金融政策なんてない。by ANDY HARLESS

(There Is No Such Things As Monetary Policy[1]
EMPLOYMENT,INTEREST, AND MONEY Dec.10,2010)

道草2010年12月17日のエントリ 「”マネーを刷る”ってどういう意味?by Andy Harless」の兄弟エントリです。コメント欄にBill Woolsey David Beckworthが参戦しており、Beckworthが財政政策と金融政策の効果の差についてのHarlessの見解を評価しているところなどが興味深いので、そちらも抜粋ですが訳しています。

通常は訳文の最後につけている謝辞ですが、今回は冒頭に書かせてください。諸般の事情で遅遅として作業が進まなかった私に度々助言を与えてくれ、励ましてくださったerickqchanさんに感謝します。また訳の誤りのチェック、および訳注の作成については、hicksianさんにも多くのご助力をいただきました。night_in_tunisiさん、svnseedsさん、optical_frogさんの訳からもたくさんの示唆をいただきました。皆様ありがとうございました。もちろん、チェック後に見つかった訳の誤りやタイポは、すべて私の責任です。お気づきの点がありましたらコメント欄等でご指摘下さると幸甚です。


私が昨日書いたブログポスト(邦訳)は、銀行準備預金は、もし付利されるならば、本質的に政府の負債となることについて論じた。

それらは異なる機関によって発行され、他のほとんどの政府負債とは異なる満期を持つだけで、本質的には、単なる政府負債の特殊例である。

先のブログポストでは、私は銀行準備預金を「マネー」とみなしてよいものか、確信をもてないでいた。もし、銀行準備預金が政府負債であるなら、一貫性を保つためには、すべての政府負債をマネーとみなすか、銀行準備預金をマネー以外のものとみなすかのいずれかでなければならない。特に、ベン・バーナンキが講演で使用したフレーズ「マネー(札)を刷る」は、もし、すべての政府負債をマネーと考えると矛盾しない。QE2はゼロ満期マネーを長期満期マネーに交換しただけであったのに対し、QE1は民間部門の資産をマネーと交換した。しかしながら、もし後者(銀行準備預金をマネー以外のものとみなす)を選択するとすれば、QE1もQE2も「札を刷る」にはあたらないことになる。

しかし私としては、銀行準備預金をマネー以外のものとみなす立場をとりたいと思う。学校で学んだ流動性選好説に照らし合わせてとても合理的に見えるからだ。流動性選好説のもっとも単純なバージョンでは、マネーは(1)無利子であり(金利を払わず)(2)政策立案者によってコントロールされる、と特徴づけられている。すると明らかに現下の仕組みでは、銀行準備預金は(1)の基準を満たしていない。また銀行預金は、(1980年代前半の政策実験の期間[2]に苦痛を伴いながら学んだように)(2)の基準を満たしていない。私はますます「マネー」のもっとも適切な定義とは、ただ単に「キャッシュ(譲渡可能な中央銀行券と硬貨)」であると考えるようになった。

しかしFedはキャッシュの供給を制御しようとはしない。市中銀行はいつでも、準備預金をFedから引出したり、Fedに預けたりすることができるが、通常であればFedは、市中銀行による準備預金の引き出し・預入れの前後で準備預金の総量に変化が生じないように準備預金の調節に乗り出すことになる。さらには、市中に流通するキャッシュの残高は、キャッシュに対する需要によって決定されるので、Fedの政策決定において重要な要素とはならない。もし「マネー」が単純に「キャッシュ」を意味するとすれば、Fedの「金融政策」は、市中銀行による準備預金の引き出しや預け入れ、そして市中におけるキャッシュへの需要に対して受動的に順応するだけのものということになる。ということになれば、誰一人としてこのような「金融政策」の動向に対して気にかけることはないだろうし、また気にかけるべきでもないだろう。

Fedが何か行動を起こすと、それは金融政策と呼ばれるのだ。しかしそれは一体何なのだろうか?Fedは、たいてい金融政策の項目に分類されることをする。しかしそれらはすべて何か他のものに分類される可能性もあるのである。第一には、公開市場操作を通して銀行準備預金のレベルを管理する。

