収入: 無意味でミスリーディングで有害な概念 by Scott Sumner 

原文はScott Sumner のブログから Income: A meaningless, misleading, and pernicious concept(Sep 21st, 2010)

このポストは金融政策関係ではありませんが本人が気合を入れていたのでご紹介。なにしろ現在この話題で釣ったRobert Murphyのブログでバトル中でいらっしゃいます。そのRobert Murphyとは去年クルーグマンに噛みついたもののまだ相手にされていないこの阿呆(ほめ言葉)ですね。サムナーもクルーグマンへの公開質問状で知名度を上げましたが、これからの展開に注目です。


さて、いよいよ最適課税の枠組みについてのポストだ。やっとこの話を全部吐き出せるのはステキだ。なぜって、進歩主義者たちが「どんな形式の収入も等しく課税されるべき」という”原則”について話していたり(そんな”原則”はあらゆる種類の果物を全部同じ単価で売れというのと同じ)、意味のない収入のデータ(経済学的な租税の帰着と法的な帰着は完全に異なるという事実のを無視していることに触れない)に基づいて不公平性に関するジニ係数を論じたりしてるのを読む時、私がどんなに怒り狂っているか想像してもらえてないだろうから。

私と一緒に我慢してほしいのだが、基本原則から始める。これは大事なポストなのだ。私は進歩的な読者の皆さんを、個人および法人へのあるゆる種類の収入税とあらゆる相続税を廃止するすることに賛成してもらえるように導きたい。

年収100,000ドルの兄弟を想像してくれ。一人は収入をメロンに使い、もう一人はブルーベリーに使う。この時、ブルーベリー好き氏は「個数として」多い”果物”を消費する(ブルーベリーの単価の方が安いから)というだけの理由で不公平になっていると断ずることに何か意味があるだろうか?明らかに意味はない。二つの根拠がある。

1. 二人とも自由に果物を選べる。

2.  メロンの単価が高いことはメロンの価値(一個当たり)が高いことを表している。

次に、収入をは25歳から65歳までの期間で資産が5倍になるような実質金利で投資できると想定しよう。(4%くらいで回る40年もののゼロクーポン債のような)。今度は兄弟はブルーベリーだけを消費するとする。一人はまったく貯金をせず、もう一人は収入の40%を貯金する。つまり一人は今日100,000ドル分のブルーベリーを食べ、もう一人は今日60,000ドル分を食べ40,000ドルを貯金する。40年後、倹約した方は200,000ドル分のブルーベリーを食べることができる。そして二人とも65歳でいくばくかの年金を受け取る。ここで問題。この社会には経済的不公平があるだろうか?

不公平だと言える人はいないだろう。両者とも25歳の時に同じまったく同じ給料を得た。そして二人はそれを使って異なることをしたが個々の選択だ。65歳の時点で一方は年金以外の収入がなく、もう一方はそれに加えて160,000ドルのキャピタルゲインがあるが、これは一般的には”収入”と考えられている。しかしそれは二つの理由でまったく公平なのだ。

1.  貯金するかしないかは個々の自由なので、一方が他方より多く効用を得たという証拠は全くない。

2.  現在価値で考えると両者の生涯のブルーベリー消費は等しい。

40年後のブルーベリーと今日のブルーベリーを同じとしてしまったら間違いだ。将来のブルーベリーは現在のブルーベリーの1/5の価値になっている。これらはちょうどメロンとブルーベリーが異なるモノであるのと同様に、異なるモノなのだ。この160,000ドルはほとんどの人が考える言葉としての”収入”に該当しない。例えて言えば消費に使えるお楽しみのようなものだ。というよりむしろ遅れた消費だ。現在価値では65歳で受け取る200,000ドルは今日貯金する40,000ドルと全く等しい。倹約家氏は今日100,000ドルにプラスして65歳でさらに160,000ドルの収入があると言ったらナンセンスだ。一つの収入を二度数えてしまっている。

不公平を経済学的に考えるとき、資本収入は完全に無視して労働収入もしくは消費だけを測るべきだ。労働収入の現在価値と消費の現在価値は等しくなるから。これから見るように労働収入に課される税(メディケア税のような)と消費に課される税(付加価値税のような)も同じことになる。

前の例で、50%の給与税があるとどうなるか見てみよう。全部の数字が半分になる。浪費家の方は今日50,000ドルを消費して、倹約家は今日30,000ドル、65歳で100,000ドルを消費する。付加価値税も全部の時点における消費を半分にするので、両者に等しい効果を及ぼす。

