金融理論の短期講習 by Scott Sumner  

スコット・サムナーのブログ、TheMoneyIllusion の初期(2009年2月くらい)の重要エントリ(本人がそうおっしゃってます)をぼちぼち紹介しています。今回は、一つのハイライト、A short course in monetary theory(March 7th, 2009)を紹介します。

(今回ばかりは本サイトで最近紹介したいくつかのサムナー氏のエントリをご覧になってからお読みになるのがお勧め)

この回ではサムナー氏の「金融政策を金利経路で捉えるのは幻想でありマネタリーベースからアプローチするのが正しい」という信念(それゆえ流動性トラップは幻想)がはっきり提示されます。訳者としては、これを紹介したくて今までやってきたと言っても過言ではありません^^。


[とうとう春休み!この週末は恐慌についてのエントリを書くが、先にこれを書く。私がどのような立ち位置から物事を論じているかを皆さんに知ってもらいたいから。経済学者ではない皆さんには最初これは奇妙なオフトピックに見え、経済学者には単純過ぎでオフトピックと見えるかもしれないが、しばらく我慢してほしい。私の狂気にも算段があるのだ。]

Lesson 1.   リンゴで測る名目GDP:

テニスをする前に筋肉をストレッチするだろう(私はしないが)。金融理論の難しさを見て行く前の頭のストレッチをしよう。伸縮する需要の一単位として、それはリンゴということにしよう。リンゴを単位として名目GDPを測定して、大収穫後にどうなるかを考えてみよう。

では、最初リンゴの価格は1ポンドあたり50セントで、収穫後は1ポンド当たり25セントと値段が半分に下がるとする。この場合、リンゴを我々の「評価媒体」もしくは金利の理論家が「交換比率規準」と呼ぶものとして使うとすると、我々の14兆ドルのGDPは、最初28兆ポンドのリンゴだったのがすぐに56兆ポンドのリンゴとなる。

ここで、リンゴの大収穫がどのように名目GDPの急騰を「引き起こした」のかを考えよう。金利の下落によって?消費者の信用が増したから?投資家のアニマルスピリッツが加速したから?銀行が貸出を増やしたから?(ここまでで読者が半分減った)。オーケーこれは馬鹿げた例だったが、これがどうして馬鹿げているかを考えるのは有益だ。

これが馬鹿げているのはリンゴが交換媒体ではないからだろう。お金は交換媒体なのだから、これでは「金」融理論をやっていることにはまるでならない。「マクロ経済学」か、相対価格の理論であるところの「価格理論」ということになってしまう。しかしそうではない。南北戦争以前の自由銀行制時代を考えてほしい。米国は金属本位だったと思う(それが金だったか銀か複合だったか思い出せないが、ここではどうでもいい)。銀だったとしよう。シンプルに「ドル」はかつて銀だったということにしよう。私が読んだ本では、交換媒体は怪しい品質の私的銀行券で、店にはそれぞれの銀行の健全性で決まっていく銀行券の割引率一覧表が貼り出してあったとのことだ。(そんな無茶苦茶な時代が終わっていて良かった!)

極端に単純化するが、銀行券のほとんどは額面で取引されていたとして、ではもし誰もそれを持っていなかったら?こう考えることで交換媒体と評価媒体(medium of account)は必ずしも同じではないことが分かる。同じでないならどちらが本当の「マネー」だろう?多くの人は交換媒体のほうだというが、金融理論ではそうではなくて、我々のインフレのモデルは、価格が評価媒体によって表されるという考え方に基づいている(今の連邦銀行券。1929年には 1/20.67オンスの金に相当した)。金融理論は評価媒体の価値についての理論だ。従って、この例の価格水準とは正確に銀の価値の逆数(もしくは購買力)であり、怪しい銀行券ではない。

リンゴの例に戻ろう。議論のためにリンゴが評価媒体であるということにした。リンゴサプライを二倍にするとどうなる?連邦銀行券のサプライが二倍になるのが全然違って感じられる。なぜだろうか?答えはただ一つ、名目硬直性だ。名目硬直性には二種類ある。