しかし、Fedによる公開市場操作は、実質的には財政政策(あるいは国債管理政策)…ゼロ満期の政府負債(銀行準備預金)と、ゼロ満期よりも満期が長い政府負債(財務省証券)との交換…であって、金融政策ではない。

Fedが準備預金に金利を付す。これもまた、政府の財政政策だ。仮に、財務省は一定量の債券をオークションにかける代わりに、決まった金利でできる限り多く売り、余ったキャッシュは貯蔵室に放置するものとしよう。われわれが話題にしているのが、たとえば、銀行準備預金よりごくわずかに満期が長い1ヶ月物のTビル[3](財務省短期証券)であるとすると、これはFedが準備預金に付利した時と本質的に同等の効果がある。(特に、最近のほぼゼロに近い金利を起因として、財務省がTビルを1%の固定利回りで売り始めたとしたならどうなるか想像してみてほしい。それは(Tビルが1%の固定金利で売り出されることは)、Tビルの場合であれば銀行以外の他の主体もオークションに参加できるという点を除けば、準備預金に付される金利が引き上げられることと違いはない。IOR[4]の金利がTビルの金利を上回るときには、市中銀行に鞘取りの機会を提供するという以外、差異は全くない。もしIORの金利が上昇するならば、市中銀行間は―お互いが利益率を争っているので―、銀行以外の他のものを直接的には関与させまいとするインセンティブを持つようになるだろう。)

なるほど、金利を引き下げる場合はうまくいかないだろう。財務省は支出を賄うために最低限の金額を借り入れる必要があり、そのためTビルの利回りを好きなように引き下げることはできない。[5] しかし、IORに関してもこれと同様の議論(IORの引き下げはうまくいかないということ)が成り立つだろう。もしFedがIORの水準をTビルの利回りよりずっと低く設定したとすると、市中銀行は緊急時に備えるために手元資金のうち法定よりもわずかに多い部分を準備預金として保有し、残りはTビルに投資する―Tビルは必要とあれば市場で容易に売ることもできるし、買い戻し条件付きで売却することもできる―ことだろうからである。

Fed市中銀行に銀行準備預金の保有を義務付け、一定の準備預金率を設定することによって、準備預金に対する需要を強制的に生み出しているが、これもまた金融政策ではない。これは規制政策だ。市中の銀行に(Fedが設定した)一定量のゼロ満期政府負債(準備金)を保有するよう義務付ける規制がある。また、市中銀行が自己資本比率規制を満たすために、一定量のより広い意味での安全資産を保有するよう事実上義務付けているいくつかの規制がある。これら規制のすべてが政府負債に対する需要の増加につながっている。

これら規制の間での違いはといえば、それぞれの規制によって需要が増加する政府負債の種類に違いがある、という点だけである。規制政策がマクロ経済の総需要を管理するために用いられる場合には、規制政策は実質的に市中銀行に対して税金を課すことと変わらないことになる。市中銀行は手元資金を何らかのの事業に投資する代わりに準備預金と

して預け入れるよう強制されているが、準備預金の保有が義務づけられていることでFedは準備預金に支払う金利をそうでない場合(準備預金の保有が義務付けられていない場合)よりも低く設定することが可能となっている。準備預金の保有が義務付けられていることで準備預金の金利が低く抑えられているということは、市中銀行が手元資金を何らかの事業に投資した場合に得られると期待される収益率と(リスク調整後の機会費用で測っ

て)同じ水準にまでIORを引き上げた上で、市中銀行に対してIORの上昇分だけの収入を税金として課すこととその効果の面において違いはない。つまりは、規制政策がマクロ経済の総需要を管理するために用いられる場合には、それは一種の財政政策ということになるのである。