しかし収入税50%の場合はどうだろうか。浪費家氏の場合は先の二つの税と同じだ。しかし、倹約家氏は高い税金を支払うことになる。彼は 20,000ドルを貯金し、これが40年後100,000ドルになる。すると政府はいわゆる資本”収入”税として40,000ドルを召し上げるから、使えるのは残った60,000ドルだけだ。彼が将来の税債務を先払いしたいなら、65歳の60,000ドルのために8,000ドルをとっておく必要がある。その場合、将来の消費に回す分は12,000ドルだけということになる。すると彼が支払う税の合計(現在のドルで)は50,000ドル足す8,000ドルで58,000ドルということになる。浪費家氏の税率が50%なのに対し、彼の税率は58%ということになる。これは彼らの好みが違いの結果であり、どちらが何らかの意味で暮らしぶりがよくなったからではない。これではブルーベリーを食べる人は消費したブルーベリーの数が多いというだけの理由でスイカを食べた人より高い収入税を課せられる場合と何ら違いがない。

読者はここで思ったかもしれない「だがしかし、すべての収入と消費への課税を廃止したら金持ちが得してしまう?」。ノー。ここでは浪費家と倹約家への課税が同率になるようにフェアネスを再構築してみたのだ。もし金持ちにもっと課税すべきだと考えるなら、累進的な消費税を導入すればいい。これは簡単にできて、いま逆進的なFICAを累進的な給与税に転換し、給料が高い層の税率を高くすればいい。この種の税金はどのような傾斜の累進性でも作り出すことができる。私はほとんどのリバタリアンと違い、累進的な給与税はただ功利主義的な理由から望ましいと思っている。評価できないのが「オレはそのためにハードに働いたのだから、それはオレのカネだ」という議論で、二つの理由からだ。

1.  収入のほとんどは運による。もしアジアやアフリカの貧しい農家に生まれたら、いくらハードに働いても収入は低いままだろう。先進国に生まれたというだけでジャックポットで当たりを出したようなものだ。

2.  われわれの財産は暮らしている社会が高機能であることに由来している。あなたの財産は近所の人々がかつてのようにレイプや略奪したりせず、投票のために平穏に投票所に行っているという事実に一部拠っている。私が言っているのは「村中でそれをやる」のようなことで、より正確には「市民社会としてそれをやる」という感じだ。 (( 訳注:格言を引いています。原文は Am I saying; “It Takes a Village?”  Sort of, more precisely “it takes a civic-minded culture.” ))

この点進歩的な読者の皆さんなら、ハードに働き貯金した人々に対して累進的に消費課税することには賛成してくれるだろう。しかし死んだパパの信託資金で暮らす怠け者はどうだろうか。税金を払うことなく相続財産で人生を送るなんてことがないように、やはり相続税はあるべきなのだろうか?

そう考えた読者はまだ混乱中だ。これから説明するが、我々は信託資金の怠け者をどちらかと言えば優遇すべきなのだ。

まず、最善の給与税があるならば彼らの相続するマネーは課税後のマネーだということを思い出そう。そして、付加価値税があるならば相続人たちは消費のときに税金を払わなければならない。前に戻って二人の兄弟の場合で考えよう。二人とも10,000,000ドルの財産を持って65歳までは生きていたとしよう。そして傾斜の強い累進給与税があって彼らはそれを払っているから、積み上げた財産を使うことは道徳的に正当化されているとしよう。問題は、支払った給与税乗せてさらに相続税を課すべきなのかどうか。では50%の相続税を想定し、二つのシナリオを比較してみよう。

1.  兄弟Aは派手なスポーツカー、ヨット、シャンパン、華やかなパーティなどで10,000,000ドルを全部使う。兄弟Bは5,000,000ドルを使い5,000,000ドルは一人息子に与える。誰が余計に課税されるべきか?全部使った方(A)はすでに傾斜の強い累進給与税で義務分を支払っていることは上で確認した。もし足りないなら累進性を上げても同じだ。もう一人は2,5000,000ドルの相続税を支払い、2,5000,000ドルを子供に残す。私の考えでは、効率的見てもモラル的に見ても寛大な父親の税が多くなるべきではないし、むしろもう一人よりも優遇されるべきだ。

1.  彼のほうが利己的さが少ない。徳の倫理学では遺産を残す人が評価される。

2.  限界効用は逓減するから財産はほかの人と分けた方がいい。効用的にも彼の勝ち。

3.  相続税は貯蓄意欲を減退させ、資本ストックを減らす。 すると人的資本で働く人々の賃金が減る。

驚かないように。最適政策は負の相続税だ。二人の男はどちらも65歳の政府の基金に一定金額(たとえば100,000ドルとしよう)を預ける。彼らが死んだとき、その200,000ドルは金持ちパパから相続を受けた子供にも分配される。ここで読者がどう思っているかわかるが、その200,000ドルを貧しい人々に渡さない理由は? それならすでに上で、貧しい人々に最適量のお金が再分配されるような累進給与税(あるいは消費税)の存在を想定しておいた。この税は、二人の金持ちと一人の信託資金っ子の関係を少し公平にしてみる試みなのだ。

[もちろんこれはちょっとしたジョークである---平等主義の論理を厳格に適用してみた。 (信託資金っ子の読者の方、わたしはあなたたちと対立したいわけではなく、社会の先入観を表現したいのだ)。私は累進的な消費税には本気で賛成だ。実際、今自分が払っているより多く払うことになったとしても、かなり賛成だ。私が「世帯収入250,000ドルではやっていけない」と嘆くのを見ることになる人はいないだろう。]

