デフレを防ぐために: 90年代の日本の経験からの教訓

FRBスタッフによるリポート“Preventing Deflation: Lessons from Japan’s Experience in the 1990s”の翻訳です。8名で分担して翻訳していますが、文体や訳語の統一が完全ではないですが、内容の理解を優先して公開します。[注意]長いので9ページに分割しています。分かりにくいのですが、Related Postsのあとにページのリンクがありますので、そちらで次のページに送ってください。


担当:svnseeds


I. 序論および要約

2001年初頭から、U.S. フェデラルファンド金利は475ベーシスポイントも切り下げられ、この約40年間で最も低いわずか1.75パーセントとなった。恐らくは更なる総需要への負の衝撃により一層の大規模な金融の緩和が必要とされ、名目金利のゼロ下限に金融政策が制約されるのではないか、との懸念が生じた。このような環境において、連邦準備は景気回復を支持するために何を行い得るのかについて議論がなされた[1]。 

この文脈において、多くの者は必然的に、現在の米国の状況と、1990年代半ばの、日本銀行が金利を非常に低い水準にまで切り下げ、経済が結局は長引くデフレ不況へと落ち込む瀬戸際にあった日本とを関連づけている。1990年始めの資産価格バブルの崩壊以降、日本の成長は1990年代の前半に着実に悪化し続け、その半ばで短い回復を見せたが、以降は概して低迷したままだ。消費者物価の上昇率は経済の落ち込みにあわせ、1995年にはゼロを下回った。それに応じて、日本の短期金利は1995年末にはほぼゼロにまで切り下げられ、それ以降ゼロ近傍にとどまっている。しかしながら、価格の下落に伴い実質金利はプラスのままであり、成長を抑制している。 

日本の経験を分析することは、米国やその他の国の政策立案者たちが、将来のある時点で直面する可能性のある多くの疑問にヒントを与えてくれるかもしれない[2]。経済がいつ継続的なデフレに落ち込むかを認識することは可能だろうか?インフレ率の急激な落ち込みに対して、金融政策はどのくらい素早く対応できるだろうか?金利がゼロに近付くとき、金融政策の波及メカニズムを阻害するような要因は存在するだろうか?デフレの症状の出現を防ぐために財政政策ができることはなんだろうか? 

本稿では、日本の経験が、これらの疑問に対しどの程度予備的な解答を与え得るか、を評価する。我々の調査は、株式市場が頂点をうち資産価格バブルが崩壊した1980年代末から、インフレ率がマイナスの領域へ落ち込み政策金利が基本的にゼロにまで切り下げられた1990年代半ばまでの期間に焦点をあてる。第2節では日本がデフレーションに陥った歴史的背景について述べる。第3節では日本のデフレーションがどの程度前もって予測されていたかについて取り組む。この問題は、経済活動と価格上昇圧力の低下が一時的なものなのか、あるいはより継続するものなのか、どちらと予想されるかに金融政策の適切な姿勢が依存しているため、重要である。第4節では、デフレーションが深化している時期の日本の金融政策の実績について検討する。我々は、日本銀行の金融政策の戦略の適切性と共に、金融政策の波及メカニズムを阻害しかたも知れない要因についても分析を行う。第5節では、日本の財政政策が経済活動の下支えに果たした役割を評価する。最後に、第6節では、総需要の維持に対する、金融政策と財政政策との改善された組み合わせの寄与について議論する。 

これらの分析に基づき、我々は以下の結論に達した。第一に、資産価格の暴落の激しさと金融セクターのこの暴落に対する脆弱性にも関わらず、日本の継続的なデフレ不況は予期されていなかった。このことは、日本の政策立案者だけでなく、日本の民間セクターや連邦準備のエコノミストを含む他国の観測筋にもあてはまる。例えば、連邦準備スタッフおよびConsensus Economics社による調査の両者による2年後のGDP成長率とインフレ率の予測は、1990年代の半ばを過ぎるまで、実際の成長率とインフレ率を大幅に上回ったままであった。更に、金融市場は経済の見通しについて優れた理解を持っているわけでもなかった。長期国債金利は1995年が始まる直前まで、5パーセントもの高さを維持していたのである。 

