「「流動性の罠」は存在する: Cowenへの返答」 by Matt Rognlie

以下は、Matt Rognlie, “Yes, there is a liquidity trap: a rejoinder to Tyler Cowen“(May 2, 2011)の訳。Tyler Cowen, “Why I assign less weight to the liquidity trap argument“(邦訳はこちら)への返答。


私はタイラー・コーエン(Tyler Cowen)のことを一種の賢人、経済学の世界における飛び抜けた賢人(extraordinary economic sage)であると思っている。メインストリームの研究の前線で活躍しているわけではないかもしれないが、どの分野の新動向についても知識が豊富で、頼まれたらどの分野に関したものであれ優れたサーベイを書いてしまうだろう。そういうわけで、もしコーエンと自分の意見が異なるようなことがあれば、自分の方が何か間違っているのではないかと本能的に疑うような次第になっている(加えて、コーエンのおかげでこうして読者に恵まれているということもあって、(コーエンに好意的であるように)ちょっとバイアスがかかっているのも確かだ)。

ただ、「流動性の罠」の存在に疑いの眼差しを向ける彼の一連の議論は私を悩まし続けており、彼との意見の不一致は解消しないままである。例えば、コーエンはこのエントリー(邦訳はこちら)で次のように述べている。

短期金利がゼロ%である状況と短期金利がほぼゼロ%である状況とはまったく異なる状況であるとみなすべきである-特に、名目ショックの性質や名目ショックが総需要を刺激し得るかどうかを理解する上では。短期金利が現金の利回りと文字通り同じでない限りは、中央銀行による短期債券の買いオペレーションを通じた貨幣と短期債券との交換は依然として有効であり得る(総需要の刺激につながり得る)のである。また、クルーグマンが主張するように、QE2(第2段の量的緩和)は単に既発国債の満期構成を変化させることと同じ、ではない。QE2もまた(貨幣と短期債券とを交換するオペレーションと同じように)総需要の刺激につながることだろう。

確かに最初の一文はその通りだ。短期金利がゼロ%を上回っている限りは-たとえほんのわずかであっても-、通常の金融政策を通じてさらなる金融緩和に打って出ることは依然として技術的に可能である。しかし、ここで通常の金融政策の効果の量的な大きさについて考え出すと問題にぶつかることになる。

中央銀行による通常の公開市場操作が実体経済に影響を及ぼすのは、ある特定の異時点間の価格-実質短期金利-を変化させることを通じてである。(正確に言うと、中央銀行が操作するのは名目金利である。短期的にはインフレ率は名目金利と同じ幅だけ変化することはないので、(短期的には)名目金利の変化は実質金利を変化させることになる)。他の事情に変化がないとすれば、(名目金利の操作を通じた)通常の金融政策が実体経済に及ぼす効果の大きさはおおよそ実質短期金利の変化幅に対応したものとなるだろう。

金融政策が実体経済に影響をもたらすのは実質金利の変化を通じてであると考えるのであれば、名目金利がゼロ%近辺にある状況においてはそれほど興味深いことは起こらないだろう。例えば、現下のインフレ率が1.5%であると仮定してみよう。この時の名目金利が0.05%であるとすれば、実質金利は-1.45%ということになる。もし名目金利が0%であれば、実質金利は-1.5%だ。実体経済に与える影響の面で、実質金利が-1.45%から-1.5%に下落することと(実質金利が)-1.4%から-1.45%に下落する、あるいは、-1.35%から-1.4%に下落することとの間に大きな違いはあるだろうか? 私はそんなに大きな違いはないと思うが、「「流動性の罠」は存在しない」というコーエンの主張は次のような想定に基づいているように思う。すなわち、名目金利がゼロ%に近づくにつれて、名目金利の微小な低下が実体経済に及ぼす効果はますます大きくなる、という想定である。この想定を数学的に表現し直すと、実質金利が-1.5%に限りなく近づく時[1] 、マクロ経済変数の実質金利による微分は(プラスの)無限大に限りなく近づく、となる。この想定の妥当性は疑わしいように思える。

金融政策が実体経済に及ぼす効果について(実質金利の変化に基づくものとは)別のモデルがある場合においてのみ、「「流動性の罠」は存在しない」というコーエンの主張は妥当なものとなるだろう。おそらくコーエンは、名目金利はそれ自体で-実質金利の変化を介するものとは独立に-実体経済に影響を及ぼすと考えているのだろう。マクロ経済学のジャーゴンを使用することを許してもらえるならば、名目金利がそれ自体で実体経済に対して影響を及ぼし得るということは、経済主体の効用関数として消費と実質現金残高とが分離不可能な効用関数を想定する、ということと同じことを意味している。確かにこの議論はある程度適当なものではあるが、マクロ経済学者間での確固としたコンセンサスによると、その量的な効果は取るに足りない、というものである。この点に関する実証的な研究については、Ireland (2004)を参照してほしい。名目金利がそれ自体で実体経済に及ぼす量的な効果を認めたとしても、名目金利を数ベーシスポイントそこそこ変化させたところで実体経済にはそこまで大きな効果は生じないだろう-コーエンが今述べたのとは異なる他の奇妙なモデルを想定していない限りは-。

