真の(real)問題は名目(nominal)だった by Scott Sumner

本サイトではおなじみのScott Sumnerが2009年9月、Cato Institute(右派シンクタンク)のサイトのCato Unboundという月例コラムに寄せた論考、”The Real Problem was Nominal“(September 14th, 2009)の翻訳に挑戦しました。ここには氏の理論のエッセンスが全部含まれていると思います。(筆者は連休で暇だから翻訳するのではなくて、この考え方が震災後の日本を救い得る-と言うか金融政策のレジーム転換がないと恐慌になるかもとビクビクしています)。文中、太文字フォントによる強調は訳者によります。   

原文タイトルの「real」という語が経済学で「実質(real)」、「名目(nominal)」のように使われていることはご存じのとおり。


「 真の(real)問題は名目(nominal)だった」   

The Economist誌は最近の特集で、今の金融危機が現代経済理論の欠陥を露わにしたとしている。私はちょっと異なる議論をしよう。まず、2007年暮れのサブプライム危機はおそらくただの珍事であり、金融経済学にもマクロ経済学にも重要なインプリケーションはほぼなかった[1]。しかし2008年暮れに全世界を巻き込んだ危機はサブプライム危機よりずっと深刻で、質的に異なる問題なのである。それなのにこの問題については左右両陣営とも誤った理解をしている。ほとんどの経済学者は単に金融危機の厳しい深化が世界中の消費を低迷させたと考えている。しかし実際の因果は逆で2008年下半期、名目収入の下落が負債危機を悪化させたのだ。   

中央銀行家たちも問題を取り違えたため、効果的な金融政策を打てなかった。譬えるなら、ちょうど医者が肺炎が進行している患者に一般風邪薬を処方するようなものだった。経済学者たちもまた、この問題に混乱させられてしまい、まるで現代マクロでは何の解決策をも提供できないかのような状況に陥った。その結果、追い込まれた政策立案者たちは1980年代までにほとんど完全に信頼を失っていたオールドファッションなケインズ的財政刺激策を採用した。   

昨年暮れの危機を理解するためには、クラッシュの原因は金融危機ではなく、名目消費の急落であるとまずは認識しなければならない。ときどき起こる総需要下落の例に漏れない金融政策の失敗の結果だったのだ。特殊な利子政策によって深刻な需要低迷不況が起こったことはほぼ無い — 今回は損失が余りに大きく余りに広範囲に及んだが — 善意の公僕たちの失敗の結果であり、彼らに助言した経済学者たちの知的な失敗の結果だったのだ。本稿では昨年何が起こったかを見ていくため、まず金融理論の歴史を簡単にたどり、今回の危機は現代マクロ経済学の失敗などではなく、この分野の最も優れ進歩した部分を真剣に取り上げなかった結果であることを示して行こう。   

金融史の簡単なおさらい   

今回の危機の理解のため重要なアイデアは、16世紀半ばにデイヴィッド・ヒュームが構築してもので足りる。中でも「マネーサプライの変化がこれと比例する物価水準の自律的な変化をもたらす」という貨幣数量理論を提示したことが一番有名だ。彼はまた「賃金と価格が完全に調整されるまでの期間、マネーサプライの変化は産出を同じ方向に動かす」ことに気づいていた。ヒュームはまた「貨幣流通速度の変化もまたマネーサプライの変化と同じ効果を持つ」ことまでをも理解していた。 

  ”硬貨が箪笥にしまわれると、物価について言えば、その硬貨が無効になるのと同じである” — ヒューム「貨幣について」より   

ヒュームの理論を有名な交換方程式(MV=PY)として考えると、彼はこの四つの変数それぞれについて極めて洗練された理解を持っていたことがわかる。我々が「総需要ショック」と呼ぶものは、マネーサプライの変化あるいは貨幣循環速度の変化、もしくはその両方によって起こる。名目消費が減少すると、その長期的な効果は物価下落として表れるが、短期では産出も下落する。そしてこれこそが正に2008年暮れに起こったことなのだ。「名目」国内総生産(nominal gross domestic product、NGDP)の水準が急落し始めた。「実質」の産出も急落したが、これは当然なのだ。肝心な問題はどうしてNGDPが下落したか、だ。   