1.  名目負債

2.  給与と物価の硬直性

前者は、それほど重要ではない。インフレの下でも名目負債を通して富の再分配がもたらされるからであり、サンクした費用ないし収益なので産出への影響はほとんどない。後者の硬直性は限界領域での行動を変え、ビジネスサイクルに広く影響する。特に失業率の変動に対して。

オーケー、だからリンゴの胡散臭いという貴方の直観は正しいが、その理由は恐らく正しくない。次に進む前に、問題をもう一つ考えてみよう。給与や物価は永遠に硬直しているわけではない。だからリンゴの例は、あなたが信じようが信じまいが、古典モデルにおける金融政策の長期効果の良いアナロジーなのだ。先ほどのリンゴNGDPが二倍になるときの話で、金利や銀行貸し出しが何らかの役割を担っているのだろうかと書いたが、100%冗談というわけではないのだ。これらは何の役割も果たさない。私はこれらは金融政策にも長期的な影響はないと信じている。異論はあるだろうが。

いよいよ頭のストレッチのところに来た。NGDPを14兆ドルから15兆ドルまで引き上げるという問題は、多くの人々にとってはとても乗り越えられない仕事のように見えるだろう。全世界を肩に背負ったアトラス。私なら、ベッドの横の酔っ払いに例える。ただ倒れこむだけだ。NGDPを引き上げたい金融政策担当者は、ただ通貨価値を下げればいいのだ。

彼らの仕事が流動性トラップに邪魔されているかどうかは後で検討しよう。ただ、経済には流動性の罠とは関係ない問題もいろいろあって、平時でもNGDPを引き上げるのはそんなに簡単ではないのではないかと疑問を感じてしまうような人は、残念ながら私と心を合わせたり生産的な会話をすることはできない。NGDPの引き上げ?それはただ通貨価値を下げることなのだが(NGDPは物価と実質産出の両方を含むけれど)。

流動性トラップが関係ないなら、緩和的な金融政策が働かないという議論を私にはしないで頂きたい。住宅市場が拡大し過ぎた?販売が弱いから投資意欲がない?世界の需要が落ちているから輸出が下落している?信用市場でリスクスプレッドが高い?これらは流動性トラップ以外の不況でも見られるが、金融政策担当者はそんな時いくらでも通貨の価値を落とすことができるのだ。

Lesson 2.  人類の金融理論 1752-1968:

ヒュームは、我々が経済学入門の学生に教えるマクロの多くを開発した。ヒュームマクロの終着点についての興味深い話について後で触れるが、1968年というのはヒュームマクロが次のモデルに置き換わった年であると同時に、それが機能停止した年でもあった(「完全に」同時だったわけではない)。

ヒュームは、現代の我々が教室でよくやっているある思考実験をした。「もしヘリコプターからいきなりたくさんの現金を落として、マネーサプライが二倍になったら」(もちろんヘリコプターはなかった)。これを考える時データは不要で、常識があれば十分。ヒュームはたくさんの常識を知っていた。(彼は歴史を学んだので、たぶん「データマイニング」でこのモデルを得たのだろう。)

ヒュームは単なる貨幣数量説を超え、給与と物価が完全に調整されるまでの過程のことも論じていた。彼はアーヴィング・フィッシャーが1920年に、ケインジアンたちが1960年代に用いたフィリップスカーブのアイデアにほとんど到達していたのだ。名目ショック(たとえばマネーサプライの増加)は短期的に物価と産出を引き上げるが、長期的に上昇するのは物価だけである。今私は「名目ショック」という言葉を使ったが、ヒュームの理論は単にマネー量についてのものではなく、貨幣流通速度に対しても量と同じインパクトが及ぶということを彼は理解していたからだ(一か月前、私の二番目のブログポストの冒頭で引用したように)。

どうして私が216年に及ぶ金融理論の進歩をおこがましくも否定するのか?私だけではない。ミルトン・フリードマンもこう述べた。

「自分が見るところ、われわれは二つの点においてのみヒュームを乗り越えている。第一に、我々は量の拡大度合い(the quantitative magnitudes)をしっかり把握している。第二に、我々は微分一回分だけヒュームから進歩した」

