という「言語」が日本型のデフレ経済をアメリカにももたらす可能性を高めているかもしれない。(2)アメリカの量的緩和プログラムはそのような結果を回避する最良の方法を提供している。JELコード:E4、E5

1「危機」

2001年、3人の経済学者が「テイラールールの危機(Perils of Talyor Rules)」という論文をパブリッシュした。その論文は重要かつきわめて現実的にも関わらずシンプルな解決策の見出せない問題 —金融政策当局が直面する「危機」— の存在を明らかにしたため、それ以来、政策当局と経済学者の双方を悩ませてきた。そこでの分析は何か一つの学派のみにしか適用できないようなものではなく、幅広いマクロ経済学のフレームワークに等しく適用できるものであったため、「危機」は大きな一般性を持つと考えられた。そして最も心配なことに、現在のアメリカの金融政策(と状況によってはヨーロッパ)がその論文で示されているような結果に陥りそうな状況にあるのである。

この2001年の論文の著者は NY大学のJess Benhabib、現在はコロンビア大学の Stephanie Schmitt-Grohe と Martin Uribe である。彼らはアクティブな金融政策(ターゲットからの乖離からのインフレ率の変化に対して1対1以上名目金利を変化させること ) の一つであるテイラールールによって運営される抽象的な経済を考察した。テイラールールは今日の金融政策の議論においてはあまりに当たり前のことになっていて論争の対象ではなくなっていた。Benhabibら(以下BSU)は名目金利のゼロ下限の存在を強調した。彼らはアクティブなテイラータイプのルールと名目金利のゼロ下限が必然的に新たな長期均衡を生むことを示したのである。この新たな長期均衡はデフレーションと名目金利の低位安定を生じうる。悪いことにまさにこの状況にハマっている重要な経済が現在存在しているのだ:それは日本だ。

BSUの取り組みを理解するためにはFigure 1が参考になる。これはアメリカと日本の2002年1月から2010年5月までの名目金利とインフレ率をプロットしたものだ。データは月間のものである。日本のものはマルで、アメリカのものはシカクで記されている。縦軸には短期名目金利、横軸にはインフレ率をとっている。出来る限り国際比較が意味を持つように全てのデータはOECDの主要経済指標からとっている。短期名目金利はどちらの国でも政策金利を採用している。日本はオーバーナイトコールレート、アメリカはフェデラルファンドレート(FFレート)である。インフレ率はどちらの国のものも対前年比のコアCPI[1] である。同期間において図の中の両国のデータは全く混ざっていない。アメリカのデータは北東に位置し、日本のデータは南西に位置している。これがこの物語の本質的なミステリーである。

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Figure 1 : 短期名目金利とコアCPI (日本とアメリカ:2002年—2010年、OECDデータ)

BSUはこの図に2本の線を引いた。破線は名目金利は実質金利プラス期待インフレ率という安全資産に関する有名なフィッシャー関係式の関係を示している。よって、破線については議論はないであろう。実線はテイラータイプの政策ルールを表している。これは足下のインフレ率に対して政策当局がどのように短期名目金利を調整するかを示している。図の右半分ではインフレ率がターゲットよりも高い時にはインフレ率のターゲットからの乖離よりも1対1以上に政策金利は引き上げられる。また、インフレ率がターゲットを下回る場合、政策金利は1対1以上の比率で引き下げられる。テイラータイプ政策ルールがフィーシャー方程式と交わる時、政策当局がこれ以上金利を操作せず、民間部門もまた同時に現状のインフレ率が将来も続くと予想するといった「定常状態」が存在する、という。経済にショックがこれ以上ない場合にはインフレ率と名目金利に変化が起きない、という意味においてこれは均衡である[2] 。図ではこの定常状態均衡はインフレ率2.3%、名目金利2.8%のところでもたらされている。この均衡はしばしば「ターゲット定常状態」と呼ばれる。

「アクティブ」な金融政策ルール —-図の右半分においてインフレ率の乖離に対して1対1以上に名目金利が動いている事実—はインフレ率をターゲット付近に保つことを意図しているが、同時にそれはターゲットインフレ率の付近でテイラータイプルールがフィッシャー関係式よりも勾配が急であることをも意味する。つまり政策ルールを表す線はフィッシャー関係式の下から交差する。額面通りに受け取ればテイラータイプ政策ルールはアメリカで非常に成功していたと言える。この観点から、2002年1月から2010年5月までの間、インフレ率はつい最近まで3%以上にも1%以下にもならなかったのである。

ここまではまだBSUの議論ではない。図の右側においては短期名目金利はインフレ率を低めかつ安定的に保つために調整されている。これは極めて従来通りのことである。BSUの分析のポイントは、フィッシャー関係式、アクティブなテイラータイプルール、名目金利のゼロ下限といったなんの変哲もなさそうに見える仮定の、ターゲットの定常状態均衡から遠く離れた図の左側における本当の意味を注意深く考えたことにある。そしてこれらの仮定が意味することはたった一つである。二つの線が再び交差し、二つ目の定常状態をもたらすことだ。上の図においては二つ目の定常状態は-50ベーシスポイント(-0.5%)のインフレ率と1/10ベーシスポイント(0.001%)といった超低率の名目金利でもたらされている。日本のインフレ率のデータはこの定常状態のプラスマイナス100ベーシスポイント以内(-150から50ベーシスポイント)に収まっている。この幅はアメリカのインフレ率の幅とほぼ同じである。しかし、名目金利に注目すると、日本で観察されるデータは0から50ベーシスポイントに集中している。名目金利はゼロ以下にすることは出来ず、また政策金利を引き上げる理由もない。なぜなら、そう、インフレ率は既に十分低いからだ[3]。このロジックは日本を低名目金利定常状態に閉じ込めてしまったように見える。BSUはこの状態を「意図せざる定常状態」と呼んだ。