最後に、Fedは、連銀貸出やQE1実施の過程でも見られたような経済危機に対処するための様々な緊急プログラムの創設を通じて、民間部門に対する貸出(もしくは貸出相手からの資産の購入)を実施している。しかし、これは金融政策ではなく、財政政策だ。政府負債と民会負債を交換したTARP[6](不動産買取プログラム)となんら変わらない。Fedがこういったプログラムを通じて行うことは、資金調達のためTビルを発行することができる財務省もまた実行できる。そしてこれは明らかに財政政策と認知されている。FedはTビルのに代わり、わずかに満期が異なるが、実質において根本的な違いはない準備預金を発行する。Fedが緊急プログラムを通じて行うことは、財務省によってもまた実行で

きるものである。財務省が緊急プログラムの実施主体となる場合は、Tビルの発行を通じて資金が調達され、その資金をもとにして民間部門に対する貸出しが行われることになるだろうが、このような形で実施される緊急プログラムは明らかに財政政策とみなされることだろう。Fedが貸出しを実施する場合はTビルではなく銀行準備預金が発行されることになるが、これまで述べてきたように、Tビルと銀行準備預金とは満期が異なるだけで(Tビルも銀行準備預金もどちらもともに政府負債であるという意味で)実質において両者の間には根本的な違いはないのである。

さて、そういうわけで、金融政策なんてものはない、といった事情はお分かりいただけたと思う。「中央銀行が指揮する経済安定化政策」はある。便利なので、それを金融政策と呼びたければそう呼んでも構わない。ただし、「中央銀行によって指揮される経済安定化政策」を「金融政策」と呼ぶ場合には、自分がおおざっぱな言葉の使い方をしているということを認識しておいてほしい。そしてある特定のFedのとる行為が「本当に」金融政策かどうかなんて議論に入り込まないでおこう。それらのどれ一つとして金融政策ではないのだから。

コメント欄抜粋

Bill Woolsey より

この分析の問題点は、冒頭の部分にある。市中銀行の預金準備に金利を払うと、それら(準備金)は政府負債になり、そうであるならすべての政府負債はマネーとなり…とするから、議論が混乱に陥るのだ。

君は教育課程で間違ったことを教わったのだ。マネーには金利はつかず、政策によってコントロールされている、という金融理論の解釈は、うーん、どうかな…。必ずしもそうとは限らないよ。

この数年来、ほとんどのマネーは金利を付されている。すべてのマネーに金利が払われたとしても不思議ではない。

マネーとは交換手段だ。それは交換時に広く受け入れられている一まとまりの資産のことだ。

もし政府が中央銀行を所有し、管理していたら、中央銀行のすべての負債は、金利が支払われているか否かにかかわらず、政府負債の一種だ。手渡しの通貨はゼロ名目金利の政府負債だ。そして、それは交換手段の役割を果たす。

近年金利を付されているFedの準備金収支は、別種の政府負債であり、交換手段の役割も果たしている。

おそらくTビルが交換手段の役割を果たす市場があるだろう。しかし、すべての政府の債券がそうであるわけではない。

民間銀行の預入れは多くの場合交換手段としての役割を果たしている。そしてそれらには金利が付されている。しかし、それらは政府債務ではない。

仮に、中央銀行が民間(所有・管理)であったとする。または、その法的な立場が非常に独立していて、そこの債務を「政府負債」と呼ぶことが、まるで、サウス・カロライナとジョージアの負債を総計するようなものであったとすると、中央銀行はもっと民間銀行と同じようにに取り扱われるべきだろう。そこ(中央銀行)が保有する預入れや通貨は、そこ(中央銀行)の負債なのであり、財務省やニュー・ジャージーやロサンジェルスの負債ではない。

この枠組みにおいて、中央銀行は様々な資産を保有する。それらの多くが政府の負債(もしくは他の政府系機関の負債)だ。

それでもなお、中央銀行が発行した通貨、および創出した預金は、交換手段の役割を果たすのだ。

David Beckworthより

Andy:

ビルの意見に賛成だ。何がマネーをユニークなものにしているかといえば、交換手段という役割があるからだ。真に交換手段の役割を果たす資産はどのようなものでも、それ自体の市場はない。 だから、交換手段による需要や供給に対するショックは他の市場における混乱を引き起こす。金融政策は、これら交換手段ショックが他市場に波及して起こる混乱を最小化するための対応策なのだ。それは財政政策とは全く別の話だ。