これをデビッド・レイドラーは読んでいなければいいと思う。彼は人々に見落とされて来た第二次大戦前の金融理論家たちを支持する素晴らしい本を何冊か書いているから。私はそれを楽しく読んだし、そこには若いDSGE理論家のためになる興味深い洞察が明らかにあった。しかしそれでも思うのは、金融経済研究は、給与と物価の調整過程に注力してきたにもかかわらず何をも解明できないに等しかった。調整過程のメカニズムについての切り口は以下のものがあった。

1.  名目金利(ケインズ)

2.  自然利子率に対する市場金利 (ヴィクセル)

3.  実質金利(フィッシャー)

4   実質賃金 (ピグー)

5.  相対資産価格と投資(オーストリアン?)

6.  余剰の現金—>消費 (たくさんの人々)

他にもたくさんあるだろう。しかし、これらでは何も解明してはいないのだから1968年まではヒュームの先へ行ったとは言えない。

Lesson 3.  ミルトン・フリードマン、法定不換紙幣の伝道師:

1960年代、フリードマンは物品貨幣レジームに代わる、不換貨幣レジームに適用できる貨幣モデルを開発した。これを理解するためには、まず物品貨幣レジームでの物価水準について簡単に論じておく必要がある。ノート: 以下はやや正確さを欠くが、私の論と非常に近い説明。バースキーによれば、金本位制下では物価は概ねランダムウオークで動いていた。インフレ率にマイナストレンド (1879-96) やプラスのトレンド (1896-14)が見い出せるものの、合理的期待からは概ねゼロインフレだったと論じた。これには私も概略で強く同意できる。ケインズは、不換貨幣レジーム以外でもフィッシャー効果(インフレ期待が名目金利に影響する)は重要であるという考えを受け入れなかったが、この理由からだろう。

金本位制の最後のインフレ傾向 (1934-68)は1934年における通貨減価への調整過程だったと言える。1968年に金の市場価格はオンスあたり35ドルを超えた時、我々ははっきり不換貨幣の世界に移行した。フリードマン(とフィリップス)はそれに先行して以下を含むモデルを開発していた。

1. 名目消費の時間経路にほとんど無限の影響を与えることができる、極めて強力な金融政策

2.  人々のインフレ期待の変化でシフトするフィリップス曲線

3.  フィッシャー効果を無視するオールドケインジアン理論家に対する批判

フリードマンが “ヒュームから進歩した微分一回分”という言葉で言いたかったのがこれだ。ヒュームが物価水準のの変化だけを見ていたのに対し、今我々は(期待)インフレ率の変化を見ている。もちろん最後の商品貨幣が廃止された年である1968年(多くの人が信じるように1971年ではない)まではそれでほぼ十分だったのだが。

Lesson 4.  合理的期待革命:

1968年後の数年は、インフレ率が上がり続けると何が起こるかがあれこれ議論になったが、そんな愚かな時代はすぐに終わり、1970年代半ばにルーカスらが、インフレ率の変化自体よりも、むしろ(合理的には)予期されないインフレ率の変化が問題だということを示した。

合理的期待(「一貫性ある期待」と呼ぶべき)という考えの鍵となる洞察は次のようなものである:経済をモデル化する時に、政策Xが結果Yを引き起こすならば、政策Xによて結果Zが引き起こされると人々が信じると推定してはいけない。これは公共政策で特に正しい。人々が政策に対して愚かに反応するという仮定下では、効果的な政策はできないだろう。

金融の均衡も、SEC(証券取引委員会)は投資銀行よりも株価を正しく予見できるという前提のもとに規制構築されている。(「SECは投資銀行がサブプライムモーゲージ証券を止めさせるべきだった」という議論には、この前提が実現しているかが疑わしいと思わせるものがあるが)

合理的期待革命はまた、次のことも示した。

1. 今日の総需要は明日に期待される総需要の変化に強く影響される。従って金融政策の方向性への期待の変化に強く影響される。

2.  方向性への期待の変化は、ただちに商品・株式・債権市場といったオークション方式の市場に現れる。

二点目は今でさえ十分受け入れられていないと思う。一点目は、右翼的マクロの心臓部に位置しているばかりでなく、現代ニューケインジアンマクロの核心でもある。私とウッドフォードらとの唯一の違いは、彼らは将来期待の経路を短期金利(マクロ均衡と調和する金利に対する)に見るのに対し、私は期待経路をマネタリーベース(ベースマネーの実需に対する)に見る点だ。彼らは利子率の伝達メカニズムを使い、私は超過現金のバランスメカニズムを使う。

