デフレを防ぐために: 90年代の日本の経験からの教訓

担当:night_tunisia


テイラールールによる検証

今となっては緊縮的であったことが明らかになってはいるが、名目及び実質金利の著しい低下と90年 代中頃に見られた経済の復調といった理由から当時の日本政府・日銀が、金融政策のスタンスが適正であると考えたことは理解できる。伝統的な基準では金融政策が妥当に緩和的であったという見方は日本についてのシンプルなテイラールール型金融政策ルールの推計からも支持できる。比較のために我々はアメリカについても推計した。テイラールール型政策ルールとはコールレート(アメリカではFFレート)を4四半期先の予想CPIとGDPギャップに結びつけるものである1

資料IV.1 の真ん中のパネルは日本のコールレートと予想インフレ率とGDPギャップについての二つの仮定のもとで得られたテイラールールによる推計値との比較である。(「改訂テイラールール」とラベルされた)破線は現在公表されているインフレ率とFRBスタッフによる現在のGDPギャップの推計を元にしたものである。(「リアルタイムテイラールール」とラベルされた)点線はFRBスタッフの当時の各四半期ごとのインフレ率とGDPギャップの推計を元にしている。当時のリアルタイム推計および改訂されたテイラールールが示す基準を元に考えると日本は90年から94年にかけて平均的には「過剰に緩和的」であった2。その後確定した指標を使うと、同時期における日本の政策は「過剰に緊縮的」であった。「リアルタイムテイラールール」と「改訂テイラールール」との乖離の最大の理由は第III節で述べたように90年代初期の予想よりもインフレ率が実際には低かったことにある。対照的にアメリカのFFレートは90年-91年の景気後退のすぐ後のリアルタイムおよび確定データから得られるどちらのテイラールールが示すレートよりも迅速かつ踏み込んで低下していることが一番下のパネルから見て取れる3

もちろん、改訂テイラールールが必ずしも—特に90年-95年期間を含む1981年第一四半期から2000年第二四半期の推計期間においては—金融政策評価のベンチマークとして適切とは言えない。しかしながら日本の改訂テイラールールのパラメータはFRBスタッフや経済学者による他国の推計と大きな乖離はなく、テイラールールが示す金利が金融政策の伝統的な基準をうまく表すという我々の考えを支持している。

当時優勢であった経済の見通しをベースにすれば、91年-95年の日本の金融政策は適切であった、というのが我々の結論である。しかしながら、現実のインフレ率と経済成長率が予想されたものよりも低いことが明らかになった後もテイラールールが示す水準よりも金利が高止まりした事実から、ダウンサイドリスクの不適切な許容が金融政策に組み込まれていたと言える。

FRB/Globalモデル分析

振り返ってみると日銀の政策が過剰に緊縮的であり、より緩和的な政策がデフレを防いだであろう、というさらなる根拠は、資料IV.2に示されているFRBスタッフによるFRB/Globalモデルの一連の反実仮想シミュレーションから得られる4。それぞれのシミュレーションにおいて、日本と主要先進国の金融政策が標準的なテイラールールに従った場合について検討している5。シミュレーション結果は3つに時期(91年第1四半期、94年第1四半期、95年第2四半期)に恒久的な250ベーシスポイントの金利引き下げを行った場合のものである。政策ルールはゼロもしくはテイラールールの示す金利のどちらか大きいものを採用することで、名目金利の非負制約を組み込んでいる。

それぞれのパネルで、黒の実線は実際のデータを表している。他の線はシミュレーション結果である。シミュレーションによると、政策によって短期金利は約200ベーシスポイント低下し、その結果成長率とインフレ率とを押し上げる。主な発見は、仮に日銀が95年はじめまでのどこかの時点においてシミュレーションで行ったような緩和的金融政策をとっていたならば、90年代を通じてインフレ率を正に保つことができたであろう、ということである。その意味では91年から95年の日銀のスタンスは明らかに緊縮的であった。さらに言えば、それ以降政策金利はゼロ付近まで低下してしまい、単純な金利の引き下げという手段でデフレを回避するという機会を失ってしまったのである。

デフレ下では伝統的な金融政策が安定化能力を欠くことと非伝統的金融政策に伴う不確実性とを考慮するとデフレとインフレのコストには明らかな非対称性が存在する6。これらのシミュレーションは94年-95年の極めてい低インフレ率とGDPギャップのもとでは基準となる予想がより高い成長率とインフレ率を示していたとしても、さらなる予防的な金利引き下げがデフレに陥る確率を軽減するのに役立ったはずであることを示している。

