デモクラシーかファイナンスか? Robert Skidelsky

原文はProject Syndicate に掲載されたRobert Skidelsky
の“Democracy or Finance?”(2011/04/21)です。


「空売り」は、金融の専門家の間では良く知られた戦略だ。物の価値が下がるときに利潤が出ることを期待して借りた金で資産に投資する。

投機家は、利ざやを稼ぐ目的で、時価で政府債券を借り、それが値下がりしたところで売って、政府債券を「空売り」できる。たとえば2010年1月1日に、私は心の中でこう思う。ギリシャにゲームをしかける準備をしよう、と。そこで私はギリシア国債2016を額面で1,000万ユーロ、ゴールドマン・サックスから6ヶ月間借りる。その時の債券の時価は(額面1ユーロあたり)0.91ユーロだ。この借り入れに対して、私はゴールドマン・サックスに利息を払わなければならない。これが額面金額に対し年利5%だとすると、6ヶ月で2.5%――すなわち25万ユーロを支払うことになる。

私は、直ちに0.91ユーロで債券を売る。すると私は910万ユーロ (0.91ユーロ x 額面1,000万ユーロ)を手にする。 幸運にも、かの国の財政問題が完全に明らかになる5月には、私の株価下落予測は現実のものとなる。額面で1,000万ユーロのギリシア国債2016をゴールドマン・サックスに返却する6月になる頃には、債券は0.72ユーロで取引されている。そこで私は市場に参加し、額面1,000万ユーロのギリシア国債を(額面1ユーロあたり)0.72ユーロ、つまり720万ユーロで買い取り、その債券を約束どおりゴールドマン・サックスに返す。

さて、この株価下落予測を正確に行って得ることができる私の利益は、165万ユーロにもなる――借りた債券を1月1日に売却して得た910万ユーロから、買い戻すために6月30日に支出した720万ユーロを引き、ゴールドマン・サックスに6ヶ月間の借り入れに対する25万ユーロの支払利息を差し引いた残額だ。ほら、この「空売り」取引、ずいぶんとうまい話ではないだろうか。

もちろん、たかが一人の空売り投機家が、こんな金額の「取引」をできるはずもない。(ただし、その投機家がジョージ・ソロスなら話は別だ。ソロスは1992年に英国ポンドの空売りをしかけて億万長者になり、英国はERM(欧州為替相場メカニズム)からの脱退を余儀なくされた)。しかし、もし大勢の投機家が、ある政府債券が割高だと考え、債券価格が下がるよう圧力をかけ、それにより、債券利回り(政府が支払わなければならない利率のこと)に上昇圧力がかかったとしたらどうだろう。

もし、そうした金融攻撃が継続したら、国家は、より安く資金調達できる方法を見つけない限り、投機家によってデフォルト(債務不履行)に追い込まれるかもしれない。昨年、ギリシアの他、アイルランドやポルトガルのような困窮した国家を支援する目的でIMF(国際通貨基金)とECB(欧州中央銀行)によって設立されたベイルアウト・ファンド(政府による資金援助を行うファンド) がまさに、(デフォルトにならないように)資金援助を行っている。しかし、短期間のうちに財政赤字を削減するための緊縮財政プログラムを実行するという条件付だ。

「財政赤字の削減」は、事実上、その存在が財政赤字に依存する公的、民間、両部門の雇用を削減することを意味する。 弱い経済における財政赤字削減の経済的、及び、人的費用はぞっとするほど悲惨なもので、しかも、せっかく掲げた目標も達成されはしないだろう。なぜなら、財政支出の削減は、総需要の落ち込みに伴い、政府歳入を減少させるからだ。

では、選挙で選ばれた政治家たちは、こうした投機筋の攻撃に対してどのような役割を担えばいいのだろうか。市場の意思を単純に受け入れて、これを必要な痛みとして国民に負わせる?もし金融市場が常に、もしくは、少なくともたいてい、資産の価格評価を正確に行っていたのだとしたら、それは合理的な結論だっただろう。

実のところ市場は、正確な資産の価格評価など全く行っていない。2007年から2009年にかけての金融崩壊は、プライベートバンクと格付け(評価)会社が資産の価格を間違え続けた結果として起こった。 であるならば、市場がギリシアやアイルランドやポルトガルの債券リスクを正確に評価しているなどと、どうして信じられようか。

真実はこうだ。資産の価格は群集心理によって「作られる」。「見込み収益を予想する際に根拠となる知識は非常に危なっかしい」[1] とは、ジョン・メイナード・ケインズが当の昔に指摘している。もし自分がどうすべきか分からないときは隣の人がやっていることをまねすればいい。そういうことだ。

これは、ある国家がその収入以上の生活水準を自国民に許していることの否定を意味するわけではない。政府債券の空売りは、金融市場が国家に責任ある態度をとらせるための手段だ。しかし、最後に国家に責任をとらせることができる切り札を持つのは市場ではなく、主権者である国民なのだ。もし、市場と国民の判断基準が分かれたときには、民主主義が生き残るとしたら、国民の基準が優勢となるべきなのだ。

最近のヨーロッパで沸き起こっている不満は、民主主義と金融(市場)の間にある緊張感に根ざしている。投機家や銀行家の要求により押し付けられた歳出削減に対する人々の怒りは、アイルランドやポルトガルの指導者層の立場をぐらつかせ、スペインの首相を引退に追い込んだ。

もちろん、他にも標的となるものはある。イスラム教徒の移民、少数民族、銀行家の賞与、EC(欧州委員会)ECB((欧州中央銀行)などがそうだ。国粋主義的政党が勢力を拡大している。フィンランドでは、反ユーロを掲げる真フィン党が、弱小政党から権力の中枢の端にくるまでに躍進した。[2]

今のところ、こういったことが民主主義の根幹を揺るがす程の動きになるまでには至っていないが、そういった動きを作り出すに十分な数の人々をいらつかせるいくつかの出来事が同時に起こった場合には、政治的に有害なものが噴出することもありえる。ナショナリズムは反民主主義の古典的表現であるのだから。

政治家にとって重要なのは、人々が受け入れ困難な決断を回避しないことではなく、それを自らの意志の力とペースを守って実行していくことだ。民主国家が債券市場の暴威にさらされているときには、指導者層が一致団結することが非常に重要である。

野党にとって、政府の難点を指摘するまたとない機会を利用するのは、自分たちの勢力拡大のために当然の行為ではあるが、財政危機に際しては、政治的自制が求められる。金融市場が「空売り」を行っている局面において、野党は政治的空売りを回避すべきである。

理想的には政治的に許容できる限界を定めた行動計画について全党の一時的合意があるべきだ。不幸なことに、財政難に対面した状況での政治的不和は、民主主義と経済にとって、考えなしの愛国心よりもはるかに有害であるのが常なのだ。


  1. 『雇用・利子および貨幣の一般理論』Keynes,J,M,(1936)The General Theory of Employment, Interest, and Money” []
  2. 2011年4月17日に行われた議会選挙において、それまで5議席だった真フィン党は39議席を獲得し、第三位の政党となった []
  • http://twitter.com/erickqchan erickqchan

    “a plan of action, which would represent the limit of what is politically feasible”のとこですが、限界を「測る」、ではないと思いました。

    わたしなら
    「理想的には政治的に許容できる限界を定めた行動計画について全党の一時的合意があるべきだ。」
    ですかねー

  • http://twitter.com/ayakka あやか

    >erickqchan 

    ご指摘ありがとうございます。
    その箇所、(私にとっては)意味がとりにくくて、表現をどうするか悩んだところです。
    erickさんの訳を拝借しますね。