英国は総需要を増やすべき、いや待て…減らすべき by Scott Sumner

スコット・サムナーのブログから”Britain needs more AD, no wait . . . less AD“ (February 5th, 2011)の翻訳紹介。タイトルは右往左往する一般の議論を揶揄しているニュアンスだと思います。


安定化政策の議論は根本的に混乱していると、これまで何度もエントリで書いて来た。総需要に働きかける二つの経路は財政政策と金融政策だが、多くの人々は財政政策が実質GDPに働きかけ、金融政策が物価に働きかけるなどと言う。今日はこの論理エラーが専門家をも深く惑わせており、2008年のクラッシュの主因にすらなったということを論じたい。これはエコノミスト誌から。

(経済の)弱さの原因は部分的には異常な寒波だがそれだけでは説明し切れない。経済が弱くても物価圧力からは逃れられていればいいが、英国はそんな幸運には恵まれていないようだ。12月、インフレ率は3.7%まで上昇した。  . . .

これらの悪いニュースによって政策の見直しが議論に上るようになったようだ。もし経済が弱いままならば四月に予定されている国民保険料の引き上げを含めて、これ以上負債圧縮に耐える足腰がないということかもしれない。高インフレの長期化(ここ3年間のほとんどの期間2%の目標を上回り続けた)は、財政引き締めの影響を中央銀行の緩和政策で打ち消すことができるという考え方に疑問を投げかける。金融政策のベンチマークである金利はすでに下限に達しており、これ以上の「量的緩和」は中央銀行の目的(インフレ抑制)と行動との間のギャップを拡大しすぎてしまう。政策担当者がインフレに寛大になっていることに実業界や賃金所得者が関心を持つようになり、そのため今月は9人の金融政策委員のうちの2人が利上げに投票するようになった。(記事を参照)

この記事の個々の文には問題は見当たらない。ポリシーミックスの変更についても消極的な結論になっていて、妥当な見方だ。しかし議論の仕方に問題があるのだ。金融政策の義務はインフレの取り扱いで、財政政策の責任は成長であるという前提が明確に含まれてしまっている。皆さんが私を信じないならば、エコノミスト誌は財政と金融どちらのケースでも総需要に注目していたと思われるなら、金融政策による総需要拡大効果についてか、財政政策が総需要に働きかけると書いてある記事をランダムに選んでほしい。そうしたらあなたの挑戦を受けよう。「英国はさらなる緊縮財政で3.7%のインフレに取り組む必要がある」とか「低調な回復には金融緩和で対処すべき」などというようなことを書いている英国の報道記事があったら私に送ってくれ。私はそんな政策が大好だが、このポリシーミックスに好意的だったり、今書いた逆転を正当化するような記事を一つでも見つけられるかどうかは疑問に思う。

これまでのたくさんの一般の方との会話し、金融新聞を読み、多くの経済学者たちと議論してきたことで、私は徐々に確信するようになった。ほとんどの人々はこの問題を現代マクロ理論で正当化する形で整理してはいないのだ。これは非常に有害なことだと論じてみよう。これは近年に留まる話ではなく大恐慌にまでさかのぼることができる。次のは1933年12月31日のNYTに載った有名な書簡の中のケインズの言葉。

私が影響を恐れるその他の間違った議論として、一般には貨幣数量説として知られる粗雑な学説に起因するものがある。貨幣の量が固定されていると生産や収入の増加は遅かれ早かれ後退を余儀なくされる。一部の人々はこのことから貨幣の量を増やせば生産や収入を引き上げることができると推論するようだ。しかしこれは緩いベルトを買うことで太ろうとすることと似ている。今の米国のベルトは胃袋に対して十分緩い。

ケインズは流動性トラップを信じてはいなかったと言われる。流動性トラップが、貨幣の量を増やしても総需要に影響しない状態を指すならばケインズは流動性トラップをはっきり信じていた。引用した段落で明確に「紐を押す」議論をしている。ただし、述べているのは総需要についてで、物価についてではないことに注意。ケインズは直後の段落でギアを変える。

