政府支出は職を作り出すのか by Russ Roberts

10月8日にCafe Hayekに掲載されたRussell RobertsのDoes government spending create jobs?の訳。誤訳の指摘お願いします。


先日、私はとても頭の良い友人に政府支出とケインズについて話をしていた。彼は、もちろんインフラへの支出は仕事を作り出すし、生み出さなければならない、というようなことを言った。彼には良い仲間がいる。これはスティーヴン・パールスタインがワシントン・ポストに書いたものだ:

1番最近に教科書をチェックしたとき、彼らはいまだに政府の赤字支出は雇用を増加させ経済を活性化させると書いてあった。それ以外のところを信じることは、1000億ドルの減税と財政支出がともかく見取り図なしに経済から消えたと信じることに等しい。

この見方だと、政府支出による雇用創出の影響は単純に算数的なものということになる。パールスタインの見方―彼は正しく、それは本流の教科書の分析だ―だと、お金を使えば仕事が作り出されることになる。私の友人は正しいのだろうか? 特にインフラにお金を費やしたとき、仕事が作り出されると約束されないのだろうか?

もし政府が大量の橋を造れば、そこには橋を建設する労働者が必要になる、ということに関して彼は正しい。だから、その意味で支出は仕事を作り出す。以前私が指摘したところ、刺激策のごくごく少数パーセントしかインフラと呼ばれるものに費やされていなかった。ジョン・テイラーによると、2010年9月に書いている時点で景気対策のたった24億ドルしかインフラに使われなかったという。しかし、本当に道路や橋を建設するのに使われたドルに焦点を当ててみよう。私の友人は正しいのだろうか? そうだ、そこには雇用された人々の給与支払い名簿がある。しかし、支出は仕事を作り出したのだろうか? 普通、その質問の意味は、新しい仕事、もしくは全体として今まであったよりも多くの仕事だとする。

その質問に答えるためには労働者がどこから来るのかを見る必要がある。彼らは、橋を建設するために雇われる前は失業していたのだろうか? もし彼らが離職することが彼らのいた会社での求人を生み出すのだとすれば、それは失業している労働者のための求人なのだろうか? もし橋を建設する技術がやや専門的なものであれば、新しい橋に支出することの効果は、それらの技術を持つ労働者への需要を喚起することだ。それは次々に同様の技術を持つ労働者の賃金を上昇させ、それらの魅力を減少させ、橋の建設に従事する労働者の増加をやや相殺するだろう。そしてそこには橋を造るのに使われる原材料がある。それらの材料への需要の増加は、それらの材料の価格も同時に上昇させ、それらの材料の使用を控えさせ、よそでは雇用が減少するかもしれず、新しい橋を建設するのに雇われた労働者を部分的に相殺するだろう。だから仕事の純数に与える全ての影響はどうなのか言うことは難しい。そして答えは橋を建設する資金がどこからやってくるのかによる。税金か? 借入か? お金を刷るか? これらの全てが経済のどこかで何かしらの影響がある。しかし私は、その質問に答えるより深遠な方法は、新しい仕事 vs 全体としての仕事の数に焦点を合わせることではなく、仕事のことを考えることにほかならないと思う。

政府が人々を穴を掘ってそれを埋めさせるために雇うことを想像してみてほしい。私は2つの理由でこの例を選んだ。1つ目は、ケインズがこの論拠を2回「一般理論」において用いているからだ。[1] 10章にはこうある:

いま、大蔵省が古瓶に紙幣をいっぱい詰めて廃坑の適当な適当な深さのところに埋め、その穴を町のごみ屑で地表まで塞いでおくとする。そして百戦錬磨の自由放任の原理にのっとる民間企業に紙幣をふたたび掘り起こさせるものとしよう(もちろん採掘権は紙幣産出区域の賃借権を入札に掛けることによって獲得される)。そうすればこれ以上の失業は起こらなくてすむし、またそのおかげで、社会の実質所得と、そしてまたその資本という富は、おそらくいまよりかなり大きくなっているだろう。なるほど、住宅等を建設するほうがもっと理にかなっている。しかしこのような手段に政治的、現実的に困難があるならば、上述したことは何もしないよりはまだましである。

そして16章にも再度:

貯蓄を用いて「地中に穴を掘ること」にお金を費やすなら、雇用を増加させるばかりか、有用な財・サーヴィスからなる実質国民分配分をも増加させるであろう。だが、ひとたび有効需要を左右する要因をわがものとした日には、分別ある社会が場当たり的でしばしば浪費的でさえあるこのような緩和策に甘んじて依存し続ける理由はない。

2つ目の理由は、ジョセフ・スティグリッツが国会議員に訊ねられたとき真面目な顔でこれに同意していると聞いたからだ。(動画はここにある。もし誰かが辛抱強く質疑応答を印をつけて書き写してくれれば、多大な感謝をする。) ケインズとスティグリッツのどちらともがそれが生産的な何かをするのにより良くなるだろうと言っていたが、それどころか非生産的な労働は財政支出の結果なのだ。

