「私が「流動性の罠」の存在に懐疑的な理由」 by Tyler Cowen

以下は、Tyler Cowen, “Why I assign less weight to the liquidity trap argument”(Marginal Revolution, November 1, 2010)の訳。


「どうしてあなたは「流動性の罠」の存在に懐疑的なのでしょうか?」と尋ねられることがこれまでにもしばしばあったが、なぜ私が「流動性の罠」の存在に懐疑的であるのか、その理由をここで要約的に列挙しておくことにしよう。

1.「今や我々は「流動性の罠」に嵌っているのだ」と主張する論者(以下、「流動性の罠」論者)は、現在のように短期金利がゼロ%近辺にある状況では貨幣と短期債券との違いは重要ではなくなるとみなした上で両者を完全代替的な資産として捉える。しかし、私はもう少し限界主義的な立場(marginalism)に固執したいと思っている[1] 。加えて、「流動性の罠」論者は、あらゆる行動(非行動(non-action)と言うべきかもしれないが)を貨幣と債券との代替関係(あるいは代替の程度)(money-bonds margin)との関連を通じて判断するが、貨幣と債券との代替関係だけではなく、貨幣と財との代替関係(あるいは代替の程度)(money-goods margin)もまた重要なのである。「流動性の罠」論者の見るところ、何兆ドルもの規模を誇る非常に複雑なこの現実経済の中における単一の代替関係(=貨幣と短期債券との代替関係)に生じる異常(=貨幣と短期債券とが完全代替的な資産となること)によってすべてが決定されるのだ。

2.短期金利がゼロ%である状況と短期金利がほぼゼロ%である状況とはまったく異なる状況であるとみなすべきである-特に、名目ショック[2] の性質や名目ショックが総需要を刺激し得るかどうかを理解する上では。短期金利が現金の利回りと文字通り同じでない限りは[3] 、貨幣と短期債券との交換[4] は依然として有効であり得る(総需要の刺激につながり得る)のである。また、クルーグマンが主張するように、QE2(第2段の量的緩和)は単に既発国債の満期構成を変化させることと同じ、ではない。QE2もまた(貨幣と短期債券とを交換するオペレーションと同じように)総需要の刺激につながることだろう。

3.実のところ、(「流動性の罠」の理論的可能性を指摘した)あのケインズでさえもこれまでに「流動性の罠」に嵌った現実の例があるとは信じていなかった-ケインズは、大不況(Great Depression)下のアメリカでさえも「流動性の罠」に嵌っているとは考えていなかった-のである。

4.「流動性の罠」モデルから導かれる当て嵌まりのよい予測の大半は、「遊休資源が数多く存在し、ビジネスの信頼感(business confidence)が弱々しい状況である」という事実認識からも同様に導かれるものである。

5.最近のニュースによると、個人消費は2.6%増の伸びを見せ、企業は高収益を記録しているとのことである。・・・さて、今我々は「流動性の罠」に嵌っているのだろうか? 「流動性の罠」論者はこのニュースにどう反応するのだろうか? 「消費支出の伸びは2.6%増までなら可能だが、それ以上の伸びは無理」とでも言うのだろうか?

6.QE2が発表されるや、株価は値上がりを示し、TIPSスプレッドは拡大(≒期待インフレ率の上昇)を見せたが、これら2つの現象は「流動性の罠」モデルが予測するところとは正反対の現象である。どうやらマーケットは「流動性の罠」というアイデアをそれほど買ってはいないようである。そしてこの事実だけによって金融政策はその有効性を保つことになる。つまり、マーケットが「流動性の罠」の存在を信じていないとすれば、それだけで経済が「流動性の罠」に嵌らないで済むに十分なのである。

7.あの大不況下においても金融政策は実際に試された場合には極めて有効に機能した。日本の問題に関してはスコット・サムナー(Scott Sumner)の言う通りだろう[5]

これから先指摘するポイントはここまで指摘してきたポイントと比べれば重要度は劣るものの、「流動性の罠」をテーマとする論戦(ディベート)の成り行き[6] と大きな関連を有するものである-「流動性の罠」というアイデアそれ自体との関連は必ずしも強くはないが。

8.「流動性の罠」モデルにはいくつかのタイプが存在する。中でも「名目短期金利ゼロ%」タイプ(”short nominal rates are zero”)と「無限の貨幣需要」タイプ(”money demand is a bottomless sink” model)とがあるが、両者が混同されているケースをしばしば目にするものである。「流動性の罠」モデルの極端な結論は後者の「無限の貨幣需要」タイプからしか導かれないが、「無限の貨幣需要」という想定が今の現実の状況に当てはまらないことは明らかである。「無限の貨幣需要」タイプ以外のケースにおいては貨幣と財とは不完全代替のままであり、それゆえ金融政策は総需要の刺激につながり得ることだろう。

9.「流動性の罠」モデルの中にはAD曲線(総需要曲線)が右上がりの形状を持ちAS曲線(総供給曲線)が右下がりの形状を持つことを含意するモデルがあるが、私はこの想定を他の話題-例えば、税政策あるいは税制(tax policy)の変更が及ぼす効果を巡る話題-にまで一貫して適用している例を目にしたことがない。

10.もし「流動性の罠」が短期的な現象にとどまらないとすれば、何らかの事情によって資本の限界生産性(marginal product of capital)の上昇が抑えられ、それゆえに問題が解決されない状況になっているに違いない。言い換えれば、「流動性の罠」が短期的な現象にとどまらないと主張する場合は、実物(real)サイドで生じている問題に関しての何らかの補足的な説明が必要となる、ということである。

11.「流動性の罠」論者がリアルビジネスサイクル(RBC)理論の俗流版や債券自警団(bond market vigilante)がどうのこうのといった議論の批判に多くの時間を割いている様子は目にするものの、「流動性の罠」というアイデアへの真摯な批判にはそれほど多くの時間を割いて応答しているようには見えない。現状を説明すると称する他の議論が胡散臭い状況であればそれとの比較でまともな議論であるかのように聞こえるかもしれないが、(自らへの批判にそれほど真剣に向き合うことなく)単に「流動性の罠」について研究するだけでは「流動性の罠」というアイデアに対する更なる信頼を得ることはできないだろう。

12.財政政策の使用に訴えるべきかどうかは、政府がどれだけうまく遊休資源(unemployed resources)の活用を促すことができるかにかかっている。この問題を論ずる上で「流動性の罠」を持ち出してくる必要はない。

13.私からすれば、「流動性の罠」というアイデアはクローゼットの中から引っ張り出されてきたシャギードッグのようなものである。「流動性の罠」というアイデアの説得力を高めようとするのであれば、単に短期金利がゼロ%近辺であることを何度も繰り返し指摘する以上の努力が必要となることだろう。

  1. 訳注;次の2で述べられているように、短期金利がゼロ%でない限りは、貨幣と短期債券とは極めて代替の程度が高い資産ではあっても完全代替的な資産ではないという点にこだわりたい(あるいは、「ゼロ%」と「ほぼゼロ%」とのわずかな差にこだわりたい)、ということ。 []
  2. 訳注;金融政策etc []
  3. 訳注;短期金利がゼロ%でない限りは []
  4. 訳注;中央銀行による短期債券の買いオペレーション []
  5. 訳注;「道草」で訳されているスコット・サムナーの一連のエントリーを参照。 []
  6. 訳注;「流動性の罠」論者と「流動性の罠」を否定する論者との間での議論の応酬がこの先生産的なかたちで進んでいくことになるかどうか、という問題 []