マーティン・ウルフの「節約のパラドックス」と「貨幣への超過需要」by David Beckworth

原文は、Beckworth, DavidのブログMacro and Other Market MusingsのSept,29.2010のエントリMartin Wolf, the Paradox of Thrift, and the Excess Demand for Money
経済ブロゴスィアで起きている一連の論争をリレー翻訳↓
ウルフ(日本語訳)→ベックワース(ここ)→デロング(日本語訳)→クルーグマン(日本語訳)→サムナー。
翻訳にあたり、himaginaryさんによる概観「貨幣への超過需要か、節約のパラドックスか?」を参照しました。

追記:okemosさんからご指摘いただき、第三、第四パラグラフの一部を訂正しました。


マーティン・ウルフは、なぜちゃんとしたマクロ経済分析が常に直感的とは限らないのかを思い出させてくれる。

経済分析は、一つの家計を分析するのと同じではない。家計においては正しいことも経済全体では正しくない。この真実を認識しないことは深刻な政策ミスを招くだろう。

マーティン・ウルフが参照している政策が誤っているのは、節約の必要性を主張している点だ。彼は、倹約の促進というのが個々の家計にとっては良いことかもしれないが、経済全体について考えると必ずしも良いとはいえないと述べている。この記事で彼は「節約のパラドックス」–皆が貯蓄しようとすると、それは不況時における個々人にとって理にかなったことであっても、総支出が落ち込んでしまい、それによって今度は、総所得と総貯蓄額を低下させる結果となるだろう(言い換えれば、貯蓄に回すことが可能な所得が少なくなる)という考えに言及している。結果として、経済はさらに失速し、既存の債務の利子を払うのも難しくなる。従って、マーティン・ウルフは、もっと借りることが今の経済には必要だと結論付けている。

挑発的なものいいだけど、この節約のパラドックスというアイディアは、貨幣への超過需要により生じた貨幣的不均衡を、別の言い方で表しただけなんだ。そう、もちろん貨幣への超過需要には、量的金融緩和が最善の解決方法だ。ただし、貨幣需要が貨幣供給と釣り合うまで、名目金額による支出総額の減少とデフレーションが起こるままにしておくという痛みを伴う選択肢はある。別の言葉に言い換えるなら、節約のパラドックスとは、the Fed(連邦準備制度の略。以下、Fedと表記)に勤務中に居眠りしていろと命じているようなものだ。

「節約のパラドックス」が、本当にただの貨幣への超過需要の問題なんだっていうことを説明しよう。まず、個々の家計は次の3つの方法で蓄えを増やそうとする。(1)個人消費を削減しお金を退蔵(使用せずしまいこむこと)する。(2)所得を、株や債権、不動産の取得に使う。(3)借金を返済する。(1)の例では、全ての家計が支出を削減してお金の保有高を増やそうとする。しかし、その時にあるお金の量が一定であれば、貨幣への超過需要が生じるだろう。そして苦しい調整過程というものが発生する。一方で、もし、Fedが貨幣供給を、増加した貨幣需要に見合うところまで調整したら、痛みを伴う調整過程は回避され、貨幣的均衡も保たれる。残り2つの例では、資産が購入され、負債が返済されるので、お金が資産の売り手と債権者に移動する。このとき、売り手と債権者、―もしくは、貨幣の交換の連なりのさらに先にいる誰か―にとって痛みを伴う調整過程が発生するのは、お金を退蔵したときだけだ。もし債権者や売り手がお金を退蔵しなかったら、支出と物価の安定は維持される。まったく結構な事だ。とすると、倹約の促進が経済全体にとって問題となるのは、貨幣への超過需要を引き起こすときだけなんだ。ビル・ウルジーがそれをうまくまとめてくれている。

もし貯蓄が直接的、または間接的に貨幣への超過需要を創出しているなら、それは、節約のパラドックスを作り出すであろう、ある種の累積する腐敗物を生み出すだけだ。節約のパラドックスとは、貨幣理論における根本的な主題のゆがんだバージョン以外の何物でもない。

貨幣理論における根本的主題とは、個々の家計は貨幣のストックを望ましい額まで調整可能であるが、経済全体ではそれは不可能だ、というものだ。経済は貨幣需要を一定の貨幣量にしなければならないが、それはとても苦痛に満ちたものとなる可能性がある。そこで、貨幣的均衡を維持する最善の方法は何、という問いが出てくる。それに対する僕の答えは、Fedが総支出を安定化させること、だ。

更新1.ニック・ロウがコメント欄に書いている。ビル・ウルジーに加えて、彼はブロゴスフィアに常駐する専門家だ。交換媒体としての貨幣の重要性、及び貨幣的不均衡について詳しい。たとえば、彼のブログのこのエントリこのエントリを参照するといいよ。

更新2.もし君が長いことこの経済ブロゴスフィアをうろついているんだったら、著名なブラッド・デロングのおしおきを受けるなんてこともありそうだよね。僕はそれを今日受けた。ごく感じの良いものだったけれどね。以下はブラッドから。