ウッドフォードのアプローチは、この世界では中央銀行が短期金利を目標としていることに立脚している。これは事実なのだが、私が見るに金融政策のインパクトを短期金利が伝達するというのは幻想なのだ。金利は粘着賃金および粘着価格が関係している不均衡期間の「兆候(symptom)」であるとしか私には思えない。多くの人々は名目金利の引き下げは緩和的な金融政策だと考えている。引き下げは、実質GDPに影響するが、名目GDPをスローダウンさせる(貨幣流通速度を遅くして)効果があるのだ。もしも金利がまったく変わらないなら、超過現金のバランス効果が直ちに働いて賃金と物価が上昇するだろう。しかし賃金と物価には粘着性があるので簡単には働かない。だから短期金利が下がり、短期金利が実際よりも重要に見えて来るというわけだ。

金利アプローチのもう一つの問題は、金利を見て金融政策のスタンスを判断するのが難しいという点だ。大インフレ期に高インフレの国々では、長期の平均貨幣成長率と物価が相関しているというチャートはよく見られる(バローのマクロの教科書のように)。しかし、ケインジアンは金融史の教科書でどんな政策データを使うのだろう。これら高インフレ国では確かに名目金利もインフレ率と相関しているが、因果はインフレ率から金利に向いているのだ。だから金利は政策について何も語っていない。もちろんこれはウッドフォードのモデルの欠陥ということではなく、長期的には同じ結果になる。これは私が貨幣量と超過現金バランスアプローチを好む一つの理由だということだ。私はこう見た方が事態の動きがよく見えるのである。

私にとって、合理的期待革命の大きな洞察は、政策の方向性への期待が今日の総需要に影響することだ(これはジョージ・ウォーレンのポストで見た)。仮にFedが翌年マネーサプライを20%増やすと期待され、その増加が永続的なものだと期待されると、3~4年後(その期間で給与と物価が調整される)の期待名目GDPがおよそ20%上昇する。しかし、その上昇期待は今日すぐに(相対)資産価格などを急騰させ(給与と物価が粘着的なのとは対照的に)、総需要に劇的なインパクトをもたらすのだ。(最後のところはオーストリアンの見方と似ていると思う。)

まとめると、私は金融政策をこう見ている。長期で始まり遡って働く。リンゴの例は長期に適用できた。他の条件が一定ならば、永遠に増加し続けると期待されているマネタリーベースに連動して長期のNGDPは増加していくだろう。次に伝達メカニズムを得て将来に働く。 実質の賃金、金利、資産価格などが、伝達経路こそ完全にはわからないが影響を受ける。鍵は、将来期待されるより高いNGDPが今のNGDPを押し上げることである。これは、ちょうどミクロ経済学である品目の将来の価格変更が予想されると今の価格が影響を受けるのと同じだ。

Lesson 5.  金本位制度下の短期金融政策について簡単に:

金本位制の下では、物価水準は正確に貨幣の価値(購買力基準)に比例して動いた。従って物価水準を単純にモデル化できる。金の供給(鉱脈からの)の増加が物価水準を引き上げる。金の需要(金融的にしろ非金融的にしろ)が物価水準を引き下げる。金融政策は、一般に金の需要を調整することを通して行われた。この項目のタイトルを「短期金融政策」としたが、長期的には物価水準は金採掘の限界費用で決まるが、短期も非常に重要だからだ。

金本位制には幾つかのタイプがある。興味深いことに両極端のケース、貨幣が100%金で裏付ける実体貨幣の場合と、リザーブをを最小限にして短期国債の公開市場操作で金の名目価格にペッグするシステムの場合は、いずれも金融政策の効果がほとんどなくなる。これらのケースでは中央銀行が金の需要に対してほとんど影響力を持たないからである(実体貨幣の場合は、金準備率を引き上げることでベースマネーの需要を増やし金の需要を喚起する選択肢があるが)

