スコット・サムナーのマネー観、マクロ観 by Scott Sumner

ブログ休筆中のサムナー先生の過去ログから、My views on money/macro(8. November 2009)を紹介します。タイラー・コーエン先生もサムナーの過去ログ全部嫁、とおっしゃっていましたので。このエントリは震災後の今、名目成長期待を維持することがどれだけ重要か、また、今の金融政策は緩和的か緊縮的かを考える一助になるでしょう。 


   二、三週間前のことだが、私の見方のどこがマネタリズムと違うかを書くように勧めてくれる人がいた。それで数日前のポストで、金融経済学の標準モデルが間違えていると見ていることについてのエントリを書いた。その最後に新しいパラダイムが必要で、間もなくそれを示すつもりだと結んだ。ある人がコメント欄で、最後のパラグラフは「際立って野心的」なものであると、ベントレーの教授が新しいパラダイムについて語るなど狂気の沙汰だと上品に示唆してくれたのだろう。その人は正しい。では私としては、自分の見方が他の人と異なるところを多くのリンクとともにリストアップし、私のアプローチに一貫性があるかどうかは他の人の判断にゆだねよう。  

1. 金融政策スタンスについての考え  

三つの素材を使いたい。一つは、金融政策はスヴェンソンの「予想を目標にするべき」という考えだ。政策はNGDPもしくはインフレ率の予想が目標と一致するように設定されるべきである。第二は、「ADは今の金融政策の設定よりも政策の予想将来経路全体の変化にはるかに影響される」というマイケル・ウッドフォードの議論。(このポスト邦訳)はこの考えを大恐慌に適用したもの)。一時的だと予想される金融政策はほとんど全くADを変えない。第三はロバート・キングの洞察で、「フォワード・ルッキングなIS-LMモデルでは、緩和的な金融政策によってインフレ期待および成長期待が増すと名目および実質金利は反対に動く」というものだ。つまりマネーを引き締めることによって名目および実質金利を引き下げたり、マネーの緩和で名目および実質金利を引き上げることができる。これは単に理論的な好奇心によるものではない。このポスト邦訳)では2007年12月の逆サプライズが3か月ものの短期国債の利回りを事実として下落させたことを示している。  

これら三素材をつなげて見よう。ウッドフォードは、流動性の罠の下では長期間に渡って金利を低いままにしておくことを約束しなければならないと論じる。この提案には問題があって、低金利と金融緩和を混同している。流動性の罠の下では長期間に渡って金融緩和を続けなければならないという意味なら、ウッドフォードは正しい。しかし日本で見られるように金融の緩和でなく、低い名目金利だけによっては弱いNGDP成長期待をほとんど変えることができない。ミルトン・フリードマンはゼロに近い金利は金融緩和よりも金融引き締めを反映している可能性が高いと1997年に指摘している(訳注:himaginary氏のまとめ)。従って、ウッドフォードが流動性の罠の下では信任され持続性のある金融緩和政策を提案するのは正しいが、その政策のための方法では金利ではないのだ。(実際、想像できる最もタイトな金融政策は永遠のゼロ金利をもたらすだろう)。金利ではなく、物価水準かNGDPの将来経路を目標とした、信任される政策が必要なのだ。水準目標がより適切な理由は後に説明する。  

金融政策のスタンスを認識する方法は幾つかあるが、一番いいのは、目標変数の将来経路の市場における期待を推測して、それを政策目標と比較することである。スヴェンソンは循環問題(訳注:この循環問題の日本語でのやさしい説明はsohei719さんのこれ、でしょうか)を回避するために、中央銀行の内部見通しを使うことを提案しているが、わたしは市場の見通しを使った方がいいと考えている。つまり、来年のNGDP目標が15兆ドルである時に市場の予想NGDPが14.6兆ドルであるならば政策は「引締め」られているということである。  

