団結のとき by Scott Sumner (9/30/2010)

一連のリレーの最後、スコット・サムナーのCan’t we all just get along?の翻訳です。引用部分はそれぞれの邦訳をそのまま利用させてもらってます。なので、訳語が統一されていない箇所があります。「quasi-moentarist」は「疑似マネタリスト」だったり、僕は「なんちゃってマネタリスト」と訳していたり、「paradox of thrift」は「節約のパラドクス」だったり「倹約のパラドクス」だったり。


私がクルーグマンを賞賛するとてもナイスなブログを書いたすぐ後に彼はこんなこと邦訳)を書いている。

ブラッド・デロングは多様なコメント者の努力を節約のパラドックスだと定義し、現在の問題をほぼ完全に貨幣的なものとして再定義しようと男らしく挑戦している。僕が見たところ、それは全て切り詰めたり伸ばしたりして疑似マネタリスト的枠組みに押し込める絶望的な試みだ。まともな根拠なんてない。

では、僕の「一つのモデルが全てを統べ」の何が悪かったんだろうか?んー、あれはマネタリズムのように見えるものに簡単に変換できないからね。これにはまともな根拠がある。短期金利がゼロ近傍にある場合、中央銀行がコントール出来るマネタリーベースと、それより非常に広くコントロールできない短期安全資産の違いがほとんどなくなる。これはモデルのバグではない、要点だ。それが意味するのは、流動性トラップにはまってるとき、マネーの需要と供給の観点から考えることは問題へのアプローチとして役に立たないってことだ。

まずニューケインジアンとなんちゃってマネタリスト(quasi-monetarist)の我々みんなが合意しているいくつかの命題から始めよう。

  1. 政策金利が5%の時に、FRBが貨幣供給を2倍にすると発表し、同時に1ヶ月後にそれらの新たに供給された貨幣を吸収してしまうと発表したら物価と産出にはほとんど何も影響がないだろう。
  2. 政策金利が0%の時に、FRBが貨幣供給を2倍にすると発表し、同時に1ヶ月後にそれらの新たに供給された貨幣を吸収してしまうと発表したら物価と産出にはほとんど何も影響がないだろう。
  3. 政策金利が5%の時に、FRBが貨幣供給を2倍にし、永遠にそれを吸収しないと発表したら、物価は急激に上昇するだろう。
  4. 政策金利が0%の時に、FRBが貨幣供給を2倍にし、永遠にそれを吸収しないと発表したら、物価は急激に上昇するだろう。

金融政策は貨幣供給が一時的なものである時にはほとんど効果がなく、逆にそれが恒久的な場合には(ほとんど)いつでも非常に効果的である(流動性の罠に永遠にはまっていることが予想されていない限りは)。だから流動性の罠にはまっていることの問題は現金と短期国債(T-bills)が完全な代替物になってしまうことではなくって、もっと複雑なんだ。

じゃあ、なにが本当の問題なんだろう?残念ながらモグラたたきのように一つの反論に答えるとすぐに次の反論が飛び出してくる。ちょっとした歴史がヒントになるかもしれない。ニューケインジアンはこれまで何十年もの間、金利をツールにした欠陥を持った政策で経済を動かしてきた。金利がゼロをうつまではうまく難を逃れてきたが、ついに問題にぶち当たってしまったのだ。なんちゃってマネタリストはFRBに量的緩和(ベースマネーの供給量を増加させること)とベースマネーへの需要を減少させること(IORを引き下げることとより高めのインフレ目標)のどちらか、もしくは両方を提案している。クルーグマンのような進歩的なニューケインジアンはこれらの提案に賛同するのだけど、なんちゃってマネタリストたちが総需要の不足問題を単に倹約のパラドクスの意味するものとするのではなく、我ら流に本質的にマネタリーだと捉えようとすると怒りだすんだ(話はそれるけど、私はProcrusteanよりもautisticの方が良い)。

で、どこで話がこじれるんだろう?