興味深いケース(明日論じるつもりだ)は、中央銀行が実体としての金を保有はするが部分的にしか持たず、政策で保有率を調整する場合だ。戦間期はまさにこのケースだ。この基本アイデアは、中央銀行が大量の金を持てば(米国、フランス、英国でさえ)ベースマネーに対する保有比率を増減させることで世界の金需要に影響を与えることができるというものである。言わば「ゲームのルール」を破ることによって。

金本位制の下でも流動性トラップは起こりうる(1932年のように)が、ケインズが考えたそれではない。金の需要増がデフレーションとゼロに近い金利を引き起こしたときにそれは起こる。そのような状況になると中央銀行は全部の金準備を放出しない限り物価水準を押し上げることができなくなる。しかし、それこそが金本位制が機能する理由であり、中央銀行が急激に調整能力を失う理由でもあるのだ。これはケインズが想定した流動性トラップとは何の関係もない。金本位制では金利が5%の時でも、0%の時と同じように裁量が縛られる

こういうことだ。年々、金の(フローの)供給と産業需要の変動の影響力が小さくなり、短期の物価水準は、不安定な中央銀行需要と民間保有量の問題になって行った。中央銀行の需要は二つの要素があり、ベースマネーの実需(準備金以外はほとんど国民経済と銀行によって決まる)と、金融政策—中央銀の保有率(ベースに対する金保有割合)の変更—だった。

PPP(訳注:購買力平価のPPP?民間の金保有と解釈しました)が多くの金を持てば、小さな中央銀行の力は落ちる。多くを持たなければ小さな中央銀行でも物価水準をそれなりにコントロールできる(閉鎖経済の場合のように)。実際には中央銀行は大きな力を持てなくなっていた。その理由の一つは合理的期待である。投資家たちは長期的にはPPPが中央銀行の裁量を制限し、無謀なふるまいをする中央銀行は攻撃にさらせることになるだろうと理解したのだ。

Lesson 6.  法定不換紙幣制下の金融政策:

いろいろな可能性が考えられる。一つは中央銀行が独立しておらず、政府負債をマネタイズさせられる場合だ。「物価水準の財政理論」である。この理論は貨幣と政府負債とが完全に代替的になった場合にも適用できる。不換紙幣の注入が一時的ならば(仏印戦争の期間の植民地米国のように)それほどのインフレにはならない。これは財政理論で説明できるし(ブルース・スミス)、合理的期待を使った伝統的な金融理論でも説明できる(1993年の私、1998年のクルーグマン)。

では米国にふさわしい場合に注目しよう。独立した中央銀行による自由変動通貨制度だ。通貨注入は永続的と考えられる。まず、貨幣と債権が完全代替的ではない場合を検討し、そのあとで両者が代替的な場合を見て終わりにしよう。

ここはヘリコプターマネーの例が一番良く使われる。飛行機から貨幣を落として一人当たりの所持金の100ドルから200ドルと二倍にする。皆、最初は財布に入れておきたい以上の現金を持つので、その分を銀行に預ける。銀行としては、誰も借り入れをしたがらない不況の時だとしても、金利が付かない準備金にしておくよりは3%の短期国債を持ちたいと思う。こうして銀行は現金を受け入れるのとちょうど同じ速さで投資していく(金利付きの債権を買うことで)。この「ホット・ポテト」ゲームでは人々は余剰の現金を物やサービスや資産に交換したいと思うようになるので、貨幣流通速度が高まり、総需要が増す。

最終的に物価は二倍になり、人々は再びその時点の現金保有で満足するようになる。以前100ドルで買えたものが今は200ドルする。誰もがやりたいことをやった—Fedは名目現金収支を決定し、社会が実質収支を決定した。こうなるように物価水準が調整される。