以上のように挑発的に「我々の全ての問題への解答をヒュームが持っていた」と断言すると訝しく思う向きもあるだろう。しかし、1975年にミルトン・フリードマンもフィリップス曲線に関して似たようなことを言った。   

「自分が見るところ、我々がヒュームを乗り越えたのは二つの点においてのみである。第一に、我々は量の拡大度合い(the quantitative magnitudes)をしっかり把握している。第二に、我々は微分一回分だけヒュームから進歩した」[2]   

「量の拡大度合い」の重要性は明らかだが、次の「微分一回分」というフレーズは何だろうか?フリードマンが言いたいのは単純なことだ。ヒュームは名目ショックが物価水準ないしNGDPを一度に変化させると考えていたが、フリードマンは物価上昇率の変化が本質的だと示唆した。現代の我々はこれを「予期しない変化」として扱うが、フリードマンが注目した「変化率の変化」という考えから大きく進歩しているわけではない。    

NGDPは1990年代初期から2007年に渡って5%をわずかに上回るペースで増加した。分解すると実質GDPの成長率は約3%、インフレ率は2%だったが、この2%という数字はFedの暗黙目標だと広く受け取られている通りだ。しかし2008年8月初頭からNGDPは急減し、それから数四半期に渡って4%以上の率で下落し続けている。実際2009年のNGDPの下落は1938年以来最大のものになりそうである。NGDPの下落によって1938年以降で最も深く長い不況が引き起こされている。   

保守的な経済学者たちの多くはNGDP成長率を年3%かそれ以下に抑えることを好むようだ。なるほど長期目標として3%という議論もあり得るかもしれない。しかし2008年初頭の米国経済は、NGDPが年5%成長を維持するだろうとの期待の下で妥結していた多くの賃金契約や負債契約で成り立っていた。名目GDPは本質的には国民総所得であるから、これが急落すると借り手の返済が非常に困難になり、企業は給与を払うことが非常に困難になる。失業率と破産が急上昇するのはほとんど当然の帰結だ。   

ここまで読まれた読者諸兄は、私が次の二つの明白な問題を無視していると苛立っておられるだろう。   

  1. 「本当の(real)問題」は金融危機で、その結果NGDPが下落したのは明らかだろう
  2. 金融政策は明らかに緩和されていのだから、今回の危機をヒュームの “tight money” を持ちだして説明するのはおかしい

明らか」と言うが、これら二つの仮定を受け入れる理由は果たして十分あるのだろうか? 以下、この二つの仮定はいずれも根拠不十分であり、それどころか世界が深い不況に陥った理由を誤診しているということを説明して行こう。本当の(real)問題は「実質(real)」の問題などでは全くない。これは名目の問題なのであって、負債危機の厳しい拡大は典型的なヒュームの名目ショックの症状である。そして金融政策は、Fedに期待されている暗黙の名目目標に照らせば「緩和」どころかむしろ非常に緊縮的だったのだ。   

先ほどのヒュームからフリードマンに至るマクロ史では金融経済学のある重要な系統を省略していた。それはクヌート・ヴィクセルが開発し、ジョン・メイナード・ケインズが極端な形で採りあげた利子率のアプローチである。ヴィクセルは、中央銀行は物価水準を安定化させるため短期貸付金の金利を調整するべきだと論じた。安定物価を維持する金利は「自然率」と呼ばれ、ビジネスサイクルによって変化する。この理論へのケインズの最大の貢献は、物価下落を伴う縮小経済においては自然率がマイナスになりうると論じたことだろう。中央銀行は名目金利をゼロ以下にはできないので、深い不況では金融刺激が効果的でなくなることがあり得る。このシナリオをケインズは「流動性の罠」と呼んだ。   

