4月21日にThe Big Questions Blogに掲載されたSteven E. LandsburgのDead Man Followupの訳。誤訳の指摘お願いします。
ポール・クルーグマンさえも見事にこれとこれについて完璧に勘違いしているので要約させてもらうと:
- 税金は負担を課す。
- もし税金が男のライフスタイルに何の影響も与えなければそれは彼への負担にはならない。
- したがって、税金が男のライフスタイルに影響を及ぼさなければ、それは他の誰かが負担しなければならない。
- 税金は政府が消費する分を増やしたり他の誰かの税金を削減させたりすることを可能にする。したがって、政府か他の誰かのどちらかがより多くの資源を消費するようになる。それらの資源はどこかからやって来なければならない。さらに―これがこのエントリが戦うことを目指されていたという鍵となる誤謬だ―緑の紙束は資源ではない。もし政府がより多くの現実のモノやサービスを消費すれば、他の誰かが消費する分を減らさなければならない。トータルのモノとサービスの数は固定されていないというのはきっと真実だが、1つの銀行口座から別の銀行口座にお金を移す行為がそれ自体でトータルを変えることはない。したがって、この練習問題の場合、トータルは固定されている。
- もしある男が課税されようがされまいが1日中車を駐車しておくだけで、課税されようがされまいが車を駐車しておく以外に何もすることを計画していないのなら、税金が彼のモノやサービスの消費を変えることはない。
- まさかどのように結末にたどり着くのか説明する必要はないだろうね?
これが、「整合性のある全体像を描けない」ことを示しているとクルーグマンが考えている主張だ。私は具体的に、彼が1に同意しないかどうか、2に同意しないかどうか、それとも1と2から3に導かれる論理に同意しないかどうかについて知りたいものだ。
もっと詳しく言うと:
追記: 多くの人が増えた政府支出は向上した生産につながるとコメントで論じている。そしてそれは多くの状況で起こりうる。しかし増えた支出は、ケンドリック氏が課税されようがされまいが、向上した生産をもたらす。ここで質問を: 「ケンドリック氏に課税しようとすることの効果は何なのか」「政府支出の効果は何なのか」は異なる質問で、劣らず興味深いが、このエントリシリーズのテーマではない。
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