同じ考えのもっとバカげた応用で、金価格と他のモノの価格との間に数学的な関係があるとするものがある。外国の通貨に対するドルの価値が国際貿易に出ていく物品の価格に影響するのは真実だ。ドルの高騰が国内の物価上昇政策の妨げとなったり、外国との貿易収支のバランスを損なったりするような場合はドルを減価すべきだ。しかし、交換比率の引き下げは、国内物価上昇政策がうまく行った後に自然な結果として為されるべきなのであって、あらかじめ恣意的なペースを正当化することで世界全体の邪魔をすることは許されない。

まず背景を少し。この段落の最初の文は、FDRのアドバイザーで金価格と物価には数学的な関係があると主張していたジョージ・ウォーレンへのジャブだ。アーヴィング・フィッシャーも同様の見解を持っていたが、ウォーレンの方がややドグマティックだった。ケインズが「同じ考えのバカげた応用」と言っていることに注意。これを言い換えると、貨幣が20%増えると収入が20%増えるということと、20%高い金価格が20%の物価上昇を意味するということが、根本的に一つの誤認の両面だと言っていることになる。しかし実際はそうではなかった。ケインズはそのことを知っていた。彼はウォーレンのドル減価計画が米国の物価水準を確かに引き上げたことを知っていたし、それは劇的だったのだ。1933年を通して卸売物価指数は強く上昇し続けたが、それは金のドル価格の変化と強く相関していた。

もっと大事なのは、みんながこのことを知っていたということだ。もしケインズが流動性トラップの概念を物価に適用していたら彼の評判は地に落ちたはずだ。彼はほとんど常に金融政策の無効性の概念を実質産出に関してのみ使っており、物価に対してはほとんど使っていない。特に金融ショックが大きい場合は明らかにインフレ作用があるとしていた。ケインズは馬鹿ではなかった。彼は慎重にも物価との「数学的な関係」はないと言っていて、これは「影響がない」という議論とは全く異なる。しかしここで問題が生じる。ケインジアンモデルではインフレと実質成長を分離できない。完全雇用以下の経済(1933年がそうだったように)では産出を増やさずに物価を上げることはできない。

ここがケインズとポール・クルーグマンの重要な相違点だ。クルーグマンはケインズ理論の含意を分かっている。彼は金融政策が産出を増やせないならば、そのことによって物価も増やすことができないということを分かっている。2010年にFedは本末転倒なこと—国内支出を増やすことで経済を回復させて「自然に」物価を上昇させるのではなく、金融政策(ドルを減価したQE2)で人為的に物価を押し上げようとしたと非難された。ケインズならQE2に反対しただろう。ケインズなら「不自然」で「恣意的」だと言っただろう。しかしケインズよりもケインズ理論を深く理解しているクルーグマンはこの政策を支持した。(ところでケインズの思った通りになったことがある。FDRは2週間後に金融刺激を諦め二度と試すことはなかった)

アラン・メルツァーがかつて書いていた。曰く、中央銀行が例えば4%というようなインフレ率を目標とすることをケインズが主張しなかったのは奇妙だ。そうすればゼロ制約を回避でき、あとは財政安定化政策だけでよかったのに、と。私はケインズはそのような考えを恐れたのだろうと思っている。ケインズにとっては、たとえ直前の価格下落を取り戻すためにちょっとしたリフレーションが必要な時ですら「自然な」価格水準は安定であるべきものなのだ。総需要を「自然に」押し上げる方法は政府支出や投資を増やすこと。貨幣は経済の回復を妨げるベルトであるべきではないし、価格を押し上げて「人為的に」経済を押し上げるためのものでもないのだと。

今の私たちは、1933年のケインズ(ちなみに彼のキャリアでは最低の時期)の原始的な分析からはだいぶ進歩していると思うかもしれない。残念ながらそうでもない。有名な経済学者を100人の思い浮かべてほしい。総需要が急落し始めた2008年の後半に、そのうちの何人がもっと積極的な金融政策スタンスの必要性を精力的にかつ大声で主張していただろうか?そのリストはこれだ。

1. . . .