現代の我々は、利子率による金融政策へのアプローチには重要な欠陥があると知っている。マネタリストたちは「量的緩和」、つまりは人々が持ちたいと思う以上の貨幣を経済に注入することを勧める。この超過(実際の)現金バランスが解消するのは、それらがモノやサービスに使われる時だけなので、これが総需要を高く引き上げると主張する。   

金融政策のアプローチには上述の利子率アプローチと貨幣量アプローチの他、第三の道として「貨幣の価値」アプローチがある。この見方では、例えば金のようなコモディティや外国為替に対して貨幣の価値を引き下げれば、いつでもインフレを引き起こすことができる。これは1933年、伝統的な金融政策ツールがもはや無効と思われていた時にFDR(ルーズベルト大統領)が採用したアプローチである。FDRのドル減価政策はNGDPを非常に効果的に押し上げた。ただし約束されていた実質GDPの回復は1933年暮れの全国産業復興法(賃金上昇率を急上昇させた)によって台無しになってしまったのだが。しかしながら「貨幣の価値」アプローチはラルス・スヴェンソンも「流動性の罠からの“フールプルーフ”脱出法」と呼ぶように効果的なのである。   

現代マクロ理論の多くは、流動性の罠に対してどのような政策がどのように有効かを示そうと努力していたはずだ。それゆえ危機が深まった昨秋、世界の中央銀行家を捕えた無力感とでもいうべき感覚を目にした私は大変驚いた。2008年の10月初めには、翌年も物価と産出が下落するだろうとの見通しを伴って世界経済が自由落下した。Fedは目標金利をまだゼロより200ベーシスポイント上に、ECBは425ベーシスポイント上にしていたにもかかわらず「金融政策では崩壊を止めることができない」という感覚が広く存在していた。Fedが金利をほとんどゼロ近くまで引き下げた2008年12月には、ほとんど全ての人々の注意は財政政策に向けられるようになった。どうしてそうなる?どうして政策立案者たちは我々が最も売れている金融教科書で学生に教えていることを無視したのだろう?   

その教科書でフレデリック・ミシキンは The Economics of Money, Banking and Financial Markets でこう書いている。  

「金融政策は、たとえ短期金利が既にゼロになっていても、弱い経済を再生するのに効果的でありうる」[3]   

2つのセクションに分けて、この政策失敗を引き起こしたエラーの連鎖をたどろう。   

金融政策スタンスの誤診   

20世紀のマクロ経済学は1938年、ゼロ金利と物価下落によって多くの経済学者が金融政策の重要性を放棄した時に一度どん底に落ちた。ケインズは「金融政策は金利を変えることでしか需要に働きかけることができない」と論じていたし、ジョーン・ロビンソンは「ドイツでは金利が特に低かったわけではないのだから金融緩和がハイパーインフレーションを引き起こしたはずがない」と論理的な帰結を描いていた。今日の我々はこのような粗雑なケインズ主義を冷笑することが多い。しかし私が同僚の経済学者たちに「昨秋の金融は引き締め過ぎだった」と言うと、「そんなことはありえない、金利はゼロ近くまで下がっていた」と反応されることがほとんどだった。あるいは「少なくとも実質金利は金融政策スタンスの良い指標だろう?」と論じる者もいた。しかしそれも間違いで、フォワードルッキングなモデルでは金融引き締めでも容易に実質金利を引き下げることができる。百歩譲ってこれが正しいとしても、2008年の夏から秋にかけて実質金利は急落していたので、プロが金融引き締めを認識できなかったことのエクスキューズとして実質金利を持ち出すのは的外れだ。   

金融が「緩和」されていたと信じる、よくある理由はもう一つある。マネタリーベースが2008年の秋から急拡大した点だ。しかし、マネタリーベースが金利よりずっと信頼できる指標というわけではないのだ。フリードマンとシュワルツが示したのは、1930年代初頭、マネタリーベースが急上昇していたにもかかわらず金融は非常に強く引き締められていたということだった。今回の不況ではマネタリーベースはさらに急速に増大した。しかしそれは2008年10月にFedが銀行の超過準備金に利子を支払い始めたことを反映しただけのことである。ジェイムズ・ハミルトンによればFedは金融危機における大きな流動性注入が高インフレを招くことを防ぐために付利を行ったのだそうだ。それは恐らく本当なのだろうが、そうであれば、これほど多くの経済学者たちが金融政策が効果的ではなかくなったと考えた理由が怪しくなる。昨秋のFedにはNGDPを引き上げる力が確かにあった。しかし準備金に利息を支払うことに対するFedによる公式の言い訳は、ロバート・ホールとスーザン・ウッドワードに言わせれば「引締め意志の告白(a confession of contractionary)」である。   