1990年代初期の日本のデフレ不況の見通しに関するエコノミストと金融市場の失敗は、類似した状況にある他の政策立案者たちに対して警告を発している。デフレーションはあらかじめ予期しておくことは非常に難しい、というものだ。その結果、金利とインフレ率がゼロに近付いていく状況では、金融政策は恐らく、将来の経済活動と価格の基本的な予測だけでなく、特殊なダウンサイド・リスク、特にデフレーションの可能性にも対応する必要があるだろう。 

この点は我々の第二の主要な結論によって十分に支持される。1990年代初頭の日本銀行による金融緩和政策は、その当時における将来の経済発展の見通しからすれば妥当に思われたが、その後に消費の減少と価格の下落が生じたことを考慮すると、この緩和は不適切であったことがわかる。この点を評価するために、我々は、実際の日本の短期金利の変化と、期待インフレ率および産出ギャップに基づいたテイラールールにより推定された短期金利の変化との比較を行った。実際の金利は、連邦準備のスタッフが予想した産出ギャップと期待インフレ率をテイラールールに算入して求められた金利と同程度か、それよりも素早く低下した。しかしながら、現実の、予想よりも弱い将来の産出ギャップと期待インフレ率をテイラールールに算入した場合、実際に行われたよりもより急速に金利が引き下げられるべきであったことが示された[3]。 

このことは、今となってみれば、恐らくこの時期の日本の政策によりもたらされた最も重要な問題は、政策立案者たちが来るデフレ不況を予期していなかったことではなく(結局のところ、ほとんどのエコノミストも予期できていなかった)、彼らが予防的な更なる金融緩和によってダウンサイド・リスクに対する十分な保険をかけなかったことにある。連邦準備のスタッフによるFRB/Globalモデルを用いたシミュレーションは、もし日銀が1991年から1995年前半のどこかで、短期金利を更に200ベーシスポイント引き下げていれば、デフレーションは確かに防ぐことができたことを示している[4](また、このモデルは、1995年の第二四半期より後に行われた緩和は、インフレ率が既にゼロを下回っているため、デフレーションを防ぐことはできなかったであろうことを示している)。 

もちろん、1990年代初頭の政策立案者たちはその後何が起こるか確信などなかったし、またもし経済が自律的に回復するのであれば、更なる金融緩和は望ましくない結果をもたらすであろうリスクもあった。連邦準備理事会のFRB/Globalモデルに基づけば、不当な、つまりデフレーションを防ぐのに必要でない更なる金利の引き下げは、数年にわたってインフレ率が望ましい水準を超えることをもたらすが、しかしそれに応じて金融政策が引締められるため、インフレ率は低下して基準値にまで戻ることになる。従って、デフレーションに落ち込むコストと比較すれば、金融緩和の行き過ぎによるコストは相対的に限定されている。とは言え、1993年後半には金利は歴史的な低水準にあり、また1980年代の資産価格バブルの経験が政策立案者の記憶に生々しい状況では、日銀が1990年代初頭にもっと急速に金融を緩和しなかったことは無理もない。

  1. とりわけ、Clouse, Henderson, Orphanides, Small and Tinsley (2000)は、米国の短期名目金利がゼロ下限に直面するであろう環境において、連邦準備が総需要を刺激するにあたり取り得る政策的措置の範囲について分析している。 []
  2. Browne (2001)は、1990年代の日本の経験から米国の政策立案者たちが引き出し得る教訓を検討している。Mikitani and Posen (2000)およびMakin (2001)も参照のこと。 []
  3. Bernanke and Gertler (1999)は、我々が用いた推定テイラールールとはいくつかの点で異なる金融政策ルールを用いて同様の結論に達している。彼らの分析による結論は「日本の金融政策は1992年後半から少なくとも1996年初頭まで、引き締め過ぎであった」というものである。 []
  4. FRB/Globalは、外生的ショックと他国の代替的な政策の反応を分析し、それらの外的ショックが米国の経済に与える影響を研究するために用いられる、大規模マクロ経済モデルである。このモデルの構造および主要な特徴は、Levin, Rogers and Tryon (1997)において詳細に述べられている。 []
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    皆で翻訳してたのはこれだったのか。興味深い資料。必読。

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    thank you very much. this document is very useful