僕が思うに、デイビッド・ベックワースの議論の欠点は、「Fedが貨幣供給を調整すればよい」といっておきながら、それをどうやってやればいいのかに言及しない点にある。そうだね、ベックワースが貨幣への超過需要があると言っているのは正しいよ。だけど、Fedがただマネーサプライを「調整する」だけで、簡単に解決できるというのは間違っている。問題はこうだ。完全雇用下で、安全資産に対する計画的な需要は供給をはるかに上回るという問題が根っこにあるとき、公開市場操作による貨幣供給量の増加は、貨幣需要が同じだけ増加するため、相殺されてしまう。安全資産として政府債券を持っていた人達がそれを手放すと、かわりの安全資産として流動性のある貨幣への需要が高まるからだ。

貨幣供給の増加は、Fedが安全資産の供給を一定に保ち続けるという政策抜きでそれを行った場合にのみ助けとなりえる。もっとお札を刷って政府支出を増やす。ヘリコプターからお金をばらまく(ヘリコプター・マネー論)。国債による政府支出を増やし、追加的な政府債務という形を借りた追加的な安全資産を作る。政府が民間債券に保証をあたえ、安全資産とする。公開市場操作短期の安全国債ではなく、他の、危険(risky)な資産を購入する。このような公開市場操作は、世の中の安全資産を増加させる。

僕もブラッド・デロングの、貨幣への超過需要を調整するには通常の金融政策以上の何かが必要だっていう懸念には同意する。僕はこのブログエントリの前にそういった考えについて色々議論していたんだ。おもしろいことにブラッドの議論は、マーティン・ウルフのもっと政府は借金を、という解決案にまた戻っている。だから、僕がここで言い足すことができるのは、これは原則として貨幣への超過需要の問題だってことだけだ。

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  • YAMA

    現在、金銭で取引されている狭義の需要への供給が満たされていない市場ニーズの多く有る発展途上の国では、銀行に預けられた資金は、借り手としてそこにたどり着けた者はその資金を利用した産業で成功する市場を得やすく、そこから産生まれた資金が他の商品を求める新規消費層を生み出し、生産需要の連鎖を産める為、市場環境が経済資本になる力が有るが、

    市場価値競争が進むと、個人や法人が将来の市場価値を信じて借金をしにくくなり、銀行の民間資金の貸し出し利益が簡単には産まれにくくなる。(先進各国の利子水準の要因)銀行は(中央銀行や国債を利用し)銀行資金を国にも預ける事で、国から支払われる利子を利用して資金運用利益を確保し信用を維持しようとする仕組みだが、国から支払われる利子は根本的に税収を利用しており、銀行からお金が社会に回らなければ国は経済税収が確保出来ず、未来の税収を担保に銀行から借りた資金を利用してその利子を払う赤字国債経済になる為、不景気の原因になる市場を狭める行動として貯蓄の矛盾と、トリクルダウンの無い社会によって中央銀行の行動が無力化される問題が指摘されてきた

  • YAMA

    根本的には、消費市場の範囲が消費の場面のみの消費側ニーズを想定し持続可能な社会環境需要を消費者選択肢に想定して来なかった為、本質的な経済交換基準を労働消費者として消費者が選択追及する市場調整原理がなく、契約交換の条件を引き上げる事をやみくもに競争している市場に成っている事が現在の資本主義社会の不完全問題の発生本質。
    なので、iTで更に振り落とされ皆は要らなくなる現代、
    あえて市場価値無視のボランティア的雇用を選択し、社会的、国際的社会課題コストをその資本規模に対して多く負担している法人を市場で比較できる認定&税軽減制が作られる事が最も健全な社会課題解決法だと思う

  • YAMA

    現在、コロナの影響によって、自他国共に歴史上類を見ないほどの経済悪循環への圧力が競争が進んだ今までの市場分野に掛かっている。その規模自体では、氷河期世代を産んだリーマンショックより遥かに力が大きい。
    現在の社会市場では、この様な不景気期間で
    定職採用獲得や学費を負担し学履歴を付けられなかった経済階層は、社会が不景気を脱出した後も、非正規や無職期間から定職内定を得る事が年齢と履歴の社会的評価から難しくなりその身分が固定化する問題がニート問題として扱われ面接就職に必要な信用は社会的に保持されなくなる。
    それを防ぐ為にも前述のコメントの仕組みは必須ではないかと思うのだが。

  • YAMA

    様々な状況、属性の人々を雇用する事に相対的にも友好に応える様な、通常、雇用リスクコストと見られる物を相対的に負担している会社は社会課題解決の為のコストを社会に負担している仕事をしている為、資本規模に応じてそれを認定し、消費市場で可視的に表示出来る権利を与え、
    取引した消費側の消費者や法人が税の還付などを受けられる制度」を作れば、現在の市場が社会的に必要な人間環境を還元できるようになり、人間への投資減が連鎖する悪循環を軽減し、あらゆる社会課題を社会実効的に改善しやすい環境が実現可能だと思う。