ゼロ制約は制約ではない by Stephen Williamson

2009年には盛り上がった準備預金へのマイナス金利の話題(ここここ)ですが、久しぶりに地味に見かけたのでスティーヴン・ウィリアムソンのブログから The Zero Lower Bound Does Not Bind(12/5/2010)を超紹介します。


名目金利のゼロ制約は、標準的な理論の中の二つの場合で問題となる。第一は、短期名目金利がゼロになると伝統的な公開市場操作が無効になるという流動性トラップである。そこでは中央銀行がゼロ金利の準備預金とゼロ金利の短期国債を交換しても意味がなく、価格や量の変化が起こらない。これは現在米国が置かれている状態でもある。金融システムにおいて超過準備の供給があり、これに金利が付くと準備預金金利(IROR:the interest rate on reserves)があらゆる短期金利を決めることになる。今の環境では中央銀行が準備預金を国債と交換しても意味がない。   

当然(繰り返すが、今の環境では)中央銀行がIRORを引き下げても意味がない。IRORは0.25%だから、引き下げの余地がほとんどない。バーナンキはジャクソンホールでのスピーチを、IRORをゼロにしてもほとんど影響はなく「いくつかの鍵となる金融市場や機関を混乱させる」という話から始めた。IRORをゼロにすることがほとんど影響をもたらさないというのはおそらく正しいように思われるが、混乱するとまで言うのは誤りなように思う。いずれにしても、QE2の議論ではこれは部分的な議論だ。何かしなければならない状況で、他に方法がない中でFedは6000億ドルの長期国債購入に踏み切ったのだから。 

第二の点は、短期金利のゼロ制約はニューケインジアン的な分析において重要な役割を果たすことだ。典型的なニューケインジアン粘着価格モデル (例えばウッドフォードの本)において短期金利は政策ツールであり、それらのモデルの中では短期金利を操作することによって効率性を実現する。適切な金融政策を行えば「産出ギャップ」を縮小でき、リアルビジネスサイクルモデルで潜在的に存在するとされる柔軟な価格の均衡が回復する。しかし、ゼロ制約下では成り立たなくなってしまう。実質金利が潜在水準よりも高くなりすぎているにも関わらず、名目金利がゼロ以上に制約されているため、金融政策によって産出ギャップを縮小することができなくなってしまうことがある。これがエガートソンとウッドフォードによるこの論文翻訳)の基本的なアイデアである。

現在、世界のいくつかの中央銀行は明らかにFedのようにゼロ金利制約に制約されていないようだ。実際、ここに見られるようにスウエーデン中央銀行は「デポジットレート」というIRORの一種を2009年7月から2010年9月まで-0.25%に設定していた。もしこれが米国でも可能だったなら、Fedの政策問題のシンプルな解決策になると思われる。 FOMCが拡張的な政策をとるなら、長期国債を大量に買うような実験をするよりも、金融機関が準備金を持つことに課金した方が素直なのではないかというわけである(訳注:ここ特に超訳)。これは可能だろうか?おそらく無理だ。ここのリンクを見ても、米国では準備金へのマイナスの付利が合法であるとう証拠が見当たらない。議会はFedに準備預金を持つ機関に利息を支払う権限を与えているが、この法律には二つの欠陥がある。第一に、政策ツールとしてのIRORの重要性からするとこの権限はFOMCに与えられるべきだが、実際には理事会に与えられている。第二に、この法ではGSEs(ファニーメイやフレディーマック)の預金準備への付利は許されておれず、そのためIRORとFFレートにギャップが生じている。さらに、この法はマイナスのIRORを許していない。税として解釈されないようにするためだろうか。推測は控えよう。   

IRORをマイナスにできないとすれば、我々はゼロ金利制約や、ニューケインジアンが心配するところの相対価格の歪みにはまっているということになるのだろうか。そうでもない。 ナラヤナ・コチャラコタのスピーチこの論文これにあるように、財政政策が柔軟性をもたらしてくれる。基本的にニューケインジアンモデルでは、価格の粘着性に由来する問題は、相対価格の歪みがリソース割り当ての失敗を引き起こすという問題である。そのような歪みは税制という財政政策によって修正するのが一番自然なのではないだろうか。上にリンクした論文では、価格の粘着性がある環境であっても適切な税制を用いるだけで効率性を達成できるということを示している。さらに、税率を操作する先進的な手法があるのでゼロ制約は問題にならない。我々は財政政策は金融政策に比べて制約されていると考えがち(例えば法制定プロセスが厄介)ではあるが、この結果はウッドフォードの「Interest and Prices」にあるようなニューケインジアンの金融政策アプローチに疑問を投げかけるものである。もし粘着価格が存在するなら、金融政策よりも財政政策に割り当てられるのが適切だ。それはオールドケインジアンのように政府がモノやサービスの購入を増やすというものではなく、収支に中立な税制の変更で実現可能なのである。