私が「金利もマネタリーベースも金融政策スタンスを説明するものではない」と指摘するとよく返ってくる反論は、「広義の貨幣量(訳注:M2やM3)も昨年は増えていた」というものだった。しかし、それら「広義の貨幣量」という指標は1980年代に高インフレに対して間違った警告を発したことで広く信用を失ったものだ。この事実がマネタリズムの信頼性を、いや、少なくともドグマ的にマネーサプライを目標とする主張への信頼を失墜させたのだ。ミルトン・フリードマンさえも晩年、Fedはインフレ見通しを目標とした方がいいかもしれないと示唆したのである。もし昨年9月にFedがインフレ目標を実施していれば、今の失業率は5%強で済んでいただろう。しかし政策立案者たちその代わりに財政政策に戻ってしまった。   

先日新聞記事でジョン・コクランは次のように財政刺激を批評していた:   

何人かの経済学者たちが私にこう言った。「そう、我々の全てのモデル、データおよび分析も過去40年の経験も財政政策は機能しないと言っているのに、どうしてそれを信じられる?」。これの態度は驚きだ。科学者たるものが、キャリアの中で書いたり教えたりしてきたこととは違う何かを「信じて」いるなんて。   

私は金融政策についてこれと同じような感覚を持っている。ミシュキンのベストセラー教科書は金融政策の指標について次のように言う。   

金融政策の緩和引締めを、いつも短期金利の上下と関連付けて考えるのは危険である。   

ミシュキンは続ける:   

短期債権以外の資産の価格もまた、金融政策スタンスに関する重要な情報を含んでいる。なぜならそれらは様々な金融政策の伝達メカニズムの重要な要素だから。   

私は2008年の夏から秋にかけて7つの重要な経済指標に注目していたのだが、これらはいずれも7月から12月にかけて金融政策が強く引締められているというシグナルを発していた。   

  1. 実質金利が急上昇した。
  2. インフレ期待が急落し、10月にはマイナスになった。
  3. 株式市場がクラッシュした。
  4. コモディティ価格が突然下落した。 
  5. 8月初旬、工業生産が大きく落ち込んだ。 
  6. 対ユーロドルが急騰した。 
  7. 住宅価格は春から初夏にかけて短期間安定していたが、8月に再び下落し始めた。この時はサブプライムバブルがなかったはずの市場(ほとんどは中央部)でも急落が起こり、カナダの住宅市場にも下落が広がった。 

 10月初旬にはもはや金融政策が完全に信頼を失っていたことは明らかだった。市場は向こう12か月のインフレ率とNGDP成長率がFedの暗黙目標をはるかに下回ると予測していた。当時この問題に気づいていた者はほとんどおらず、経済学者たちは全ての注意を金融システムに向けた。   

続いて総需要が落ち込みが明らかになった時でさえ、その意味は正しく理解されなかった。多くの経済学者たちは金融政策の信頼喪失で低インフレになるとは考えず、高インフレになると考えてしまった。   

第三の問題は、多くの経済学者が「金融危機が総需要低下を引き起こした」と考えたことだ。これはほとんど逆と考えたほうが真実に近い。しかし人々がそう考えるのも驚くには当たらない。あの時間あの場所に住んでいた人々にとって金融政策がデフレの原因とはとても見えなかっただろうから。デフレ的政策は経済に巨額の損失をもたらすが、固定相場制を維持する必要がある場合を除けばそもそも意図的にするものではないからである。1930年代の米国も1990年代の日本も、デフレの原因が金融政策であることを見落とし、金融システムのせいだと考えた。時間と距離を超えた視点を持って初めて経済学者は冷静に物価水準データを眺め、金融政策が緩和的ではなかった理由を検討できるようにになるのである。 (訳注:ご参考→田中秀臣氏が紹介している高橋亀吉の視点)  

