労働の限界生産力ゼロ仮説は正しそうか? by Scott Sumner 

リレー翻訳のScott Sumner分。タイラー・コゥエンの昨年7月のエントリ翻訳。引用部はhicksisan氏の翻訳をお借りしました)にサムナーが反応したエントリ。クルーグマンの反応はこちら翻訳)。原題はHow plausible is the zero marginal product of workers hypothesis?(January 14th, 2011) 

himaginary氏のエントリの補足ですね… 


 

少し前のポストでタイラー・コゥエンがこんな議論ををしていた。 

「労働の限界生産物はゼロかもしれない」という私の見解に対して、マット・イグレシアス(Matt Yglesias)が「それは信じがたい話だ」と述べている。彼のこの反応を見て私は驚かされた。覚えておいてほしい、生産は危機以前の水準にまで回復したが、一方で雇用は危機以前の水準にまで回復しなかった、という事実を。この事実が意味していることは、今や、危機以前よりも少ない労働者によって危機以前と同水準の生産が行われている、ということである。レイオフされた労働者の限界生産物を測るにはどうしたらよいだろうか? 私であれば、それ(=レイオフされた労働者の限界生産物)はゼロであろう、というところから議論を始めるだろう。(危機以前の水準にまで雇用が回復することなしに;訳者挿入)危機以前の水準にまで生産が回復したことが労働の限界生産物ゼロ仮説(訳注;以下、ZMP(Zero Marginal Product)仮説、と表記)を支持する証拠ではないとしたら、他に何が証拠になるというのであろうか? 仮に私が会社を経営しており、10人の従業員の首を切ったとする。その際に生産水準が低下することなく以前の水準のままに維持されたとすれば、会社を経営している立場としては、首を切られた従業員は果たして何かしら有益なものを生産していたのだろうか、と問うことから出発するのではないだろうか? 

他の事情が一定ではない、ということは確かである。しかし、実際に生じた変化はどちらかと言えばZMP仮説に好都合なものである。この間これといった技術上の躍進(technological breakthrough)は見られなかったし、何かしら変化したものとしては、一連の不透明な規制政策に起因する不確実性や稚拙な金融政策といった事情を挙げることができよう。しかし依然として、レイオフされた労働者なしに危機以前と同様の生産水準を維持することが可能であることに変わりはない。この点については、「労働保蔵」(”labor hoarding” )の現象について考えてみればよいだろう。ただし、労働の保蔵がない「労働保蔵」ということになるが。 

ふだん私は古いポストにコメントしたりはしないのだが、この考えについてどう思うか聞かれたし、今でも面白そうな問題である。最初にこれを聞いたときは怪しいと思った。もしそうならなぜ企業はもっとレイオフをしないのだろう?しかしタイラー・コゥエンは労働保蔵仮説によって、この一見不合理な行動を説明できているのかもしれない。 

そこで、この仮説が実際のデータと整合しているかを調べてみる必要があると考えた。 ステファン・ゴードンのこのポストによれば、2010年3月の米国の雇用は、ピークだった2008年1月を5%下回っているのに対し、産出はたった0.7%しか下落してない。コゥエンが発見した謎がこれだ。  

でも私はこれを謎だとはぜんぜん思わない。もし雇用がそのままだったなら米国の産出は年2%で成長していたと思うからだ。この年2%というのは生産性成長率のトレンド値である。つまり雇用が安定していればこの二年半の間に産出はおよそ5%成長していたと見込める。そして、もし職を失った労働者たちが職に就き続けている労働者たちと同じようなスキルの人々だとすると2.5%の成長は期待できることになる。しかし実際の成長はそれよりやや低い。これは職を失った労働者たちの生産性の方がは、職に就き続けている人々の生産性よりも若干高いのではないか、ということになる。 

本当にそう思ってるのかって?いや、いくつかの理由からスキルが低いのは職を失った労働者の方だと思っている。恐らくこの2年半は新規投資が減退したので、労働生産性の成長は(完全雇用だと仮定して)スローダウンしていただろう。それでも統計上の生産性が元気に上昇し続けている理由は、一つには、技術というものはいい時も悪い時も進歩するものだからであり、また、雇用され続けている労働者たちのスキルが幾分高いか、あるいは職を失う恐怖から一生懸命になったからなのだろう。 だから「職を失った人々の平均的な限界生産量は低い」とという点ではタイラーは正しそうだ。しかし、2008年一月以降技術の進歩が急停車したという極端な仮定を置き、それがゼロであるとまで考える理由はないだろう。 

他の見方もあり得ると思う。私は基本的に例えばオークンの法則にこだわったりはしていない。また最近の三度の不況はそれ以前の不況よりも雇用の回復が遅いということが観察されている。その三回の不況の期間はかなり弱い金融刺激策しかとられていなかったのだが、その差異はしばしば低く見積もられ過ぎていると思う。