このようなアプローチで金融政策を捉えると、基本概念の幾つかを再考しなければならなくなる。教科書では伝統的に金融と財政の刺激で需要を管理する、と教えている。先物目標のアプローチの下ではこれは意味がなくなる。目標のNGDP成長が期待される水準に金融政策を設定するだけで、財政政策に出番はない。  

このアプローチの下では我々が伝統的に使ってきた多くのメタファーが適切なものではなくなる。たとえば、「Fedにどのくらいの”力仕事”を残しておくべきか?」というのがある。このメタファーは、金融刺激はむしろ金融刺激をしないで済むように努力する必要がある、という意味だ。本当に正しいのはこの全く逆である。金融刺激をすればするほど国家の負債は小さくなり、その結果将来の納税世代の負担が小さくなるのである。さらに言えば不換紙幣の枠組みの下では、我々はほとんどコストなしで貨幣を作り出すことができる。もっと良いことに、我々は貨幣創造からシニョリッジを稼げるのだから、金融政策が「効果的」でなくなるならばむしろそれを求めるべきということになる。もちろんこれはちょっと単純化した話。よりシリアスな議論は、膨張したマネタリーベースとゼロに近い金利はNGDPの下落、つまりNGDPが目標を外れた結果であるということだ。NGDPが目標通りになれば金利もベースマネー需要も普通の水準に戻るのだ。つまり本当に効果的な金融刺激はウッドフォードが提案するようなものではない。それは直ちに名目金利を流動性の罠の水準以上に引き上げ、また膨張した超過準備への需要も減らすだろう。  

正しいメタファーは「力仕事」ではなくて「適正な設定に舵を切る」になる。船の操縦で北北東から東北東に舵を切り替えるのは全然大変なことではない。「FEDにどのくらいの重荷を課しているか」と考えるのは止め、最適な金融政策が何に似ているかをと単純に考える方がいい。  

ここには我々の今の苦境に関する大皮肉がある。中央銀行が「何としてもやりぬく」態度であると本当に信任されれば、中央銀行の仕事は逆に少なくなる。しかしインフレタカ派に縛られた臆病な中央銀行の場合は、ゼロ金利や極端な量的緩和や銀行救済といった無謀に見える政策にいつまでも従事し続けなければならない。今回の危機の間、オーストラリアの金融政策は世界一だった。彼らは1991以降は不況を経験していない。NGDP成長を維持している。伝統的な基準では彼らは最も「保守的な」中央銀行に見える。彼らは一度も金利をゼロまで下げることなく、この回復過程の中で最初に金利を引き上げた。中央銀行の効果的な金融政策とは、これなのだ。(もちろん中央銀行の金融政策をフォローしている者ならば、オーストラリア中央銀行は主要な中央銀行の中で保守的なところが最も少ないことを知っている)。  

このアナロジーは突拍子に見えるかもしれないが、これは「自信」ということを考えさせてくれる。自信がある人は大した努力をしなくてもパーティを楽しむことができる。シャイな人は一生懸命頑張っても空回りするばかりだ。彼が「他人がどう思っても気にしない!」という態度でパーティーに行けば、
他の人も彼ををもっと面白い人だと思うようになり、彼自身もっと楽しい時間を過ごすことができるようになる。本当に必要なのは、もっと頑張ることではなく、もっと頑張らないようにすることなのだ。ちょうど飛び込む前は大変なように見えるのと同じ。オーストリアは自信のある奴に似ている。Fed、ECBやECBはウスノロだ。   

[余談だが、このエントリは先に不思議の国のアリスか鏡の国のアリスを読んだ方が分かりやすいだろう。]  