  1. なんちゃってマネタリストは金融政策により高い重要性を見出している。我々なんちゃってマネタリスト達はFRBにはもっとできることがたくさんあると考えているし、もっとやって欲しいと考えている。しかし、なんちゃってマネタリスト達だけが車を運転しているのはFRBなんだって、名目経済成長率を決定しているのはFRBなんだって、実際いまだに考えている。
  2. コミュニケーション。ニューケインジアンは運転を誤って崖から落っこちてしまった。それでハンドルを引っこぬいて「オーケー、君たちが運転してくれ給え、うぬぼれ屋さん」と言ってなんちゃってマネタリストに渡したんだ。ゼロ下限のもとの経済の運転は全く新しいコミュニケーションの方法が必要なんだ。金利は使えないし、市場はそれ以外の方法には慣れていない。恒久的な貨幣量の増加だけが効果があるってのを思い出して欲しい。しかし、低金利下ではマネタリーベースへの需要はとても不安定で、信認ある形でベースマネーをターゲットにはできない。物価が不安定になりすぎるかもしれない(これが我々が「なんちゃってマネタリスト」であって「マネタリスト」ではない理由だ。我々は安定的な貨幣需要を仮定しない)。だから貨幣供給の変化とインフレ目標の変化を混ぜないといけないのだ。我々はこれからの数年の間、x%高めのインフレ率を維持するだけの貨幣供給の増加を行うのだ、ということを世間に伝えなければならない。ニューケインジアンはこれに対して「ヲイヲイ、それはマネタリズムじゃないだろ、ニューケインジアニズムだよ。インフレ目標が大事なんであって、貨幣供給の増加じゃないんだ」っていうんだ。答えはイエスでもありノーでもある。たしかに大事なのはほとんどインタゲの方だけど、全部じゃない。なぜならケインジアンの流動性の罠はいくつかの理由でもってちょっと現実的じゃないからだ。
    1. FRBは準備預金に対する金利をゼロに引き下げることで準備預金へのインセンティブ[1]を制限することができる。その場合、問題は市中で保有される現金のみってことになる。そして市中の人々が現金を持つ理由と国債を保有する理由とは異なる。現金の形で保有する理由のほとんどは課税を逃れるためとささいな取引のためであって、どちらも短期国債では不可能なものなのだ。だから現金と短期国債は完全な代替物ではない。それでも短期国債への金利が十分にマイナスになれば、完全な代替物に近くなるだろう。
    2. 現金はもっと他の種類の証券についてはもっと不完全な代替物に過ぎない。そしてそれらもFRBは買うことができる。
    3. もっとも重要なことに、量的緩和はコミュニケーションのツールでもある。もっと拡張的な金融政策を採用していることをマーケットに信じ込ませたいのなら、高めのインフレ目標を宣言すると同時に何かしら他のことも一緒にやるのが良い。ルーズベルトはこれをよくわかっていたから、1933年の終わり頃に金の購入プログラムを採用したのだ。金の購入額はマクロ的な影響を当たるにはほど遠いものだったにも関わらず、このプログラムは市場の価格を動かしたのだ。なぜか。それはルーズベルトがドルを恒久的に減価させるような効果を持つ何かをするだろう、というシグナルになったからだ。量的緩和はバーナンキの金購入プログラムになりうる。それ自身もある程度効果はあるが、高めのインフレ目標を組み合わせれば遥かにパワフルなものになるだろう。インフレ目標が明示的でなく、単にほのめかされただけのものであっても。