意図せざる定常状態において、政策はもはやアクティブではなく、パッシブになってしまう。政策ライン(金融政策ルールを表す線)はフィッシャー関係式を上から交差する[4]。インフレ率の下落に対して政策金利はゼロ金利の下限制約があるため1対1以上の割合で金利が下がることはない。また、インフレ率の上昇に対しても政策金利はインフレ率の水準が既に十分低いために金利が引き上げられることはない。意図せざる定常状態の付近でのインフレ率の変動に対して実際のところ政策は全くと言ってよいほど不感応となるのだ。この定常状態では民間部門は感応性の低い政策を伴うフィッシャー関係式と整合的なデフレを予想するため、名目金利やインフレ率の変化に対して変化をもたらさない。一体どこでアクティブからパッシブへの政策の転換が行われるのであろうか?それは非線形なテイラータイプルールがちょうど1になる時であるが、図1ではインフレ率が約1.5%の時に起きる。

繰り返しになるが、図の(二国の)データは全く混じっていないが、アメリカの最も最近のデータ —「May 2010」とラベルが付けられたもの— は低金利定常状態に最も近づいている位置にある。これは図で政策がパッシブに転換するインフレ率(1.5%)よりも低い状態にある。さらに、FOMCは「長期にわたって政策金利を低めに誘導する[5]」と誓約している。この誓約は今日のインフレ率をターゲットに向けたより高いインフレ率 —すなわち図の右側— に近づけるためのものである。ところが図から明らかなように、あまりに長い期間金利を低くとどめると誓約することはインフレ率はターゲットへの復帰どころか実際のインフレ率も予想インフレ率もどちらもネガティブとなる現状に留まらせる低金利定常状態に整合的なのである。さらには、まさにこの状態の陥っているように見える主要国の例を我々は知っているのだ。

図に現れる重要な問題点は、政策の実行において名目金利のみを手段として使う点にある。これが図の左側にまで来てしまった場合の非線形なテイラータイプ政策ルールの意味するところなのである。金利を政策手段として用いる意味がなくなってしまっても(金融政策ルールがパッシブになったあとも)金融政策のメインツールとして金利を用いることに強くコミットしていることが、第二の定常状態を生み出してしまうのだ。以下で述べるこの状態への解決策の多くはインフレ率がターゲットを遠く離れて低くなってしまった場合に他の政策への転換することでこの状況を救済することを意図したものである。必要となるレジーム転換は政策当局が新たな政策にコミットし、民間部門がそれを信じるようなシャープかつクレディブルなものでなければならない。しかし残念ながら実際の政策論議のいてはこのような議論は全くなされていないように見える。政策当局と民間部門は未だに金融政策の主な実行手段としての金利調整をコミュニケーションの手段としている。このことはアメリカに日本タイプの状態の陥るリスクを高めるものである。

私はBSUの分析は現在の政策にとって重要なものであると考えている。この分析は政策論議においては未だ十分な注目が集まっていないし、FOMEの現在の政策である「長期にわたる誓約 (extended preiod pledge)」と緊密な関係を持っている。以下では私がBSUの分析に関連してこれまで公式、非公式を問わず出会ってきた7つの議論について批判的に論じる。7つの議論があるという事実は、この重要な問題についていかに経済学(economic profession)が分断されているかを示すものである。これらの議論は図1から示唆される懸念は心配無用であるというものから、意図せざる定常状態を避けるための名目金利の調整方法、「危機」を避ける手段としての非伝統的政策の方法にわたる。

私は長期にわたって低金利を約束する政策は図1に示された意図せざる定常状態へ陥るリスクを高めるものであり、適切な量的緩和策はそのような状態を避ける最も有力な方法であると結論する。


原文:“Seven Faces of ‘The Perils’” by James Bullard (The President of Federal Reserve Bank of St. Louis) 2010年7月29日

  1. 訳注:当然アメリカのcore CPIを意味する []
  2. 訳注:「均衡」の意味を限定していることに注意。これはあくまで「定常状態均衡」であって、それ以外にも均衡は存在しうる。 []
  3. 訳注:利上げはインフレ率を「引き下げる」ために行う、という常識的な理由による。 []
  4. 訳注:金融政策ルールの傾きが1より大きいとき、金融政策は「アクティブ」、1より小さいときは「パッシブ」である。フィッシャー関係式は実質金利(自然利子率)を所与として、名目金利をインフレ率の関数として表したものであり、傾きが1の直線である。なおBSUの元論文ではこの実質金利は代表的消費者の時間選好率になっているが、生産のないモデルであるため訳者は妥当であると考える。 []
  5. 訳注:原文であるFOMCの声明文”keep the policy rate for an extended time”は極めて重要な意味を持つ。Eggertsson & Woodfordではこの政策(日本では時間軸効果と呼ばれる)がデフレ回避もしくは脱却の有効手段として提案されているが、BSUの複数均衡モデルとは根本的に異なるモデルである。 []