「インフレとデフレ、どちらの心配をすべきか?」 by Mark Thoma

以下は、Mark Thoma, “Should You Be Worried About Inflation? What About Deflation?” (moneywatch.com, July 13, 2010)の訳。


中央銀行であるFedが経済刺激策―銀行システムに対して大量の新規貨幣を(準備預金のかたちで)注入しようとする試み―に打って出ようとする時に、なぜ私はインフレーション発生の可能性に対してそこまで心配するような素振りを見せないのか? 本論説ではこの点について説明してみたいと思う。これに加えて、もっと差し迫った懸念材料であるデフレーションの可能性についてもいくつか語ることにしよう。

インフレーションとデフレーションは経済に流通するマネーサプライの量と関係しているので、マネーサプライの量がどのようにして決定されるかを検討することを通じて、インフレ圧力やデフレ圧力のメカニズムについて学ぶことができるだろう。

Fedによるマネーサプライの管理

マネーサプライの水準を決定する方程式は以下のように書くことができる。

  • マネーサプライ(Ms)= 貨幣乗数(multiplier)×マネタリーベース(Monetary Base)

あるいは、上の式をもっとコンパクトなかたちに書き直すと以下のようになる。

  • Ms = (mult)×(MB)

以下では、金融政策をつかさどる中央銀行の立場に立ってこの方程式を説明していくことにしよう(ここでマネーサプライとしては、広義の貨幣量M2-狭義の貨幣量M1よりもM2の方が経済活動との相関がずっと大きい-を念頭に置いている)。

マネーサプライの量をコントロールするために、Fedは貨幣乗数を所与(貨幣乗数の値は変わらない)とした上でマネタリーベースを操作する(Fedは貨幣乗数の値を日々推計している)。また、マネタリーベースの量は、マネーサプライが目標の水準に達するように操作されることになる。Fedはマネタリーベース(MB)をかなりの程度まで自由に―完璧に、とまではいかないけれども―コントロールすることが可能である。その理由は、マネタリーベースが、通貨(currency)と準備預金(中央銀行預け金 bank reserves)とから構成されているからである。Fedは通貨(currency)の量に関しては十分完璧にコントロールすることができ、民間における通貨への需要(必要)を満たすように通貨の供給量を調整している(通貨への需要(必要)は、現金(cash)需要が増えるクリスマスの時期や夏場に増加する)。

準備預金は2つの手段を通じて供給される。公開市場操作(open market operations)と連銀貸出し(discount loans)である。Fedが直接コントロールできるのはこれら2つの手段のうちの1つだけであり、Fedが直接コントロールすることのできない手段が存在するためにマネーサプライをコントロールする上で不確実性が持ち込まれることになるのである。公開市場操作を通じて供給される準備預金の量に関してはFedは完璧にコントロールすることができるが、連銀貸出しを通じて供給される準備預金に関してはその量を推測することができるだけであり、この推測(estimate)は間違っている可能性もある。ある特定の日に(連銀貸出しに対する)借入れの申請をしにやってくる銀行の数は前もっては知りえず、それゆえに準備預金の供給、ひいてはマネタリーベースのコントロールに不確実性が存在することになるのである。しかしながら、この不確実性はそこまで大きなものではないので、以下ではFedはマネタリーベースを事実上完璧にコントロールできるものとして話をすすめることにしよう。

金融危機に対処するためにFedは銀行システムに対して大量の準備預金を注入してきた。その結果として、準備預金、そして同時にマネタリーベースは大きく増加することになった。しかしながら、特に最近の数カ月においては、マネーサプライはそこまで大きくは増えていない。どうしてだろうか? その理由は、貨幣乗数の大きさが銀行の保有する過剰準備(あるいは超過準備)-銀行によって保有されている準備預金のうち、法律によって保有することが義務づけられている量(法定準備預金)を超える部分―の量に依存しているからである。貨幣乗数は銀行保有の過剰準備が増加するほど下落することになる。金融危機の過程において、過剰準備の量は急激に増加し、その結果、マネタリーベースの増加を相殺するほど急速に貨幣乗数が下落することになった。マネタリーベースの増加が貨幣乗数の下落によって相殺されたために、経済に流通している貨幣量であるマネーサプライ―(貨幣乗数)×(マネタリーベース)―の量はほとんど変わらなかったのである。

なぜインフレを心配するのか?

インフレーションに対する懸念は、経済が回復し始めるにつれて、銀行が過剰準備を利用して貸出しを増やし始めるだろうとの予測に基づいている。(銀行が貸出しを増やすことで)過剰準備が減少すると、貨幣乗数が上昇し、その結果としてマネーサプライが増加することになる。先にも述べたように、マネーサプライとインフレーションとの間には結びつきがある。マネーサプライが増加するとそれだけインフレ圧力も大きくなるだろう。インフレに対する懸念の背後には以上のようなロジックが控えている。

インフレ抑制のためにFedは何をなしうるか?