最近、この問題についてのビル・ウールシーの枠組みには興味を魅かれた。彼は「目標」の代わりに金本位制をメタファーにしている。先物指数の兌換性だ。このメタファーのいいところは、貨幣供給と金利に何が起こっているかが分かりやすくなるところだ。NGDP先物契約邦訳)を評価媒体ということにして、それを固定価格で通貨と交換できるとする。そうすればちょうど金本位制の場合と同様に、金利と貨幣供給が内生的なものになる。しかし金本位制の下では金価格は固定されていてもNGDPは大きく動き得るのに対し、12か月先の期待NGDPが固定されている場合は、さまざまなマクロ経済的な複合要因によってNGDPの変動が制限される。これについては次のセクションで論じるが、ここでは、期待NGDPが常に目標軌道に乗っている世界では金利がどう振る舞うかを考えよう。期待NGDPは、インフレ成分についても実質成分についても名目金利に影響する一番強い力である。NGDP目標の下であれば、貨幣供給も名目金利も今の政策下のものよりはるかに安定になるだろう。  

2.  マクロの問題の本質についての認識  

マクロの問題を考えるとき、私もまさに主流のAS/ADモデルを使う。「総需要」を単に名目支出の総量と定義する(このことによってAD曲線は双曲線となる)のは有益だ。また他の多くの経済学者と同様に、短期的にはNGDPとRGDPは同じ方向になる傾向があり、RGDPの大きな循環はしばしばADショックによって引き起こされると信じている。長期的にはADはRGDPにほとんど影響せず、価格に影響するのみである。ここまでは特に議論の余地がない。  

私と他の経済学者たちを隔てることの一つは、短期におけるNGDPの変化は将来の期待NGDPに強く影響されていると考えるところだ。これゆえに、向こう1~3年のNGDPの期待水準が急落すると今のNGDPが下落するのだ。その逆もまた成り立つ。将来のNGDPが目標通りなのに直近のNGDPが急落することを想像するのは非常に難しい。多くの人はこの点に反対する。向こう6カ月のNGDPの深刻な下落を防ぐなんてリーマン危機が起こってしまった後では遅すぎる、と言う。金融が経済に影響するには時間がかかると。私は同意できない。NGDPの向こう1、2年の目標経路からの逸脱は、修復が信任されている政策の下であれば下支えされると考える。人々は自分の物の見方の含意を明確には考慮していなかったのだと思う。我々はある時点のNGDP下落を、同時期に生じた期待NGDPの下落と結びついて考えることに慣れ過ぎてしまっていて、それが本当に何を意味しているかを考えなくなっていたのだ。(おそらく「単位根」の論に親しんだ人なら私の議論の証拠を提供してくれることができるのだろう。)  

たとえ話だが(完全ではないことは承知)、米国では1968年4月に金価格ペッグをやめて以来、金の名目・実質価格が不安定になった。事実、数ケタは不安定になった。我々が今もし金価格ペッグに戻れば(それを勧めるわけではない)金の名目・実質価格ははるかに安定化するだろう。同様に、あるNGDP軌道を目標とすれば実質GDPもNGDPもはるかに安定になる。それだけではなく、あらゆる種類の資産価格もはるかに安定になるだろう。なぜか?我々が最近経験したように、NGDPの変化は資産価格に劇的なインパクトを与えるからである。そして資産価格市場はフォワードルッキングなものだから「向こう一、二年でNGDPが元に戻るだろうという期待」とは、「資産価格が目標NGDPに沿った水準から(異時点間の裁定によって)決して大きく外れない」というのと同じ意味なのだ。単刀直入に言えば、2010年にNGDPの成長軌道が元に戻ると理解されていたならばDOWが6000台にクラッシュすることはなかった。市場がクラッシュしたのは、投資家が(正しくも)Fedが負の名目ショックを打ち消す計画を持っていないを見越したからである。実際我々は深く深く沈み続けている。幸い去年の3月に予期したほどのペースで悪化していないので14,000への回復を部分的には取り戻しているとは言え。  