第四の問題は、NGDP成長がデフレ政策の指標であることが明らかになっていたのに、多くの経済学者がインフレ率に注目したことである。なるほど総合物価指数は2008年末にマイナスに転じたが、単にエネルギー価格の急落を反映しただけである。Fedは2008年半ばには高いインフレを(正確な意味で)引き締めていたのだが、コアインフレ率は比較的低かったのである。では、2008年終わりから2009年始めにかけてコアインフレ率がマイナスに転じなかったからと言って安心してならない理由は何か?幾つかある。   

まず、賃金や価格は通常は粘着的なので、デフレ的金融政策はインフレ率よりも先に産出に影響を与える。さらにより重要な理由だが、ほとんどの場合コアレートは過去12か月の価格下落を過小評価してしまう。例えば住宅部門が厳しいデフレに直面していることは明らかだったのに、労働統計局のデータでは2009年の7月終わりまでの12か月の住宅価格(これはコア指数の40%近くを占める)は2.1%上昇していた。もし政府のデータが「帰属家賃」を正確に測定したとしても、この指数をデフレーションのマクロ経済的な影響を考慮するための指標にはできない。住宅価格が下がるとき建築従事者は職を失うが、これが向こう12か月の賃貸として反映するのでは遅すぎる。このようなデータに基づいた議論をするから経済学者がミスリーディングになってしまったのだ。 (訳注:物価指数における帰属家賃についての基本的な説明は例えば統計局のQ&A)  

私の見方では、金融政策が引締め的か緩和的かの指標としてベストなのは期待NGDP成長率である。インフレ目標を採用するならば「水準目標」にする必要がある。これは物価を一定水準に固定するということではない。たとえば年率2%で上昇する物価経路を目標にする。この政策は「記憶」を持ち、目標の未達や行き過ぎが修正されて行く。過去の壊滅的な需要下落の例ではほとんどの場合、その後何年間も期待NGDP成長および期待物価上昇率の軌道が下に逸れてしまった。奇妙なことに、いつもおよそ9月から11月にかけて起こる。1929、1937、2008年のいずれも秋に投資家たちはNGDP成長がその後数年にわたって軌道を大きく下回るだろうと気づき、株式およびコモディティ市場が崩壊した。2008年のクラッシュだけは金融危機を伴ったが、三度の屈曲点には多くの類似した特徴がある。   

リッチモンド連銀のエコノミスト、ロバート・ヘッツェルは、2008年の夏の時点であらゆる種類の指標が金融が引締められ過ぎているシグナルを出していたと示している。リーマン破たんの9月半ばよりも十分前である。確かに金融危機の深まりが需要を引き下げた側面があるのは疑いないが、需要の下落が金融セクターを傷付けたという視点をほとんどの人が見落としたのではないか。NGDPが5%の成長から5%近くの下落に転じたら只でさえ金融機関に重大な重荷が発生する。しかも通常の状況ではない。すでにサブプライム危機でヨタヨタだった金融システムにこの巨大なデフレ的ショックが重なった。結果は予見できたのだ。健全なNGDP成長に伴って増加していたところのサブプライムの混乱とは関係ない商業及び産業ローンまでが突然問題視されるようになってしまった。デフレ的な金融政策によって資産価格が急落し、銀行のバランスシートが毀損した。政策立案者たちは問題を金融的なものと誤診し、金融システムにマネーを注入すれば解決できると考えた。しかしNGDPの急落を相手に個別の救済は決して十分なものにはなり得ない。そんな金融政策は、ボートの底に開いた穴をふさがずにバケツで水をかい出すような効果しかなかった。 (訳注:訳者の個人的な見解ですが、震災直後の日銀による流動性供給は正にコレ。必要な処置ではあるのですが、足りない。)  

