デフレを防ぐために: 90年代の日本の経験からの教訓

担当:maeda


II. 長引く日本の不況の背景

長期間に渡る日本の不況は、1980年代後半の「バブル経済」期にはじまる経済成長の結果と考えるのがよいと思われる1 。資料II.1に示したように、1986年から1989年までの期間に株価と地価はともに急激な上昇を見せた。この資産価格上昇は、比較的低い金利(資料II.2)とあわせて、投資資金の調達を極めて容易なものとした。その結果として銀行貸し出しのGDP比は急増し、増加した投資支出が高いGDP成長率に寄与した。生産性成長率(資料には示していない)はこの期間を通じて比較的高く、おそらくその結果としてCPI上昇率(資料II.1)は比較的落ち着いたものにとどまった。

しかし、1989年初頭には株価と不動産価格が急上昇を続けるとともにインフレ率が上昇し、日銀は過熱を抑えるべく金利を引き上げはじめた。株式市場は、もともと維持不可能だった高水準と金融引き締めによって1990年初頭に崩壊した。GDP成長率は直前の1990年のピークよりは低下したが、それでも1991年Q4(前年同期比)で2.5パーセントをマークし、一方で地価はさらに上昇を続けた。その結果として日銀は1991年8月まで公定歩合のさらなる引き上げを繰り返した(資料II.2)。GDP成長率がさらに急落し、インフレ率が低下しはじめ、地価もまた低下し始めるのを見ると、日銀はその後少しして金利の引き下げを開始した。

多くの点において、バブルの終わりとそれに続く景気後退は、戦後の先進国の標準的な景気循環のパターンをなぞった2 。しかしながら、後知恵を承知で言うならば、成長を押さえつける力が通常よりはるかに強く働いていたことは明らかであったように思われる。第一に、資本-産出比率は1990年には高い値に積み上がっていた。この高い資本-産出比率は、産出が高成長を続けるという予測に基づくものであり、景気後退がはじまると過剰であることがあらわになった。結果として、利益率は低下し、民間投資は1990年代を通じてだらだらと減少を続けた3 。産出成長率の低下の結果、資本/産出比は1990年代を通じて高く保たれたため、この資本オーバーハングは解消が困難であることが明らかとなった4

第二に、株価の崩壊と、その後の住宅価格の崩壊は、家計および企業(特に企業)にバランスシート上の深刻な問題をもたらした。弱気な株価市場の情勢が新規株式発行による資金調達を妨げる一方で、下がり続ける株価と地価は新たな借り入れの担保となるはずの資産価値を削いでいった5 。さらに、多くの企業(特に建設業と不動産業)の純資産が資産バブルの崩壊によって大きく減少すると、投資ファンドの需要が急低下した。

第三の関連する要素として、借り手企業のバランスシート問題は、貸し出しのパフォーマンス悪化および銀行システムの財政の悪化につながった6 。日本の貧弱な統制システムと日本の銀行の悪しき商習慣のせいで、日本の銀行は不良債権問題を解決できず、また、十分な自己資本を回復することができなかった。銀行システムの弱体化が続いたことがさらにまた、新たな貸し出しによって経済回復をサポートする銀行の役割を制約することとなった7

これらの要素すべてが成長への大きな重しとなり、資料II.1に示したように、成長率は1990年Q4(前年同期比)の5パーセント近い値から、1992年および1993年にはほぼゼロとなった。さらに、1990年初頭から劇的な円高となり、経済活動の低下をもたらし、物価にさらなる低下圧力を与えた。12ヶ月のCPIインフレ率は1993年末には約1パーセントまで低下し、GDPデフレータはさらに急速に下落した。

この景気後退に対し、日本の経済政策が緩和されたのは確かである。オーバーナイトのコール金利は1991年3月の8.2パーセントというピークから、1995年3月の2パーセントまで引き下げられ、1995年10月にはさらに1/2パーセントにまで引き下げられた。財政政策も刺激のために発動され、構造的予算収支は1990年の1.3パーセント黒字から1996年には5パーセント近い赤字となった。

経済政策の緩和が十分であったかどうかについては、本稿のIV節およびV節で論じる。しかしながら、III節で論証するとおり、日本の景気後退がここまで深く、ここまで長期間におよぶと1990年代前半に予測した論者はほとんどいなかった。さらに、1994年中頃にはじまり1996年いっぱい続いた一時的な景気回復が、多くの政策決定者の目から、さらなる景気刺激の必要性を隠してしまった。

しかし、振り返ってみると、1990年代半ばの回復は極めて脆弱なものであったのは明らかに思われる。その後、1997年の消費税率引き上げと1997-98のアジア金融危機の到来とともに、日本経済はまたしても長い不況に落ち込み、わずかに2000年のハイテクブームでごく短期間だけ不況から脱したのみであった。さらに、消費者物価上昇率は1995年に短期間マイナスになった(理由の一部は、急激な円高によるもの)後、1996年と1997年にはわずかに上昇し、1999年9月からは一貫してマイナスとなっている8

この文脈において生じる疑問は、1990年代半ばに生じかけた好転を支え、さらに持続的な景気回復へと育て上げるためにさらなる景気刺激を行うべきだったかどうかというものである。特に、1993-94という期間が、金融政策に関して決定的に重要であったかもしれない。なぜなら(1997年の消費税引き上げによるごく短期間を除いて)インフレ率がほどほどの余裕を持ってゼロを上回っていた時期はこれが最後であり、ここでの十分に大きな政策金利引き下げによって非常に低い(あるいは負の)実質短期金利が得られた可能性があるからである。1995年初め以後は、ゼロあるいはマイナスのインフレ率が実質金利を引き下げる余地を制限し、金融政策の有効性を大きく減じてしまった。

  1. 日本のバブル崩壊に取り組んだ研究は数多い。特に、Posen (1998), Brunner and Kamin (1996, 1998), Bayoumi and Collyns (2000), Mikitani and Posen (2000), Morsink and Bayoumi (2001)を参照。 []
  2. IMF (2000)の第3章は先進国における資産価格と景気循環の関連について述べている。 []
  3. 1990年代における日本の民間投資の推移に関する詳細な議論に関してはRamaswamy (2000)を参照のこと。 []
  4. 投資は減少し続けたものの、水準自体は比較的高いままであり、資本形成のペースが産出の伸び率を上回った。 []
  5. 資産価格の変化がバランスシートへの効果を通じてどのように家計、企業、金融仲介機関の経済的行動に影響を与えるかに関しては多くの研究があるが、中でもBernanke and Gertler (1995)を参照せよ。 []
  6. 多数の研究があるが、特にHoshi and Kashyap (2000), Friedman (2000), Shimizu (2000)を参照のこと。 []
  7. Kwon (1998), Brunner and Kamin (1998), Bayoumi (2000)には、銀行貸し出し経路で資産価格が実体経済に影響を与えたエビデンスが示されている。Morsink and Bayoumi (2001)も、伝達メカニズムとして銀行貸し出しが果たした役割の重要性を支持している。 []
  8. 1997年の消費税率アップ分を調整したもので見ても、1996年から1997年の間に計測されたインフレ率はわずかにプラスであった。しかし、消費者物価指数は上方バイアスがあると広く考えられており、真のインフレ率はおそらくマイナスのままであったであろう。この時期のデフレ圧力が部分的には技術進歩や硬直的なサービス産業における規制緩和による「良いデフレ」として、とくに日銀には、受け止められてた。しかしながら、たとえこれらの要因からくる「良いデフレ」であったとしても金融政策の運営を難しくさせるものである。 []
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    皆で翻訳してたのはこれだったのか。興味深い資料。必読。

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