どうしてそれで資産価格が安定化するのか?ここも私が同僚たちと違うところだ。ウッドフォード流のフォワードルッキングなモデルをマネタリスト風にしたものを想像してみよう。伝統的なマネタリズムと異なり、我々はウッドフォード流に金融政策の期待将来経路の変化を重視する。マネタリズムの流儀によって超過現金バランスの伝達メカニズムを前提にしているが、これは長期の場合に限る。つまり貨幣供給の拡張は、それが恒久的だと期待されていれば超過現金バランス効果を通じて期待NGDPを引き上げるということである。同様に、それは株式やコモディティや不動産のような資産価格を直ちに上昇させる。そして同様にその時点のADを引き上げるだろう。これは賃金が硬直的であるからで、これら資産価格の上昇が企業の資産やコモディティや不動産からの産出を増加させるからである。そして雇用と富が増加するから消費も増える。このように、ウッドフォードの議論と同じく将来のNGDPに大きな影響を与えると期待される政策は、その時点のNGDPにもまた強力な影響を及ぼす邦訳)。では政策のラグの問題はどうだろうか。  

3.  そのようには見えない政策ラグ  

マクロの標準的な見方では金融政策および財政政策ツールの組み合わせは、「長く可変のラグ」を伴ってマクロな経済に幅広く作用するとされる。その伝達メカニズムは「ブラックボックス」のようなものの中にあってほとんど分かっていない。つまりまず政策行動がこの謎の箱の中に入り、一年後にマクロ経済的な結果となって飛び出してくる。VARモデルを使ってその効果を見積もることはできる。私はこれは資産市場が非効率であることを暗黙に仮定していると考えるので、そのような物の見方は受け入れられない。インフレーションに織り込まれる長期の効果は直ちにTIPSスプレッドとCPI先物価格に反映されるはずだ。それが正しい政策評価の方法である。  

私は金融史の研究の中で、経済学者たちが資産価格への影響についてほとんど注目してこなかった政策をいくつも見つけた。経済理論では、政策が重要なマクロ的効果をもたらすと期待さえると資産価格は強く影響を受けると教えているのにもかかわらずである。そのことは、物価もしくは産出に突然の予期されない変化が起こると資本市場はしばしば劇的に反応することから我々は知っている。  

だから私は、我々がラグをなくしたマクロを再建するのに立ち合いたい。その分析の基本単位はもはやインフレや実質成長ではなく、期待インフレおよび期待実質成長であるべきだ。間違った経済政策についての経済学を「不況の経済学」と呼ぶのを止め「不況期待の経済学」としよう。政策の変更と期待NGDPもしくは期待インフレの間にラグは存在しない。すると「しかし本当に実際の成長や実際のインフレに注意しないのか?」という疑問が涌くかもしれない。しかしより重要なのは期待だと考えるのは私だけではない。ニューケインジアン型の多くのモデルも、賃金とコアインフレ率に影響するインフレ期待の変化を避けるために期待インフレを管理しておくことの重要性を強調している。その見方は正しいと思う。私が仲間の経済学者と違うのは、マクロ政策への正しいアプローチと将来を目標とする政策をもってすれば驚くほど簡単にそれができると考えるところだ。そしてもし我々が真剣な形で将来を目標とし始めた時には政策のVARモデルはほとんどすぐさま時代遅れなものになるだろう。ちょうど貨幣需要モデルが1970年代に陳腐化したように。市場こそが唯一の構造モデルなのだ。MITの複数のモデルがNGDPが急速に上昇しそうであることを示しても関係ない。債権投資家やコモディティ市場や労働組合がインフレ率をどう見ているかこそが重要だ。NGDP成長期待が不安定化するのは金融市場、物の市場、労働市場においてだけだからである。もし「何かの間違い」でMITが正しく普通の人々が間違るなどということはないか?ほとんどあり得ない。何故なら翌期のNGDPが常に目標を回復するだろうと考えられている政策の下では、短期の変動はマクロ経済を大して不安定化させないからである。この単純な理由から短期変動は賃金や債務契約に反映されないのである。  