インフレ圧力を和らげるためにFedに何ができるだろうか? その方法は2つある。まず第1の方法は、マネタリーベースの縮小である。貨幣乗数の上昇を相殺するかたちでマネタリーベースを縮小させれば、マネーサプライ―貨幣乗数とマネタリーベースとの積―の急速な増加を抑えることが可能となる。しかしながら、マネタリーベースを縮小させるためには、Fedは自らのバランスシート上の資産―金融危機対策として金融システムを支援するために購入してきた政府債券(国債)や民間資産―を売却せねばならず、必要となるその売却規模の大きさを考えると、バランスシート上の資産を市中に売却することで金融市場に混乱を引き起こしてしまう可能性がある。それゆえ、Fedは望むだけのペースで十分急速にマネタリーベースを縮小させることはできないかもしれない。

しかし、Fedには第2の重要な方法(ツール)が残っている。金融危機の初期の段階において、Fedは準備預金(必要準備(法定準備預金)、過剰準備の両方とも)に対して金利を支払う権限(能力)を手に入れることになった。この権限は、Fedに対してこれまでにはない(以前までにはFedが備えていなかった)能力、つまりは貨幣乗数の大きさに影響を与える能力を提供することになったのである。では具体的にどうやってFedは貨幣乗数の大きさに影響を与えることができるのだろうか? 私は先に、経済が回復し始めるにつれて、銀行は貸出しを増やし始めるだろうと述べた。もし銀行貸出しが増加すれば、過剰準備が減少し、貨幣乗数が増加し、その結果としてマネーサプライが増加することになるだろう。そしてマネーサプライの増加はインフレ圧力を生みだすことになる。しかし、ここでFedが準備預金に対して支払う金利の水準を銀行が過剰準備を貸出しに回すことによって手にする金利(貸出金利)を少し上回るだけの水準にまで引き上げたとしよう。この時、銀行は過剰準備を貸出しに回すインセンティブを持たないだろう―というのも、過剰準備を保有しているだけでそれを貸出しに回すよりもヨリ大きな金利収入を手にすることができるから―。このように準備預金に対する金利を引き上げることによって(過剰準備から(銀行による)貸出しへのシフトが抑制されるので)インフレ圧力は回避されることになるだろう。

経済が回復し始め、それに合わせて銀行貸出しが増え始めるからといって、Fedは過剰準備からの銀行貸出しをすべて抑制したいとは思わないだろう。Fedが抑制しようと考えるのは、インフレを引き起こしかねない過剰な銀行貸出しの部分だけであろう。そうだとすると、Fedはすべての銀行貸出しの阻止を意図して準備預金に対する金利を市場金利を上回る水準にまで引き上げようとはせずに、インフレ圧力を抑制するに十分なだけそれ(準備預金に対する金利)を引き上げようとするだろう。つまりは、市場金利を上回る水準とまではいかなくとも、インフレ圧力を抑制するために十分なだけの過剰準備を銀行が保有するインセンティブとなる程度には準備預金に対する金利を引き上げようとするであろう。銀行が新規貸出しを行おうとするインセンティブは、準備預金を貸出しに回すことによって手にすることのできる金利(貸出金利)と過剰準備を保有し続けることによって手にすることのできる金利(準備預金に対する金利支払い)とのスプレッド(差)に依存するのであり、Fedが準備預金に対して支払う金利を引き上げることによってこのスプレッドが縮小していけば、銀行が新規貸出しを行おうとするインセンティブはそれだけ弱まることになるのである。

景気回復が現実のものとなった暁には、伝統的な手続きに則って公開市場操作を通じてマネタリーベースを減らすとともに準備預金に対する金利水準を操作して貨幣乗数の上昇を防ぐことによって、マネーサプライ―(貨幣乗数)×(マネタリーベース)―の急激な増加ならびにインフレ圧力を抑制することは十二分に可能であると個人的には信じているところである。しかしながら、今はまだインフレに対して心配する時ではない(インフレを心配する時はまだ先のことである)。私が今現在身近にある懸念材料として心配しているのはその逆であって、私は今アメリカ経済はデフレーションに向かいつつあるのではないかと心配しているのである。デフレに対する心配はただ私一人だけが抱いているものではない。

デフレ回避のためにFedは何をなしうるか?