予測に照準を合わせる(Targeting the Forecast)   

ラルス・スヴェンソンは予測そのものを目標にする政策を提案している — つまり中央銀行の政策ツールを目標にヒットするようにセットするのである。具体的には中央銀行が2%のインフレ率を目標にする場合、中央銀行自身が2%のインフレ率になると予測する水準にFFレートを合わせるべきだということである。金融政策を一度このように考え始めたら他の方法は受け入れられないだろう。いったいどんな中央銀行が失敗を予期する政策スタンスをとりたがる?ベン・バーナンキもまたスヴェンソンの考えが魅力的だと理解しているようで、少なくとも長期見通しに関してはFedも物事をそのように見ているようである。   

[マクロ経済的な]見通し自体はラフで暫定的はあるが、見通すこと自体が政策プランとして機能する。以前にも言った通り、FOMCの参加者たちは「適切な」金融政策がなされるであろうことを、それぞれの予測の前提に置き続けるだろう。従って将来予測は、現状および経済構造の制約を踏まえた上で、FOMC参加者たちがFRBの二つの目標をよく満たすと考える経済軌道を提供するものになるだろう。   

しかし現実はそうは行かなかった。2008年の初秋、Fed自身の見通しが暗黙の目標をかなり下回ることがはっきりした。(Fedは公式数値目標は持たないが、ほとんどのFOMCメンバーは約2%の率を志向していると見られている)。その後バーナンキが財政出動を求めるに至り、中央銀行の信頼性が失われたことは誰にも疑い得ないものになった。標準的なニューケインジアンモデルでは中央銀行がインフレ目標を採用している時に、名目消費を安定化させる役割は財政政策にはない。バーナンキの行動は暗に失敗を認めたと同じなのである。   

どうしてこういうことになったかを理解するのは難しいが、三つの概念エラー(conceptual errors)が大きな役割を果たした。   

第一に、金融政策立案者たちは金利がゼロに近づくにつれ「弾薬が尽きた」と考えてしまったのだろう。しかし仔細に検討するとこれだけでは説明が付かない。10月初め時点で目標金利はまだ2%あり、その時Fedは市場金利が目標を下回るのを防ぐために準備金に利子を払う政策を採用したほどなのだ。   

第二の問題は、金融政策が余りにバックワードルッキングであったことだ。ヘッツェルは、2008年半ば「総合CPI」に表われていた高いインフレ率にFedが怖れを抱いており、その結果積極的な緩和を躊躇したと論じている。リーマンが破たんし株式市場に厳しい下落が起こった直後の会議(2008年9月16日)でFedは不況とインフレのリスクはほぼ均衡していると結論したのである。2008年の最初の7カ月で米国はすでにマイルドな不況に陥っており、さらに8月から9月にかけて強まっていたことに注意しよう。そしてこの会議の直前、市場の向こう5年間のインフレ期待が年1.23%に急落してた。インフレ見通しも成長見通しも積極的な緩和を求めていたのだ。市場の見通しを無視するバックワードルッキングな政策が問題であることの、これ以上完璧な具体例があるだろうか。   

第三の問題は、マネタリズムの教訓を誤読した結果だ。1980年代以降、マネタリズムは大きく力を失った。しかし、マネタリストの洞察の多くがその後コンセンサスになったニューケインジアンモデルの一部に組み込まれている。例えば期待の重要性や、金融政策が財政政策よりはるかに効果的だというアイデアのように、幾つかは非常に有益だ。しかし大きな損害を招いた考えが一つある。「マネーサプライを大きく増やすと必ず高インフレになる」という信念がそれだ。1994年以降の日本において巨額のマネー注入にもかかわらず物価が下落した事実があるにもかかわらず、この信仰は根強い。また、金融政策には不思議な「長く可変のラグ」があるという広い信仰も同じ問題の一部だ。マネタリストたちは、通常は市場は効率的だという観点を持っているのにもかかわらず、緩和的と期待されるマネーサプライ増の影響が金融市場に、中でもTIPSスプレッドに「直ちに」表われる事実を無視した。なおTIPSスプレッドとは物価連動債と通常国債の利回りの差である。   