確かにいくらかのラグはある。経済は賃金と価格硬直性に満ちている。しかし、だからこそ我々は価格硬直性を所与としてマクロの安定に調和した性質を備えた評価媒体を選択する必要がある。そしてそれに一番近いとのが期待NGDPであると私は考えている。低く安定したNGDPの成長期待は確実にインフレ期待を安定化させるだろう。さらに需要側のビジネスサイクルを最小化させ、供給ショックの影響を軽減させる(厳格な物価水準目標と比較したときに)だろう。また将来の期待NGDPを目標とすれば、過去のNGDP目標からの乖離に反応するバックワードルッキングな枠組みよりもはるかに効率的に機能するだろう。  

4.  市場は偉大な経済学者たちより賢い(また私のような劣った者よりも)  

「森の中で木が倒れても人が誰も聞かなければ音はない」、という話を聞いたことがあるだろう。(より精確に言えば、人々が考える意味での「音」はしないが空気の振動はあるという話だったと思う)。大きな政策失敗にも同じことが言える。いくら誰かが壊滅的な政策失敗があったと主張しても、市場が気にしないならば失敗はなかったと私は答える。今回の危機の根本問題はグリーンスパンが金利を1%に引き下げる決定をしたことだったのか?それは誰にもわからない。しかし実際問題としてならその答えはノーだ。この危機を解く秘密の鍵を探そうとシャーロック・ホームズよろしくウロウロ振る舞うべきではない。鍵は目の前にある。政策失敗は市場がクラッシュした時に起こったのだ。いまだNGDP先物市場は存在しないが、CPI先物や、実質成長期待の間接的な指標であるコモディティおよび株式市場を見れば、2008年の7月から11月にかけてNGDP成長期待が急落していたことはほとんど疑いようがない。一件落着。銃から煙が出ている。オリバー・ストーン映画は不要なのだ。  

政策担当者たちは市場より賢くはないし、そう期待するべきでもない。投資家たちが向こう5年間にクラッシュを予想していないのならば、専門家の政策担当者たちがそれを予想する理由はない。(そしてもちろんそれは起こらない)。専門家はスーパーマンではないのに、しばしばそう名乗る。以下のように1937年にアインチヒが鮮やかにCasselをやり玉に挙げたとおりである。(この危機には昨今の危機との興味深い類似点がいくつかある)。 

“1937年7月9日、このベテランの金融専門家(Cassel)はデイリーメール氏に血も凍るような記事を書いた。その記事は真っ黒なトーンで金の過剰がもたらす状況を描き、金価格を現行価格と旧価格との中間に切り下げることだけが可能な処方箋であることを示唆していた。彼は1934年のドルの41%切り下げが金の過剰をもたらすことを予見できなかったとルーズベルト大統領を鋭く批判した。しかしそれ以前にCassel教授が書いたものを調べると、それよりもっと後の日付でさえ教授自身がその後の展開を予見していなかったことが判明したのだ。1936年7月のthe Quarterly Review of the Skandinaviska KreditaktiebolagettheにはCassel教授の次の記述がある。「昨今の金の産出の増加ぶりは、今我々が豊富な金を持つ時代に向かう途上にあるような調子だと捉える風潮があるようだ。この見方が正しいはずがない。」つまりこの教養ある教授は、1934年1月の時点で何かを予見するような政治家を、教授自身その一年半後の時点で想定できていなかったのである。実際、彼が金パニックの到来を予見できたかどうかは疑わしい。是非はさておき、パニックが彼の物の見方を変えたのである。それは新たな事実な発見ではなかったし、彼や彼ら経済学者を転向させるような新しい科学的議論があったわけでさえなかった。金保有者や投機家やその他関連業者に起こったパニックからの無意識の影響が彼らスーパーマンの目を突然開かせたのだ。この事実は、一般の人々から見た経済学者および経済科学の信望を引き下げる方向には少しも向かわなかった。” (1937, pp. 26-27.)  