このような予防的な緩和は望ましい水準を上回るインフレをもたらすリスクがあるものの、将来のある時点での引き締めによって対処できるであろう。シミュレーションがはっきりと示しているように、インフレ率と金利がゼロに近付いている局面においても、初期の利下げの効果はGDPギャップとインフレ率が改善されるにつれて薄くなっていき、2、3年後には基準となる利率よりも金利を高く押し上げる。デフレリスクを防ぐために94年に日銀が著しい利下げを行っていたならば、この予期せぬ好ましいショックはGDPギャップとインフレ率を正の領域まで押し上げたであろうか?このシナリオでは上述のシミュレーション結果のロジックによると、インフレは長期にわたって望ましいレベルを上回るが、それに対応すべく日銀が金融政策を引き締めることで短期金利は上昇し、インフレは徐々に元の基準線に復帰するであろう。

もちろん94年の段階でより踏み込んだ予防的な緩和という選択は、金利がかなり引き下げられていて回復機運が高まっていたことを考えると日銀にとって難しいものであったはずである。さらに当時、日銀高官は過剰な金融緩和のリスクを単に数年間の望ましいレベルを上回るインフレ以上のものと捉えていた。80年代の資産価格バブルの原因が少なくとも部分的には金融緩和の行き過ぎに求められることから、日銀は金利引き下げが新たな株式・土地バブルを誘発することを恐れていた7。しかし、90年代はじめまでの資産価格の下落幅と経済・金融セクターの脆弱性を考慮するならば80年代のバブルの再来のリスクはおそらく非常に小さいものであったであろう。

マネーサプライからの検証

現代の視点から見て、90年代初期の日銀の政策が過剰に緊縮的であったことを検証するもう一つの側面はマネタリーベースやその他各種のマネーサプライの成長率である。資料IV.3は広義流動性、M2+CD、そしてマネタリーベースの12ヶ月成長率をプロットしたものである。これらのマネーサプライの成長率は1990年から1992年にかけてほとんど連続的に低下しているが、これは過剰な引き締めを意味するものと言えるかも知れない。さらに、マネタリーベースの成長率はその後回復したものの、より広範囲なマネーサプライ、特にM2+CDはさほど回復していない。これは日銀の金利引き下げが、一見急激に見えたものの、十分ではなかったことを示唆している8

しかしながら、貨幣需要は一般的に言って景気の悪化と名目所得の成長率の低下に伴い減少する。そして後に詳述するように、信用需要と供給の減少が各種のより広範囲なマネーサプライの成長を顕著に減速させた可能性もある。したがって、マネーサプライ成長の減速が、特に91年と92年において、過剰な緊縮的金融政策を意味しうるものの、必ずしも決定的な証拠ではなく、貨幣成長はその後はっきりと回復したのである。

  1. 推定係数からテイラー(1993)のオリジナルのものに比べてGDPギャップのウエイトは小さく、インフレ率のウエイトが大きいことが推察される。しかし、それらはG3各国の実証研究の結果と整合的である。Clarida, Gali, and Gertler (1998)、Fair (2001)を参照せよ。 []
  2. イントロダクションで指摘したように、Bernanke and Gertler (1999)もまた日銀の政策がこの時期の推計反応関数から得られるものよりも緊縮的であったと主張している。また別の研究でも様々な点で同様な結果が得られている。Clarida, Gertler, and Gali (1997)、Junoshi, Kuroki, and Miyao (2000)
    Kato and Nishiyama (2001)を参照せよ。 []
  3. この結果もまたClarida, Gertler, and Gali (1997)とBernanke and Gertler (1999)で示されたテイラールールの推計結果と整合的である。 []
  4. モデルの詳細はLevin, Rogers, and Tryon (1997)を参照せよ。 []
  5. 次節で述べるテイラールールの推計とは対照的に、このシミュレーションで用いられた政策ルールはTaylor (1993)で述べらた(推計ではない)定式化及び係数を採用している。 []
  6. これはReifschneider and Wiilams (2000)、Blinder (2000)、Kato and Nishiyama (2001)、IMF (2002) Chapter IIで共有されている見解である。 []
  7. 市場関係者は日銀がこの懸念を持っていたことを信じている。ある記事は「日銀は80年代後半の株式と不動産市場の崩壊をもたらした投機的バブルを誘発するとして、しぶしぶ緩和政策をとった、と民間エコノミストはコメントしている」と伝えた (Reuters News Service 1993)。数年後のまた別の記事によれば、松下総裁は「長引く金融緩和が80年代後半のバブル生成に加担した」と語り、また「これを、日銀がバブル再来を恐れて金利引き上げを行うものと市場は受け止めた、と市場関係者が言った」と語った(Reuters News Service 1996。 []
  8. Makin (2001)やその他は1990年代初期の貨幣成長率を過度な金融引き締めの証拠として言及している。 []
  • http://twitter.com/orange7246 しんべー

    皆で翻訳してたのはこれだったのか。興味深い資料。必読。

  • http://www.facebook.com/nguyenhongkimngoc Nguyen Hong Kim Ngoc

    thank you very much. this document is very useful