デフレを防ぐために: 90年代の日本の経験からの教訓

担当:ayakka


Ⅲ.日本のデフレ不況は予測されていたのか。

1990年代の初頭における日本の政策担当者たちの行動を、日本経済に対する彼らの予測についての認識なしに理解することはできない。その10年間を通じて、経済成長及びインフレの予測がどのように展開されたかを研究することで、私たちは、大部分のオブザーバーが、日本は重度、かつ、長期の経済不況に陥るであろうという評価を下すまでに非常に時間がかかったという結論に達した。同様に、市場関係者が、日本は長期のデフレ不況に直面していたことを認識していたとする金融市場の指標は、90年代終わりになるまでは、わずかしか存在しなかった。

Ⅲ.2 マクロ経済予測

1990年代初頭の日本における資産バブルの予期せぬ崩壊により、日本経済が失速した1992年から1993年にかけてさえも、日本の中期的な経済動向の予測について、オブザーバーたちは楽観的だった。彼らの大部分は、数年以内に日本のGDPは高い成長率に戻ると予想していた。資料Ⅲ.1はFRBスタッフとConsensus Economicsにより聞き取り調査をされた民間エコノミスト、及びIMFスタッフによって作成された日本のGDP成長率の予測である。1

各年における実際の成長率は赤線で示している。また、比較のために、1年前の予測を青線で、2年前の予測を黒線で示している。この表により実際の成長率の落ち込みよりも、予測の落ち込みの方がずっと遅いことが明らかである。そして、90年代の後半にいたってやっと、日本の経済的な見通しに根本的な見直しが行われることなった。

同様に、オブザーバーたちは一般的に、インフレ率を下方修正することに消極的だった。(資料Ⅲ.2.) たいていのアナリストは、1990年代の半ばにはディスインフレの期間がくると予測していたが、1995年のデフレへの下落は全く予期せぬものだった。実のところ、民間部門のアナリストたちは、90年代の終わりまでインフレ率はプラスであると予想し続けていたのだ。

1990年代初頭のマクロ経済学的予測の展開をより詳細に見ていこう。資料Ⅲ.3があらわしているのは、1992年(経済が失速した最初の年)の成長と、1995年(インフレ率が始めてマイナスになった年)のインフレに関する予測の前向きな様子である。1992年に1991年の夏と同程度の3%の成長率を予想していており、FRBスタッフも民間部門のアナリストも、経済の下降の程度を過小評価していたことが明らかである。1995年の始めにディスインフレの終わりを予想していたFRBスタッフと民間部門のアナリストたちは、デフレの予測についてもあまり迅速ではなかった。その後、物価の下落を示すデータが少しずつ見られるようになるにつれ、インフレ予測は顕著に減少した。最後のパネルが示すのは、民間部門の予測者は、日本の持続的なデフレに対して90年代のやや終わりの方になるまで、つまり次の10年間は平均的なインフレになるという予測者がいなくなるまで、真剣に考えていなかったという事実だ。

予測者たちは、日本の経済に対する彼らの思い込みに早い時期に警鐘を鳴らす、何らかのサインを見逃したのだろうかという疑問がおこる。各企業が行う景気の見通しについての独自評価には、意味のある予想情報を含んでいた可能性がある。別表Ⅲ.4には、日銀の短観を詳細に観察した結果が示されている。

興味深いことに、企業はバブルがはじけた直後に、大量の過剰設備能力を考慮して、速やかに設備投資の計画を縮小した。しかしながら、そうした企業でさえも、1990年代前半の営業利益の見通しについては楽観的に過ぎ、この不況の深刻さや長期化を予測するのには失敗したのだということを示している。

Ⅲ.3.金融市場の指標

1990年代半ばの金融市場の指標もまた、日本の経済が将来にわたり悪化し続けることを市場が予想していなかったことを示している。別表Ⅲ.5.の最初のパネルが示すように、長期債券の利回りが1993年の間に起きた短期金利の下落に追随する動きを見せている。短期金利は1994年にいったん平準化するが、長期債券利回りは、その年に始まった景気の一時的な回復を幾分反映して、再び上昇した。1995年の1月は、日本にとってデフレが始まった最初の年2 であった。この年、短期金利はほぼゼロ金利となり、長期金利は4.7%を記録した。長期にわたる多額の財政赤字を抱えていることも長期金利の上昇圧力となった。しかし、90年代終わりには、公共部門の債務が増加しているにも関わらず、長期金利が相当程度低下したことをかんがみると、財政に関することで説明できるのは、1994年における金利の上昇の一部分だけであろう。

もう一点、金融市場が行う経済予測に関連する尺度として、イールドカーブの傾斜具合がある。将来の成長率の回復と短期金利の上昇を予想しているときは傾斜がきつくなる。別表Ⅲ.5.の真ん中のパネルで見られるように、この基準もまた、市場がデフレ不況の長期化をまったく予測していなかったことを示している。結局のところ、1996年になるまで10年国債の金利と3ヶ月物の金利の間でスプレッドが増大し、その差が顕著に縮まり始めるのは、1996年の後半になって短期金利がほぼゼロにまで落ち込んでからだった。

これらの指標に呼応するように、6ヶ月及び9ヶ月満期と契約した3ヶ月金利先物からのインプライド(暗黙の)金利は、6ヶ月及び9ヶ月先に日銀が実際に行った金融緩和政策の再開を示し、市場関係者が、政策担当者が金利を下げ始めるとは予測していなかったことを意味している。これも同じく、市場関係者がその当時、更なる金利の引き下げを是認しない経済状況であったと気がついていたこを示している。

最後の指標は、金融市場が外国為替市場に由来する日本経済の状況について楽観的であり続けたことを示すものである。別表Ⅱ.2に示されているように、円の価値が1995年に10年ぶりに高い水準になったことだ。要するに、日本の実情の重大さを評価することに失敗したのは政策担当者や専門の予測者だけでなかった。金融市場も例外ではなかったということだ。

  1. FRBスタッフの予測は、1996年以後は秘密の保持を理由に開示されていない。民間のエコノミストについては、毎年1月にConsensus Economicsが発行する民間部門のエコノミストに対する調査から、平均的な予測を作成した。IMFスタッフの予測は、複数年にわたるIMFの世界経済見通しからデータを取得した。 []
  2. 17.Dotsey (1998)を参照のこと。将来の経済成長率について長短金利差が予測力を持つという内容の実証的文献のレビューである []
  • http://twitter.com/orange7246 しんべー

    皆で翻訳してたのはこれだったのか。興味深い資料。必読。

  • http://www.facebook.com/nguyenhongkimngoc Nguyen Hong Kim Ngoc

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