似てるだろう?  

だから私は仲間の経済学者のような後知恵の議論には与しない。あの市場のクラッシュを調べて、おそらくそこで政策失敗が起こったと推測する。少なくとも大恐慌においては市場クラッシュの時点でしばしば失敗が起こっていることを見出している。とろろで私は後知恵の議論が常に間違っているとは言っていない。Smoot-Hawley は1930年半ばに株式市場クラッシュを確かに引き起こしたし、1933年半ばの全国産業復興法も同様だった。私が言いたいのは、市場に見えなかった失敗で政策担当者を批判するのはフェアではないということである。フーバーとFDRは確かにフェアなゲームをしていた。  

5.  期待NGDPは期待インフレより有意義 

a.  インフレーションは明確には定義されていない恣意的な概念である。もしくは少なくとも実際の測定方法まで関連させて定義されたものではない。  

b.  インフレ期待が重要だとされる場面(すなわち名目金利や名目賃金の交渉)で期待NGDPはインフレ期待よりも有用だ。  

c.  経済が突然の名目ショックに見舞われた時に、その大きさを正確に示すのはCPIよりもNGDPである。   

d.  NGDP目標はインフレ目標よりもマクロ的な安定をもたらす。   

これらの問題の幾つかはここで論じている。  

6.  仕事をしていれば不況は予見されるべきではない 

かつて James Hamilton が論じていたように:  

 “Fedが正しい仕事をしていれば、不況が目前に迫っていることを予見することはありえない”  

残念ながら彼は将来どうしたら不況をもっと正しく予見できるようになるかという話に行ってしまった。経済学者が不況を予見できない限り、その失敗は我々の栄誉の印のようなものだ。あなたは致命的な事故を予見できる飛行機に乗りたいだろうか?不況を予測する数式を探すことは見果てぬ夢を追うようなもの。それを見つけることは決してできない。不況を予測できるならばそれを防げるし、防ぐだろうから。ただし過去の不況に対して”懐古的に”有効な数式を作ることはできるようになるだろう。それで誰かの気が楽になるなら。  

 7.  その他マクロの歴史において私が通常の解釈を受け入れていないところ  

a.  1929年邦訳)は主要な中央銀行が実施した金融引き締めがNGDP急落期待を引き起こし、それが株式市場クラッシュの原因となった。NGDP期待の下落を伴わない同規模の市場クラッシュ(例えば1987年)は不況に至っていない。まして恐慌にも。  

b. 1932年に流動性の罠などなかった。積極的な公開市場操作は確かに失敗した(ケインズが論じた通り)。フリードマンとシュワルツはその点は間違えた。しかしケインズはその理由を間違えている。公開市場操作が将来の金融政策の期待経路に影響することを金本位制が制約していたのだ。  

c.  1933年邦訳)、流動性の罠的な状況と機能不全に陥った金融システムにも関わらずNGDP(そしてRGDP)が急成長した。今できないとクルーグマンが言っていることをFDRはやったのだ。  

d. 1933年、我々の歴史上一番深い不況だったにもかかわらずインフレ率は急上昇した。NAIRUモデルはこれまでだ。(後者はオーストリアンな読者が喜ぶだろう)  

e.  日本銀行はQEを採用した後、とんど完璧にゼロ%のCPI目標を達成した。任務完了(皆さんが読んできた日本についての論考の99%と反対に)。政策は”有効”だった。  

f.  もしろん私の(小さな)自慢は、2008年7月から11月にかけてNGDP期待を急落させたのがタイトなマネーだったという主張だ。観察された他の物事は(ここここここで論じた)タイトなマネーの徴候だった。より深刻だった金融危機の第二局面も、住宅崩壊の公判も、商用不動産市場の崩壊もその一部である。世界に広がった不況、高い実質金利、ドルの高騰、コモディティ価格の下落の大部分については言うまでもなく。  

g.  ほとんどの不況が需要不足、従って金融政策の失敗によって起こると考えるところは私も多くの経済学者と同じである。しかしここでも私の見方は多少異なっている。思うに、ほとんどの経済学者たちは昔の不況についてだけそう理解しており、近年の不況については何か特別な要因のためだと誤診している。彼らは「その最中」、波の上部の泡に魅了されてしまい、混乱を引き起こしている水面下の大きな流れを見失ってしまう。  