これは実質的に財政政策だと言う人もいるかもしれないが私は反対だ。政府負債は出てこなかったし、国民も政府も状態が良くなったり悪くなったりしたわけではない。財政政策だと認めてもいい。しかし金利がゼロより十分高く、債権と現金が代替的ではないのであれば、公開市場操作によってもヘリコプタードロップとほとんど同じ結果を作り出すことができる。少しの余剰現金(つまり可処分所得)増がもたらす総需要は、物価が二倍なるという予想がもたらした総需要に比べるとごく小さい。

さて一番面白いケース、短期国債にほとんど金利が付かない場合に移ろう。この場合、現金と短期国債を交換しても総需要には全く影響しない。その意味で国債は事実上マネタリーベースの一部ということになる。公開市場操作でマネタリーベースは増やせても、「無利子の政府発行の紙」(紙幣)を増やすことはできない。これがケインズとクルーグマンの心配だ。

これは今我々が直面している問題でもある(もしくは、準備預金に付利するのを止めてあらゆる金利がゼロになればそうなる[1] )。流動性トラップを論じるときの私の問題はここにある。 「すべてを煎じ詰めればXである」という物の見方がある。読者は私がここまで書いてきた(とても単純な)金融経済教室から、私は問題を本質に還元するのが好きなのだと思われたかも知れない。しかし流動性トラップに関しては、余りにも問題が単純化され過ぎていると思っている。

1.  中央銀行はベースマネー需要を制限したりできるのだろうか(私が提案するようなペナルティ金利を課しても)?

2. もし準備預金へのペナルティ金利が機能するとすれば、現金と国債は本当に完全代替だろうか?もっと大事なことだが、現金と金利付きの政府証券は完全代替物だろうか?他の比較的安全な債権は?それらは政府が損失を被る可能性があるので「財政政策」になると言う人々もいるだろう。しかし、市場が効率的なら期待損失はゼロである。

3.  中央銀行は次のようなシグナルを出すことで将来の金融政策の期待に影響を与えることができるのではないか。

a. 政府債務(短期国債を含む)を強力に購入すれば将来の政策移行のシグナルになるのではないか?読者の皆さんは、私がこう言うのは耳タコだろうが、クルーグマンたちは日本のケースから「日本銀行はデフレからの脱出を望んだが無責任になることが信任される約束ができなかった」という間違った結論を導いてしまっていると私は思う。

b.  中央銀行はハッキリした名目目標を設定し、将来の落ち込みをもカバーするという力強い約束をすることで将来の政策意思を示すことができるのではないか?日本銀行は決してそのようなコミットをしなかった。

4. 流動性トラップ下の中央銀行でも、通貨をある商品にペッグし、その後ペッグする価格を段階的に調整していくことで物価水準を目標にできるのではないか(フィッシャーとウォーレンが提案しFDRがやって見せたように)?

5. 中央銀行は通貨を他国通貨にペッグすることで、物価水準を調整することができるのではないか(マッカラム、スメヴェンソンらがフールプルーフ政策として論じているように)?

6.  中央銀行はCPIまたはNGDP先物契約価格を目標にすることができるのではないか(サムナー、ドード、ウールシーらが論じるように)?

私ならイケるだろう。先日の「多元的」な金融刺激の提案は、この混乱してばかりの流動性トラップと呼ばれる現象を正面から撃とうとしたものだった。一言に煎じ詰めることはできない。ちょうどエイズ患者が何種類もの薬を調合してベストを尽くすように、あらゆる角度から一度に流動性トラップを撃つ、信頼性ある多元的な混合政策が、金融市場には必要なのだ。亡霊は払いのけてしまえば実は大したことがないかったということが分かるだろう(FDRが1933年に経験したことである)

まとめ:

私はいつも、自分が金融政策をどう捉えているかを完璧に表現するメタファーを探している。一つやってみよう。私はアルキメデス主義者。アルキメデスは支点と十分長いテコ(とそれを置く台)さえ与えてくれれば世界を動かせると主張した。私はFedがその支点で、ベースマネーの供給(と恐らく需要)の制御がテコだと信じている。私(又は私に近い考え方をする誰か)に政策の管理権限を与えてくれれば世界のNGDPの下落を止め、元通りに戻すことができる。驚異的な早さで。

  1.   注1. これは氏のいつもの主張、「Fedは準備預金に付利しているので流動性トラップではない」 []