クルーグマンやデロングのような人たちが彼らの論争相手を倹約のパラドクスを理解してないって批判するのにはちょっとイラつくんだ。たしかに人々が貯蓄を増やそうとすれば金利が下がってベースマネーへの実質需要が上がる。そしてもしFRBがそれを相殺しなければ総需要は減る。そんなことはみんなわかってる。しかし我々がしつこく問題の本質が貨幣減少にあると主張するのはFRBには公的部門にしろ民間部門にしろ貯蓄の増加によるシフトを相殺する力があるからなんだ。で、これをクルーグマンはどんな理論的な基礎の上に反論できるだろう?彼はついこの前FRBが総需要を刺激しないことに怒っていたじゃないか。金利ゼロの時にFRBにできることはないなんて今更言えないよね。人々が貯蓄に走ることや政府の赤字削減プログラムの影響をFRBが完全に相殺しようとしているとクルーグマンが考えていないことは今や明らかだけど、それは実証の問題だ。ゼロ下限で倹約のパラドクスが起きることを「証明」するニューケインジアンの理論的なモデルとは何の関係もないことだ。

倹約のパラドクスモデルは金融政策が無効になる(と言われる)ゼロ下限のときのみに有効だ。よって、一日おきにFRBを「やるべきことをやっていない!」と糾弾したり、逆にFRBが無力であるとき以外に意味を為さない倹約のパラドクスを信じない経済学者を批判するクルーグマンの奇怪なる姿を我々は目撃しているのだ。

デロング邦訳)については、ニック・ロウのコメントへの返信は全く異論はないが、まるで問題の本質を突いていない。FRBに支離滅裂なOMEをやり、すぐにそれを撤回するなんてことは誰も要求してない。それに時々彼は1930年代のケインズ思想の呪縛から逃れられないように見受けられる。国債の金利がそれほど高くないから問題は貨幣現象ではありえないという時など。

よって、流動性のある現金の不足により引き起こされた不況では、たとえば政府債券などの利子率は非常に高くなっているものと予想される。政府債券は貨幣の安全性という特徴を共有し、また購買力を未来に移転する為の貯蓄手段としても働くが、交換の媒介として現金ほどの流動性がないためだ。

こういった枝葉末節についての小競り合いをやめて、ゼロ金利下においてもインフレ率と名目経済成長をコントロールするのが金融政策であると考えるのが最も有用であるのか、もしくは(クルーグマンやデロングの考えるように)ゼロ金利下では金融政策は受動的で効果のないものと考え、そしてそのような想定のもとでマクロ分析を行うことが有用であるかどうか、といったニューケインジアンと我々との対立の本質的な部分に論争を集中させることを望む。彼らは後者の信念を持っているようだが、ならばなぜFRBが彼らの「金融緩和が足りない」という主張に耳を貸すべきなのかがよくわからない。

最後のコメント。ケインジアンはゼロ金利下では恒久的な貨幣供給の増加しか意味を持たず、よって現在の貨幣供給の増加は見当はずれだと論じている。しかし、それは平時でも等しく真実だ。1%の利上げをしても、翌月1%の利下げを行えば経済に与える影響はほとんどない。Woodfordは大事なことは将来の政策の経路全体の予想であることを示した。だから足下の貨幣供給量の変化や金利の変化が重要ではないというのはいつでもだいたい正しいのだ。禁煙を計画してるって?じゃあ、今火をつけなよ[2]。結局のところ大事なのは長期的なタバコの消費経路なんだ。だから「後で」ではなく今すぐ量的緩和を始めるべきだ、というのが私の主張である。どんな長い旅も最初の一歩から始まるってことを忘れちゃいけない。

オーケー。さぁ、今こそ団結して本当の敵・FRBのタカ派をやっつけよう。

ところでクルーグマンは金利とインフレ率が上がらないことを予言したから彼のモデルが最高!っていうけど、それなら私も同じ予想をしていたし、2008年の終わりにFRBはもっと緩和をすべしと叫んでいたんだ。その要求は今どう見えるのだろう?時として厳しくひたむきな集中が必要で、もし人々がそれをプロクルステアンと呼ぶなら、そう呼んでもらって結構だ。

  1. 訳注:reserve demandをこう訳しました。 []
  2. 訳注:足下の貨幣供給増加が無意味であるという主張への皮肉。長期的にタバコをすわなくなるのなら、いま吸う一本の煙草は禁煙の計画になんの影響もないはず。 []