8.  流動性の罠から抜けるには   (アーノルド・クリングがこのセクションが必要だと)  

まずピーター・パン的な態度を採ろう。(できると思えばできるのだ)  

真面目な話、理想の話ではなく幾つかの選択肢がある。  

1.  NGDP先物価格邦訳)を目標とする。これは今の環境ではラジカル過ぎる。  

2.  FDRの戦略 — 通貨を減価する。これはうまくいきそうだが政治的に問題が多い(これは大多数が思っているような近隣窮乏化政策ではないのだが)。  

3.  残念ながら、一番魅力の薄いオプションしか残っていない。まずしっかりしたNGDP目標を設定する。水準目標とする。これは、もし乖離したらその分を修復することを約束するということである。もし超過準備が問題ならペナルティ金利を課してこれを減らす。NGDP期待が向こう1~2年後の公開目標にマッチすると期待される水準になったことが様々な資産価格から示されるようになる(FED理事から見て)まで量的緩和を続けることにコミットする。必要なら地球全部を買い上げる。実際上は金融機関に超過準備を吐き出させれば、NGDP成長期待が急上昇したとしても恐らくマネタリーベースは今の1.5兆ドルから1兆ドル以下に下落するだろう。だから公開市場操作だけでいい。金融機関はペナルティを課された超過準備をほとんど持たなくなり(短期国債に入れ替えるだろう)、期待NGDPが政策目標通りであることが資産価格に現れれば、人々がベッドの下に置いておく現金の需要もこんなに高くはなくなるだろう。  

9.  私のやり方だとマクロの教科書はどうなるか?  

「私のやり方」には私が教科書を書くならという意味と、私が世界金融の独裁者だったらという意味がある。OK、まず期待NGDPを先物価格で3%か5%の成長軌道に沿うように設定しよう。これで言い忘れたことはあるかな?財政刺激や投資消費の乗数は違う。(実際現状でも乗数の議論はめちゃくちゃだ)。節約のパラドックスも流動性の罠も要らない。金融の不安定性ももはや経済全般には影響しない。財政政策は、貯蓄や投資や当座残高のような問題に焦点をあてた長期の論点になる。もはや金利は、そしてマネーサプライもそれほど興味深いものではなくなる。供給側の問題の力点が増すだろう。  

金利を除外する私の夢のシナリオは、大平穏期に出た高レベルのニューケインジアンの教科書の中で既に書かれているのと同じである。ではこの仕事を終えよう。  

除外の目玉はもちろん名目金利だ。大平穏期の間、名目金利が関心の中心に居座り続けた。これがシステム全体のアキレスの踵である。金利は最悪の政策「ツール」だとはっきりした。なぜか。一番必要な時に役に立たないからである。経済が名目金利がゼロになるまでの不況に落ち込んだ時に金利目標は機能しない。だから我々は名目経済が政策目標をはるかに下回ったところで車輪を空回りさせている。同時に我々の図書館は流動性の罠を避けるためのさまざまな「フールプルーフ」ついての学術論文でいっぱいになり、それらはホコリをかぶり続けるだろう。  

日本で通貨減価?日本銀行は去年円の急騰を放置した。  

米国でインフレまたはNGDP目標? Fedはいずれも拒絶し、低インフレ率という目標に固執し続けた。  

ヨーロッパは確かに明確な目標を定めたが、それを下回った時にECBは状況を改善する行動をとることを拒絶した。  

これでも新しいパラダイムがいらないと言うなら、どうすればいいか私は知らない。