陰気な倫理学 – 職業倫理規定を経済学者にも (Economist)

初投稿です。恥ずかしながらやや超訳気味です。(@Arista_999)

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1月6日、コロラド州デンバーで、AEA(米国経済協会)の年次総会がある。例年通りの混み合うレセプションパーティやネットワーキングイベント、最新の経済リサーチに関するセミナー(500以上)が開催される。しかし、今年の参加者たちは、経済学者たちがいつにない反省ムードに包まれているのがわかるだろう。あるパネルディスカッションは「経済危機における規律の欠陥について」だし、「経済危機の結果経済学はどう変わるべきか」、を議論するものもある。中でも素晴らしいのは、倫理にまったく気を配らない団体が、一日目のスケジュールに「倫理が経済のプロに果たす役割」についてのディベートをいれたことだ。

議論だけではあきたらない人達もいる。経済学者は、社会学者、文化人類学者、統計学者、政治学者と違って、正式に職業倫理規定に署名しないものだ。なのに、300人ちかくの経済学者が連名でAEAが規律維持の最高専門機関として、倫理規定を受け入れるよう要請した。署名をしたのはノーベル賞受賞者のGeorge Akelof、Obamaの経済経済アドバイザーを務め、ちかごろUCバークレーに復職したChristina Romer等だ。

倫理規定なんて無視するだろう、と揶揄する声もある。専門機関がしかるべき議論の方法を定めたり、経済学者が自分たちの知識をどう活用するべきかをきめるなんてできるのだろうか、と疑う経済学者も多くいる。ということは、くだんの手紙を書いた人たちは、問題の焦点を「業界に影響するような意見を言ったとき、もしくは自分がカネをもらってる会社について意見を言うときに起きる衝突」に注意深く限定したのだ。

もちろん、こういった利害の衝突はどんな職業でもある。陰気な科学、こと経済学では特にだ。経済学者は特定の業界に影響するような事柄を分析する。こういうことをしているから、企業が経済学者に幹部の椅子を用意したり、コンサルとして雇ったりする。そのうえ、政府が公共政策の決定に関わるよう依頼したりする。こういった仕事を辞めさせる必要はない、むしろ研究対象の業界で何が起こっているか理解を深める手助けになる。だが、こういった、経済学者と企業との関係を公開してくれ、というのは至極まっとうだ。

経済学者への批判はこうだ。ウォール街にコンサルとして雇われている金融経済学者は、だいたい金融機関の規制をひどく嫌っているようだ。金融自由化の利益を研究したことがある学者はウォール街の見方につくことが多いだろう。だが、経済学者達が「企業にカネをもらっていることが、研究態度や研究対象の選択に影響しない」、と言い切るのは難しい。結局、近代経済学はインセンティブが人間の行動を決定する、と言う理論に基づいているのだ。

経済学者達はもう企業のような組織との関係はすでに明らかにしているんじゃないか、と思われるかもしれない。しかし、学者達が新聞や雑誌に寄稿したり、テレビにでて経済政策を議論したり、議会の委員会で証言したりするとき、読者や視聴者はだいたい彼らの研究以外での協力関係に気がつかない。University of Massachusetts Amherst校のGerald Epstein とJessica Carrick-Hagenbarth は特定の金融改革案を提言しているロビー団体に所属している、大学の著名な金融経済学者19人が記事を書く際にどうやって自己紹介をしているかの調査を行った。19人はアメリカで特定の金融改革を提案するロビー団体に所属している。また、ほとんどが企業のコンサルタントとして働いたり、幹部として名を連ねたり、企業の相談役や役員だったりした。しかし、05年から09年に書かれたの記事の多くにはこういった関係は書かれていなかったし、残りの大半は突発的だったり選択的にしか触れていなかった。読者は、経済学者と産業界は現実以上に距離があると誤解したかもしれない。

経済学者のプロとしての判断が、企業との関係があるために曇ってしまった、という明確な証拠は少ない、と言っておくのもフェアだろう。先ほどのEpsteinとCarrick-Hagenbarthの調査でも、金融企業と関係がある経済学者とそうでない学者の中で、学者達が支持した金融規制の度合いにあまり違いはなかった。サンプル数が少ない、ということをおいても、この調査が決定的だとは言えない。だが、企業との関係が経済学者の視点を偏らせる、という結論を安易に出す警鐘にはなる。

すでに学術研究には、情報公開の原則がある。アメリカでも有数のワーキングペーパーの発表元である、NBER(国立経済調査局)ではフェローが論文を提出する際、利害衝突がありそうな金銭関係を公開するよう要請している。

信頼 ? 失敗?

経済学者は金銭的な利害衝突よりも、もっと重大な倫理的な問題に直面する、という議論もある。University of DenverのGeorge DeMartinoは、近々出版される本のなかで、経済学者は自由市場の理論を声高に主張しすぎる、と指摘する。 たとえば「ショック療法」と呼ばれる計画経済から自由経済への移行方法や理解が不足した上で行った歯止めの効かない金融自由化。他にもっと悪いのは、経済学者たちは現実が理想化された新古典派理論の世界と乖離を無視していることなどだ。

経済学者の意見や分析が人々の生活に多大な影響をおよぼすことを考えても、経済学者は自分たちの限界にもうすこし謙虚になるべきだ、慢心したおかげで倫理的な欠陥に陥ったのだ、とDemartinoはいう。情報公開をさせるだけでは、まったく足りないのかもしれない。

翻訳元

Dismal ethics: An intensifying debate about the case for a professional code of ethicsfor economists

Economics focus Jan 6th 2011 | from PRINT EDITION

http://www.economist.com/node/17849319

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  • http://twitter.com/hiyori13 hiyori13

    この程度で超訳を名乗るとはおこがましい。非常によいと思います。あえて難癖つけると、冒頭にある「思慮深い」は一応みんな学者なんで、日頃から思慮深い顔はしておりますので意味がつたわりにくいかもしれません。reflective ですから、内省的とか、reflective mood まで入れて反省モードにある (mood であって mode でないのは当然承知のうえ) とかにしていいんじゃないでしょうか。

  • http://twitter.com/Arista_999 Arista@2ch irc

    >内省的とか、reflective mood まで入れて反省モードにある
    「思慮深い」を「反省モード」に変えてみました。
    こうするとあとの方の文章にただよう、「経済学者は自分たちの限界にもうすこし謙虚になるべきだ」のような「やっちゃった感」を表現できますね。
    ありがとうございました。