もう少し議論に具体性を持たせるために、今問題となっているメカニズムについてしばし考えてみることにしよう。効用関数において消費と実質現金残高とが分離不可能であるということは、通常は、ベースマネーと消費とが補完的である、ということを意味する。名目金利がそれ自体で実体経済に影響を及ぼすメカニズムはこうである。何かしらの商品を買うためには流動性が必要である。名目金利が低下すると貨幣を流動的な形態(現金、当座預金)で保有するコストが安価になるため、名目金利の低下に伴って貨幣が流動的な形態で保有されるようになる、つまりは手元の流動性が増加することになる。そして商品の購入に必要な手元の流動性が増加するに応じて消費量が増加することになる、と。

ここで注意すべきは、Fedは準備預金に対して金利を支払っているということである。それゆえ、名目金利が変化しても、10%の預金準備率の規定に従って保有される当座預金の保有コストには何の影響も生じないことになる。残るは名目金利が現金の保有に及ぼす影響である。そしてこのメカニズムの効果こそ、実に、・・・いや実に、心許ないのである。例えば、名目金利が0.2%低下したとしよう。現金を持ち歩くコストが年あたり0.2%低下したことを受けて、はたして消費者はこれとわかるかたちでこれまでの支出のあり方を変更するだろうか? 私は典型的な合理的経済人であると自認しているが、そんな私でさえもこんなちっぽけなコストの低下を受けて支出のあり方を見直そうなどと決して考えもしないだろう。大抵の商品、特に不況期に購入が落ち込むような商品(耐久消費財や住宅投資、民間設備投資)の支払いは現金でなされるものではないということに加えて、14兆ドル規模の経済において現金保有のコストが20億ドル(=1兆ドル×0.2%)低下したくらいでは、実体経済にGDP計測上の丸め誤差以上の効果が生じるとは到底想像できないのである。

つまりは、通常の金融政策は「流動性の罠」に苦しめられる可能性がある、ということである。名目金利がゼロ%近辺にある状況においては、名目金利それ自体が実体経済に及ぼす効果も極めて小さなものであり(ゼロ%近辺であってもその効果は極めて小さい)、また、名目金利の引き下げを通じて実質金利をある特定の水準以下には引き下げることができない、とあっては、金融政策に対して制約が課せられていると見ても不適当ではないだろう。

ただし、そうだからといって、すべての希望はもはや消え失せた、ということを意味するわけではない。Fedは、名目金利の将来経路に関する期待に働きかけたり、あるいは、非伝統的な金融政策を通じて大規模な債券購入に乗り出すことで、ポートフォリオバランス効果を引き起こしたり、長期資産の利回り(満期が長めの金利、長期金利)の低下を促したりして、実体経済に影響を及ぼすことが依然として可能である(この話題については今後本ブログでたくさん議論することになるだろう)。ただ、名目金利ゼロ%は制約(barrier)ではないとは語って欲しくない。悲しいかな、名目金利ゼロ%は制約なのである。

  1. 訳注;現下のインフレ率が1.5%であるという仮定の下では、実質金利が-1.5%に近づくということは名目金利がゼロ%に近づくということと同義。 []
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    コメント欄のサムナー発言入れちゃお^^http://mattrognlie.com/2011/05/02/yes-there-is-a-liquidity-trap-a-rejoinder-to-tyler-cowen/#comment-23————————金融政策は単に名目(もしくは実質)金利に働きかけることだけで機能するのではなく、あらゆる種類の他の資産価格、例えば名目為替レートや株価やコモディティ価格や不動産価格にも働きかける。そう、貨幣注入が永続的だと予想されればこれらの価格は(ゼロ制約下でも)影響を受ける。しかし、ゼロ制約がなくても一時的な貨幣注入の場合は資産価格にも経済全体にもほとんどインパクトを与えない。金利を目標にすることを「伝統的」金融政策と考えるのは誤りだ。金利目標だけでは物価は確定できない。伝統的な金融政策はテイラールールのように少なくとも暗黙にはインフレもしくはNGDP目標のようなものも含んでいる。そしてNGDP目標(特に率でなく、水準目標)はゼロ制約下でも良く機能し続ける。ウッドフォードが示したように、ゼロ制約下でも、またゼロ制約下でなくても、金融政策とは常に政策の期待将来経路に関するものである。 ところで重箱の隅をつついたけれども、君のブログはここまでイイね。

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    なんと、ツイッター連動すると文字数切られちゃうのか…
    各自読んでください^^
    http://mattrognlie.com/2011/05/02/yes-there-is-a-liquidity-trap-a-rejoinder-to-tyler-cowen/#comment-23

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    投稿失敗したのにリツイートしてくれた人がいらして元気が出ました。
    サムナーのコメントはこんな感じ。何回これを書いているでしょうね、この人は

    ——————————
    金融政策は名目(もしくは)実質金利に影響することだけで機能するわけではなく、名目為替レートや株価やコモディティ価格や不動産価格のようなあらゆる種類の資産価格にも影響する。

    そう、これらの価格はマネー注入が永続的と期待されると影響を受ける(ゼロ制約下でも)。しかしゼロ制約下でなくても、マネー注入が一時的と予想されると資産価格にも経済広範にもほとんど影響をもたらさない。

    金利を目標とすることが「伝統的」金融政策だと考えるのは間違いだ。単に金利を目標とすると物価は不安定になる。真に伝統的な金融政策は、テイラールールのように、暗黙にせよインフレないしNGDP目標のようなものも含んでいる。そしてもちろんNGDP目標(特にNGDP水準目標)はゼロ制約下でも良く機能し続ける。ウッドフォードが示したように、金融政策は常に政策の将来期待経路に関するものなのである。ゼロ制約の時でも、またそうでない時でも。

    ところで、君のブログはここまでいいね。重箱の隅をつついたけれど。

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    erickqchanさん、あざっす!です。