長くならない。他方、財政刺激を強く勧めた人のリストを作ったらとても長いものができることは間違いない。典型的なのは「すでに金利は低くすぎるくらいだし、ベースマネーも増加している。だから金融政策は回復の邪魔をしてはいない。ベルトがきつ過ぎたりはしない。財政刺激を使う時だ。財政刺激なら確実に消費を押し上げる。結局GはC+I+Gの要素だが、Мは式に出てこないじゃないか。」というものだった。

これは痛い間違いだ。2009年の緩い財政政策と引締められた金融政策が今日の状況を作り出した。2010年になってようやくケインジアンも財政刺激は仕事をしないということを認識した(彼らの名誉の為に言うと、クルーグマンのような少数のケインジアンは最初からそう言っていた)。2010年にはアラン・ブラインダーといった有名なケインジアンたちも金融政策の選択肢を必死に追及するようになった。彼らは金融政策は「金利が全て」という見方から簡単には逃れられないから、ブラインダーは銀行準備金へのマイナス金利という考えに至った。この奇抜なスキームが初めて二つの論文の中で書かれたのは2009年初頭。マネーを印刷するのも試す価値がある、それで失うものは何もない、と皆が言うようになった。

私はその言い方でもまだ足りないと思う。総需要を議論する時は価格や産出で語ってはならず、名目GDP(NGDP)だけに注意を向けるべきなのだ。みんながそんな議論をするようになれば上で引用したエコノミスト誌のような混乱した政策議論は大幅に減るだろう。「NGDPが下落するといけないから英国政府は緊縮財政を避けるべきで、NGDPが上昇するかもしれないから金融刺激を避けるべきだ。」という議論は異様に聞こえるのだろう。

物価(P)と実質GDP(Y=Yield)を分離することが重要でないと言っているのではない。人々の幸福という論点からは、実質成長は大きくインフレ率は小さい方がいい。しかしそれは供給サイドの問題であり、需要サイドの刺激策では対処できないのだ。コメント欄で財政刺激の方が総供給によく効くという賢い議論を試みてくれた方がいらしたが、その議論を受け入れるには私は余りにもリバタリアンだ。金融政策は5%のNGDP成長軌道に沿うことを目標とし、財政の意思決定はコストとベネフィットを緻密に評価すればいい。なぜなら「予測を目標とする」アプローチでは、将来の期待NGDPは常に目標値になる(その時点のNGDPが目標を下回っても)ので「不況の経済学」は存在しないのだ。財政政策の担当者は古典的な世界で機会費用を考慮していればよい。

quasi-マネタリストが勝利するならば、勝利したことがどうやって分かるだろう?それは皆がこの言語を使い始めたときだ。マット・イグレシアスやブラッド・デロングといったブロガーたちがNGDPのことを書くほどに私は嬉しくなる。彼らがケインジアンのままでも構わない—NGDPの話をすると、ゆっくりと知らぬ間にquasi-マネタリストの考え方になっていく。去年クルーグマンがデイヴィット・ベックワースを批判したのはそれゆえのことだ。NGDPについて語ると危険なマネタリスト思想に行きつくとクルーグマンは論じた。私はあの時彼を非論理的だと指摘した。マクロの分野では厳格に論理的な言葉では理解されないのだと今は分かっている。

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    いかんな。「…という議論は異様だ」を「という議論は異様に聞こえるのだろう」に修正。

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    @kmoriさんのご指摘に感謝!修正しました http://twitter.com/kmori58/status/35720850770632704

  • http://twitter.com/buri17 MIURA Toru

    If you don’t believe me, if you think in both cases The Economist was focused on AD, and randomly chose to mention the inflationary effect of AD when talking about monetary policy, and the growth impact of AD when discussing fiscal policy, then I have a challenge for you. 
    のchoseの主語はThe Economistだと思われます。(過去形ですので読者への命令形ではありえません。)

    「あなたが私の言うことを信用せず、エコノミスト誌がどちらのケースでも総需要に注目していて、金融政策について述べているときは
    総需要のインフレ効果を、財政政策について議論しているときは
    総需要の成長への影響について言及していることは意図的ではないと考えているのであれば、やってみて欲しいことがある。」