デフレに対する心配については後日また別の機会にもっと詳しく取り扱おうと思っているが、本論説で話題にしているマネーサプライに関する方程式はデフレについて論じるにあたっても有用であるので、ここでちょっとだけデフレの問題にも言及させてもらいたい。デフレーションが心配の種であり、それも今現在において心配すべきものだとすれば、Fedが(デフレを避けるために)なすべきことは、先に述べたこととちょうど反対の政策を採るということになるだろう。つまりは、準備預金に対する金利を引き下げるかあるいは準備預金に対して課金(fee)する(訳者注;いわゆるマイナス金利)か(そうなれば銀行は準備預金の保有に対するこの罰則(penalty)を避けようとして貸出しを増やそうとするだろう)、ということになるだろう。しかしながら、準備預金の保有に対する金銭的な罰則(課金)を避けようとして銀行が過剰なリスクを抱えることを承知で貸出しに向かうとなれば、果たしてそこまでして銀行貸出しを増やそうと試みるべきかどうかは明らかではなく、銀行貸出しを促進するにあたっては何か他の手段を採用した方がヨリ望ましいということになるかもしれない。

デフレ圧力を回避するために鍵となるのは、マネタリーベースの変化ではなく、貨幣乗数の変化にある。マネタリーベースを増やすために採られる通常の公開市場操作が単に準備預金の積み増しという結果に終わるのであればデフレ圧力を和らげることにはつながらないだろう。Fedがマネタリーベースを増やしても、新たに供給された準備預金がほぼそのまま過剰準備として保有されることで貨幣乗数がマネタリーベースの伸びに比例するように下落すれば、マネーサプライの量はほとんど変化しないだろう。この場合、マネタリーベースの操作は(マネーサプライの増加ならびにデフレ圧力の回避には)あまり有効ではないであろう。

デフレ圧力を回避する上で有効に機能するであろう手段は、銀行が新規貸出しを増やすことを通じて過剰準備を減らすよう促す手段である。私が考えているところでは、銀行貸出しへのインセンティブは主に需要サイドから来るべきであると思う。先にも述べたように、マネタリーベースの増加を通じてマネーサプライを増やそうとしてもうまくいかないであろうし、準備預金に課金して銀行貸出しが増加したとしても銀行が貸出しにあたって適正なリスク審査を行うかどうか心もとないところがある。しかしながら、ローンの借入れを申請するために銀行窓口に訪れてくる企業がしっかりした(solid)投資機会を携えているとすれば、銀行はその企業に貸出しを実施するだろう。つまりは、鍵は、銀行貸出しへの新規需要(銀行ローンへの借入れ需要)を生み出すことにあるのである。銀行ローンへの借入れ需要を刺激する上では、追加的な財政支出や投資税額控除(investment tax credits)、その他の伝統的な需要刺激策が非常に有効であろう。

Fedはうまくやれるか?

私は、Fedはインフレをコントロールする意志も手段もともに持ち合わせていること、ならびに、Fedはインフレを抑制するために必要なことであれば何でもやるだろうこと、に関してはほとんど何の疑いも抱いていない。私にとってあまり明瞭でないことは、Fedは現在我々が直面しつつあるようなデフレ圧力を回避するために必要となる意志と手段とを持ち合わせているかどうか、という点である。(デフレ圧力を回避するための)手段に関していえば、信用(銀行貸出し)の供給サイド(=銀行部門)にのみ働きかけることによって銀行貸出しへの新規需要を生み出すことは困難であろう。Fedは、量的緩和や長期実質利子率の引き下げを狙った将来のインフレ期待の喚起を通じてデフレ圧力を回避する手助けができるかもしれない。しかし、これは(量的緩和と将来のインフレ期待の喚起)は、供給サイド(=銀行部門)ではなく需要サイド(家計や企業等銀行ローンの借り手側)に対して働きかけるものである。ともかくも、(Fedがデフレ圧力回避を後押しする手段を備えているとしても)果たしてFedがその能力(あるいは手段)の許す限りの範囲において、デフレ圧力を回避しようとする意志を持っているかどうかは明らかではない。中央銀行(金融政策の実施主体)と政府(財政政策の実施主体)とがともに、日に日に明らかになりつつあるデフレ圧力を回避するためにできることならすべてやることに失敗するとすれば困ったことである。また特に、財政政策の方が銀行貸出しへの新規需要を刺激し得るヨリ大きな可能性を備えているのであるから、政府の方が中央銀行よりも大きな責任を背負っていると言える。しかしながら、現在の暗い将来経済見通しを前にして、中央銀行・政府の両者がともに各々にできることをやる必要がある。デフレ圧力を回避するために積極的な政策に打って出ることに失敗するとすれば、それは大きな間違いであると言えよう。