私は違う意見を持っただろう。もし政府が人々に愚かで非生産的なことをすることにお金を支払うのなら、それらは本当の仕事ではない。「給与」を受け取る「労働者」は、失業補償や福祉が化粧直しをしたというだけだ。穴掘りは税金であり、罰であり、政府から小切手をもらうためにくぐり抜けなければならない輪に過ぎない。それをすることに対して誰もお金を払わないだろう。そこに充分に生産的なものは無い。その業務は政府のプログラムが終わるとすぐに終わるだろう。だから、政府が仕事を作り出すことにどんな意味があるのだろうか。失業手当をもらった人全員をとたんに「労働者」と呼び、そのように失業をなくすことは簡単だろう。

私は非常に単純なポイントを本当に用意しているだけだ。連邦政府の給与支払い名簿が―橋の建設や穴掘りやそれなら戦争で戦ったりしてもいい―膨張していけば、全体としての仕事は作られるかもしれないし作られないかもしれない。そして、あなたがそれらの従業員を経済に吸収もしくは何か生産的なものに使ったと考える理由はどこにもない。それは彼らに何をさせたかによる。彼らに何もさせないこと―仕事が非生産的なものかただ単に無条件に小切手を与えるかのどちらかだ―は、それ自身の中で、およびそれ自身で、小切手を受け取っている人以外の人のための繁栄をもたらすことはない。しかしケインズ乗数はどうだろう? これらの人々が次々に彼らのもらった小切手を使って他のものを買いに行く支出はどうなのだろうか。それは次々に新しい雇用を生み出さないのだろうか? ありえただろう。もしくは無かったかもしれない。以前私がこのことについて書いたとき、生産物の増加なしに価格が上昇することはありえただろう。もしくは生産物がより多くの人々が働く代わりに生産性の向上―人々がより懸命に働けば―により増えることもありえただろう。

これは本当に筋が通っているのだろうか? より多くの仕事を得ることなしにすべての種類の貨幣を経済に注入することは本当に可能なのだろうか? 私たちは、より多くの支出なしにすべての種類の仕事を作り出せることを知っているのと同じようにそのことを知っている。もっとも単純な言い方をすると、経済が健康なときに職を作り出すために外部からお金を支出する必要はない。そして経済が不健康なときには、世界のすべての支出は職を増やさないだろう。後者の場合、ジンバブエ、紙幣を刷りすぎてしまった国を考えてみるといい。もしくは私が以前書いた[2] 、貧困緩和のために設計された対外援助についてでもいいだろう。お金は経済の外側からやって来る。しかし、貧困を終わらせるよう設計された対外援助を受け取っている国々は豊かになっていない。それらの国々は貧しいままだ。それらの国々の人々に金を恵むことは仕事を作り出さない。そこでは必要な制度や文化がただ単にうまく機能しない。そして裏を返せば、政府支出が崩壊しかけている時代に第二次世界大戦から帰ってきた兵士のことを想像してみてほしい。彼らはどうやって職を何とか見つけ出したのだろうか? それは簡単だった。経済が健康だったのだから。 ケインジアンは破滅を予言し、それは間違っていた。過去50年以上にわたって増え続けている働く女性を見てみてもいい。彼女らはどうやって職を見つけ出したのだろうか。彼女らの仕事は経済のどこからか現れた。硬直的な賃金と需要創出を心配する必要はなかった。経済は健康だったのだ。

今日、経済は健康ではない。何かが壊れている。全てではない。失業率は25%ではない。9.6%だ。しかし回復の夏は過ぎ去ってしまった。そんなに回復はしなかった、少なくとも職の面では。ケインジアンは、刺激は効いたが十分に行っていなかっただけだ、と言うだろう。私の見立ては、景気対策が壊れたものを直すなんてことはほとんどない、というものだ。

そして、何がまさに壊れているものなのだろうか? 何が不健康なのだろうか? 消費者は記録的な水準でまた消費をし始めているというのに。もっとも簡単な答えは、ビジネスは投資ではない、というものだ。投資はいまだに非常に低い水準だ。どうやって多くの借金である政府支出がビジネスの投資を促しているのかという事実を聞いてきてほしい。そのような事実を作るのは難しいだろう。借金での政府支出、特に非生産的な材料では、ビジネスの投資を妨げているように私には見える。しかし、これがそれについて考える正しい方法なのか私にはわからない。ビジネスの投資における用心や自制が労働市場がこんなにも平凡な理由なのかははっきりしない。アーノルド・クリングは再計算と「専門化と取引の持続可能なパターン」について話してくれる。彼は私が何が起きているのかについて考えるのを手伝ってくれた。しかしそこにはそれより多くのことがある。第二次世界大戦後やいままでより多くの女性が労働市場に参入してきたほとんどの時代など、取引と専門化の新しいパターンを再計算したり創ったりするのが時に簡単なのはなぜだろう。それは私たちが完全には理解出来ない謎だ。しかし、自分がきちんと理解していると思っていることは、政府支出と仕事の間の関係は多くの人が考えているよりも必然的なものではない、ということなのだ。

  1. ここでは「雇用、利子および貨幣の一般理論〈上〉」(間宮陽介訳, 岩波文庫, 2008年)より引用した。 []
  2. 支出は繁栄をもたらすのか by Russ Roberts []