大恐慌を研究する中で私は、ほとんどのマネタリスト(同様にケインジアン)たちは金融ショックを同定することの困難を過小評価していると確信するに至った。現代マクロの理論において本当に重要なのは「現在の貨幣供給の変化」ではなく、「将来期待される貨幣経路の変化」である(訳注:これは「将来貨幣量がどのくらいの増加率で増えていくかの見通しの変化」と理解)。Fedの行動にはこの効果がなかった。例えば2008年暮れに金融システムに流動性を注入してもインフレ期待は上昇しなかった。1933年のドル減価政策のように将来のマネーサプライの期待経路を信じられる形で引き上げる行動なら、全ての資産価格、特に株とコモディティ価格にすぐに影響が表れるのである(訳注:サムナーの参考になるエントリ: “My Role Model, George Warren“。その翻訳 )。   

但し2008年の後半は世界の多くも同じ問題に直面していたので、ドル減価政策は適切ではなかっただろう。しかし我々には物価水準ないしNGDP目標のような信頼される政策が確かに必要だった。私がずっと提案してきている政策は次のようなものだ。まずFedがNGDPの12ヵ月先物契約価格にコミットし、その売買動向と公開市場操作を連動させる。これは本質的には、5%のNGDP成長を引き起こすと期待されるマネタリーベースおよび金利水準を市場に決めさせるということである。私がこれを提案した1980年代当初にイメージしていたのは、中央銀行よりトレーダー達の方が先に局地的な需要ショックに気づくという利点だった。但し今はこれが一番の利点だとは考えていない。昨秋も市場の予測がFedよりもはるかに正確だということが明らかになったが、通常Fedは良く予測をしているから。   

先物目標に関して「効率的市場」論よりもはるかに重要な利点が二つあることが今回の危機から分かる。第一の利点は、中央銀行が政策ツールを選ぶ必要が無くなるということ。今のFedのお好みツールであるFFレートは、ひとたび名目金利がゼロになると完全に働かなくなることが証明された。先物目標も枠組みの下であれば、トレーダー達はそれぞれ好きな政策指標を見ていれば良く、各々が好きな経済構造モデルを使えばいい。私は数年前に「千のモデルを咲かせよ(Let a Thousand Models Bloom)」と題してこの考えを公表している。私は「オーストリアン」経済学者ではないが、この提案の精神は非常にオーストリアン的だ。(また、私は政策目標としてはNGDPが好きなのだがこれはハイエクが最も有益と考えた名目量でもある)   

もう一つ、先物目標は信頼性という面で非常にパワフルな別の利点を持つことに昨秋初めて気づいた。金融政策の効果を予測するのと同じ主体が政策目標を決めるという点だ。現在の枠組みの下ではFedが政策を決め、市場が政策の効果を予測している。この重要性を考えるためには、今のFedのジレンマを考えてみればいい。Fedは既に大量の貨幣を経済に押し込んだにも関わらず、貨幣循環速度が急落し、過去一年の物価は下落した。ここでさらに1兆ドルの貨幣を押し込めば、どこかのポイントで期待が反転することは間違いないだろう。しかしそうなる時には貨幣循環速度も増加すると考えられ、ある同じ貨幣量が突然強くインフレ的なものになるということが起こり得る。先物目標の枠組みではこれが起こらない。Fedの目標を達成するのに必要だと予測される貨幣量を、予測する市場自身が決めるからである。現在の枠組みでは、どれだけの貨幣が必要なのかを知る方法がない。なぜなら今の貨幣循環速度の水準自体が、今の政策ではNGDPを暗黙に望む率まで加速することができないだろうという(まったく合理的な)予測を反映したものだからである。   