思うに、こういう考え方には心理的な高い壁がある。人々は実際の租税負担を大きく誤解している。例えばほとんどの人々は消費は収入よりだいぶ公平だと考えていて、だからこそ消費の税は逆進的になっている。本来の消費税は消費に比例させるもので、唯一意味ある基準になるものだ。対して収入はゴブルディグック(混乱したもの)になっている。さらに財産については、ほとんどの人々が収入ほどにも公平ではないと考えている。しかし、その感じ方は正しいだろうか?財産とは、その人とその相続人の将来の消費の現在価値以外の何物でもないのに!事実、現在価値で測れば財産と消費は全く平等になる。OK、つまり私は金持ちからの贈り物は金持ちの消費として扱わなければ矛盾してしまうことになる。ただ、金持ちが贈り物をしい社会の人々でさえ、財産と消費の不平等さは同じだとわかったらショックを受けるだろう。そうなるのは、意味のない概念 - 収入 - が我々の心理をねじ曲げゆがめてしまっているからだ。「収入」が実際に何か意味あるものを測定しているという考えを疑うのは難しい。これゆえに我々は税の累進性からジニ係数まで、様々なことの基準に「収入」を使ってしまっているのだ。

累進的な消費税のいいところ:

1. 90%の米国人にとって申告用紙が不要。FICAのように自動的に集められる。

2.  大倹約家も浪費家と平等に扱われるのでフェア。

3.  今米国が必要なことだが貯蓄を促進し消費を抑制する。 それは経済成長をもたらす。

理想的な税システムは次のようであるべき。

1. 炭素税のような外部性の税

2.  土地税

3.  累進的な消費税。好ましくは給与・賃金に対して。(付加価値税は累進的にするのが難しい)

4.  税の高い北欧モデルを選ぶなら、付加価値税も必要

しかし、どうして税の高いモデルを選ぶのだろう。もっとも税の低い先進国が最高のインフラを持っているという事実があるのに。二番目に税負担が少ない豊かな国がうらやましいほどのインフラと健康保険を備えていて、日本レベルの生活が見込まれているのに?

私は以下の四つが受け入れられたら民主党の正式党員になろう:

1.  もし彼らがケインズ主義を捨ててNGDP目標を使った金融政策に賛成すれば

2.  もし彼らが今の税制を累進消費税に切り替えるのに賛成すれば

3.  もし彼らが公立学校の独占をユニバーサルバウチャー制に切り替えるのに賛成すれば

4.  HSA(医療貯蓄口座) への強制徴収と貧しい人への助成

進歩的ブロガーのマット・イグレシアスとは最初の二点について合意できた。スウェーデンは三つ目を導入した。シンガポールは四つ目を総合医療システムに組み合わせている。いったいどんな進歩主義者が私のことを保守的なシカゴ学派経済学者と呼ぶんだ?

アメリカでバウチャー制度の導入を妨げているのは、人種問題の歴史についてのリベラルな敏感さと、宗教学校への配慮だと思うが、それは別のポストで。

このポストのタイトルを刺激的なものにした理由? 私は資本収入を含む「収入」は無意味だということを示したかった。ミスリーディングだ。だから人々はよく「トップ1%が全”収入”のどのくらいを稼ぎ出しているか」のような話をするときに、それらのほとんどが資本収入なのにもかかわらず、あたかも労働収入であるかのように語ったりするのだ。資本収入は遅れた消費なのであって真の収入ではないのに。さらに有害なことに、この誤解があの極めて迷惑で、非効率で、時には弾圧的でさえある収入税と呼ばれる制度を作ってしまう。これは倹約家を罰し、浪費家に報いる制度だ。

PS. もちろん現実世界では労働所得を見積もる際にさまざまな問題がある。自営業者をどう扱うべきか?一つの選択肢は事業収入への課税で、投資の損金化を認める。コメンテーターのマークがここに何か書いてくれるといいのだが。私は国家財政の本を30年読んでいないし、貧弱な記憶に頼っているだけだから。

更新: コメント欄で、ちょうど数日前にスティーブ・ランスバーグが同様のポストを書いているとの指摘があった。

  • naruto

    収入税はわが日本の所得税の原案だそうです。それなりに良かったと想うのですが。

    わが国における所得税法の発案は7 (1874)年に政府雇用外国人であるルードルフが時の伊藤博文参議に提出した「収入税法案」にあるといわれる。

    }*   http://harp.lib.hiroshima-u.ac.jp/hue/file/3596/20140130104842/keizai1988110405.pdf

    所得税と組み合わせて収入税の形になる『経費課税』はどうでしょうか?
    税の影響による抑制がされても構わない様になって居ます。
    収入税の意味は「金銭の流通には一定の生産性が要求される。」だと想っています。