もし興味があればLeland Yeagerがここで(http://www.cato.org/pubs/journal/cj6n2/cj6n2-3.pdf)より詳細に説明しているよ。

Andyより

David:

「真に交換手段の役割を果たす資産はどのようなものでも、それ自体の市場はない。」

この見解は正しくないと思う。交換手段には複合的なものがあり、それらが相互に交換される市場が存在する。

「金融政策は、これら交換手段ショックが他市場に波及して起こる混乱を最小化するための反応なのだ。」

それは財政政策にも当てはまるんじゃないだろうか?もし人々が交換手段を退蔵しているとすると、それを正す一つの方法は、民間部門の支出の不足を埋めるために政府支出をもっと増やすことだ。その場合、君は財政政策と金融政策の違いについて、どこで線引きするんだい?

Bill:

アメリカ合衆国ではFedは完全に政府に所有されているものの、政府の補助機関として、独立して運営されている。財務上の目的で、それら(Fedと政府)の貸借対照表を統合することには意味があるが、そ例外の目的では、Fedは政府の貸借対照上、別個の主体として表示されるべきだ。その場合、銀行の預金準備(そしておそらくキャッシュ)は政府機関債のようになるだろう。

そして、ベースマネーは交換手段の総供給にほとんど関係ない。たとえあったとしてもわずかだろう。信用買いをする時の個人の信用保証によくあるように(今は、ほとんどの人がクレジットカードを使っている)、レポ取引決済が可能な資産はどんなものでも、結果として交換手段になるのだ。もし金融政策が、交換手段を操作するものであったとすると、通常の金融政策は、ごくわずかな部分しか占めなくなる。私は、「金融政策なんてない」という代わりに、「金融政策でないものなんてない」というべきだったのかもしれないね。

David Beckworthより

Andy:

私はもっと正確に書くべきだった。交換手段としての法定不換紙幣には、貨幣的不均衡の見地からは、意味のある市場が存在しない。たとえば、突然何かの恐怖にとらわれて、貨幣需要が急増しても、Fedはマネーサプライを増加させず、その需要に応えないとしよう。この不均衡を解決できる明確な交換手段のための市場はどこにもない。ゆえに、他の市場を通して解決するしかない。もし、これらの市場で価格が硬直的なら、実体経済も同様に混乱するだろう。

もちろん、外国為替市場というものがある。しかしこれは、どこか他の場所で使われる交換手段が購入可能な市場だというだけだ。ある国の通貨を他国の通貨に交換できる市場を提供するが、単一の通貨の需要と供給を満たす市場ではない。まさにそれが貨幣的不均衡の解決に必要とされているのだが。

財政政策と金融政策の効果の差に関しては、君に一理ある。財政政策も流通速度の降下を相殺可能だ。しかし、次の二つの理由から、その効果は金融政策に比して限定されている。

第一に、主要な財政政策は、流通速度の変化を相殺できるものの、それは金融政策ができることに比べて少ない。財政政策は、(広義の)マネー創造に影響を与えることができるかもしれないが、(ベース)マネーの創造にはあまり影響を与えない。むしろ、付利された準備金は、その最期の要求でさえ弱めようとする。少なくとも金融政策なら、単体でも通貨を流通させる。

第二に、金融政策は、財政政策が行おうとしていることにすべての点で勝る。金融政策は財政政策より迅速に実行可能で、かつ、多くの有効な手段を有している。


  1. “There Is No Such Things As Monetary Policy.” ハインラインのSF小説『月は無慈悲な夜の女王』(1966)で有名になった格言” there’s no such thing as a free lunch.”をもじってる? []
  2. レーガノミックスを指しているかと思われる。 []
  3.  Tビル「Treasury bills」の略。 []
  4. IOR「Interest On Reserves 」の略。 []
  5. Tビルの利回りが低すぎるとTビルのオークションに対する応募が少なくなり、財政支出を賄うだけの資金が調達できなくなるかもしれないため。(by hicksian) []
  6.  TARP「Troubled Asset Relief Program」の略。 []