先物目標が近未来に現実になることはないだろう。しかしこの思考実験から、昨秋に機能し得た金融政策はどのようなものであるかの洞察が得られる。一番重要な点は、政策立案者は明確なCPIないしNGDP目標経路を設定し、将来の上ぶれや下ぶれを修復するとコミットすることが今すぐにでも可能だということである。この手法の価値を理解する一番簡単な方法としては、信頼された為替ペッグ制度の下での「安定化投機」をイメージすると良い。政府が通貨をある固定率のプラスマイナス1%にペッグするとコミットしたとする。すると投機家たちは基本的には通貨が下限に近付くと買いを入れ、上限に近付くと売るだろう。次に、年率2%の物価水準目標を考えよう。ロバート・バローはこう論じた。物価水準目標を下回るインフレの場合、投資家たちは将来の高いインフレ率を予測する。その期待が直ちに貨幣循環速度を引き上げ、つまり総需要を引き上げて元のショックが緩和される。これとは対照的に現行の「記憶しない」インフレ目標の枠組みでは逆のことが起こる。過去一年が1.4%のデフレーションだと、投資家たちは目標を下回るインフレ率が向こう数年続くだだろうと(まったく合理的に)考える。1929、1937、そして2008年の秋に起こった厳しい総需要の下落のようなことは、信任された物価水準目標の枠組みの下で長期の期待がアンカーされていれば起こり得ないのだ。   

結び   

私は三つの研究分野にキャリアを捧げて来た。大恐慌、流動性の罠、そして市場の期待を利用したフォワードルッキングな金融政策枠組みである。今回の危機の内容が明らかになるにつれ、私はユニークかつ苛立たしい視点を持つようになったが、それはこの研究からの洞察に由来する。その結果私は、我々の喫緊の問題のほとんどは貨幣不足によって起こったかか悪化させられていると論じ続ける「貨幣オタク」になった。大体において貨幣オタクはナンセンスを叫んで回る。経済の問題が貨幣を刷ることで解決できることなどめったない。しかし時に彼らは正しい。その一例が1933年で、2008年暮れもそうだったと私は信じている。   

自由市場派経済学者にとっては、デフレ的な金融政策によって損害が発生するという視点を決して失わないことが大事だ。何故ならNGDPが下落してもほとんどの場合金融政策は糾弾されず、大衆は自由市場システムを非難することになるからだ。そう間違えるのも無理はない。金融引締めはしばしば低金利と膨らんだマネタリーベースを伴うなど、金融政策は信じられないほど直感に反している。大恐慌時代についてもFedが演じた役割が注目されず、自由主義的な経済政策のためだったと非難されがちだが、これは驚くようなことではない。数年前のアルゼンチンでも同様なことがが起こったが、政治的な帰結もアメリカと同様に終わった。我々は、フーバー政権の政策は真に自由主義的ではなかったと(正しく)論じるが、人々はフーバーが自由主義な部分を残しすぎた故に国民所得が半減したと本能的に理解してした。そして彼らはかつて正しかった。   

大恐慌は政府の金融政策の失敗なのであって自由市場の失敗ではないということをフリードマンとシュワルツが示したことによって、自由市場のイデオロギーは知的な立場を回復できた。もし私が正しいなら2008年暮れに我々は、1930年代初期と本質的に同じ失敗を犯した。当時より下降がマイルドだったのは幸いだが、サブプライムの失敗で弱まっていた経済に加わった追い打ちだったので甚大な衝撃となった。この論考及び先のロバート・ヘッツェルの優れた論文のように、他の自由市場派の経済学者たちにもこの危機を真剣に分析して欲しい。低く安定したインフレまたはNGDP成長を目標にするフォワードルッキングな金融政策こそが自由市場の信望を回復する最善の道なのである。

  1. 規制について教訓が皆無だと言いたいわけではない。ファニーメイやフレディーマックのような機関からの融資を通じて持ち家を奨励するのを政府は止めるべきだったと考えている。 []
  2.  Milton Friedman, “25 Years After the Rediscovery of Money: What Have We Learned?: Discussion,” American Economic Review 65 (May, 1975), p. 177. []
  3.  Frederic Mishkin, The Economics of Money, Banking and Financial Markets (8th ed.), p. 607. []